健田須賀神社 / 茨城県結城市

神社情報

健田須賀神社(たけだすがじんじゃ)

御祭神:武渟川別命・須佐之男命
旧社格:延喜式内社(小社)・県社
例大祭:7月第3日曜から第4日曜(祇園祭)・11月15日(健田まち)
所在地:茨城県結城市結城195
最寄駅:結城駅
公式サイト:http://www.takedasugajinja.com/

御由緒

健田須賀神社は明治3年に健田神社と須賀神社が現在の地に合祀され、健田須賀神社となりました。
健田神社は現在の地より2キロ東南の古代より霊峰筑波山を拝する素晴らしい地にありました。そこで祭りを行った事より日の出から暦を察した場所と考えられます(古代祭祀)。やがて神社の形をあらわし、結城の国造竹田臣の祖神武渟川別命を祀りました。日本最古の公式記録集『延喜式』(927)には下総国11社の一つに記されています。以後宝暦14年(1764)小塙乗国寺と習合し、明治3年神仏分離により須賀神社と合祀しました。
須賀神社は結城家初代朝光公が仁治3年(1242)尾張国の津島神社より御神霊を勧請し、結城家第一の氏神として手厚く祀り、結城家はもとより広く民衆に信仰され、結城の産土神として崇敬されました。特に康永2年(1343)7代直朝公が結城7社を定め、結城108郷の総社として盛観を極めました。18代秀康公(徳川家康次男)は福井移封後も家臣を遣わし変わらずに崇敬しました。
合祀以降、明治5年に郷社、昭和5年に県社昇格。(頒布の資料より)

参拝情報

参拝日:2017/02/22

御朱印

初穂料:300円
授与所にて。

御朱印帳

初穂料:1,800円
授与所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意している。
赤を貴重とし、表面に御手杵の槍をデザインした御朱印帳。
裏面は山岡鉄舟による社号が記されている。

※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。

授与品・頒布品

交通安全ステッカー
初穂料:500円
授与所にて。

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考察

健田神社と須賀神社が合祀した結城総鎮守

茨城県結城市結城に鎮座する神社。
明治三年(1870)に「健田神社」と「須賀神社」が合祀された神社。
「健田神社」は、『延喜式神名帳』に記載された下総国十一社のうちの一社・延喜式内社(小社)。
「須賀神社」は、結城氏の氏神として創建し、結城郷の総社を担った。
旧社格は県社で、結城の総鎮守。
夏季例大祭はあばれ神輿が出る「祇園祭」で、11月の例大祭は「健田まち」と呼ばれる。

健田神社は結城国造が創建した古社

「健田神社(たけだじんじゃ)」の創建年代は不詳だが、かなりの古社であったとされる。

結城国造の竹田臣が、祖神である武渟川別命を祀ったものと伝えられる。
創建の地は現在の鎮座地より東南へ2kmほどの、結城本郷健田村の地であった。

武渟川別(たけぬなかわわけ)は、『日本書紀』『古事記』に伝わる古代の皇族で、『日本書紀』には四道将軍(しどうしょうぐん)の1人として東海に派遣され平定したと伝わる。
阿倍臣(阿倍氏)の祖とされ、この阿倍臣の系譜は後に安倍晴明で知られるようになり、陰陽師・土御門家の家系として発展していくのだが、結城国造の竹田臣も武渟川別が祖としていたとされる。

結城郡健田は、古代より霊峰筑波山を拝する地であり、古代の人たちはここで祭祀を行ったと云う。
古くから土着の信仰があった古い土地であり、その地に結城国造の竹田臣が武渟川別命を祀る事で、神社として創建されたと伝わっている。

延喜式神名帳に記される式内社

結城の地は古くから人々の生活があった地であり、大同二年(807)に編纂された『古語拾遺』にも「結城郡」としてその名を見る事ができ、令制国では下総国に属した。

現在は茨城県結城市となっているが、茨城県に多い常陸国ではなく、千葉県に多い下総国に属していた。

延長五年(927)に編纂された『延喜式神名帳』には「下総国結城郡 健田神社」として記載。
この事から延喜式内社とされ、下総国には計11社の式内社があり、そのうちの1社である。

このように古くから朝廷にまで名が知られた古社であった事が分かる。

神仏習合によって「乗国寺」境内に遷座

その後の記録が途絶えているのは、戦乱によって荒廃したためと見られる。
江戸時代に入ると結城本郷小塙村「乗国寺」(現・結城市結城3073)と習合されていく。

宝暦十四年(1764)、「乗国寺」の境内に遷座。
こうして神仏習合の形で「乗国寺」境内に置かれ崇敬を集めた。

「乗国寺」は室町時代後期に、結城氏第14代当主・結城氏広が再興した寺院で、結城氏の菩提寺と一寺して発展。

江戸時代に入ると、徳川将軍家から9石の朱印地を賜っている。
以後、「乗国寺」の境内で神仏習合の元、崇敬を集めた。

現在も旧鎮座地は旧祉として残る。

須賀神社は結城氏の氏神「天王社」として創建

「須賀神社(すがじんじゃ)」は、仁治三年(1242)に創建と伝わる。

結城氏初代当主・結城朝光が、尾張国「津島神社」より勧請。
「天王社(天王宮)」として創建された。

結城氏は、平安時代末期から戦国時代にかけて結城郡を領地とした一族で、藤原秀郷(平将門を追討した人物)の末裔と伝えられており、初代当主の結城朝光は源頼朝から結城郡を与えられた。
また、結城朝光は源頼朝の御落胤だったという伝説も残っている。
「津島神社」(愛知県津島市)は、東海地方を中心に分布する牛頭天王(スサノオと習合した)を祀る神社で、祇園信仰の一種であるものの、津島信仰とも呼ばれる独自の信仰形態を築いている。

当社を創建した結城朝光は寿永二年(1183)に結城城を築城。
当社は結城城の鬼門除けとして創建されたとも伝わる。
また、結城氏第一の氏神として祀られたと云う。

結城氏のみならず、結城の産土神として民衆より広く信仰を集めた。

結城七社を定め結城108郷の総社となる

康永二年(1343)、結城氏第7代当主・結城直朝が「結城七社」を制定。

「結城七社」は、直朝が関城攻略の際、七社を北斗七星に見立て先勝祈願をし勝利をした事で、それ以降「結城七社」と呼ばれるようになった。
結城七社は以下の通り。
「須賀神社(当社)」「高椅神社(式内社)」「日鷲神社」「神明宮」「八幡宮」「住吉神社」「大桑神社」

当社は、「結城七社」第1の宮とされ社殿や社地の寄進を受けた。
以後、結城108郷の総社として盛観を極めたと伝わる。

天正十八年(1590)、徳川家康が関東移封によって江戸入り。
同年、家康の次男である秀康が、結城氏の養子として家督を継ぎ、結城氏第18代・結城秀康となり、結城氏の氏神である当社を崇敬したと云う。

慶長五年(1600)、秀康が越前北庄67万石(福井県)に加増移封。
秀康は、越前移封後も家臣を遣わし当社を崇敬したと伝わる。

江戸時代に入ると、徳川将軍家から6石の朱印地を賜っている。
以後、結城の人々より大いに崇敬を集めたとされ、現在も続く「祇園祭」は大いに賑わったと云う。

神仏分離によって健田須賀神社が誕生

明治になり神仏分離。
明治元年(1868)、「天王社」を「須賀神社」に改称。
明治三年(1870)、神仏分離の影響を受け「乗国寺」の境内にあった「健田神社」が分離し、「須賀神社」に合祀され、現在の「健田須賀神社」となった。

式内社の格式を持つ古社「健田神社」と、結城108郷の総社「須賀神社」が合祀された当社は、結城周辺の中心神社として崇敬を集める事となる。

明治六年(1873)、郷社に列する。
昭和五年(1930)、県社に昇格。

昭和二十九年(1954)、結城町・上山川村・山川村・江川村の1町3村が合併し市制施行、結城市が誕生。
当社は結城市の総鎮守として崇敬を集めている。

その後も境内整備が進み現在に至る。
夏祭りの「祇園祭」は市中挙げて行われ、神輿担ぎは勇壮で日本一のあばれ神輿として知られる。

結城市の市街地に鎮座

最寄駅の結城駅から北に県道302号線を進み、足利銀行結城支店の先にある交差点を右折。
商店などが並ぶ市街地に鎮座。
社号碑には「縣社」の文字。

参道は北に面して整備されており、一之鳥居を潜ると比較的長い参道が続き、左手に手水舎。
手水舎の先に二之鳥居。
二之鳥居を潜ると右手に社殿となる。

二之鳥居の先に一対の狛犬。
明治三十二年(1899)に奉納されたもの。

多くの扁額や絵馬が掛けられた社殿・境内社など

北向きの参道に対して、社殿は東向き。
社殿の向いには児童公園が整備されていて、地域の憩いの場に。
拝殿には扁額や絵馬、剣術額などが多く掲げられている。
拝殿内部にも多くの貴重な絵馬や扁額が現存。
本殿は神明造となっていた。

谷文晁による絵馬や山岡鉄舟筆の扁額などが拝殿内部に現存。
この他、宝物として茨城県指定文化財の古文書や、結城市邸文化財の獅子頭・木彫狛犬、更に徳川将軍家からの朱印状などが現存しているので、詳細は公式サイトを参照。

社殿の左手に境内社の十二社。
結城七社(当社を除く六社)・香取神社・松尾神社・羽黒神社・三峯神社・白峯神社・足尾神社の計十二社が祀られており、当社の境内社で結城七社を参拝できるようになっている。

更にその奥に甲子稲荷神社。
御祭神は大国主命(大黒天と習合)と倉稲魂命となっている。

二之鳥居を潜ってすぐ左手に小さな猿田彦神社。
導きの神として猿田彦大神が祀られている。

一之鳥居を潜って参道右手には戦没者慰霊殿。
結城市出身の英霊を祀っている。

社殿左手奥に立派なカヤの木。
社殿側から見るとハートの形に見えて面白い。

他にも神楽殿や神輿庫などが整備されている。

境内にある3つのハートを見つけて良縁成就

境内には面白い掲示が行われていた。
参拝者を楽しませようという面白い施策。

健田須賀神社は結城第一のパワースポットです。
神社境内にハートの形をしたものが3つありますので、良縁・恋愛成就を願って是非参拝し、探して見て下さい。

下の写真にもそのうちの1つが隠されている。
かなり分かりにくいだろうが、ヒントは参道の石畳。
よく見ると写真の真ん中したの石畳にハートの形をした影が見える。

他にも一部ヒントや場所が記されているので興味がある方は探してみるのがよいだろう。
ぜひその目で直接確かめて境内の散策を楽しんでもらいたい。

天下三槍「御手杵」の御朱印帳・結城紬の御守など授与品が豊富

御朱印は授与所にて。
とても丁寧に対応して頂き有り難い。

オリジナル御朱印帳は、天下三槍に数えられた「御手杵(おてぎね)」がデザインされたもの。
当社を崇敬した結城氏と関わりの深い名槍であり、当社の御朱印帳にもデザインされた。

「御手杵(おてぎね)」は、結城氏第17代当主・結城晴朝が駿河国嶋田の刀工・五条義助に作らせた槍で、その養子・結城秀康(徳川家康の次男)に伝わり、その後は松平大和守家が受け継いだ。
江戸時代には「西の日本号・東の御手杵」と並び称され、いつしか蜻蛉切も加わって「天下三名槍(天下三槍)」と呼ばれるようになった。
明治維新後は、東京の松平邸に保管されていたが、昭和二十年(1945)の東京大空襲で焼失してしまい、現在は結城市などがレプリカを作成している。

近年ではブラウザゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』に御手杵が擬人化されたキャラクターが登場しており注目を浴びている。

刀剣乱舞-ONLINE-の公式トップページです。刀剣男士を束ねて、いざ出陣!DMMゲームズとニトロプラスがタッグを組んだ刀剣育成シミュレーションが誕生!名だたる名刀が戦士の姿となった刀剣男士。あなたは刀剣男士たちの主(あるじ)となって彼らを育て、強化し、自分…

御手杵を作らせた結城晴朝や、その養子の秀康は、結城氏の氏神である当社を崇敬したため、こうした縁で当社では、御手杵をデザインした御朱印帳や御守を頒布。
御守は「何事もやり(槍)抜く」「災難を突破」「勝負開運」の御守として人気を集めている。

更に当社では結城市を中心に生産される高級織物「結城紬」(ゆうきつむぎ)」の御守も頒布。
桐箱入りの豪華な仕様となっており、国の重要無形文化財・ユネスコ無形文化遺産である結城紬を使った贅沢な御守。

結城紬(ゆうきつむぎ)とは、奈良時代から続く伝統の絹織物。
江戸時代には『和漢三才図会』にて最上品の紬として紹介されている。
結城市・小山市などで生産され、全工程が手作業で作られるため、現在も非常に高級な絹織物として知られる特産品で、国の重要無形文化財に指定されている。
平成二十二年(2010)、ユネスコ無形文化遺産に登録。

結城の総鎮守らしさのある、結城にまつわる素晴らしい授与品をいくつも用意しているので、お受けするのもよいだろう。

所感

結城の総鎮守として崇敬を集める当社。
式内社の格式を持つ古社「健田神社」と、結城氏の氏神として崇敬された結城108郷の総社「須賀神社」が合祀された当社は、歴史的にも結城の総鎮守たる神社である。
境内は綺麗に整備されており、地域の方々が参拝に訪れ、崇敬篤い事が伝わる。
参拝者を楽しませる面白い施策や、結城の強みを活かした授与品など、素敵な展開もしており、そうした努力はとても素晴らしいものだと思う。
駅からも近く的近い市街地に鎮座しており参拝者も多い。
地域から親しまれる良社であり、当社の周辺には明治から大正にかけての古い建物も多く、合わせて結城散策もオススメしたい。

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神社画像

[ 一之鳥居・社号碑 ]


[ 結城百選碑 ]

[ 一之鳥居 ]

[ 参道 ]


[ 手水舎 ]

[ 二之鳥居 ]

[ 狛犬 ]


[ 拝殿 ]







[ 拝殿・本殿 ]


[ 十二社 ]


[ 甲子稲荷神社 ]

[ 御神木 ]


[ 石碑 ]

[ 神楽殿 ]

[ 絵馬掛 ]

[ 猿田彦神社 ]

[ 参集殿・社務所・授与所 ]

[ 神輿庫 ]

[ 戦没者慰霊殿 ]

[ 案内板 ]




[ 児童公園 ]

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