東蕗田天満社 / 茨城県結城郡

神社情報

東蕗田天満社(ひがしふきたてんまんしゃ)

御祭神:菅原道真公
相殿神:天児屋根命・金山彦命
社格等:村社
例大祭:7月25日に近い土・日曜(祗園祭/夏祭り)・11月25日(例祭/秋祭り)
所在地:茨城県結城郡八千代町東蕗田242
最寄駅:宗道駅から車で10分以上
公式サイト:https://sites.google.com/site/donglutiantianmanshe/

御由緒

元法印正善の時『小字本田に小祠あり(口傳)』」とあり、当神社は現在の処より北にあったといわれております。また近くに成就寺という寺があり、元法印正善は住職と神官を兼ねておりました。その後の代の法印善海が「東蕗田の地に菅原道真公をお祀りするお社を造るように」という霊夢の物語を京都北野梅松院に奏上したことにより、其の事を白川家に懇請し、勅宣を以って北野天満宮より御霊を分祀し、東蕗田の地に正応元年(1288年)2月18日に創建されました。長き歴史を経て東蕗田の天神様として親しまれております。(頒布の資料より)

参拝情報

参拝日:2017/06/03

御朱印

初穂料:500円(見開き和歌御朱印)・300円(1頁御朱印)
社務所にて。

見開きで菅公が詠んだ和歌御朱印を通年で複数用意。(順次追加予定あり)
各和歌御朱印に合わせたデザインの1頁御朱印も複数用意。
境内社7社の御朱印も用意。

(和歌御朱印)

(和歌御朱印)

[ 社務所掲示 ]

御朱印帳

初穂料:1,500円(1頁御朱印付き)・1,700円(和歌御朱印付き)
社務所にて。

天神信仰らしい梅の花模様のもの。
桜の花をデザインしたピンク色のもの。
2種類を用意。

※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。

歴史考察

東蕗田の天神様

茨城県結城郡八千代町東蕗田に鎮座する神社。
旧社格は村社で、東蕗田村(後に合併し安静村)の鎮守。
鎌倉時代の創建とされ、「東蕗田の天神様」と親しまれている。
境内は彫刻が見事な社殿や、裏参道の桜並木が特徴的。
御祭神の菅原道真公が詠んだ和歌御朱印を頂く事ができる。

鎌倉時代に北野天満宮より勧請

社伝によると、正応元年(1288)に創建とされる。

当地近くにあった「成就寺」(現・廃寺)の僧・元法印正善は、当社の神職・蕗田家の祖であり、その後の代である法印善海が「東蕗田の地に菅原道真公をお祀りするお社を造るように」という霊夢を見たため、この事を京都北野梅松院に奏上。

御由緒には京都北野梅松院と記されているが、「北野天満宮」の社僧を務めた「松梅院(しょうばいいん)」の事と思われる。

白川家に懇請し、勅宣を以って「北野天満宮」(京都府京都市)より勧請。

白川家とは、白川伯王家(しらかわはくおうけ)の事で、皇室の祭祀を司っていた伯家神道(白川流神道)の家元。室町時代に吉田家との地位が逆転するまで、全国の神社を管理していた。

正応元年(1288)、東蕗田の地に当社が創建。
「成就寺」が別当寺となり、元法印正善が僧と神官を務めた。

古くより「元法印正善の時『小字本田に小祠あり』」と口伝が伝わる。
この事から、当時は現在よりやや北側に鎮座していたとされる。

江戸時代には黒印地を拝領

中世には、下妻城の城主・多賀谷重経より太刀一振奉納の記録が残る。

重経は、文禄元年(1592)に豊臣秀吉により下妻城を没収されている事から、それ以前の奉納と推測できる。

江戸時代に入ると、慶長九年(1605)、伊奈忠次より黒印地三石を拝領。

伊奈忠次(いなただつぐ)は、家康に重宝された武将・大名。家康によって関東代官頭に任命され、関八州(関東)の幕府直轄領約30万石を管轄し、以後12代200年間に渡って伊奈氏が関東代官の地位を世襲した。
黒印地(こくいんち)とは、大名が寺社などに黒印状を発行し領地を安堵した土地。徳川将軍家による朱印地に対して黒印地と呼ばれる。

当社は東蕗田村など地域一帯の鎮守として崇敬を集めた。

江戸時代の氏子崇敬者による境内整備

享保十年(1725)、鳥居が建立。
享保十九年(1734)、氏子たちの寄進によって本殿が造営。
この本殿が修復されつつ現存。

文政八年(1825)、石灯籠一対建立。
現在も境内に石灯籠が残っている。

天保三年(1832)、拝殿が再建。
5年の歳月を費やし、多くの寄付があったと云う。

文久三年(1836)、手水舎を建立。

このように東蕗田村など各村の氏子崇敬者から崇敬を集めていた事が伝わる。
境内には今も当時のものが多く残されており、歴史を伝えている。

地域の鎮守として供進村社に指定

明治になり神仏分離。
別当寺「成就寺」は廃寺となり、蕗田家は当社の神職となった。

明治二十年(1887)、近隣の「琴平神社」「大平神社」を合祀。

明治二十二年(1889)、市制町村制が施行され、蕗田村(西蕗田村・法木田村が合併)・東蕗田村・大間木村・芦ヶ谷村・芦ヶ谷新田・逆谷新田・佐兵衛新田・磯村・村貫村・新地村・新地新田・村岡新田・尾崎村・栗山村が合併して安静村が成立。

明治四十年(1907)、村社に列し、神饌幣帛料供進神社に指定。
裏参道の社号碑には「神饌幣帛料供進神社 天満社」の文字が残る。

同年の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

当社の鎮座地は今も昔も変わらない。
地域一帯の村が合併した「安静村」の文字を見る事ができ、「東蕗田」という地名も見る事ができる。
当社は供進指定村社として、こうした地域一帯の鎮守を担った。

明治四十二年(1909)、「八幡神社」「雷電神社」を合祀。

当時の合祀政策の元に当社に多くの神社が当社に合祀・遷座したものと思われる。

(茨城県神社写真帳)

上の古写真は、昭和十六年(1941)に「いはらき新聞」より出版された『茨城県神社写真帳』から当社の写真。
黒潰れと低解像度で分かりにくいとは思うが、茅葺屋根の社殿だった事が伺える。

昭和二十八年(1953)、本殿の屋根を銅板葺に改築。
昭和三十五年(1960)、拝殿屋根を銅板葺に改築。

その後も境内整備が行われ現在に至っている。

境内案内

農道の先の表参道・桜並木が見事な裏参道

最寄駅は宗道駅になるが直線で約5kmと離れており、車でも10分以上の距離。
「筑波サーキット」から西に約1kmほどの距離で、のどかな田畑の広がるエリア。

表参道は農道から入っていく形で車などの進入は禁止。
正面に石鳥居。
扁額には「天満宮」の文字。

鳥居を潜った先、右手に手水舎。
水は張られており、綺麗に管理されている。

一方で北側の裏参道は県道56号から入る形。
運動公園の駐車場もあるため、一般的には裏参道から参拝する形がよいだろう。
綺麗に整備された裏参道は約200mの桜並木になっており、桜の時期はとても見事な姿になると云う。
裏参道途中に朱色の両部鳥居。

裏参道は左手に児童公園。
右手には野球グランドが整備。
地域から親しまれ整備されているのが伝わる。

裏参道の美しい桜並木については公式ブログにて写真が多く掲載されている。
夜は夜桜のライトアップもしていたようで、是非そちらをご覧頂きたい。
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彫刻が見事な江戸時代造営の社殿

表参道の正面に社殿。
江戸時代の社殿が改修されつつ現存している。

拝殿は天保三年(1832)に造営されたもの。
5年の歳月を費やし造営されたと伝わり、見事な彫刻が施されている。
両柱にはかなり彫りの深い梅の木が彫られており、他ではあまり見たことがない素晴らしい意匠。
彫刻は大変細かく彫りも深いもので、宮大工の確かな技術の高さが伝わる造形。

本殿は、享保十九年(1734)に造営。
こちらも彫刻が実に素晴らしい。
細かい龍の彫り物や獏の彫り物。
屋根を支えるがまんさま(鬼)のような彫り物もあったりと表情豊か。

拝殿・本殿共に江戸時代の造営と伝わり、屋根の銅板葺などに改修の際、どれだけ手を加えて整備されたのかによるとは思うが、状態も大変よく文化財に登録してもよい出来の素晴らしい社殿である。

多くの境内社や歴史を伝える石碑

社殿の裏手に多くの境内社が並ぶ。
左には稲荷神社・東照宮の小祠。
その隣に八幡神社。
菅公一千年碑。
三峯神社。
善然神石塔。
疫社二社と並ぶ。

更に少し離れた所に祖霊社。
氏子の祖霊を祀る。
近くには戦没慰霊碑も。

表参道左手に雷電社。
その奥に天照大御神を祀る大日神社。

境内の右手に縁結び・夫婦和合の象徴である夫婦杉。
境内は緑が多く、樹齢を重ねた木々に囲まれている。

菅原道真公が詠んだ和歌御朱印

御朱印は社務所にて。
参集殿の先が社務所になっており、社務所入口の案内が出ているので分かりやすい。
新しくなったばかりの綺麗な社務所で、女性の神職がとても丁寧に対応して下さる。

当社の御朱印は、御祭神である菅原道真公が詠んだ和歌の御朱印を用意しているのが特徴。
種類は複数あり、今後も道真公が詠んだ和歌御朱印を増やしていく予定で、いずれも期間限定ではなく通年お受けする事ができる。

御朱印情報
見開きで菅公が詠んだ和歌御朱印を通年で複数用意。(順次追加予定あり)
各和歌御朱印に合わせたデザインの1頁御朱印も複数用意。
境内社7社の御朱印も用意。
結城郡八千代町東蕗田に鎮座しております東蕗田天満社(ひがしふきたてんまんしゃ)の公式HPです。安産・初宮・七五三・厄除などの人生儀礼をはじめ各種ご祈願、地鎮祭・新宅祭・井戸祓・伐木祓などの出張祭典を承っております。また、気学鑑定士の資格を持った女性神職が、方位・家相・産児命名・墓相についても懇切丁寧に鑑定をいたします。...

筆者は2種類お受けした。

東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ

現代語訳:東風が吹いたら(春が来たら)芳しい花を咲かせておくれ、梅の木よ。大宰府に行ってしまった主人(私)がもう都にはいないからといって、春の到来を忘れてはならないよ。
天神信仰の御祭神である菅原道真公は梅の木を愛でた事で知られ、政争に敗れて京から太宰府(九州)に左遷された際に詠んだ歌である。これが飛梅伝説にも繋がる。

心だに 誠の道にかなひなば 祈らずとても 神や守らむ

現代語訳:心に誠意を持ち、道理にかなった行動をしていれば、殊更祈らなくても神は守って下さる。
菅原道真公は「学問の神様」として知られるが、この歌から「正直の神」とも崇められる事もある。

こうした御朱印の展開は、菅公の和歌を知る事ができるとても素晴らしい施策である。

御朱印帳も用意。
授与品も多く、天神信仰の神使「牛みくじ」なども用意されていた。

所感

東蕗田村など地域一帯の鎮守であった当社。
かつては神仏習合の元、別当寺による管理で崇敬を集めたものと思われる。
古くから氏子崇敬者からの崇敬は篤く、現存する社殿などからも伝わる。
特に拝殿・本殿の彫刻は実に見事であり、素晴らしいの一言。
鬱蒼とした緑に囲まれた境内からは、古くからの村の鎮守の姿を感じさせてくれる。
女性神職さんは鑑定士の資格も保有していると云い、御祈願のみでなく相談なども受け付けている。
最近は菅公が詠んだ和歌御朱印を授与するなど、様々な努力をされているのが伝わり、とても丁寧に対応して下さったのが有り難い。
筆者は当社の事を少し前まで知らず、ブログ読者様よりメールで教えて頂き参詣したのだが、良い神社であった。
アクセスがよいとは言えない場所に鎮座しているが、足を伸ばして参詣したい良社。
いずれ桜の季節にも参詣してみたい。

神社画像

[ 表参道 ]

[ 鳥居 ]

[ 表参道 ]

[ 手水舎 ]

[ 裏参道鳥居 ]

[ 社号碑 ]

[ 裏参道 ]

[ 裏参道二之鳥居 ]

[ 児童公園 ]

[ 野球グラウンド ]

[ 拝殿 ]









[ 本殿 ]





[ 狛犬 ]


[ 東照宮・稲荷神社 ]

[ 八幡神社 ]

[ 石碑 ]

[ 三峯神社 ]

[ 石塔 ]

[ 疫社二社 ]

[ 神輿庫 ]

[ 石灯籠 ]

[ 雷電社 ]

[ 大日神社 ]

[ 灯籠 ]

[ 境内風景 ]

[ 夫婦杉 ]

[ 石碑 ]


[ 祖霊社 ]

[ 古札納処 ]

[ 参集殿 ]

[ 社務所 ]

Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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