大杉神社(おおすぎじんじゃ)
御祭神:倭大物主櫛甕玉命・大己貴命・少彦名命
社格等:郷社・別表神社
例大祭:10月第4土曜・日曜日・27日(大杉祭)
所在地:茨城県稲敷市阿波958番地
最寄駅:下総神崎駅(土日に当社までの直通バスあり)・(佐原駅・土浦駅からバスで阿波停留所)
公式サイト:http://oosugi-jinja.or.jp/
御由緒
大杉神社はかつて「アンバ神」あるいは「アンバに坐す神社」と称されておりました。後に神霊が巨杉に宿ることから「大杉神社」と称されるようになりましたが、多くの人々は愛着を込めて「アンバ様」と称するようになりました。「アンバ神」は房総半島北部域から茨城県東南部一帯を支配していた「ウナカミの王」のを祀る「日の神様」であり、霞ヶ浦・利根川流域・印旛沼・手賀沼・小貝川流域・鬼怒川下流域・牛久保を包含して余りある、いわゆる常総内海の守り神であり、旧小見川町一帯を本拠地とした「ウナカミの王(後の菟上国造)の最も重要視した神社でありました。
後に「悪魔祓のアンバ様」と称されるように、生活万般の厄難を消除する御利益から、厄除・八方除、星除、空亡除(天中殺、大殺界除)の神様として多くの方々の祈祷が毎日のように行われております。
日本唯一夢むすび大明神の名がますように又夢叶えの神社として多くの方々が正五九参りにおとずれております。
参拝情報
参拝日:2015/12/01
御朱印
授与所にて。
金を基調とした派手さのあるデザイン。
文字など赤色との組み合わせになっており、裏面は逆に赤が基調で金文字になる。
※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。
歴史考察
大杉神社の総本社あんばさま
稲敷市阿波に鎮座する神社。
旧社格は郷社で、現在は別表神社となっている。
通称「あんばさま」と崇敬され、あんばさまの総本宮であり、関東・東北地方に分布する大杉神社の総本社。
当社では「日本唯一夢むすび大明神」を称している。
あんばさまの由来
社伝によると、創建は神護景雲元年(767)と伝えられるが、それ以前より土着の信仰が広まっていた。
奈良時代初期の和銅六年(713)に編纂された「常陸国風土記」にて「安婆嶋」という地名が登場。
こちらが当社一帯の地域と云われており、古代においてこの土地は今の地形とは違い、香取海(常総内海)に突き出すような半島地形だった事から、この地は香取海に浮かぶ島だったとされる。
その島(先端)に巨杉があったとされ、これが香取海の航路標識であるとともに、この地の守護神として信仰されていた。
「安婆嶋」にある事から「あんばさま」と呼ばれるように。
現在の地名も阿波(あば)と呼び、その名残を窺える。
このように、当社ができるよりも前の古代から土着の崇敬を受けた大杉信仰があったのだろう。
創建年である、神護景雲元年(767)に僧であった勝道上人が日光への道中、当地を訪れ、蔓延していた疫病の退散を大杉信仰のあった巨杉に祈願した。
すると三輪明神が現れて蔓延が収まったので、祠を造立して「大杉大明神」として奉斎。
これが当社の起源であるとされる。
ちなみに、この勝道上人は、日光開山の祖とされている人物。
その後、延暦二十四年(805)、僧の快賢が龍華山慈尊院「安穏寺」を建立。
これが当社の別当寺となり、現在も隣接している。
神仏習合の時代だったので共にお祀りされ崇敬されていた。
現在に伝わる天狗伝説
文治年間(1185-1189年)、源義経の家来で義経一行と都落ちに同行したとされる常陸坊海尊が、当社の御神徳で数々の奇跡を起こしたという伝説が残る。
常陸坊海尊は、容貌が巨体で天狗に似ていたとされ、そこから当社の眷属は天狗という信仰へと発展した。
現在は「ねがい天狗」「かない天狗」と呼ばれ、願い事が叶えられるという御神徳から、神社は「日本唯一の夢むすび大明神」と称している。
天海が別当寺住職に、そして豪華繁栄
江戸時代に入ると、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与した天海(南光坊天海)が当社の別当寺「安穏寺」の住職となる。
このため、「上野寛永寺」や「日光輪王寺」の直兼帯となり、関東一円での崇敬の広まりにも繋がる。
この頃になると、疱瘡除けや水上交通の神として、関東一円と東北の太平洋側に信仰が広がり、現在の「大杉神社」の総本社、「あんばさま」の総本宮として崇敬を集める事となった。
江戸時代には当疫病が流行る初夏に、祇園信仰である祇園祭との習合もあり、各地で社の「悪魔払え囃子(あんば囃子)」が各地に流布。
江戸の「永代寺」での出開帳の際に行われた囃子が大盛況になりすぎたため、町奉行であった大岡越前がこれを禁止したという逸話も残っている。
当社が広く崇敬されていた事が分かるエピソードだろう。
明治になり神仏分離で別当寺の「安穏寺」と分離。
明治六年村社に列し、その後郷社に列している。
彩色豊かで優美な社殿・建造物
現在の社殿はとても新しく見えるものだが、実は社殿自体は文化十二年(1816)に再建されたもの。
平成の大修理によって彩色が行われ、現在の優美な社殿となった。
社殿前にある青銅製の燈籠は、四代将軍・徳川家綱が寄進したもの。
平成二十二年(2010)には麒麟門が完成している。
現在もとても優美な社殿になっているのだが、それでもかつての社殿には及ばないとされる。
享保十三年(1716)に消失する以前の社殿は、現在の優美な社殿を遥かに量がする豪華絢爛なものだったと云われており「あんば参れば日光見るに及ばず」と言われるほどであったという。
「日光東照宮」の豪華絢爛な社殿と比較してのものだろう。
当社は創建に、日光開山の祖である勝道上人が関わり、江戸初期にも「日光輪王寺」の住職でもあった天海が別当寺の住職を務めたりと、日光との繋がりを感じさせてくれる。
御朱印は授与所にて。
オリジナルの御朱印帳も用意されていた。
境内社には勝馬神社
古くは「馬櫪社」といい、当社とは別の独自の古い由緒を持ち、馬体守護のため貞観四年(862)に創建し、その後、平安時代末期に当社へ遷座。
平成十四年(2002)に、荒廃した社殿を再建し、現在の「勝馬神社」と改めた。
かつては別当寺「安穏寺」裏に競馬場があり、昭和初期まで奉納競馬が行われていたり、現在も車から15分ほどの距離にJRAの美浦トレーニングセンターがあるため、そちらの関係者が祈願に訪れる。
馬・競馬との関係性の高い境内社となっており、競馬ファンの参拝も多い。
そのお隣には「稲荷神社」。
最勝立身出世稲荷神社とされ、立身出世に御利益がある。
多くの鳥居が奉納されている。
御神木あんばさま
創建の元となった「あんばさま」の御神木は、太郎杉と呼ばれていたのだが江戸時代の安永七年(1778)に消失。
現在は二郎杉、三郎杉が御神木とされている。
個性的で多様な参拝方法
当社には色々な参拝方法がありユニーク。
悪縁切りのために「土器(かわらけ)」を割るといったもの。
健康手水を願って兎歩(うほ)を足型になぞって歩むといったもの。
撫桃を撫でて厄除けなど、色々とユニークな方法があり面白い。
所感
「あんばさま」として崇敬された当社。
古代より土着の神として崇敬され、江戸時代には関東一円・東北地方に広まったとされている。
現在はとても鮮やかな社殿などの建物から神仏習合時代を思わせてくれる部分も。
現代的な俗世っぽい面もあるのだが、これらは全てかつての豪華絢爛だった社殿を蘇らせようといった意図があるのだろうし、崇敬者も多く民間信仰の篤さを感じる事ができる。
独特な信仰や土着の神という部分で色々と興味深い部分も多く、様々な歴史を知る事ができる神社。
神社画像
[ 案内板 ]
[ 悪縁切りの齋庭 ]
[ 厄除のかわらけ御納処 ]
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