奥澤神社 / 東京都世田谷区

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神社情報

奥澤神社(おくさわじんじゃ)

御祭神:誉田別命・宇賀魂命
旧社格:村社
例大祭:9月第2土・日曜
所在地:東京都世田谷区奥沢5-22-1
最寄駅:奥沢駅・自由が丘駅
公式サイト:─

御由緒

世田谷城主吉良氏の家臣、大平氏が奥沢城を築くにあたり守護神として勧請したと伝えられる。
例祭の9月14日・15日に、江戸中期より伝えられている「厄除の大蛇」の特殊神事が行われ、境内の「八幡小学校発祥之地」の碑は、かつて八幡小学校校舎があったからである。
社殿は昭和15年に完成し、尾州檜材を用い、室町期の様式を採用したもので、都内においても他に類を見ない。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2016/08/16(ブログ内画像撮影)
参拝日:2015/09/29(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

奥澤神社御朱印

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考察

奥沢の鎮守

東京都世田谷区奥沢に鎮座する神社。
旧社格は村社で、奥沢の鎮守。
元は八幡信仰の神社となっている。
例祭には「大蛇お練り神事」が行われる事でも知られている。

奥沢城の築城により東部の守護神として創建

社伝によると、創建は室町時代と伝えられている。
当社の創建には、室町時代に奥沢に築城された「奥沢城」が深く関わってくる。

奥沢城は現在の「九品仏浄真寺」がある場所に築城された平城で、天文-永禄年間(1532年-1570年)に、奥沢周辺を領地としていた吉良頼康により築かれた。
世田谷城の出城として用いられたと伝わる。

吉良頼康は、奥州吉良氏の出であり、公方と同じ足利氏の流れを汲む家として「鎌倉公方の御一家」という別格の扱いを受け、「足利御一家衆」「無御盃衆」と称され、世田谷城に居を構えたため「世田谷御所」「世田谷殿」とも呼ばれる。
世田谷一帯の領主であり、後北条氏に従い食客として扱われた人物である。

その吉良頼康によって築城された奥沢城は、家臣の大平氏が守ったとされており、その奥沢城を築城する上で、世田谷郷東部の守護神として当社が創建されたと伝えられている。

吉良氏の氏神は、清和源氏足利氏の流れを汲む事から分かるように八幡神であったため、当社も「八幡神社」として創建されている。
吉良氏が各地に建立した「世田谷七沢八八幡」の1社に数えられていたという。

江戸時代に入り奥澤新田村の鎮守へ

天正十八年(1590)、豊臣秀吉によって小田原征伐が行われる。
これにより後北条氏は滅亡し、後北条氏に従っていた吉良氏の城である奥沢城も廃城となる。

同年、奥沢近辺は関東移封によって江戸入りした徳川家康の直轄領となり、荏原郡世田谷領奥澤村として成立。

江戸時代に入ると奥沢周辺が開墾され、寛文九年(1669)に奥澤新田村が新たに成立。
従来の奥澤村は奥澤本村となり、奥澤周辺には開墾地である奥澤新田村と、従来の奥澤本村の2村が成立する事となり、当社は奥澤新田村の鎮守となった。
なお、この奥澤新田村は、現在の奥沢4丁目から8丁目にかけてのエリアである。

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(奥澤新田村)
八幡社
除地5段余、内社地1段、畑地4段余。村の東の方にあり。本社3間半に1間。拝殿2間に3間。前に鳥居を建つ。本社の右に4間に2間の寮あり。社を護るものここに居れり。祭礼9月15日、村民うちよりて神楽を奏す。下沼部村密蔵院の持。末社。
稲荷社。本社の西にあり。
犬神社。本社の後に在。
薬師堂。本社の右にあり。2間四方本尊は石像なり。

奥澤新田村の鎮守であった事が分かり、この頃は「八幡社」と呼ばれていた事が分かる。
「密蔵院」(現在の田園調布南)が別当寺であったが、本社の右にある社寮に当社を管理していた人物が住んでいたという事も記されている。
祭礼については詳しくは触れていないものの、9月15日に行われていたとある。
これが江戸時代から現在も伝わる「大蛇お練り行事」という事になる。

大蛇お練り行事の逸話

当社の例祭に行われる「大蛇お練り行事」は、江戸時代中期から続く行事。

この行事にはこんな逸話が残っている。

江戸時代中期に奥沢の地で疫病が流行。
ある夜に名主の夢枕に八幡神が現われ「藁で作った大蛇を村人が担いで村内を巡行させよ」と名主に告げたので、名主はその夢に従って新藁で大きな蛇を作り村内を巡行させたところ、疫病は程なくして治まった。

以後、藁の大蛇は厄除けの守護神として崇められ、厄除として藁で作った大蛇を携えて練り歩く行事が行われるようになり、これが現在も続く「奥沢神社の大蛇お練り行事」である。
image当社の鳥居には、前年の大蛇お練り神事で使用された藁製の大蛇が巻き付いている。
江戸時代中期から続く行事であり、大変貴重で個性的な神事と云えるだろう。

戦前から戦後にかけては中断されていたようだが、昭和三十三年(1958)に復活。
こうして今も継続されているのが素晴らしい。
平成五年(1933)には世田谷区指定無形民俗文化財にも指定された。

当社の社寮で学問を教える

幕末になると当社の社寮で子弟を集め学問を教えるようになる。

上述の『新編武蔵風土記稿』に「本社の右に4間に2間の寮あり。社を護るものここに居れり。」との一文があるように、この社寮で学問を教えていたのであろう。
これが後に寺子屋となり、更に明治になると池田孝一郎という人物が「池田学校」という名で学問を教えており、それが後に当社の社名から「八幡小学校」となる。(後に移転)

これが現在の世田谷区立八幡小学校であり、発祥の地と云う事ができるだろう。
imageそのため境内には八幡小学校発祥之地という記念碑が置かれている。

神仏分離と奥澤神社への改称

明治になり神仏分離。
明治七年(1874)に村社に列した。

明治十一年(1878)、奥澤本村と奥澤新田村が合併し奥沢村が成立。
さらに明治二十二年(1889)に、多くの村が合併し玉川村となる。
当社は旧奥沢村の鎮守となっていた。

明治四十二年(1909)には、近隣の「子安稲荷神社」が合祀されることになる。
この時期は合祀政策が推し進められた時期であり、その影響を受けたのであろう。
これを機に「八幡神社」から現在の「奥澤神社」と改称。

明治四十五年(1912)、江戸時代の本殿を「九品仏浄真寺」に移築。
これが改修されて「九品仏浄真寺」の観音堂となっている。
その後、大正二年(1913)に建立された本殿も「九品仏浄真寺」に移築され五社として祀られた。

当社の別当寺は「密蔵院」であり、「九品仏浄真寺」とは特別な関係があった訳ではないようなのだが、こうして2回も当社の本殿が「九品仏浄真寺」に移築されたのは、何とも不思議である。
当社の創建由来となった奥沢城であるが、廃城した後の江戸時代に入って、奥澤城址に「九品仏浄真寺」が開山しているため、何だか縁を感じるようにも思う。

その後、昭和初期にかけて、神職不在で荒廃した時期もあったようだ。
戦後の昭和四十五年(1970)に本殿が再建されている。

インパクトある鳥居と緑に囲まれた境内

奥沢駅と自由が丘駅の中間あたり、自由通りに面して鎮座している。
image商業施設も多く、商店街、住宅街も密集する地域だが、そうした中でも緑に囲まれた立派な鎮守の杜となっている。

鳥居には当社のシンボルでもある藁製の大蛇が巻き付いているのが特徴。
image前年の大蛇お練り神事で使用された大蛇がこうして鳥居に巻き付いている。
中々にインパクトのある姿であり、江戸中期より伝わる神事の一端を日頃から伝えている。

鳥居を潜ると正面に手水舎で、社殿は右手にあり南向きとなっている。
image室町時代の建築様式を再現したという檜造りの社殿。
この日は拝殿の戸が閉じられていたが、開いている時はその年の大蛇お練り神事で使われた大蛇が1年間安置されており、僅かにその姿を見る事ができる。
image賽銭箱の上には神楽鈴が置かれており、自分で身を清める事ができる。

社殿の右手には神楽殿。
他にも色々と見どころが多い。

雰囲気のある弁天社・歴史を伝える境内

社殿の左手奥は「べんてん道」として整備されている。
image境内社の奥沢弁天社へ続く道となっている。

この先は中々の雰囲気のあるエリアとなっており、歴史を感じさせるものも多い。
境内社の奥沢弁天社は奥に鎮座しており、岩によって築山された形。
image奥沢駅近くにかつてあった池に鎮座していた弁天社を、昭和二十五年(1950)に当社境内に遷座させたもので、昭和四十七年(1972)には築山され現在の形になっている。
image僅かながら水場があり、時期によってはメダカの姿も見る事ができ、都内にありながら懐かしい光景を見る事ができる。
なお、当社に遷座する前の池は、奥沢弁天池と呼ばれ白蛇伝説もあったそうなのだが、現在はそうした池はなくなっており、その姿を伺う事ができない。

この一角に上述した「八幡小学校発祥之地」の碑も置かれている。
さらに左手には、奥沢の古い信仰を伝える地蔵尊の姿も。
image享保二十年(1735)に奉納された子育延命地蔵尊であり、神仏混淆の時代を思わせる。
さらにその向かいには庚申塔の姿も。
image享保三年(1718)、文政三年(1803)の文字も見え、江戸時代の信仰を感じさせる。
また別当寺であった「密蔵院」の文字も見ることができる。
奥沢の信仰の歴史が詰まったエリアと云えるだろう。

御朱印は社務所にて。
呼び鈴がなく魚板をカーンと鳴らして呼ぶ仕組み。
image中々に良い音を鳴らしてくれる。
丁寧に対応して頂いた。

所感

奥沢の鎮守として地域からの崇敬を集める当社。
奥沢城の築城と共に創建し、奥沢村の成立など、奥沢の地を長年鎮守してきた神社であり、今もその境内には奥沢の歴史が詰まっている。
早朝に参拝すると、氏子が数人集まって掃除をしていたりと、地域からの崇敬の篤さも伝わる。
そして「大蛇お練り行事」と、鳥居に巻きつけられた藁製の大蛇はインパクトがあり、当社らしい個性と氏子の気持ちが伝わってくる。
緑に囲まれた境内は大変清々しい空気に満ちていて、自由が丘からもほど近いこの地にこうした境内が維持されているのは実に素晴らしく、素敵な良社である。

神社画像

[ 鳥居・社号碑 ]
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[ 鳥居・大蛇 ]
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[ 街道碑 ]
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[ 狛犬 ]
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[ 手水舎 ]
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[ 拝殿 ]
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[ 賽銭箱・神楽鈴 ]
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[ 本殿 ]
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[ 神楽殿 ]
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[ 境内風景 ]
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[ 社務所 ]
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[ 南側鳥居 ]
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[ 石 ]
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[ べんてん道 ]
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[ 奥沢弁天社 ]
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[ 八幡小学校発祥之地碑 ]
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[ 地蔵尊 ]
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[ 庚申塔 ]
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[ 案内板 ]
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