神社情報
下高井戸浜田山八幡神社(しもたかいどはまだやまはちまんじんじゃ)
御祭神:応神天皇
社格等:村社
例大祭:9月第4日曜
所在地:東京都杉並区下高井戸4-39-3
最寄駅:西永福駅・浜田山駅・桜上水駅
公式サイト:http://www.shimotakaido.org/
御由緒
下高井戸八幡神社
この神社は、旧下高井戸宿の鎮守で祭神は応神天皇です。
社伝によると、長禄元年(一四五七)太田道灌が江戸城を築くとき、工事の安全を願い、鎌倉の鶴岡八幡宮の神霊を勧請して創建したものといわれます。
本殿は、棟札によると、弘化四年(一八四七)の再建であることがうかがわれ、現在の拝殿・覆殿はは昭和三十四年に落成したものです。
境内には末社として、天祖神社・御嶽神社・稲荷神社のほかに、当神社に功労のあった人々を祀る祖霊社があります。
神田川沿いの台地や斜面には、先土器時代から古墳時代に至る遺跡が各所に発掘されていますが、当社の近くからも集落跡が発見され、石器・土器等の出土もあり、古くから人々が住んでいたことがわかります。
中世以降、村落の発達とともにこの地に神社が奉斎され、村の鎮守として尊崇を厚くしてきました。
昭和初期まで当社の宮司であった斎藤守高氏は、俗に「面芝居」ともいう神楽の元締で、芸名を「中村縫之助」といい、鼓・太鼓・三味線に合わせて踊る芸の師匠でありました。
この面芝居は、明治末から昭和初期にかけて流行しましたが今は絶え、残された数個の面が往時をしのばせています。(境内の掲示より)
参拝情報
参拝日:2017/06/29
御朱印
初穂料:300円
社務所にて。
※兼務社の「上高井戸第六天神社」「大宮前春日神社」「久我山稲荷神社」「西高井戸松庵稲荷神社」の御朱印も頂ける。
歴史考察
旧下高井戸宿鎮守の八幡さま
東京都杉並区下高井戸に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧下高井戸宿の鎮守。
江戸城を築城した太田道灌による創建の伝承が残る。
正式名称は「八幡神社」であるが、他との区別から「下高井戸浜田山八幡神社」「下高井戸八幡神社」と称される事が多い。
杉並区の4社の神社を兼務する本務社で、地域の中核神社の一社となっている。
太田道灌の命によって創建
社伝によると、長禄元年(1457)、太田道灌の命で創建されたと伝わる。
道灌は、江戸城を築城する際に、武運長久と工事の安全を願い、家臣・柏木左衛門に命じて鎌倉「鶴岡八幡宮」の神霊を勧請。

道灌に命じられた柏木左衛門によって創建された事から「柏木ノ宮」と称されたと云う。
江戸時代に高井戸宿が成立
江戸時代に入ると、江戸幕府によって五街道が整備される。
当地は、甲州街道の最初の宿場「高井戸宿」として整備。
慶長七年(1602)、正式に高井戸宿が成立。
慶長九年(1604)、高井戸宿が上高井戸宿・下高井戸宿に分けられる。
下高井戸宿の本陣は、当社の旧別当寺「宗源寺」(現・下高井戸4丁目)の左隣置かれた。
一方で、西側の上高井戸宿(上高井戸村)の鎮守を担ったのは、現在の当社の兼務社となっている「上高井戸第六天神社」である。

新編武蔵風土記稿より見る当社
文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。
(下高井戸宿)
八幡社
除地三段三畝十九歩。村の北の方にあり。僅なる祠を南向に立。村の鎮守にして宗源寺持。
稲荷社
除地七畝六歩。これも北の方へよりてあり。村内修験本覚院の持。
下高井戸宿の「八幡社」と記されているのが当社。
村の北側にあり、村の鎮守と記されている。
別当寺は「宗源寺」(現・下高井戸4丁目)であった。
社殿ではなく「僅かなる祠」を南向きに立てていると記してある。
合わせて記してある「稲荷社」は後に当社へ合祀される事となる。
この後の、弘化四年(1847)、本殿が造営。
現在の規模に整備されていったのはこの時期からであろう。
この本殿が現存していて、覆殿の中に納められていると云う。
明治維新後の歩み・戦後の造営
明治になり神仏分離。
明治五年(1872)、村社に列した。
明治二十二年(1889)、市制町村制施行に伴い、上高井戸村・中高井戸村・下高井戸村・大宮前新田・久我山村・松庵村が合併し、高井戸村が誕生。
当地は高井戸村下高井戸となる。
明治二十五年(1892)、村内に鎮座していた稲荷神社を合祀。
田中稲荷と呼ばれていた神社で、これが『新編武蔵風土記稿』に記されていた稲荷社であろう。
明治四十二年(1909)の古地図がある。
当時の当地周辺の地理関係を確認する事ができる。
(今昔マップ on the webより)
赤円で囲ったのが当社で、現在の鎮座地と同じ場所に鎮座しているのが分かる。
高井戸村の地名の他に「下高井戸宿」の文字。
甲州街道の宿場として発展した名残を見る事ができる。
こうした下高井戸の北側、神田川(神田上水)近くに鎮座し、一帯の鎮守として崇敬を集めた。
当時の当社の宮司(現宮司の曾祖父)斎藤守高は、その「面芝居」神楽の元締であった。
残念ながら今は絶え、当時の面が残っているに過ぎない。
昭和三十四年(1959)、拝殿と覆殿が造営。これが現在の社殿となっている。
その後も境内整備が行われ現在に至っている。
現在は杉並区内4社の神社の本務社となっており、地域の中核神社の一社を担っている。
境内案内
住宅街にありながら緑に囲まれた境内
最寄駅の西永福駅からは徒歩10分ほどの距離で、神田川のやや南に鎮座している。参道は東側と南側にあり、南側が表参道。
住宅街にありながら、緑に囲まれた社叢を維持している。
一之鳥居を潜った先に二之鳥居。この日は夏越大祓式の前日だったため、茅の輪も置かれていた。
茅の輪のくぐり方の案内板も出ていて分かりやすい。
参道には二対の狛犬。手前が昭和十五年(1940)の奉納で、奥が大正三年(1914)に奉納されたもの。
ロケ地としても使われる立派な拝殿と覆殿
社殿は昭和三十四年(1959)に造営されたものが基本となっている。立派な造りの拝殿で左に授与所が併設されていたりと規模も大きい。
拝殿は昭和三十四年(1959)に造営されたもの。
本殿は、弘化四年(1847)のものが現存していると云う。外側から見えるのは覆殿で、拝殿と共に昭和三十四年(1959)に造営された。
この覆殿の中に、江戸時代の本殿が納められている。
使用された例:アルスマグナ -en-
境内社や力石など
境内社は参道の左手に鎮座。左から稲荷神社。
天祖神社。
御嶽神社。
祖霊社。
祖霊社の左手には石像。
大国主神(大黒様)と事代主神(恵比寿様)の石像。
近くには力石。無造作に置かれているが、力比べに使用された歴史を伝える。
他に参道右手に神楽殿。その手前には町会の神輿庫が置かれている。
この一帯が参拝者用駐車場となっていて、車での参詣も可能となる。
兼務社4社の御朱印も・夏詣にも賛同




2016年の夏から「夏詣」にも賛同。境内には夏詣の幟も設置されていた。
所感
下高井戸宿の鎮守として崇敬を集めた当社。
高井戸宿は江戸初期に設置されたものの、内藤新宿が設置されてからは規模が縮小しており、当社はそうした盛衰と共に歩んだ鎮守と云えるだろう。
現在は住宅街の一画にありながら、緑に覆われた鎮守の杜を維持。
緑溢れる境内はとても良い雰囲気で、今も地域の方々より崇敬を集めているのが伝わる。
地域の中核神社として、当地周辺の歴史と信仰を伝える良い神社である。
神社画像
[ 一之鳥居・社号碑 ]
[ 二之鳥居 ]
[ 茅の輪 ]
[ 手水舎 ]
[ 参道 ]
[ 狛犬 ]
[ 拝殿 ]
[ 本殿(覆殿) ]
[ 授与所 ]
[ 神楽殿 ]
[ 神輿庫 ]
[ 境内社 ]
[ 稲荷神社 ]
[ 天祖神社 ]
[ 御嶽神社 ]
[ 大国主神・事代主神 ]
[ 祖霊社 ]
[ 石碑 ]
[ 力石 ]
[ 社務所 ]
[ 東参道 ]
[ 社殿裏 ]
[ 夏詣幟 ]
[ 案内板 ]
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