瀧野川八幡神社 / 東京都北区

神社情報

瀧野川八幡神社(たきのがわはちまんじんじゃ)

御祭神:品陀和氣命
社格等:村社
例大祭:9月15日
所在地:東京都北区滝野川5-26-15
最寄駅:西巣鴨駅・新板橋駅・板橋駅
公式サイト:http://www.takinogawahachiman.com/

御由緒

 この神社は滝野川はちまんさまと俗称され、祭神は品陀和氣命(応神天皇)です。建仁二年(1202)の創建ともいわれていますが確証はなく、由来も不詳です。
『新篇武蔵風土記稿』には村の鎮守であり金剛寺に属していたことが記されています。明治六年神佛を分離する定めにより独立、同年七月五日村社に列せられたお社です 御神殿(本殿)は総欅造りで明治十八年改築、拝殿は大正十年改築されて現在に至っています。
末社には、稲荷神社、榛名神社、富士神社があります。末社の一つである榛名神社は土を安んずる埴安姫神を祭神としておむかえしたことは、当時の人々が農業と深い関係をもって生活していたことが伺えます。
またこの神社の社務所は戦前まで野菜の種の競市場として賑わいました。滝野川ごぼう、にんじん、大根等の種が地方におくられていました。(境内の石碑より)

参拝情報

参拝日:2018/03/23

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※毎月1日と15日の月次祭時に金の御朱印を授与。必勝ステッカー付き。(初穂料:700円)
※他にも祭事に応じて限定御朱印を用意。(詳細は公式サイトにて)

御朱印帳

初穂料:1,200円
社務所にて。

平成二十九年(2018)年九月よりオリジナルの御朱印帳を頒布開始。
当社の個性的なV型御朱印をデザインしたもの。
色は紫色とピンク色の2色展開。

[ 表面 ]

[ 裏面 ]

[ 社務所掲示 ]

授与品・頒布品

勝ステッカー
初穂料:300円
社務所にて。

交通安全ステッカーなど複数種類のステッカーが用意されている。


歴史考察

滝野川鎮守の八幡さま

東京都北区滝野川に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧滝野川村の鎮守。
「滝野川八幡さま」と称され、地域から崇敬を集めている。
滝野川は古い地名で、社殿裏手からは縄文時代の住居跡が発見されているなど、大変古くから人々の定住があった地であった。
戦前の社殿が現存しており彫刻が見事な他、現在ではV型になっている御朱印が個性的な事でも知られる。

古い地名である滝野川の由来とその鎮守

創建についての詳細は不詳。
一説には建仁二年(1202)の創建とも伝わる。

確証はないものの、平安時代後期から鎌倉時代初期の創建と推測されている。

当地は古くから「滝野川」と呼ばれた地であった。
太古より人の定住があり、旧石器時代もしくは縄文時代頃から人が定住していたとされる。
当社の社殿の裏手からは縄文時代後期の住居跡(滝野川八幡社裏貝塚)が発見されていて、その事からも古い地である事が伺える。

鎌倉時代に成立した『平家物語』の異本『源平盛衰記』『源平闘諍録』には、治承四年(1180)に源頼朝が下総国から武蔵国に入った時、「豊島御庄瀧ノ河」に陣を張った事が記されている事から、鎌倉時代以前より「滝野川」という地名があった事が分かる。
「滝野川」とは、石神井川(しゃくじいがわ)の別名。
古くは石神井川がこの付近で蛇行していて、流れが大変急であったため「滝のような川」として「滝野川」と呼ばれるようになったと云う。

当社はそうした滝野川村の鎮守として崇敬を集めた。

新編武蔵風土記稿に記された当社

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(滝野川村)
八幡社
村の鎮守なり。金剛寺持にて羽黒派修験寶隆院社を守れり。

滝野川村の「八幡社」と記されている。
滝野川村の鎮守であった事が分かる。
別当寺は石神井川に面した「金剛寺」が担っていた。

「金剛寺」(現・北区滝野川3丁目)は、弘法大師が創建したと伝わる古刹。
源頼朝が当地に布陣したとも伝えられている。
豊島氏の支族・滝野川氏の居館である滝野川城が当地付近にあったともされ、滝野川の中心でもあった。
弁財天は「岩屋弁天」「松橋弁天」とも呼ばれ多くの信仰を集めた他、紅葉の名所としても知られた事から「紅葉寺」とも呼ばれた。

江戸切絵図から見る滝野川村

江戸時代の滝野川村は江戸切絵図を見ると位置関係が分かりやすい。

(巣鴨絵図)

こちらは江戸後期の染井・王子・巣鴨周辺の切絵図。
滝野川村は地図の左端に描かれている。

(巣鴨絵図)

北が上にくるように回転させ滝野川村周辺を拡大したものが上図。
赤円で囲ったのが滝野川村で「此辺滝廼川村」と記されており、当社もこの近辺に鎮座していた。

青円で囲ったのが地域からの崇敬を集めた「金剛寺」で、中でも当寺の弁財天は「岩屋弁天」「松橋弁天」とも呼ばれて多くの信仰を集めている。
当社の別当寺を担っており、滝野川村は「金剛寺」を中心とした信仰を集め、「金剛寺」が別当を務めた当社が鎮守であった事が分かる。

歌川広重の浮世絵に描かれた滝野川

滝野川周辺、特に当社の別当寺であった「金剛寺」は、渓谷の滝や紅葉など、江戸時代には景勝地として庶民から人気を博していた。
そのため、浮世絵の題材としても人気で、特に歌川広重が好んで描いている。

当社と「金剛寺」の間にはやや距離があり、当社は滝野川村の鎮守として村民からの崇敬を集め、「金剛寺」は江戸の名所の1つとして広く崇敬を集めた違いはあれど、そうした「金剛寺」が別当を担ったのが当社であるため、当時の滝野川周辺を知る上で紹介したい。

(名所江戸百景)

歌川広重の『名所江戸百景』より「王子滝の川」。
石神井川(滝野川)を描いていて、右手にある滝が通称「弁天の滝」。
鳥居がある岩屋が「岩屋弁天」とも「松橋弁天」とも称された弁財天。
いずれも当社の別当寺であった「金剛寺」のものである。

(東都名所)

同じく広重による『東都名所』より「王子滝の川」。
こちらも「岩屋弁天」を描いており、石神井川(滝野川)で水遊びをする子どもたちの姿も見える。

(江戸名所之内)

こちらも広重による『江戸名所之内』より「王子滝の川紅葉風景」。
当社別当寺の「金剛寺」は、紅葉の名所としても知られた事から「紅葉寺」とも呼ばれた。
滝や紅葉など、景勝地として江戸庶民より愛された事が伺える。

このように当社の別当寺「金剛寺」は、江戸の名所の1つであり、そうした「金剛寺」が別当を務め、滝野川村の鎮守として崇敬を集めたのが当社である。

明治以降の当社の歩み

明治になり神仏分離。
明治六年(1873)、村社に列した。

明治初年には「大塚天祖神社」の神職が当社を兼務していたと云う。

明治十七年(1884)、本殿が改築。
総欅造の本殿でこれが現存している。

明治二十二年(1889)、市制町村制によって、上中里村・中里村・田端村・西ヶ原村・滝野川村の一部・下十条村の一部が合併し、滝野川村が成立。

合併の際は、滝野川村と田端村で村名を争っていたが、最終的には旧滝野川村から滝野川村が採用された。

明治四十二年(1909)の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲っているのが現在の鎮座地で、今も昔も変わらない。
橙円で囲っているのが当社の別当寺を務めていた「金剛寺」。
滝野川の地名の他、当社の近くには雷汞場の文字も見る事ができる。

雷汞(らいこう)とは、水銀を硝酸で溶解しエチルアルコールを加えて反応させたもので、僅かな加熱や衝撃で激しく爆発する起爆薬。雷汞を詰めたのが雷管で、当時の滝野川は砲弾等の雷管を製造する滝野川雷汞所があった。王子周辺は軍都として発展を遂げる事となる。

大正十一年(1922)、拝殿が改築。
本殿と共に拝殿も現存している。

当社の社務所は終戦直前まで、旧中山道に面した滝野川三軒家の種子問屋が中心となった「東京種子同業組合」の会合場所として利用されていた。
会合によって、滝野川ごぼう、人参、練馬大根の種子の価格を決めたり、東京府農事試験場に試作を依頼していた原種審査会の表彰が行われたりしたと云う。

戦後になり境内整備が進み現在に至る。
現在はV型の御朱印などが人気を博している。

境内案内

滝野川地区の住宅街の一画に鎮座

最寄駅の西巣鴨駅や板橋駅などからは徒歩10分の住宅街の一画に鎮座。
石鳥居が立ち右手が駐車場となっている。

鳥居を潜ると参道左手に社号碑。
社号碑には「八幡神社」の文字。

かつては石鳥居の先、石段のあたりに木造の二之鳥居があったのだが、現在は老朽化が原因で撤去されている。

その先に小上がりの石段があり、一対の狛犬。
目がぎょろっとした岡崎現代型。

石段を上った左手に手水舎。
綺麗に整備されていて使用する事ができる。

彫刻が見事な明治と大正に改築された社殿

参道の正面に立派な社殿。
拝殿は大正十一年(1922)に改築されたものが現存。
立派な唐破風と千鳥破風。
彫りの深い彫刻が施されており、地域からの崇敬が伝わる。
木鼻もとても良い出来で造形が良く、関東大震災や戦災を免れ現存しているのが素晴らしい。
本殿は明治十八年(1885)に改築されたもので、総欅造りで彫刻が施され現存。

境内社・明治の狛犬・神楽殿

社殿の右手裏に境内社。
鳥居が設けられ、その先には一対の狛犬も。
神狐像が多く奉納されているので稲荷神社と思いきや、稲荷神社・富士神社・榛名神社の三社が合祀殿として祀られている。

稲荷神社は穀物・農業の神として、榛名神社は土を安んずる埴安姫神を御祭神としている。農業と関わりの深い神を末社にしている事から当地の信仰の一端が伺える。

北側の裏参道にも鳥居。
この先に一対の狛犬が置かれている。
明治三十九年(1906)に奉納された狛犬。
残念ながら阿吽ともに状態が大変悪く、お顔が欠損してしまっている。

境内の右手には立派な神楽殿。
少し丸みを帯びた屋根が特徴的。

個性的なV型御朱印が人気・限定御朱印やオリジナル御朱印帳も

御朱印は社務所にて。
とても丁寧に対応して頂いた。

2017年頃より個性的な御朱印を用意するようになり、少し話題となっている。
「瀧野川八幡神社」とV字型で墨書きされ、その上には金のVマークが特徴。

当神社の朱印
八幡神社は勝利の神と崇められ、V(ビクトリー)サイン型またピース(平和)サイン型に、勝運また平和への祈りを込めてお書きしております。

毎月1日と15日の月次祭時に金の御朱印が授与される。
必勝ステッカー付きで、初穂料は700円。

他にも祭事に応じて限定御朱印を用意。
限定御朱印についての詳細は公式サイトをご覧頂きたい。

オリジナルの御朱印帳も用意している。
当社のV型御朱印をデザインしたオリジナルの御朱印帳。
紫色とピンク色の2色展開となっている。

他にも勝守など多くの授与品を用意。
一部は公式サイトで公開されているのでご覧になるとよいだろう。

所感

旧滝野川村の鎮守であった当社。
滝野川は大変古い地名で、古代より人の定住があった地である。
古くから滝野川の中心であったのは、当社の別当寺「金剛寺」。
「金剛寺」は、渓谷の滝や紅葉など、江戸時代には景勝地として庶民から人気を博していて、広重が描いた浮世絵の題材にも数多く取り上げられている。
そうした江戸の名所の1つであった「金剛寺」からは多少距離があるものの、当社は農村であった滝野川村の鎮守として地域の方から崇敬を集めたのであろう。
今も手入れされた境内は中々に立派で、戦前の社殿も状態よく現存しているのが喜ばしい。
現在はV型御朱印、限定御朱印など、御朱印にも力を入れており、積極的に活動している事が伺え、地域のよい鎮守であると思う。

神社画像

[ 鳥居 ]


[ 社号碑・参道 ]


[ 参道 ]

[ 狛犬 ]


[ 手水舎 ]

[ 拝殿 ]








[ 本殿 ]

[ 三社合祀殿 ]



[ 北側鳥居 ]

[ 狛犬 ]


[ 神楽殿 ]


[ 神輿庫 ]

[ 石碑 ]

[ 天水桶 ]

[ 絵馬掛・御籤掛 ]

[ 社務所 ]

[ 案内板 ]


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