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菅原神社 / 東京都町田市

5.0
町田市

神社情報

菅原神社(すがわらじんじゃ)

御祭神:菅原道真公
社格等:村社
例大祭:8月25日
所在地:東京都町田市本町田802
最寄駅:町田駅・玉川学園前
公式サイト:https://www.sugawarajinja.com/

御由緒

室町期の永享年間大沢左近正次は先祖の大沢七郎正純が元応年間(鎌倉期)に京都北野天神を詣でた折に得た天神像をこの井出の沢の山上に奉安いたしました。時は下ってその子孫大沢玄蕃は江戸期初頭の寛永七年(1630年)新たに渡唐の天神像を刻ませてここに奉安いたし、この地を寄進して本町田の鎮守としたのが当社の縁起であります。
享保七年(1722年)御本殿が再建され天明五年(1785年)社殿が造られました。明治三十五年(1902年)千眼天神社、大六天社、七面社、稲荷社、白山社の五社を合祀し、その後も氏子の総力をあげて社殿の修復、境内の整備を重ね、平成十二年には新神楽殿が竣功いたしました。
主な御祭神は菅原道真公(平安前期の学者、政治家、歌人)であります。同じく菅公をお祀りする町田天満宮、南大谷天神社とともに町田三天神の一社として多くの人々からご神徳を慕われ崇敬されております。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2020/11/05

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

新型コロナウイルスの影響で当面の間は書き置きのみ。

御朱印帳

初穂料:1,000円
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意。
梅の花とウグイス、梅紋をデザインした天神さまらしい御朱印帳。
ピンク色と水色の2色展開。
東京の天神様特製の御朱印帳も用意していて、都内の一部の天神様で頒布している御朱印帳。

※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。

歴史考察

町田三天神の一社・本町田鎮守の天神さま

東京都町田市本町田に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧町田村(現・本町田)の鎮守。
町田天満宮」「南大谷天神社」と共に「町田三天神」の一社。
かつては現在の本町田が町田村の中心で、原町田が分村後は本町田村となりその鎮守を担った。
室町時代の戦場であった「井手の沢古戦場」に鎮座し東京都旧跡に指定。
平成になってからの立派な社殿と美しい参道を備えた境内が特徴。

室町時代に「井手の沢古戦場」跡地に創建

社伝によると、永享年間(1429年-1441年)に創建と伝わる。
名主・大沢左近正次が当地へ移住した際、天神像を井手の沢の山上(現在地)に奉安したと云う。

当地は「井手の沢」と呼ばれた山で、当社が創建するより前には「井手の沢古戦場」と呼ばれる室町時代の戦場となった地とされる。
井手の沢古戦場(いでのさわこせんじょう)
建武二年(1335)に発生した「中先代の乱(なかせんだいのらん)」の戦いの1つ。
鎌倉幕府再興のため鎌倉幕府の執権・北条氏が遺児が擁立され挙兵した反乱で、室町幕府の足利氏と対立、北条氏(先代)・足利氏(後代)の間で行われた乱のため「中先代の乱」と呼ばれる。
北条時行を擁立した諏訪氏や滋野氏が、鎌倉から出陣した鎌倉将軍府の執権・足利直義と町田村の井出の沢で対峙し戦いが行われ、北条時行側が勝利を収め鎌倉を一時的に支配。(その後、足利尊氏の討伐軍で敗走している)
戦場となった当初は当地に井出沢城と呼ばれる平城(砦)があったとされている。

そうした古戦場であった井手の沢の山上に天神像(菅原道真公)を奉安して創建。

当社によると古戦場に創建されたのは鎮魂という動機もあったと推測している。

この天神像は、大沢左近正次の先祖・大沢七郎正次が元応年間(1319年-1321年)に京都の「北野天満宮」を詣でた時に得た像で、大沢家の守本尊とされていたと伝わっている。

北野天満宮
北野天満宮(きたのてんまんぐう)は梅と紅葉で有名な京都の神社です。菅原道真公をお祀りした神社の宗祀であり、「天神さん」と呼ばれ、親しまれています。アクセス方法・地図、お守りやお札等も掲載しております。
菅原道真(すがわらのみちざね)
平安時代の貴族・学者・政治家。
忠臣として名高く寛平の治を支えた右大臣にまで昇りつめた。
家格の低い道真へ反感を持った貴族により大宰府へ左遷され現地で没した。
死後は対立した貴族たちが死亡、朝議中の清涼殿が落雷して朝廷要人に死傷者が出た。
これらは道真が怨霊と化したものと信仰され、天満天神として天神信仰の対象となった。
その後は神格化が進み「学問の神」として信仰を集めている。

以後、町田村鎮守「天神社」として崇敬を集めた。

町田の中心だった本町田村の鎮守とされる

寛永七年(1630)、大沢左近正次の子孫・大沢玄蕃(おおさわげんば)は、新たに渡唐天神像を刻ませて奉安し、社地を寄進して本町田の鎮守としたと云う。

青木山西向寺(現・廃寺)の開山・寒江和尚作の渡唐天神像と伝わる。
町田村と本町田村
現在は町田駅がある原町田が町田の中心地となっているが、古くから町田の中心だったのが「町田村(現・本町田)」である。
天正十年(1582)に町田村の村民が農地拡大のため近隣の原野を開拓。
開拓した土地を原野を開拓したと云う意味を込めて「原町田村」として分村。
さらに「南大谷村」も町田村から分村している。
元々の本村であった町田村は「本町田村」に改称した。
町田三天神の由来
町田三天神に数えられるのは当社と、旧原町田村鎮守「町田天満宮」、旧南大谷村鎮守「南大谷天神社」の3社。
いずれも町田村(後の本町田村)から分村した地の鎮守であり、元を辿れば町田村鎮守の当社に菅公が祀られていた事で、分村にあたり各村にも菅公を祀る「天神社」が鎮守として創建されたと云えるだろう。
町田天満宮 / 東京都町田市
町田三天神の一社。原町田鎮守の天神さま。学問の神様。町田村から原町田村が分村・村の鎮守として創建。名主による社殿造営・神祇伯白川家より神号を賜る。町田参宮橋を渡った先に鎮座。神使の神牛像(撫で牛)。原町田七福神・恵比寿神。御朱印。御朱印帳。

享保七年(1722)、本殿を再建。
天明五年(1785)、社殿を造営した記録が残る。

新編武蔵風土記稿に記された当社

文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。

(本町田村)
天神社
社地三畝。字向村にあり。勧請の年代をしらず。神體は坐像にして長一尺ばかり。社は四間四方東に向ふ。前に鳥居をたつ。兩柱の間九尺。例祭は七月二十五日。大澤寺の持なり。

本町田村の「天神社」とされているのが当社。
こちらには創建年代は不詳とある。
「神體は坐像にして長一尺」とあり、これが奉安された天神像であろう。
例祭は7月25日(旧暦)に行われていて、現在は8月25日となる。

別当寺は「大澤寺」(現・廃寺)であった。

明治以降の歩み・戦後の境内整備

明治になり神仏分離。
当社は「菅原神社」へ改称。
本町田村の鎮守として村社に列している。

明治二十二年(1889)、市制町村制施行に伴い、原町田村・本町田村・森野村・南大谷村が合併し町田村が成立。
当地は町田村本町田となり、当社はその鎮守とされた。

当時は神奈川県の管内であったが明治二十六年(1893)に東京府に移管され、後に町田町となっている。

明治三十五年(1902)、「千眼天神社」「大六天社」「七面社」「稲荷社」「白山社」を合祀。

明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
田畑ばかりのかなりの農村だったことが窺える。
町田村や本町田といった地名を見ることができ、当地一帯の鎮守であった。

昭和八年(1933)、表参道の長い石段が造られる。
昭和十一年(1936)、社殿を改築。
昭和二十年(1945)、戦禍を被り御神体が奉遷。

戦後は社殿の修復と境内整備が進む。

昭和六十一年(1986)、拝殿を除く社殿を再建。
平成十一年(1999)、菅公御神忌千百年祭記念事業として新神楽殿を建立。
平成二十四年(2012)、拝殿を造営。
これが現在の社殿となっている。

その後も境内整備が進み現在に至る。

境内案内

鎌倉街道沿いに鎮座・美しい参道

最寄駅の町田駅からはかなり距離があるので公共交通機関を利用する場合はバス推奨。
鎌倉街道沿いに鎮座していて、広めの駐車場も用意。
菅原神社交差点側が表参道。

玉垣で囲われた先に社号碑。
「村社 菅原神社」の文字。

その先に朱色の大鳥居。
立派な大鳥居の先はやや下り坂。
よく整備された美しい参道。
一度下る形の地形が面白い。

本町田交番側にも参道。
こちらは通称おんな坂。
鎮守の杜や境内社側に出るので、参拝時は表参道を使うのがよい。

整備された石段・途中の手水舎

表参道の先に石段。
鳥居からは一度下ってから長めの石段を上る事になる。
昭和八年(1933)に氏子によって整備された石段が改修されつつ利用。
その途中に手水舎。
かつて古戦場となった「井手の沢古戦場」の山上に鎮座している。

平成に造営された木造社殿・学問の神様

石段を上った先に立派な社殿。
平成二十四年(2020)に造営された拝殿はまだ新しさを感じる。
大戦中は旧社殿が戦禍を被る。
その後、社殿の改修が行われたが、現在はこうして美しい拝殿に生まれ変わっている。
本殿は昭和六十一年(1986)に再建されたもの。

「学問の神様」である菅原道真公を祀る当社。
絵馬掛にもそうした学問の神への祈願が並ぶ。

狛犬・山上に立つ神楽殿

拝殿手前に一対の狛犬。
昭和四十八年(1973)奉納の狛犬。
ややデフォルメ化された岡崎現代型。

その近くに立派な神楽殿。
平成十一年(1999)に菅公御神忌千百年祭記念事業として建立。
表参道側から見ると山上に設置されているのがよく分かる造り。

境内社の愛宕社・稲荷社・弁天社・鎮守の杜

境内社は神楽殿側から繋がる道に置かれている。
「お帰りはこちらから 出口」の案内板があり、こちらからおんな坂へ繋がる。
愛宕社の鳥居。
明治以前より鎮座している愛宕社。
火の神(火伏の神)である迦具土神(かぐつちのかみ)を祀る。

この一画は整備された鎮守の杜に。
当社が創建する以前は「井手の沢古戦場」と呼ばれる戦場となった地。
現在は美しく整備された境内に。
その奥には藤木稲荷社。

境内社としては表参道の途中に弁天社。
石段を上る手前左手に鎮座。
平成二十六年(2014)に今井地区より遷された。
その近くには御神水の石碑が置かれている。
現在は侵入不可でお水取りもできないが、かつては御神水を頂けたものと思われる。

梅紋の御朱印・梅の木と鶯の御朱印帳

御朱印は社殿の左手にある社務所にて。
丁寧に対応して下さった。

新型コロナウイルスの影響で当面は書き置き(別紙)のみとのこと。

御朱印は天神さまらしく梅紋が中央に。
左下に「菅原神社之印」。

オリジナルの御朱印帳を用意。
梅の花とウグイス、梅紋をデザインした天神さまらしい御朱印帳で、ピンク色と水色の2色展開。

東京の天神様特製の御朱印帳も用意していて、都内の一部の天神様で頒布している御朱印帳。
菅原道真が愛した梅・飛梅伝説
菅原道真は梅の木を愛でた事で知られ、政争に敗れて京から太宰府に左遷された際に以下の歌を詠んでいる。
「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅花(うめのはな) 主なしとて 春を忘るな」
現代語訳「東風が吹いたら(春が来たら)芳しい花を咲かせておくれ、梅の木よ。大宰府に行ってしまった主人(私)がもう都にはいないからといって、春の到来を忘れてはならないよ。」
その梅が京から一晩にして道真の住む屋敷の庭へ飛んできたという「飛梅伝説」がよく知られている。
そのため天神信仰の神社は基本的に社紋として梅紋を使用している。

所感

本町田の鎮守として崇敬を集める天神さま。
かつて町田の中心村は当社周辺であり、町田村の鎮守とされていた当社。
その後、分村によって原町田村などが出来、町田村は本町田村に改称。
分村した村にも鎮守として「天神社」が創建され、これらが「町田三天神」と呼ばれている。
元々は町田村の鎮守として当社があったからこそ、分村した村にも天神さまが祀られたと云える。
境内は美しく整備されていて清々しい。
本町田の歴史を伝えると共に「町田三天神」の起源とも云える良い神社である。

神社画像

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