亀ヶ池八幡宮 / 神奈川県相模原市

相模原市

概要

北相模総守護社・亀ヶ池八幡宮

神奈川県相模原市中央区上溝に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧上溝村の鎮守。
北相模総守護神とされる古社。
明治には神饌幣帛料供進神社に指定され、戦後には旧相模原市域で唯一・献幣使派遣神社に指定。
市内の数多くの神社を兼務し、地域一帯の中核神社として崇敬を集めている。
美しく整備された境内には「亀八七福神」として七福神巡りができる他、交通安全守護の「ゴールド神社」も鎮座しているのが特徴的。

神社情報

亀ヶ池八幡宮(かめがいけはちまんぐう)

御祭神:誉田別命
社格等:村社
例大祭:9月15日前後の土・日曜
所在地:神奈川県相模原市中央区上溝1678
最寄駅:上溝駅
公式サイト:http://www.kamegaike.jp/

御由緒

 この神社の創建年代は不明です。しかし、暦応2年(1339年)には社殿を再建し、慶安2年(1649年)には幕府より社領として七石の朱印(しゅいん)を受けていたことが記録されています。
 この神社が「亀ヶ池八幡宮」という名称になったのは、明治2年(1869年)になってからのことで、それ以前は単に「八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)」と呼ばれていたようです。「亀ヶ池」といわれるようになったのは、神社の東側にあった池に亀がたくさんいたためです。本殿の中にまつられている木造神像坐像は、暦応4年(1341年)の年号が刻まれる古いもので、市の重要文化財に指定されています。
 毎年9月15日の祭礼の時に、ここで番田亀山家の神代神楽(じんだいかぐら)が演じられますが、これは市の重要文化財に指定されています。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2020/11/05

御朱印

初穂料:500円・800円(月参り)
社務所にて。

※天然檜で奉製した月参り限定御朱印あり。
※境内社「亀八招福稲荷神社」「四社」の御朱印も頂ける。

新型コロナウイルスの影響で当面の間は書き置きのみ。

御朱印帳

初穂料:1,800円
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意。
社紋と亀甲模様がデザインされた御朱印帳。
緑色とピンク色の2色展開。

※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。

授与品・頒布品

交通安全祈願ステッカー小
初穂料:400円
社務所にて。

※大サイズも用意。

歴史考察

鎌倉時代末期に創建・現存する市内最古の御神像

社伝によると、創建年代は不詳。
「八幡社」として創建され、中世以降は武士からの崇敬を集めた。

元弘元年(1331)頃の創建と推測されていて、鎌倉時代末期の創建とみられている。

暦応二年(1339)、社殿を再建。
当社には同年代の御神像が現存している。

但し、神奈川県神社庁の公式サイトには康永二年(1343)に社殿を建立とある。
市内最古の像・木造神像坐像
当社の御神像は暦応四年(1341)の銘が残る大変古いもの。
「暦応四年正月 たん那左衛門大夫藤原吉高朝臣」との銘が記されている。
市内の神社仏閣のうち最も古い像とされ、相模原市重要文化財第一号に指定。
公開は60年に1度で、前回は1992年に公開されたため次の公開は2052年の予定。
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文禄年間(1593年-1596年)、社殿再建の記録が残る。

上溝村の鎮守・徳川将軍家より朱印地を賜る

江戸時代に入ると、当社が鎮座する地域が上溝村として成立。
当社は上溝村の鎮守とされ、地域からの崇敬を集めた。

中世には鳩川と姥川沿いに「溝」という地名を見ることができ、これが上溝・下溝に分けられ、当社一帯が上溝と呼ばれるようになった。

慶安二年(1649)、徳川将軍家より7石の朱印地を賜る。

朱印地(しゅいんち)
幕府などから寺社の領地として安堵(領有権の承認・確認)された土地のこと。
朱色の印(朱印)が押された朱印状により、所領の安堵がなされた事に由来する。

幕府から朱印地を賜っているように、当社は地域一帯の中核神社として認められていた事が窺える。

明暦年間(1655年-1658年)、延宝年間(1673年-1681年)、宝暦年間(1751年-1764年)に社殿再建の記録が残る。

新編相模国風土記稿に記された当社

天保十二年(1841)に成立した『新編相模国風土記稿』には当社についてこう記されている。

(上溝村)
八幡社
村の鎮守。神體木座像。慶安二年社領七石の御朱印を附らる。文禄二年の棟札あり。(記して曰、正八幡大菩薩、當御地頭青山常陸介、御代官深谷五郎左衛門、同吉右衛門、相模國上溝村名主對馬、棟上幣一本高橋惣左衛門、棟上備投餅根岸孫左衛門、大工堀口次郎左衛門、飯塚源太郎六斎本願鈴木與蔵)
末社。三島諏訪若宮合社。
護摩堂。
鐘樓。新鐘を掛。
別當南覺院
本山修験(小田原玉瀧坊配下)南部山と號す。本尊不動。開山行圓(文永八年三月廿五日卒)。

上溝村の「八幡社」とされているのが当社。
「村の鎮守」とあり上溝村の鎮守だった事が分かる。
また現存する市内最古の御神像も「神體木座像」と記されている。
7石の朱印地を賜った事も記してある。

別当寺は「南覺院」(現・廃寺)であった。

当社の境内にも「護摩堂」「鐘楼」の文字が見えるように、別当寺の管理の元で神仏習合の中、多くの崇敬を集めた事が窺える。

「八幡社」と記してあるが、神仏習合の中では「八幡大菩薩」と称される事も多かったと云う。

明治以降の歩み・亀ヶ池八幡宮へ改称

明治になり神仏分離。
明治二年(1869)、現在の「亀ヶ池八幡宮」へ改称。
上溝村の鎮守として村社に列している。

亀ヶ池の由来
神社の東側にあった池に亀が沢山いた事に由来すると云う。

明治二十二年(1889)、市制町村制施行に伴い上溝村・田名村一部が合併して溝村が成立。
当地は溝村上溝となり、当社は一帯の鎮守とされた。

「溝村」は隣接する「下溝村」との合併を前提とたものであったものの下溝村は当麻村(たいまむら)と合併し「麻溝村(あさみぞむら)」が成立。そのため溝村は大正十五年(1926)に単独で町制を施行し「上溝町」へ改称している。

明治三十九年(1906)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
溝村、上溝といった地名も見ることができる。
田畑ばかりの農村だったことが窺えるが、現在の県道46号相模原茅ヶ崎線沿いは市場があり栄えていた事が窺える。

戦前の上溝一帯は高座郡北部の行政・経済の中心として栄えていく事になる。

明治四十二年(1909)、神饌幣帛料供進神社に指定。
昭和六年(1931)、拝殿を新築している。

戦後の歩み・市内唯一の献幣使参向神社に指定

戦後に入り境内整備が進む。

昭和四十三年(1968)、神奈川県神社庁より献幣使参向神社に指定。

市内唯一の献幣使参向神社
相模原市内には神社本庁に属している神社が36社鎮座。
そのうち神社本庁より幣帛料を賜る献幣使参向神社は当社のみ。
市内の総守護社とも云え、歴史を踏まえて「北相模総守護社」と称している。
社号標にも「神奈川県神社庁献幣使参向神社」の文字。

昭和四十九年(1974)、幣殿・覆殿・手水舎を改築。
平成四年(1992)、大鳥居の建立など境内整備が行われる。

60年に1度の還暦大祭
平成四年(1992)は60年に1度の「還暦大祭」が斎行。
境内整備の他、雅楽・舞楽などが奉納、更に御神像の公開も行われた。
現在は毎年例祭の時に番田亀山家の神代神楽が演じられ市の文化財に指定されている。

平成二十六年(2014)、現在の社殿を竣工。
その後も境内整備が進み現在に至る。

現在は市内の数多くの神社を兼務し地域一帯の中核神社として崇敬を集めている。
奉務神社ご案内 亀ヶ池八幡宮公式サイト 相模原市の神社 上溝鎮座
相模原市の各神社について

境内案内

綺麗に整備された境内・大鳥居・四神の彫刻

最寄駅の上溝駅からは徒歩15分くらいの距離。
地域の中核神社として広い駐車場も完備しているので、車での参拝も望ましい。

西向きに表参道。
平成四年(1992)の60年に1度の還暦大祭に合わせて建立された大鳥居。
社号碑には「北相模総守護社」「神奈川県神社庁献幣使参向神社」の文字。

境内をぐるっと囲む玉垣からも綺麗に整備された境内なのが窺える。
こちらには方角を司る四神の彫刻。
東を司る青龍。(他にも四神の彫刻が施されている)

亀の手水舎・御神木の夫婦銀杏(夫婦和合・縁結び)

大鳥居を潜ると美しく整備された境内が広がる。
参道の左手に手水舎。

手水舎は令和を記念して建て替えられたばかり。
手水舎には2匹の亀の吐水口。
「亀ヶ池八幡宮」の名に合わせて造られたもの。

「亀ヶ池」はかつて神社の東側にあった池に亀が沢山いた事に由来。

参道の途中に立派な御神木。
2本の御神木の間を抜ける表参道。
当社にまだ鳥居のなかった時代に植えられたと伝わる御神木の銀杏。
推定樹齢は約350年。
2本の木が寄り添い合い沢山の銀杏が実るところから夫婦銀杏と呼ばれ「夫婦和合・長寿・子宝・縁結び」の御利益があるとして親しまれている。

御神木の前に一対の狛犬。
玉持ちの阿形。
子持ちの吽形。

夫婦銀杏を抜けた先にも一対の狛犬。
こちらの狛犬は亀を抱いているのが特徴。
そのため狛亀の要素も合わせもった狛犬と云えるだろう。

美しい神門とその先の社殿

参道の正面に神門。
檜造切妻屋根の神門。
拝殿前を廻廊が囲み内庭を造る形で整備されていて、神門の前から参拝も可能。

神門の先に社殿。
平成二十六年(2014)に竣工した社殿。
御鎮座800年を記念して造営された実に立派な社殿。
総檜の権現造り。
拝殿の破風は中々の迫力。
まだ新しさを感じる実によい空気の一画。
流造りの本殿も美しく整備され、当社が地域一帯の総鎮守として崇敬を集めている事がよく伝わる。

本殿内部には市内最古の御神像
本殿には暦応四年(1341)の銘が残る大変古い御神像が置かれている。
市内の神社仏閣のうち最も古い像とされ、相模原市重要文化財第一号に指定。
公開は60年に1度で、前回は1992年に公開されたため次の公開は2052年の予定。
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県内最古の一間社流造社殿・亀八招福稲荷神社

神門の左手に境内社。
亀八招福稲荷神社の参道。
朱色の奉納鳥居を潜った先に社殿。

お稲荷様らしい朱色の社殿。
この社殿は本社の旧本殿だったもの。
文禄五年(1596)に造営された社殿で、一間社流造社殿では県内最古の建物。
現在の社殿造営にあたり亀八招福稲荷神社の社殿として移された。

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社殿の前には数多くの神狐像。
新しいもの。
かなり古いものと思われる神狐像。
参拝時には狐様の耳にカマキリの姿。

商売繁盛・五穀豊穣・家運隆昌の神様として信仰を集める。

境内で全ての七福神を巡れる亀八七福神詣

表参道、手水舎の近くに鳥居。
「亀八七福神」の扁額が掲げられた鳥居。
ここから七福神詣が可能で、1ヶ所で七福神全てにお参りできるため一ヶ所七福神とも。
七福神詣のため平成七年(1995)に整備された一画。布袋尊。
毘沙門天。
大黒天。
恵比寿神。
寿老人。
弁財天。
福禄寿。

全て小さな社殿の横に可愛らしい七福神石像が置かれていて撫でながら祈願する方も多い。

ゴールド免許にあやかる交通安全のゴールド神社

参道の右手にはとてもユニークな境内社。
ゴールド神社と名付けられた境内社。
一見すると金運系の神社かと思われるが、こちらはゴールド免許にあやかったもの。
そのため交通安全の御利益のある神社として、社前で交通安全・車のお祓いも行われる。
その名の通り社殿も金色。
平成十五年(2003)に現在の形で整備。
亀の彫刻も。

その他、数多くの境内社や石碑・神楽殿・神苑などが整備され実に立派な境内となっている。

天然檜で奉製した月参り限定御朱印・御朱印帳

御朱印は社殿の左手にある社務所にて。
丁寧に対応して下さった。

新型コロナウイルスの影響で当面は書き置き(別紙)のみとのこと。

2020年11月参拝時に掲示されていたのは下記の通り。
本社の他に境内社「亀八招福稲荷神社」「四社」の御朱印も頂ける。

御朱印は「北相模総守護社 亀ヶ池八幡宮」と社紋の朱印。
右が通常御朱印tなるが亀の印「亀は万年 万事の向上に導く八幡様」と記してある。
月参り限定御朱印は天然檜で奉製したもの。(画像は11月限定)
その付きによってデザインも大きく変わる。

相模原市内の数多くの神社を兼務している当社。一部の兼務社も御朱印対応可能との事。
奉務神社ご案内 亀ヶ池八幡宮公式サイト 相模原市の神社 上溝鎮座
相模原市の各神社について

オリジナルの御朱印帳も用意。
社紋と亀甲模様がデザインされた御朱印帳。

ドラゴンボール孫悟空御守など多くの授与品

数多くの授与品を用意。
特にキャラ物の授与品も多い。
ユニークなのが『ドラゴンボール』の孫悟空御守。

「亀ヶ池八幡宮」の「亀」と亀仙流のコラボと云える。

他にもキャラ系の御守は数多く用意。
ハローキティ。
リラックマ。
機関車トーマスなどあり、子供たちも喜ぶ御守が数多い。

筆者は交通安全ステッカーを頂いた。
ステッカー自体もこの他に種類が多く用意されている。

相模原周辺を運転していると当社のステッカーを貼った車を数多く見かける。当社が地域の中核神社として信仰を集めているのが日常からよく伝わる光景。

所感

北相模総守護社として崇敬を集める当社。
上溝村の鎮守とされ、幕府からは朱印地を賜るなど古くから地域の中核神社として信仰を集めた。
現在も献幣使派遣神社に指定され、市内の数多くの神社を兼務し、地域一帯の中核神社として崇敬を集めている。
境内の様子を見れば人々からの崇敬はとてもよく伝わり、実に綺麗に整備された境内が心地よい。
「亀八七福神」として七福神巡りができる他、交通安全守護の「ゴールド神社」といったユニークな部分もあり、新旧をうまく融合して整備されているのが伝わる。
個人的な話になるが町田市内を運転していた際、当社のステッカーを貼っている車を多く見かけ、そのまま相模市内へ入ると更に多くの車を見かけたため、そのまま吸い込まれるように参拝する事となり、その美しい境内に納得した記憶が残る。
地域の歴史を信仰を伝え、今も多くの人々から信仰を集める良い神社である。

Google Maps

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