報徳二宮神社 / 神奈川県小田原市

小田原市

概要

小田原城址内に鎮座・二宮尊徳を祀る神社

神奈川県小田原市城内に鎮座する神社。
旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。
小田原を生誕地とする二宮尊徳(金次郎)を祀る。
明治二十七年(1894)に小田原城二の丸小峰曲輪に創建。
現在も小田原城址内に境内が整備されている。
境内にはオープンカフェなども入っていて小田原城と共に観光も楽しめる神社。

神社情報

報徳二宮神社(ほうとくにのみやじんじゃ)

御祭神:二宮尊徳翁
社格等:県社・別表神社
例大祭:4月15日
所在地:神奈川県小田原市城内8-10
最寄駅:小田原駅
公式サイト:https://www.ninomiya.or.jp/

御由緒

 明治二十七年(1894)四月、福住正兄が中心となり、二宮尊徳翁の教えを慕う6カ国(伊豆、三河、遠江、駿河、甲斐、相模)の報徳社の総意により、尊徳翁を御祭神として、生誕地である小田原の小田原城二の丸小峰曲輪の一角に、神社が創建されました。
 明治四十二年(1909)本殿・幣殿を新築、拝殿を改築し、神宛を拡張し現在の社地の景観を整えました。
 平成六年(1994)には創建百年記念奉告祭を斎行して今日に至っています。
 社殿は神明造り。
 なお、拝殿礎石は天保の大飢餓の際、藩主大久保公の命により尊徳翁が小田原城内の米蔵を開き、米が人々の手にわたったことにより、小田原十一万石の領内から一人も餓死者も出さずにすんだという、その米蔵の礎石が用いられています。(頒布のリーフレットより)

参拝情報

参拝日:2022/08/10

御朱印

初穂料:500円より(通常)・800円(四社巡り)
社務所にて。

最新の御朱印情報
4月4日-8月31日まで「令和幸せの四社巡り専用御朱印」
※「東京大神宮」(東京都千代田区)「武蔵一宮氷川神社」(埼玉県さいたま市)「櫻木神社」(千葉県野田市)と開催。期間中に四社の専用御朱印を頂いた方は記念品あり。詳細は公式サイトにて。
御朱印は平日10時-15時。土日祝は9時30分-15時30分に直書き対応。9時-16時まで御朱印対応しているが前述時間以外は書き置き対応。

御朱印帳

価格:2,200円
きんじろうカフェにて。

境内にあるカフェ・売店の「きんじろうカフェ」にて販売。
紋が色が赤と青の2種類用意。
「報徳の社」の公式通販でも購入可能。(御朱印は神社に参拝した人のみ)

※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。

歴史考察

世のため報徳思想を唱えた二宮尊徳

社伝によると、明治二十七年(1894)に創建。
小田原を生誕地とする二宮尊徳(二宮金次郎)を祀る神社として小田原城内に創建された。

まずは二宮尊徳について触れたい。
二宮尊徳(にのみやそんとく)
薪を背負いながら本を読んで歩く二宮金次郎像(金治郎が幼名)でも知られる人物。
江戸時代後期の農政家・思想家。
世のために報徳思想を唱え、報徳仕法と呼ばれる農村復興政策を指導。
小田原藩や日光神領など大名旗本等の財政再建と領民救済、さらに北関東から東北にかける各藩の農村総合的復興事業(仕法)を行い、大飢饉で農村が疲弊しきっていた時代に尊徳が仕法を手がけ人々の困窮を救った村々は600ヶ村以上。

二宮尊徳が提唱した思想が報徳思想。
報徳仕法と呼ばれる財政再建策を行い、藩や村などを救済した。

報徳思想(ほうとくしそう)
二宮尊徳が説き広めた経済と道徳の融和を唱えた経済思想。
人そのものや物に備わっている長所・美点・価値などを「徳」として、社会に役立てていく事を「報徳」と呼び、私利私欲に走るのではなく社会貢献すれば自らにも還元されると説いた。
基本理念は「至誠」を基本とし「勤労」「分度」「推譲」を実行するという考え方。
至誠(しせい):物事への取り組みを誠心誠意行うこと。
勤労(きんろう):至誠の心を持って勤労すること。
分度(ぶんど):各収入の中で適切な範囲で生活すること。
推譲(すいじょう):残したものを人に譲ったり将来に残すこと。
この報徳思想に基づいた財政再建策を報徳仕法(ほうとくしほう)と呼んだ。
日本資本主義の父・渋沢栄一、パナソニックの創業者・松下幸之助、トヨタの創業者・豊田佐吉など報徳思想に感銘を受けた偉人は数多い。

尊徳は困窮する多くの人々を救い生涯を世のために捧げた。

御祭神二宮尊徳翁 | 報徳二宮神社
小田原の偉人、二宮尊徳翁をお祀りした神社です。

報徳思想を各地に広めた報徳社

天保十四年(1843)、二宮尊徳の報徳思想に基づく結社組織(講)として「報徳社」を設立。
その後も各地に報徳社が設立されていった。

常陸国(茨城県)の報徳信友講と相模国(神奈川県)の小田原仕法組合が最初と云われている。

安政三年(1856)、日光神領で仕法を施していた二宮尊徳だが下野国今市村(現・栃木県日光市)にて没する。

享年70歳。

二宮尊徳が亡くなった後も各地の報徳社は存続。
報徳思想は報徳社によって広められていく事となる。

当時は関東や東海地方が主な活動であった。

現在は全国の報徳社を総括する本社として公益社団法人・大日本報徳社がある。

公益社団法人大日本報徳社
大日本報徳社は、二宮尊徳の「報徳」を現代につなげ、道徳と経済の調和した社会を目指す全国組織の本社です。 国の重要文化財である大講堂を始め、明治期を中心に建てられた仰徳記念館・仰徳学寮・冀北学舎等の見学が可能です。 貸室、研修会、月刊誌『報徳...

明治に広まる報徳運動・定着する二宮金次郎の姿

明治時代になると、明治政府が国民教化と地方自治政策の一手段として報徳社を指導し奨励。
報徳運動と呼ばれ全国的に広まる事となる。

明治二十四年(1891)、二宮尊徳に従四位が追贈される。

従四位(じゅしい)
日本の位階及び神階における位のひとつ。
二宮尊徳については全国的な報徳運動の広まりによって追贈されたと云える。
全国各地に報徳社ができたが、明治四十四年(1924)に遠江国報徳社が全国的な組織として「大日本報徳社」へ改称された。

同年、幸田露伴が史伝として『二宮尊徳翁』を出版。
この本で挿絵として薪を背負って歩きながら本を読む二宮金次郎が登場。
これが現在も日本人に広く知られる二宮金次郎の姿の初出とされている。

(二宮尊徳翁)

明治二十四年(1891)刊行の幸田露伴『二宮尊徳翁』に描かれた挿絵。
幸田露伴(こうだろはん)
明治から昭和前期にかけて活躍した小説家。
明治には尾崎紅葉と共にに紅露時代と呼ばれる時代を築いた。
『五重塔』など擬古典主義の代表的作家で、また多くの随筆や史伝、古典研究などを残した。
「露伴、漱石、鷗外」と並び称される程、日本の近代文学を代表する作家。

こうした全国的な報徳運動によって二宮尊徳の教えは広まる事となる。

生誕地である小田原に創建・県社に列格

明治二十七年(1894)、二宮尊徳の生誕地である小田原の小田原城二の丸小峰曲輪に当社を創建。

二宮尊徳に従四位が追贈された事で報徳社員たちによって尊徳を祀る神社創建の機運が高まっていたとみられる。
小田原城(おだわらじょう)
小田原北条氏(後北条氏)の本拠地として知られる城。
江戸時代には小田原藩の藩庁が置かれていた。
明治になり建造物の殆どが解体され廃止となった。
戦後に小田原市制の施行20周年記念事業で天守の復興が計画され再建工事が行われる。
現在の天守は昭和三十五年(1960)に再建された鉄筋コンクリート造。
その後も小田原市によって多くの姿を復元させている。
当社が創建された当時は小田原城内の建造物は殆ど解体されていた。
【公式】小田原城 難攻不落の城

明治三十九年(1906)、県社に列する。
明治四十年(1907)、神饌幣帛料供進神社に指定。

明治四十二年(1909)、本殿・幣殿を新築、拝殿を改築。
更に神宛を拡張し現在の社地の景観を整えた。

関東大震災や戦災の被害を免れ改修されつつ社殿は現存。

戦後になり小田原城の復興再建が行われる。

平成六年(1994)、創建百年記念奉告祭を斎行。
平成二十九年(2017)、表参道鳥居を新たに建立。

その後も境内整備が進み現在に至る。

境内案内

小田原の名所・小田原城址公園内に鎮座

当社は小田原を代表する名所である小田原城址公園内に鎮座。
戦後になり次々と復興再建が行われている小田原城。
天守閣も戦後の再建になるが小田原の名所として今も昔も名高い。

【公式】小田原城 難攻不落の城
南側の通りに面したのが表参道。小田原城側からは城址口鳥居から参拝する事ができる。

2017年に建立された大鳥居・美しい参道

こうした小田原城址公園の南側が当社の境内。
南側の通りに面した表参道。
「報徳二宮神社」の立派な幟旗。
大きな木造の一之鳥居(大鳥居)は平成二十九年(2017)に建立されたもの。
創建120周年記念事業の一環として新たに建立された両部鳥居。

表参道整備事業(報徳二宮神社創建120周年記念事業) | 創建120年記念事業 | 報徳二宮神社
小田原の偉人、二宮尊徳翁をお祀りした神社です。

一之鳥居を潜ると綺麗に整備された表参道。
その先に二之鳥居。
こちらは大正十五年(1926)建立。
関東大震災の3年後の建立。

小田原城側からは小田原城側からは城址口鳥居を通り境内へ。
こちらも創建120周年記念事業の一環として平成二十七年(2015)に建立。
拝殿の右手に出る形。

城址口鳥居整備工事(報徳二宮神社創建120周年記念事業) | 創建120年記念事業 | 報徳二宮神社
小田原の偉人、二宮尊徳翁をお祀りした神社です。

参道に置かれた二宮尊徳翁像・旧社号碑

二之鳥居を潜りすぐ左手に二宮尊徳翁の像。
こちらはよく知られた二宮金次郎像とは違う造型。
報徳仕法と呼ばれる財政再建策を行い藩や村などを救済した時代の姿。

その先、参道左手に手水舎。
立派な木造の手水舎に石の水盤。

分かりにくいがこの水盤の裏手に古い社号碑。
社号碑には「懸社報徳二宮神社」の文字。
明治三十九年(1906)に県社に列していて旧社格の歴史を伝える。

立派な三之鳥居・ブロンズ製の二宮金次郎像

更に進むと三之鳥居。
昭和八年(1933)建立の立派な青銅鳥居。
とても美しい。

その手前に一対の狛犬。
大正五年(1916)奉納。
阿吽ともにもこっとしたお顔。

参道の左手に二宮金次郎像。
広く日本人に知られている二宮金次郎像らしい姿。
昭和三年(1928)に昭和天皇即位御大礼記念として寄進されたブロンズ像。
三代目慶寺丹長による製作で当時のメートル法普及の意図を反映してちょうど1mの高さ。

全国の小学校に向け製作された二宮金次郎像
当社に現存する二宮金次郎像と同じ像は全国の小学校に向け1,000体以上製作。
しかしブロンズ製であったため戦時中に全て供出。
そのため同型で全国で残っているのは当社に置かれている1体のみとなっている。
上述したように薪を背負って歩きながら本を読む二宮金次郎の姿は明治二十四年(1891)に出版された幸田露伴の『二宮尊徳翁』と云う本の挿絵だと云われている。

明治後期の木造社殿が現存

参道の正面に立派な木造社殿。
明治四十二年(1909)に改築された拝殿。
当時の木造社殿が改修されつつ現存。
神明造の木造社殿。
拝殿の礎石は天保の大飢饉の際に二宮尊徳が小田原城内の米蔵を開き、小田原11万石の領内から1人の餓死者も出さずに済んだと云う米蔵の礎石が用いられていると云う。

天保の大飢饉(てんぽうのだいききん)
江戸時代後期の天保四年(1833)から天保八年(1837)頃まで続いた全国的な大飢饉。
江戸四大飢饉、江戸三大飢饉の1つに数えられる。
当時の日本の推計人口は天保四年(1833)からの5年間で125万2000人減少。

幣殿・本殿は同様に明治四十二年(1909)に新築されたもの。
緑に囲まれた社叢。

祈祷殿・鯉が泳ぐ神池

参道の左手には祈祷殿。
古くは宝物殿として使用。
現在は社殿が使用できない際に祈祷殿が使用される。

宝物殿に納められていたものは報徳博物館に展示されている。
報徳博物館 〜二宮尊徳の人づくり国づくり世界〜

参道の右手には神池。
池には鯉の姿も。
授与所で鯉の餌の販売もあるそうで近づくと多くの鯉が口を開けて迫ってくる。

その他、神池の裏手には幾つの石碑が置かれている。

御朱印は社務所・御朱印帳はきんじろうカフェにて

御朱印は参道の右手にある社務所にて。
丁寧に対応してくださった。

最新の御朱印情報
4月4日-8月31日まで「令和幸せの四社巡り専用御朱印」
※「東京大神宮」(東京都千代田区)「武蔵一宮氷川神社」(埼玉県さいたま市)「櫻木神社」(千葉県野田市)と開催。期間中に四社の専用御朱印を頂いた方は記念品あり。詳細は公式サイトにて。
御朱印は平日10時-15時。土日祝は9時30分-15時30分に直書き対応。9時-16時まで御朱印対応しているが前述時間以外は書き置き対応。

御朱印は上に「報徳」、下に「相模國報徳二宮神社」の朱印。
「小田原城内鎮座 報徳二宮神社」の墨書き。

オリジナルの御朱印帳は後述する境内にある「きんじろうカフェ」にて販売。
紋が色が赤と青の2種類用意。

「報徳の社」の公式通販でも購入可能。(御朱印は神社に参拝した人のみ)
報徳二宮神社 御朱印帳(赤) | 報徳の杜ストア powered by BASE
報徳二宮神社の人気御朱印帳。御朱印は直接神社にご来社いただいた方のみ頒布しております。何卒ご了承くださいませ。【サイズ】ヨコ11.4cm×タテ16cm

2022年開催!一都三県の神社を巡る「令和四年幸せの四社巡り」御朱印

2022年4月4日からは「令和四年幸せの四社巡り」を開催。
一都三県の神社を巡る御朱印企画で当社も参加。

令和四年幸せの四社巡り
■開催期間:4月4日-8月31日
東京大神宮(東京都千代田区)
報徳二宮神社(神奈川県小田原市)
武蔵一宮氷川神社(埼玉県さいたま市)
櫻木神社(千葉県野田市)
各社専用御朱印を用意していて最初に御朱印を頂いた神社で満願用紙も頂ける。
以降は満願用紙を持ち各神社で専用御朱印を頂いた際にハート型印を押印。
満願成就で記念品のトートバッグ(非売品)や御朱印帳袋(非売品)を頂ける。
※記念品が予定数量となった場合は予告なく変更あり。記念品の引き換えは9月30日まで。
令和4年4月4日より開催。4社巡り。4合わせ(しあわせ)の語呂合わせ。
東京大神宮 / 東京都千代田区
縁結びで人気・東京のお伊勢さま。伊勢神宮の遥拝殿が起源。民間における神前結婚式発祥の神社。東京三大縁結び神社。令和五年ご縁を結ぶ四社巡り。松竹コラボ歌舞伎『義経千本桜』御朱印帳。関東大震災からの再建と現在地へ遷座。芸能に縁深い飯富稲荷。
武蔵一宮氷川神社 / 埼玉県さいたま市
武蔵国一之宮。氷川神社総本社。氷川の由来・大宮の地名由来。埼玉や東京に点在する氷川信仰。見沼の水神を祀る太古の信仰。出雲族の移住と出雲の神。明治天皇が関東の神社で最初に行幸。約2kmの氷川参道。国費で改築・楼門や社殿。限定御朱印。御朱印帳。
櫻木神社 / 千葉県野田市
野田市を代表する櫻木神社。桜の可愛い御朱印・季節や月替りの限定御朱印。見開きの夜桜御朱印帳。平安時代に創建・野田市最古の神社。桜台村の開発。親鸞が逗留し聖徳太子像を授けた伝説。江戸時代に親鸞の足跡巡りが流行。KAWAYAホール・川屋神社。

各社見開きの専用御朱印を用意。
こちらは当社の専用御朱印で、御朱印を頂くと満願用紙も頂ける。
以降はこの満願用紙を持ち、各神社で専用御朱印を頂くとハート型のシールを貼って下さるので、4社巡り満願となると記念品を頂ける流れ。

満願して頂いた御朱印帳袋
筆者は4月5日に「東京大神宮」から巡拝を開始、8月10日に「報徳二宮神社」で満願を達成。
全ての専用御朱印は並べるとハート型が四つ葉のクローバーになる形。
満願の記念品として西陣織の御朱印帳袋を頂いた。(4色あり)

きんじろうカフェ・Cafe小田原柑橘倶楽部

参道の途中、左手にはオープンカフェも整備。
入ってすぐあるのは「きんじろうカフェ」。
コーヒーなどの他に上述したオリジナルの御朱印帳などの販売も。

小田原城内 報徳の杜
小田原城のとなり。美味しいレストランやカフェはもちろん地域のモノやコトが集まるふれあいの杜。

その奥にあるのは「Cafe 小田原柑橘倶楽部」。
当社が発起人として多くの企業や農家と共に活動する小田原柑橘倶楽部初のカフェ。
ロイヤルフルーツティーやみかんスクィーズを飲んだがとても美味。

小田原城内 報徳の杜
小田原城のとなり。美味しいレストランやカフェはもちろん地域のモノやコトが集まるふれあいの杜。
とても美味しいので参拝や観光の休憩場所として利用をオススメ。

所感

日本人にとっては二宮金次郎像で広く知れ渡る二宮尊徳。
二宮尊徳の業績は知らずとも二宮金次郎像は知っている人が殆どであろう。
そうした二宮尊徳を祀る当社の歴史を見ると、二宮尊徳の広めた報徳思想などに触れる事ができる。
世のために生涯を費やしたとても偉大な人物で今も報徳社を中心に信奉者が多い。
境内は小田原城址内にあり、小田原城などと共に観光も楽しめるのがポイント。
当社や小田原城周辺、また小田原駅周辺などたっぷりと観光を楽しめる。
誰もが知る二宮尊徳と云う人物を祀る素敵な神社である。

Google Maps

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