虎ノ門金刀比羅宮 / 東京都港区

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神社情報

虎ノ門金刀比羅宮(とらのもんことひらぐう)

御祭神:大物主神・崇徳天皇
旧社格:府社
例大祭:10月10日
所在地:東京都港区虎ノ門1-2-7
最寄駅:虎ノ門駅
公式サイト:http://www.kotohira.or.jp/

御由緒

 讃岐丸亀藩主の京極高和が領地・讃岐の金刀比羅大神を、万治三年(1660)に三田の江戸藩邸に邸内社として勧請、その後延宝七年(1679)に現在の地虎ノ門に移る。 こんぴら人気が高まった文化年間に京極家では毎月10日に限り一般の参詣を許し、大変賑わったといわれる。
 社殿は権現造りで、第二次世界大戦により焼失したが、拝殿、幣殿の部分は昭和二十六年(1951)に再建された。ともに総尾州檜造り、銅板葺きである。日本最初の建築史家伊東忠太の設計校閲による建物で、我が国古来の建築技法が随所に用いられている。 なお、幣殿の奥の本殿は、昭和五十八年(1983)に復興されたもので、鉄筋コンクリート造、銅板葺きとなっている。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2016/06/02(ブログ内の画像撮影)
参拝日:2015/04/30(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:お気持ち(志納)
授与所にて。

虎ノ門金刀比羅宮

御朱印帳

初穂料:1,500円・1,200円(各朱印代込)
授与所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意している。
表は二代歌川広重が描いた「江戸名勝図会 虎の門」が描かれたものが1,500円。
汎用のピンクの御朱印帳が1,200円。
いずれも御朱印代込。

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※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。

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考察

虎ノ門のこんぴらさま

東京都港区虎ノ門に鎮座する神社。
旧社格は府社であり、金毘羅信仰の神社となる。
現在は高層オフィスビルの虎ノ門琴平タワーと、当宮が一体化している現代的な境内が特徴。
読み方は「ことひらぐう」であるが、金毘羅信仰の神社は「こんぴらさん」「こんぴらさま」と呼ばれ親しまれる事が多い。
当社も鎮座地から「虎ノ門のこんぴらさま」として親しまれている。

讃岐丸亀藩の江戸藩邸に創建

社伝によると、万治三年(1660)に讃岐丸亀藩主・京極高和が、江戸藩邸のあった芝三田の地に讃岐金刀比羅大神の御分霊を勧請した事が始まりとある。

讃岐金刀比羅大神とは、現在の香川県にある金毘羅信仰総本社の「金刀比羅宮」の神である。
海上交通の守り神として信仰されており、さらには、時代を超えた海上武人の信仰も篤く、古くから崇敬を集めている。

現在の香川県である讃岐国は、江戸時代には2つの藩によって治められていた。
東讃地域が高松藩であり、西讃地域が丸亀藩であった。
両藩共に「金刀比羅宮」を篤く庇護し、江戸時代には金毘羅街道と呼ばれる街道がいくつも整備される事となっている。

丸亀藩は「金刀比羅宮」の参道である丸亀街道・多度津街道の起点を持ち、参拝客を相手とした観光業が藩財政を大きく潤おしていた事実がある。
丸亀藩にとって藩財政にも関わる大変重要な神様であった。

そんな丸亀藩では、万治三年(1660)に現在の丸亀城天守が完成している。
さらに同年、江戸の芝三田(愛宕下)に江戸藩邸を建造しており、その際に江戸藩邸にも大切な「金刀比羅宮」を勧請したという流れになっている。

こうした背景の中で、当宮は丸亀藩の江戸藩邸の邸内社として創建した。

虎ノ門に移転・江戸町民のこんぴら様人気

延宝七年(1679)、讃岐丸亀藩二代藩主・京極高豊の代に、丸亀藩江戸藩邸が現在の虎ノ門に移転。
邸内社であった当宮も同時に虎ノ門に遷座している。
こうして「虎ノ門金毘羅大権現」と称された。

文化年間(1804-1818)になると、江戸で金毘羅信仰(こんぴら様)が人気となる。
邸内社であった当社にも参拝したいという江戸町民の声が大きくなる事に。
そこで、江戸町民の熱烈な要望に応え、毎月10日に限り、江戸藩邸内を一般開放する形で、江戸町民の参拝を許可した。

江戸の町民は、丸亀藩の対応と心意気に大層感激し、大変な人気を博したようである。
親しみを込めて「虎ノ門のこんぴら様」として崇敬を集める事となった。

こうした邸内社が町民に開放され人気となった経緯は久留米藩の「水天宮」と似ている。

浮世絵で描かれた虎ノ門

こうした経緯で、江戸町民から人気となった当宮。
江戸時代の浮世絵・錦絵にも色々と描かれている事からも、その人気が伝わる。

初代歌川広重による『名所江戸百景』や、二代目歌川広重による「江戸名勝図会 虎の門」が特に有名。

名所江戸百景(歌川広重・名所江戸百景)

こちらは歌川広重による『名所江戸百景』から虎ノ門の様子を描いたもの。
前景の裸の男2人は、当宮に「寒参り」をしてきたところを描いている。
前の男の提灯には「金比羅大権現」の文字が入っているのが分かるだろう。
「寒参り」とは、見習い職人が冬の夜に寺社にお参りをして、水垢離を取って修行の上達を祈る風習で、江戸時代にはこうした崇敬者による「寒参り」が行われていた事が分かる。

江戸名勝図会(二代歌川広重・江戸名勝図会)

この『江戸名勝図会』は二代歌川広重によるもの。
当宮のオリジナル御朱印帳のデザインにも採用されている。
毎月10日に邸内を江戸町民に開放した時の様子を描いている。
金刀比羅大権現と描かれており、門付近は大行列になっているのが分かる。
また左下にある鳥居は、現在の社殿前にある四獣が飾られた明神型鳥居なのが分かる。
当時は金色に彩色されていたようだ。

明治以降と戦後の再建

明治になり神仏分離。
当社は府社に列している。

明治二年(1869)に「事比羅神社」に改称。
明治二十二年(1889)には現在の「金刀比羅宮」へ改称している。
金毘羅信仰は神仏習合の色合いが強かったため、仏教色を排除された経緯があり、社号の変更もそういった影響を受けているのであろう。

昭和二十年(1945)、東京大空襲によって社殿が焼失。
戦後の昭和二十六年(1951)に再建。
現在では東京都選定歴史的建造物に選定されている。

高層オフィスビルと一体化の境内

平成十六年(2004)に「虎ノ門琴平タワー」が竣工。
当宮の敷地内に高層オフィスビルが入る事となった。
imageビルに囲まれた都心らしい境内になっている。
image虎ノ門琴平タワーと社務所が一体化しているのも特徴的だろう。

素晴らしい鳥居と社殿

境内に入ると社殿前に建つ鳥居が実に見事。
文政四年(1821)に奉納された明神型鳥居である。
image鳥居に青龍、白虎、朱雀、玄武の四獣が飾られている珍しい意匠。
image右側には朱雀・白虎の姿。
image左側には青龍・玄武の姿を見る事ができる。

これらは上述の浮世絵「二代歌川広重・江戸名勝図会」にも描かれていた鳥居。
江戸時代の頃はこれら四獣は金色に彩色されていたようだ。
こうした珍しい意匠が残っている事は素晴らしく、現在は港区の指定有形文化財にも指定されていている。

鳥居の前には百度石。
image元治元甲子年(1864)に奉納されたもので、百度参りをするために置かれたものだろう。
港区の文化財に指定されている。

社殿は上述したように旧社殿が東京大空襲で焼失してしまったため、昭和二十六年(1951)に再建されたもの。
image東京都選定歴史的建造物にも選定されている。
現代的なビルの中に、こうした社殿が残る形で、何とも面白い空間。
都心らしい信仰形態と云えるかもしれない。

境内社は喜代住稲荷神社と結神社。
特に結神社は古くから縁結びの御利益があるとされ、女性からの信仰が篤い。
image 良縁祈願セット(800円)なるものが授与所にてお受けできるので、それらを使い祈願される方も多い。
この結神社は明治の書物「新撰東京名所図会」の中にその当時の様子を伺い知ることができ、古くから縁結びで有名だった事が分かる。

御朱印は虎ノ門琴平タワー1Fに設置された授与所にて。
日によっては社殿左手の受付所での対応になるようだ。
神職さんや巫女さんの数も多く、丁寧に対応して頂いた。

所感

虎ノ門のビルに囲まれ、ビルと併設する形で鎮座する「虎ノ門のこんぴらさま」。
新しく整備された境内ではあるが、見事な鳥居や社殿といったものを残しつつ、現代的にビルとの融合を図られていて、そのバランスが何とも独特で素敵に思う。
かつては丸亀藩の邸内社であったが、江戸町民の熱烈な要望により10日に限り開放していた当宮。
そんな当宮が現在はビルの中にあり、近隣のオフィスに勤めている方で賑わう神社となっており、今もなお江戸時代と変わらず人気の神社なのは間違いない。
時代の流れにおいても、神社の保護が考えられ、こうした形で存続しているのは素晴らしい事だと思うし、現代の都心の中でうまくやっていくための一つの形に違いない。
独特なバランスを保った良社である。

神社画像

[ 一の鳥居・社号碑 ]
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[ 手水舎 ]
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[ 二の鳥居 ]
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[ 拝殿 ]
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[ 本殿 ]
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[ 受付所 ]
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[ 参集殿 ]
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[ 社務所 ]
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[ 西側鳥居 ]
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[ 西側手水舎 ]
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[ 百度石 ]
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[ 神楽殿 ]
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[喜代住稲荷神社]
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[ 結神社 ]
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[ 石塔 ]
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[ 案内板 ]
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