神社情報
鴨居八幡神社(かもいはちまんじんじゃ)
御祭神:誉田別尊(八幡神社)・素盞嗚尊(須賀神社)
社格等:村社
例大祭:9月15日に近い日曜(八幡神社例祭)・7月最終土・日曜(須賀神社例祭)
所在地:神奈川県横須賀市鴨居3ー5ー5
最寄駅:浦賀駅(京浜急行バスに乗車)
公式サイト:http://redfoal9.sakura.ne.jp/kamoihachimanjinjyahome.html
御由緒
祭神は誉田別尊(第十五代應神天皇)治承四年(1180)源頼朝鎌倉に入り幕府の礎石を築くに当り、三浦氏は軍功あった当三浦郡を領し一族門葉最も栄えた時である。
其頃三浦大介義明の第四子多々良四郎義春が、鴨居の領主として他の三浦党と共に三浦一円に勢威を張っていた。
当社は義春が源家の命を受け養和元年(1181)鶴岡八幡宮を勧請したと伝えられる。
新編相模国風土記には「八幡社村の鎮守なり、祭礼八月十五日、縁起は養和元年六月賴朝卿當縣遊覧の時勧請ありし由記せり」とある。
明治六年村社に列せられ四十二年十月二十二日神饌幣帛料共進神社に指定せらる。(境内の掲示より)
参拝情報
参拝日:2018/10/25
御朱印
初穂料:300円
社務所にて。
御朱印帳
ツールド御朱印帳
初穂料:1,000円
社務所にて。
ツール・ド・御朱印専用の御朱印帳を用意。
関東圏内の神社10社を自転車で巡る「ツール・ド・御朱印」。
10社の中に当社も参加している。(詳細:公式Twitter)
※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。
歴史考察
鴨居鎮守の八幡さま
神奈川県横須賀市鴨居に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧鴨居村の鎮守。
古くは「須賀神社(天王社)」が鴨居の鎮守だったと伝わるが、江戸時代の頃に当社に合祀され、当社が鴨居の鎮守となった経緯があり、現在も例大祭は両社のものが行われ、特に7月の「須賀神社」の例大祭で知られる。
三浦半島の東端近く、鴨居港に面するように鎮座。
境内や周辺からは弥生時代などの遺跡が発掘されている。
領主の三浦氏が鶴岡八幡宮を勧請・三浦一族
社伝によると、養和元年(1181)に創建と云う。
鴨居の領主であった三浦義春が「鶴岡八幡宮」を勧請したと伝わる。
当時の三浦半島は三浦氏(三浦党)の一族が支配し栄えた時代。
鴨居は三浦義明の四男・三浦義春が治めていた。
三浦氏(三浦党)は、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけて、相模国三浦郡を支配した一族。
中でも三浦義明(みうらよしあき)は三浦荘(現・横須賀市)の在庁官人を務めた。
治承四年(1180)、源頼朝が挙兵に応じて三浦一族も挙兵したが、「石橋山の戦い」で頼朝が破れ命からがら安房国(房総半島南部)に逃げると、三浦氏は籠城し、義明は一族を安房国に逃した後、衣笠城合戦で戦死。
その義明の四男が、三浦義春(みうらよしはる)である。
頼朝が再挙した後は、家督を継いだ義明の次男・義澄や、一族の義盛(和田義盛を名乗る)が頼朝に従い多くの武功を挙げた。
頼朝の死後は両者共に「十三人の合議制」の1人となり、鎌倉幕府内で大きな権力を得た。
しかしながら、その後、北条氏による他氏排斥運動によって滅ぼされている。
源頼朝が当地を遊覧の際に、鴨居の領主であった三浦義春に命じて「鶴岡八幡宮」を勧請したと伝わり、頼朝に付き従った三浦氏が源氏の氏神である八幡様を祀ったという事になるのだろう。
創建時は、現在よりも東側・観音崎の「多々良浜」の奥の谷戸に鎮座していたと云う。
かつての鴨居鎮守は須賀神社(天王社)であった
養和元年(1181)に「八幡社(八幡神社)」として創建された当社であったが、古くからの鴨居村の鎮守は当社ではなく、「天王社(須賀神社)」であったと云う。
古くは、現在の「鴨居コミュニティセンター」正面石柱の内側に「天王社」が鎮座。
御祭神は牛頭天王(現・素戔嗚尊)で、祇園信仰の神社である。
これが鴨居村の古くからの鎮守であった。
牛頭天王は、日本における神仏習合の神で、釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされたため、牛頭天王を祀る信仰を祇園信仰と称する。
総本社は祇園祭でも知られる京都の「八坂神社」で、全国の「八坂神社」「天王社」など祇園信仰の神として祀られた。
神道ではスサノオと習合したため、明治の神仏分離後の神社では、御祭神は素盞鳴尊に改められたところが多いが、今も当時の名残で「天王様」と親しまれる事も多い。
須賀神社が合祀され八幡神社が鴨居村の鎮守に
鴨居村の鎮守「天王社」であったが、いつの頃か当社に合祀。
「八幡社」であった当社が村の鎮守となっている。
天保十二年(1841)に成立した『新編相模国風土記稿』には当社についてこう書かれている。
(鴨居村)
八幡社
村の鎮守なり。祭禮八月十五日。縁起に養和元年六月賴朝卿當郡遊覧の時勧請ありし由記せり。
末社。疱瘡神。稲荷三。天神。
官主畑伊賀。吉田家の配下。先祖伊賀元禄中より禄務を相續す。
鴨居村の「八幡社」として記されているのが当社。
「村の鎮守なり」とあり、既に当社が村の鎮守であった事が分かる。
頼朝が当地を遊覧した際に勧請したと云う事、末社などについても記されている。
但し、鴨居村の項目には当社の他に「天王社」も記されている。
(鴨居村)
天王社
畑伊賀持。下同。
これがかつての村の鎮守であった「天王社」の可能性もある。
その場合は、当社に合祀された後も、ひっそりと社だけは残されていたようだ。
かつての領主によって創建された「八幡社(八幡神社)」に、もともとの村の鎮守であった「天王社(須賀神社)」が合祀されたため、現在の御祭神は誉田別尊(八幡神社)・素盞嗚尊(須賀神社)と両社の神が祀られている。
更に例大祭も両社の例大祭が行われ、八幡様の例大祭よりも、7月下旬に行われる「須賀神社の例大祭(夏祭り)」のほうが、規模も大きく一般的に知られているのが特徴で、どちらも大切に信仰対象として今も続いている事が窺える。
明治以降の当社の歩み
明治維新となり神仏分離。
明治六年(1873)、村社に列した。
明治三十六年(1903)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。
(今昔マップ on the webより)
赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
橙円で囲った箇所が創建の地とされる多々良浜。
古い地名である「鴨居」も見る事ができ、基本的には地形は殆ど変わっていない。
明治四十二年(1909)、神饌幣帛料共進神社に指定。
昭和三年(1928)、社殿が造営。
この社殿が改修されつつ現存。
戦後になり境内整備が進む。
昭和五十六年(1981)、鴨居港に面する大鳥居を建立。
その後も境内整備が進み現在に至る。
境内案内
鴨居港に面した大鳥居
公共交通機関を利用する場合は、浦賀駅から京浜急行バス「観音崎行」「かもめ団地行」に乗車し、「鴨居」で下車すると、社頭に到着する。
三浦半島の東端近く、鴨居港と呼ばれる小さな漁港に面する形で鎮座。
上の画像は鴨居港、大鳥居の先からの眺め。
この鴨居港に面して、当社の大鳥居。
波打ち際から見ると、海に面した美しい風景。
大鳥居は昭和五十六年(1981)に建立。
今では当社のシンボルの1つになっている。
鴨居港に面し、鴨居鎮守である当社ならではの光景。
余談になるが大鳥居の左隣にあるのが「鴨鶴」と云う大衆割烹。
地元鴨居の漁港などから直接入る、捕れたての地魚が自慢の店。
口コミサイトなどでも評価が高い。
江戸時代の鳥居と狛犬が現存
大鳥居を潜ると駐車場(神社のではない)。
その先に二之鳥居。
この石鳥居が天明元年(1781)のもので大変古い。
海風にさらされながらもこうして現存しているのが素晴らしい。
補修されつつ現存している。
鳥居を潜ってすぐに一対の狛犬。
こちらの狛犬も天保十年(1839)に奉納されたもので古い。
柔和で可愛らしい表情をした狛犬。
参道の左手に手水舎。
綺麗に整備されていて清める事ができる。
八幡神社と須賀神社を祀る社殿・相殿に多くの神も
参道の正面に社殿。
昭和三年(1928)に造営の木造社殿は状態もよく維持。
平成三年(1991)に屋根の葺き替え工事が行われた。
派手さはないが地域の鎮守らしい銅板葺権現造りの社殿。
この社殿には古くからの鴨居周辺の信仰が集まっている。
現在の御祭神は誉田別尊(八幡神社)・素盞嗚尊(須賀神社)と両社の神が祀られている。
更に相殿神として、大鳥神社・金刀比羅神社・神明社・近戸社・御霊神社・亀崎神社・東照神社と7社の神が祀られていて、いずれも明治の合祀政策などで当社に合祀されたものと思われる。
多くの神が祀られているため、例えば11月の酉の日には酉の市も開催。
これは当社に大鳥神社が相殿として祀られている事に由来している。
江戸時代から祀られていた天満社と稲荷社・御神木
社殿の左手には境内社の天満社。
平成二年(1990)に現在の社殿に祀られたが、古くから当社に祀られていた天神さま。
『新編相模国風土記稿』にも末社「天神」と記されていたように、古くから当社の境内社として祀られており、社伝によると慶安二年(1649)に勧請されたと伝わる。
学問の神・菅原道真公を祀り、学業合格御守りや絵馬なども用意。
その左手に稲荷社。
『新編相模国風土記稿』にも末社「稲荷」と記されていたのが当社。
古くから鴨居のお稲荷様として信仰が篤い。
境内には立派な御神木。
銀杏の木で周辺を絵馬掛けと御籤掛けで囲む。
推定樹齢は400年ほどで、幹から根の一種である気根(コブ)が多数垂れているのが特徴的。
こうした銀杏は各地で見る事ができるが、いずれも乳銀杏と呼ばれ崇敬を集めている事が多い。
幹から根の一種である気根(コブ)が垂れていて、これが乳房に似ている事から、子授け・安産・母乳が出るようになど各地で信仰の対象となる事が多い。
飛地境内に駆逐艦村雨の碑
当社より鴨居港に沿って東側の先、「観音寺」の東側に「駆逐艦村雨の碑」が置かれている。
日本海軍の駆逐艦で、白露型の3番艦。
昭和九年(1934)に起工し、昭和十年(1935)に進水、昭和十二年(1937)竣工。
太平洋戦争で幾度も出撃し、昭和十八年(1943)3月5日の深夜、敵艦の集中砲火を受け、ソロモン群島にて艦と共に乗組員119名の命が失われた。(一部資料では村雨の乗員245名中、生存者は129名で戦死者は116名と記載)
昭和五十七年(1982)に元乗組員の方々が中心となり、東京湾を見晴かす鴨居の地に「駆逐艦村雨の碑」を建立。
現在は当社の飛地境内に登記されていて、毎年3月5日には慰霊祭が齊行されている。
須賀神社と八幡神社の例祭・お浜降りや海上渡御
当社の例祭は主に八幡神社と須賀神社の例祭が2回に分けられて開催。
神輿庫にも八幡神社の神輿と、須賀神社の神輿が置かれている。(どちらも江戸後期の作)
9月15日に近い日曜に開催されるのが「八幡神社」の例祭。
7月最終土・日曜に開催されるのが「須賀神社」の例祭。
一般的に当社の例祭と云うと7月下旬の「須賀神社」の例祭を云う事が多く、鴨居名物の夏祭りとなっている。
大祭の年とお浜降りの年がある。
大祭の年は、神社の神輿が全町を巡幸し御座舟で海上を渡御。
お浜降りの年は、各町の一部の神輿のみ海上渡御、神社神輿の行列が浜に降り神楽をあげ、鴨居全域の神輿が浜に勢揃いする姿は壮観。
祭礼に合わせて仮面里神楽・別名「とっぴきぴー踊り」も奉納。(後継者問題で一時途絶えていたが復活予定)
例祭の様子などは公式サイトに祭礼アルバムがあるのでご覧頂きたい。
御朱印・ツールド御朱印にも参加・神職は市議会議員さん
横須賀鴨居の墨書き。
八幡神社と社務所印とシンプルで力強い構成。
当社は「ツール・ド・御朱印」に参加している1社。
「ツール・ド・御朱印」専用の御朱印帳も用意。
関東圏内の神社10社を自転車で巡る「ツール・ド・御朱印」。
サイクリスト向けの御朱印企画。
当社の境内にもサイクルラックが置かれていたりと、サイクリストが立ち寄りやすいように整備されている。
なお、当社の御朱印を書いて下さったのは、横須賀市議会議員の方。
当社の神職(禰宜)を務めている。
丁寧に対応して頂き有り難い。
神職の位の1つで、一般的にでは宮司の下位、宮司を補佐する者の職称。
当社は「東叶神社」が兼務しているため、基本的には宮司は「東叶神社」に、禰宜が当社にいるという形。
所感
三浦半島の東端近く、鴨居港に面して鎮座する当社。
港に面した大鳥居からの眺めは、当地らしさを感じさせてくれ美しい。
江戸時代の石鳥居や狛犬など古いものも残り、社殿も戦前のものが現存。
八幡神社でありながら、かつての鎮守・須賀神社(天王社)が合祀され、例大祭ではそちらのほうが規模も大きかったりと、今も氏子の人たちは八幡様と共に、天王様(現・素戔嗚尊)への信仰が篤い事が窺える。
他にも多くの神が相殿で祀られていて、小さな神社ではあるが、鴨居の歴史が詰まった良い神社である。
神社画像
[ 大鳥居 ]
[ 鴨居港 ]
[ 参道 ]
[ 二之鳥居・社号碑 ]
[ 狛犬 ]
[ 手水舎 ]
[ 拝殿 ]
[ 本殿 ]
[ 天満社 ]
[ 稲荷神社 ]
[ 神輿庫 ]
[ 御神木 ]
[ 社務所 ]
[ サイクルラック ]
[ 案内板 ]
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