走水神社 / 神奈川県横須賀市

横須賀市

神社情報

走水神社(はしりみずじんじゃ)

御祭神:日本武尊・弟橘媛命
社格等:郷社
例大祭:10月15日
所在地:神奈川県横須賀市走水2-12-5
最寄駅:馬堀海岸駅(京浜急行バスに乗車)
公式サイト:http://www12.plala.or.jp/hasirimizujinjya/

御由緒

 走水の地名は、すでに古事記(712年)や日本書紀(720年)の中に表れています。大和朝廷時代には、上総(千葉県)を経て東北地方に渡る最も便利な道として、この地方に古東海道が通じておりました。
 走水神社の祭神は、日本武尊とその后弟橘媛命の二柱です。神社の創建された年代については、享保年間の火災で、神社の記録や社宝が焼失してしまったのでわかりません。伝説では、景行天皇の即位四十年(110年)、東夷征討の命を受けた日本武尊が、この走水から上総へ渡られるにあたり、村民に「冠」を賜りましたので、冠を石櫃に納めて、その上に社殿を建て、武尊を祭ったことに始まると伝えています。日本武尊が渡海の際、海上が荒れ、いまにも舟が沈みそうになりました。海神の怒りであると考えられた弟橘媛命は、
 さねさしさがむのをぬにもゆるひの
  ほなかにたちてとひしきみはも
の歌を残し、日本武尊に代わって海に身を投じ、風波を鎮めました。弟橘媛命は、もと旗山崎に橘神社として祭られていましたが、その地が軍用地に買収されたため、明治四十二年、この神社に祭られました。
 明治四十三年六月、弟橘媛命の歌碑が、東郷平八郎、乃木希典など七名士により、社殿の裏手に建てられました。
 社殿の階段下の右側にある「舵の碑」は、弟橘媛命の崇高な行いにあやかり、航海の安全を願って国際婦人年(昭和五十年)を機に、また、左側にある「包丁塚」は、走水の住人大伴黒主が、日本武尊に料理を献じて喜ばれたとの古事により、包丁への感謝と鳥獣魚介類の霊を慰めるため、昭和四十八年に建てられたものです。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2018/10/25

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

御朱印帳

オリジナル御朱印帳
初穂料:1,200円
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意。
表面には桜、裏面には海に身を投げる弟橘媛を描いたもの。
紺色とピンク色の2色を用意。

※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。

授与品・頒布品

交通安全ステッカー
初穂料:500円
社務所にて。

歴史考察

日本武尊と弟橘媛の伝承が残る古社

神奈川県横須賀市走水に鎮座する神社。
旧社格は郷社で、旧走水村の鎮守。
三浦半島の東端近く、ほぼ東京湾に面する形で鎮座。
御祭神である日本武尊とその妃・弟橘媛の伝承が残る神社で、二柱を祀る。
パワースポットとしても人気で多くの参拝者が訪れる。

日本武尊を祀る神社として創建

創建年代は不詳。

享保年間(1716年-1736年)の火災で、神社の記録や社宝が焼失しているため。

景行天皇四十年(110)、日本武尊が東国征討の途中、走水に辿り着く。
走水から上総へ渡る際に、村民に冠を与えた。
この冠を石櫃に納め、その上に社殿を建て日本武尊を祀ったのが始まりとされている。

日本武尊(やまとたけるのみこと)
第12代景行天皇の皇子。
東国征討や熊襲征討を行った伝説的な英雄として『日本書紀』『古事記』などに載る。

古くより、走水から海(浦賀水道)を渡り上総国(現・千葉県房総半島)を経て、東北地方に渡る海道が知られていて、日本武尊は走水から海を渡ったとされている。

浦賀水道(うらがすいどう)
三浦半島と房総半島に挟まれた海峡。
海上交通路と使用されており、日本武尊の東征にも使われた伝承が残る。

正史に残る日本武尊と弟橘媛の身投げ伝説

当社や走水には、日本武尊と、その妃・弟橘媛の伝承が残る。
日本武尊が渡海の際、弟橘媛が身を投げて日本武尊を救ったと云う伝承。

弟橘媛(おとたちばなひめ)
日本武尊の妃。
海神の怒りによって海上が荒れ、舟が沈みそうになった時、海神の怒りを解いて日本武尊を救うため、海上に身を投げて海を鎮め、日本武尊を救ったとされる。

これは『古事記』『日本書紀』にも記された日本神話。
『日本書紀』に記された文章を現代語訳したものを以下に引用。

さらに相模においでになって、上総に渡ろうとされた。海を望まれて大言壮語して「こんな小さい海、飛び上ってでも渡ることができよう」と言われた。ところが海の中ほどまで来たとき、突然暴風が起こって御船は漂流して渡ることができなかった。そのとき皇子につき従っておられた妾があり名は弟橘媛という。穂積氏の忍山宿禰の女である。皇子に申されるのに、「いま風が起こり波が荒れて御船は沈みそうです。これはきっと海神のしわざです。賎しい私めが皇子の身代りに海に入りましょう」と。そして、言い終るとすぐ波を押しわけ海におはいりになった。暴風はすぐに止んだ。船は無事岸につけられた。時の人は、その海を名づけて、馳水といった。こうして、日本武尊は上総より転じて陸奥国に入られた。そのとき大きな鏡を船に掲げて、海路をとって葦浦を廻り玉浦を横切って蝦夷の支配地に入られた。(日本書紀 上 全現代語訳)

このように日本神話に登場する弟橘媛の伝説。

(弟橘媛投身之図)

上画像は、当社宝物殿に納められている大浦玉陽による近代日本画『弟橘媛投身之図』。
この舞台の1つとなったのが当地、走水である。

走水の地名由来・弟橘媛の櫛が流れ着き橘神社を建立

日本武尊は、相模(神奈川県)から上総(千葉県)に渡る際に、当地を利用したされる。

『日本書紀』では、日本武尊が相模から上総に向かった際にどこを通ったか具体的な地名の掲載はないものの、その後、日本武尊を追慕して東国巡幸した父・景行天皇が海路を取ったこと、律令制では当地から浦賀水道を渡って上総に入ることから、日本武尊も当地を通ったとされている。
走水の地名由来もこの伝説から
走水の地名由来は諸説あるものの、この日本武尊と弟橘媛の伝説が由来とする説がある。
弟橘媛が身を投げた事で、暴風がすぐ止み、日本武尊一行は「水上を馳せる(走る)」かのように上総の国に到着。
この事からこの水路を「馳水」、転じて「走水」となった。

数日後、海岸に弟橘媛の櫛が流れ着く。
村民は旗山崎(当社の北側)に社殿を建立し櫛を納め、「橘神社」と称した。

明治十八年(1885)に旗山崎が軍用地になったため、「橘神社」は当社境内へ遷座、さらに明治四十二年(1909)に当社へ合祀された。現在は日本武尊と妃・弟橘媛の夫婦を祀る神社となっている。
走水低砲台跡(旗山崎公園)|横須賀市
旗山崎公園内にある、明治時代の砲台「走水低砲台跡」は観音崎砲台、猿島砲台などとともに東京湾要塞に含まれる砲台の一つでした。戦後少しして立ち入り禁止となっていましたが、平成28年度に公園として整備し、ガイド付限定で開放しました。

走水村の鎮守・新編相模国風土記稿に記された当社

走水村が成立すると、走水村の鎮守として崇敬を集めた。
古くは「走水権現社」と称されていた。

中世にも武将などから庇護されたと推測されるが、火災により記録などが消失しているため詳細は不明。江戸時代には別当寺「大泉寺」が徳川家康より朱印地2石を賜っていた。

享保年間(1716年-1736年)、火災が発生。
神社の記録、社宝などを悉く消失。

天保十二年(1841)に成立した『新編相模国風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(走水村)
走水権現社
山丘の上にあり。村の鎮守なり。祭神日本武尊。神躰は神秘なりとて石櫃に収め、本社の土中にあり。今社壇には甲冑を帶し劔を持、船に乗たる木像を安ず(長一尺四寸五分)。又十王と唱る像を筥中に秘置り。
享保中、當社回録に罹りし時、十軀の内五六軀殘りて餘は灰燼となれりと云ふ、按ずるに、こは尊の從者などを祀りしものならん。偶十體あるを以て十王と唱へしにや、按ずるに【相模國風土記殘本】に興居陵日本武尊、平東夷之時、官軍至此逢疫而死、故葬茲、准寵臣之葬、總五百人と見ゆ。當社若くは其遺跡なるも知るべからず。
大泉寺持。下同じ。
末社。稲荷。
供所。三宮院の號あり。不動を置く。

走水村の「走水権現社」として記されているのが当社。
「村の鎮守なり」とあり、走水村鎮守であった事が分かる。

「神躰は神秘なりとて石櫃に収め、本社の土中にあり」とあり、御由緒ではこれが日本武尊より村民が賜った冠であるとしている。

別当寺は現在も隣接する「大泉寺」が担った。

大泉寺(だいせんじ)
天正四年(1576)開創で、その後、代官・長谷川長綱が支源臨乎を招き開山。
天正十九年(1591)、徳川家康より朱印地2石を賜る。
本尊は室町時代初期作と伝わる延命地蔵(横須賀市指定文化財)。
12.大泉寺(曹洞宗)|横須賀市

明治以降の当社の歩み

明治維新となり神仏分離。
明治六年(1873)、郷社に列した。
現在も「郷社走水神社」の社号碑が残る。

明治十八年(1885)、旗山崎が軍用地になったため弟橘媛を祀る「橘神社」が当社へ遷座。

当社境内の「須賀神社」が社殿裏手の裏山に遷されたりと、この頃に多くの境内整備が行われ、現在の境内に近くなったと見られる。

明治三十六年(1903)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
古い地名である「走水」も見る事ができ、基本的には地形は殆ど変わっていない。

この古地図には神社の地図記号が記されていないが、戦前の地図には当社が載っている。

明治四十一年(1908)、神饌幣帛料共進神社に指定。

明治四十二年(1909)、弟橘媛を祀る「橘神社」を当社へ合祀。
明治四十三年(1910)、弟橘媛の記念碑が建立。
東郷平八郎、乃木希典など七名士により、社殿の裏手に建てられた。

戦後になり境内整備が進み現在に至る。

現在は社務所に氏子関係者の常駐があるが、「西叶神社」が兼務している形となっているため、神職は本務社「西叶神社」に常駐している。
西叶神社 / 神奈川県横須賀市
西浦賀鎮守・願いが叶う叶神社。文覚が源氏再興を願い八幡大神を勧請。源頼朝によって叶大明神に改称。黒船来航より古い社殿が現存・名工と謳われた後藤義光の彫刻。西叶神社で勾玉を授かり東叶神社の御守袋に入れる勾玉御守。浦賀の渡船。御朱印。御朱印帳。

境内案内

三浦半島の東端近くに鎮座・江戸時代の狛犬

公共交通機関を利用する場合は、馬堀海岸駅から観音崎行きバスに乗車し、走水神社で下車。
駐車場も用意されているので自家用車での参拝もしやすい。

京浜急行バス

三浦半島の東端近く、ほぼ東京湾に面する形で鎮座。
社頭から振り返るとすぐ海が見えるくらいの距離で、走水と呼ばれた当地から、御祭神の日本武尊と弟橘媛は上総へ渡ったと伝わっている。

通りに面して僅かな石段がありその先に鳥居。
ここから見える高台、裏山まで含めて当社の社地となっている。
社号碑には「郷社走水神社」の文字。
鳥居の先には広い境内と参道が続く。

鳥居のすぐ両端に一対の狛犬。
どこか角ばった表情のユニークな狛犬。
弘化四年(1847)に奉納されたもの。

お水取りができる手水舎・お砂取りができる御砂倉

参道の途中、左手に手水舎。
手水舎の水は深さ30mより湧き出ている湧き水。
富士山より永い歳月を掛け、この辺一帯に湧き出ていると言い伝わる。

左手に蛇口がありお水取りができるようになっているが、注意事項があるため従う事。
お清め以外の目的で多量の水を持ち帰るケースが度々あるため、制限が設けられている。

生活水の取水は禁止。
お水取りで持ち帰る時は「2リットル入のボトル2本まで」。
参拝者が多い時間帯(9時-16時)は、お水取りをお断りする事もあり。

手水舎の右手には御砂倉。
当社に「橘神社」(弟橘媛を祀っていた神社)が合祀されるより前、「橘神社」があった旗山崎(御所が崎東海岸)から小舟で運んで来て整斉したもの。
希望の場合は少量のみお持ち帰りとのこと。(社殿裏山の砂は絶対に採取不可)

マナーを守ってお水取りやお砂取りを
近年、パワースポットとしても知られ人気になっている当社。
そのためパワースポットブームで参拝した一部の参拝者が、当社の水や砂を大量に持ち帰るため、大変困っているとのお話。
あくまで少量をお分かち頂くつもりで、マナーを守って利用したい。

急勾配な石段を振り返ると海も一望・御神木の銀杏

参道の途中に二之鳥居。
この先に僅かな石段。
さらに進むと急で長めの石段が設けられている。
この石段の上に鎮座しているため、参拝時は足元に気をつけること。
石段途中の右手にあるのは立派な御神木の銀杏。
後ろを振り返ると海まで一望できる。

石段の上の社殿・パワースポットとしても知られる

石段を上り切ると社殿。
派手さはないが緑に佇む静謐の社殿。
龍の彫刻。
獅子の木鼻と良い出来。
海と山に囲まれた静謐な社殿。
一部ではパワースポットとして知られ人気が高い。

御祭神は日本武尊・弟橘媛の夫婦神
御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)と、その妃・弟橘媛(おとたちばなひめ)。
夫婦神を祀り、日本武尊・弟橘媛の伝説が残る地として崇敬が篤い。

稲荷神社・旧別宮・河童を祀る水神社

社殿の右手に機械水雷。
明治四十三年(1910)に奉納された日露戦争戦利品のロシア製機械水雷。

その左手に稲荷神社。
『新編相模国風土記稿』にも末社として記されていた稲荷社。
一画には古い神狐像や小祠も並ぶ。

さらに社殿の裏手に旧別宮。
新しい別宮は社殿左手に造営されていて、こちらは昔使われていたもの。

その更に奥に水神社。
走水に伝わる河童伝説にちなんで祀られた。
両端に可愛らしい河童の姿。
この一画は岸壁を掘り古い仏なども安置。
静謐な社殿周辺の中でも特にひんやりとする一画。

弟橘媛に殉じた侍女を祀る別宮

社殿の左手に別宮。
社殿の右手にあった旧別宮が新しくされたのがこちら。
「十王・侍女」を祀るとあり、弟橘媛と共に身投げをして殉じた侍女を祀る。

十王(じゅうおう)
地獄において亡者の審判を行う10尊の、いわゆる裁判官的な尊格。
閻魔王も十王に含まれる。

海も一望できる裏山への参道

別宮より先には裏山へ続く参道となっている。
急勾配ではなく緩やかに整備されたエリア。
少し上ると走水の海も一望できる。
さらに整備された山道が続く。

東郷平八郎や乃木希典による弟橘媛命記念碑

山道の途中に弟橘媛の記念碑。
明治四十三年(1910)に、東郷平八郎や乃木希典など七名士により建立。
恒久王妃昌子内親王(明治天皇第6皇女)筆で、弟橘媛の今際の御歌を記す。

さねさしさがむのをぬにもゆるひの
ほなかにたちてとひしきみはも

御歌に溢れる真情から、夫君のお上に注ぎぐ姿は、女性の手本とするだけでなく、男子の模範とすべきもの、として石碑が建立された。

登山用の杖を借りる
なお、社務所近くの御籤掛横に、登山用の杖の無料貸し出しあり。
緩やかな登山道になるので、利用されるのもよいだろう。

古代稲荷社・裏山に祀られた三社

その先からは登山道のような道のり。
神明社の扁額が掲げられた鳥居があり、更に登る。
緩やかではあるがやや道のりが険しくなるので注意。

途中に古代稲荷社と記された祠。
日本武尊が出発前に祈った場所。
古く祠がありその跡地となっている。

古代稲荷社から少し登ると鳥居。
三社と呼ばれる境内社で、左から諏訪神社・神明社・須賀神社。

明治に遷された三社
「神明社」は、古くは伊勢山崎に鎮座。
「諏訪神社」は、古くは御所が崎に鎮座。
「須賀神社」は、古くから当社の境内社で明治十八年(1885)にこちらに遷座。
いずれも明治に当社の裏山に遷された。

静謐な境内の中でも、より深々とした一画。
こちらまで参拝者が訪れる事もそう多くないようなので、こうした空間を独占できる。
社殿を引きで見る事ができるのも、裏山からの帰りならでは。

戦後に奉納された舵の碑や庖丁塚

社殿への長い石段の手前に、戦後に奉納された碑などが置かれている。
参道の右手にあるのが弟橘媛の舵の碑。
昭和五十年(1975)に建立されたもので、弟橘媛の顕彰と海の安全と平和を祈る。

弟橘媛が荒海を鎮めた故事に因む。

その隣に針の碑。
針と衣類などに感謝するとして横須賀市大津観光協会によって奉納。

参道の左手に庖丁塚。
昭和四十七年(1972)に建立。
神奈川県調理師協会によって奉納。

当地で大伴黒主が日本武尊に料理を献じて喜ばれた故事に因む。

御朱印・弟橘媛と桜の御朱印帳

御朱印は社務所にて。
とても丁寧に対応して頂き、お話なども伺わせて下さった。

御朱印はシンプルな構成。
相模国走水の文字と「走水神社」の朱印。

オリジナルの御朱印帳も用意している。
表面には桜、裏面には海に身を投げる弟橘媛を描いたもので、紺色とピンク色の2色を用意。

なお、現在は社務所に氏子関係者の常駐があるが、「西叶神社」が兼務している形となっているため、神職は本務社「西叶神社」に常駐している。
西叶神社 / 神奈川県横須賀市
西浦賀鎮守・願いが叶う叶神社。文覚が源氏再興を願い八幡大神を勧請。源頼朝によって叶大明神に改称。黒船来航より古い社殿が現存・名工と謳われた後藤義光の彫刻。西叶神社で勾玉を授かり東叶神社の御守袋に入れる勾玉御守。浦賀の渡船。御朱印。御朱印帳。

他にも授与品を数多く用意しているので頂くのもよいだろう。

境内に居着いた猫と参拝

拝殿で参拝中に、境内に居着いていると云う猫の姿。
日向ぼっこ中の猫で大変人懐っこい。
カメラを向けると近寄って来た後、餌付けもしていないのに、そのままずっと後を着いてくる。
気づくと参拝中のかなりの時間、一緒に参拝することに。
猫に案内されるように参拝、と云うのも何とも不思議な感覚であった。

常時いる訳でもない上に、着いて回ってきたのもこの日たまたまの可能性も高いので、見つけても猫や神社の迷惑にならないように注意したい。

所感

三浦半島の東端近く、東京湾を望む場所に鎮座する当社。
裏手の裏山まで社地となっていて、海と山に囲まれて神秘的な境内。
パワースポットとして知られているのも納得できる、そんな空間。
走水という名は古い地名で、日本武尊や弟橘媛の伝説に登場するのが当地と伝わる。
日本武尊の危機を救うために、自ら身を投げた妃の弟橘媛。
弟橘媛を忘れられない日本武尊が「吾妻(わがつま/あづま)はや」と嘆いたため、日本の東部を「あずま」と呼ぶようになったと伝えられるように、日本神話の舞台となったと思うと、何とも感慨深い。
三浦半島周辺を散策する際は、ぜひ訪れたい良社である。

神社画像

[ 一之鳥居・社号碑 ]



[ 社頭から後方 ]

[ 狛犬 ]




[ 参道 ]



[ 手水舎 ]



[ 御砂倉 ]


[ 石像 ]

[ 二之鳥居 ]

[ 参道・石段 ]





[ 御神木 ]



[ 石段上から境内 ]


[ 拝殿 ]








[ 本殿 ]

[ 機械水雷 ]


[ 稲荷神社 ]




[ 旧別宮 ]

[ 水神社 ]





[ 別宮 ]


[ 裏山参道 ]

[ 裏山からの景色 ]

[ 裏山参道 ]

[ 弟橘媛命記念碑 ]






[ 記念碑からの眺め ]

[ 境内社鳥居 ]


[ 裏山参道 ]


[ 古代稲荷社 ]



[ 諏訪神社・神明社・須賀神社 ]


[ 宝物殿 ]

[ 針の碑 ]


[ 舵の碑 ]



[ 神輿庫 ]

[ 石碑 ]

[ 庖丁塚 ]


[ 御神木 ]

[ 絵馬掛 ]


[ 御籤掛 ]

[ 橘 ]

[ 社務所 ]

[ 休憩所 ]

[ 案内板 ]

Google Maps

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