山野浅間神社 / 千葉県船橋市

船橋市

神社情報

山野浅間神社(やまのせんげんじんじゃ)

御祭神:木花咲耶姫命
社格等:村社
例大祭:6月30日・7月1日
所在地:千葉県船橋市西船1-5-7
最寄駅:西船橋駅・海神駅・京成西船駅
公式サイト(Facebook):https://www.facebook.com/山野浅間神社祭礼-971362726242077/

御由緒

御由緒
この丘に鎮座する浅間神社は、その昔地元山野の村人が駿河国富士山本宮浅間神社を氏神として勧請して祀ったことを以って御創建としており、
社宝「懸仏 カケボトケ」の年代検証等より、鎌倉時代後期〜室町時代前期には存立していたものと推定されています。
御祭神が木花咲耶姫命であり、縁結び・安産・子育て等が御神徳として敬われています。
境内
昭和初期迄は、この高台(標高約二十二メートル)の境内より東京湾を隔て、遥かに壮麗な富士の勇姿を拝する事が出来ました。現在でも松・椿・欅等が繁り、船橋市指定の保存樹林を形成、約二千坪の景勝の地です。
永い歴史を感じさせる狛犬・御神燈・鳥居などの石造物も随所にあり御影石敷の参道約二百メートルは市内随一を誇っています。(頒布のリーフレットより)

参拝情報

参拝日:2018/10/31(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2016/04/12(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

[2018/10/31拝受]

[2016/04/12拝受]

歴史考察

旧山野村鎮守の浅間さま

千葉県船橋市西船に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧山野村の鎮守。
富士山を崇拝する浅間信仰の神社。
高台に鎮座しており、当社にも登山参拝する崇敬者が多かったと伝わる。
戦後間もなくまでは、境内から富士山を遥拝する事ができたと云う。
緑豊かな境内で、船橋市随一の長い参道が特徴。

富士山本宮浅間大社より勧請

創建年代は不詳。

口碑では奈良・平安時代から山野浅間神社と称する祠があったと云う。

下総国葛飾郡山野村の村人が、浅間信仰の総本宮「富士山本宮浅間大社」より勧請。
富士山を崇拝する浅間信仰「浅間神社」として創建した歴史を持つ。

浅間信仰(せんげんしんこう)
富士山を崇拝する富士信仰の一種で、富士山の神霊として考えられている富士浅間大神を祀る信仰。
富士山本宮浅間大社」(静岡県富士宮市)を総本宮とし、富士浅間大神は木花咲耶姫命の事とされる事が多い。
富士山本宮浅間大社 / 静岡県富士宮市
駿河国一之宮。浅間神社の総本社。浅間造本殿。浅間信仰の歴史・富士曼荼羅図。湧玉池。富士山山頂に奥宮。御朱印。御朱印帳。

社宝として残る「懸仏(かけぼとけ)」は、鎌倉時代後期から室町時代前期のものとされているため、それ以前より創建していたと見る事ができ、古くから浅間信仰の神社として崇敬を集めた。

懸仏(かけぼとけ)
社殿内などに懸けて崇拝した神社の本地仏。
本地仏(ほんじぶつ)
本地垂迹の思想によるもので、日本の八百万の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れた権現であるとする考え。

山野村の氏神・江戸後期に社殿造営

古くは小さな祠で、それが地域の信仰対象であった。
山野村の氏神として崇敬を集め、江戸時代の奉納物などが幾つか残る。

天保十五年(1844)に石灯籠が奉納。

嘉永三年(1850)、社殿が造営。
戦後に増改築が行われて新社殿となったが、当時の一部が再利用されていると云う。

古くから地方の信仰の中心であり由緒深き霊地であったこの地には、古い祠が鎮座していただけだったと云うが、村民が社殿を建立寄与したとあり、現在の規模になったのはこの頃と推測できる。

以後、社殿と広い社地を有する鎮守となり、地域の富士講からも多くの崇敬を集めた。

富士講(ふじこう)
江戸時代に成立した民衆信仰で、オガミ(拝み)と富士登山(富士詣)を行う講社。
地域社会や村落共同体の代参講としての性格を持っており、特に江戸を中心とした関東で流行したため、各地に数多くの講社があり、江戸時代後期には「江戸八百八講、講中八万人」と云われる程であった。
現在も当社の氏子は、10戸を1グループにして富士講を結成し、毎年富士山登頂を行っている。

子育ての伝承が残っていた次郎太郎の池

かつて当社の境内には御手洗の池が存在。
地域の人々からは「次郎太郎の池」と呼ばれ、信仰を集めていた。

昭和三十年代までは、池が子どもたちの遊び場として残っていたと云う。

「次郎太郎の池」には、当地独自の子育ての伝承が残っていた。

「次郎太郎の池」子育て伝承
その昔、この地域の人々は子供が生まれると、「次郎太郎の池」の水でおかゆを作り、子供が無事に成長することを祈願した。

浅間信仰の御祭神は木花咲耶姫命であり、古くから安産の神・子育ての神としても信仰を集めたため、こうした伝承にも繋がったと見られる。
現在も、縁結び・安産・子育ての御神徳として信仰を集めている。

現在は池は存在しておらず、当社からやや東側(西船1-2-17付近)に碑が残るのみになっている。

明治以降の歩み・昭和三十年代までは富士山を遥拝できた

明治になり神仏分離。
当社は村社に列した。

明治二十二年(1889)、市制町村制によって、西海神村・山野村・印内村・古作村・寺内村・二子村・小栗原村・本郷村の8ヵ村が合併し、千葉県東葛飾郡葛飾村となる。
当社は葛飾村山野の鎮守となった。

明治三十六年(1903)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲ったのが当社で、今も昔も変わらない。
当時の古地図に「浅間祠」の文字があるように当地の目印にもなる神社であった。
葛飾村や山野という地名も残る。

現在は千葉街道を挟んで向こう側に「山野町」という地名が残るが、古くは当社を中心にした一帯が山野村であった。

戦後になり境内整備が進む。

昭和三十年代までは境内から富士山を遥拝が可能だった
当社は高台に鎮座(標高約22m)に鎮座しているため、昭和三十年代(1955年-1964年)までは、当社の境内から船橋の海を見渡す事ができたと云う。東京湾を隔てて富士山を直接遥拝できたと伝わっている。

昭和四十七年(1972)、社殿の増改築が行われる。
これが現在の社殿となっている。

平成十一年(1999)、境内社の六社を改築整備。

その後も境内整備が進み現在に至る。

境内案内

千葉街道に面した長い参道・高台に鎮座

千葉街道沿い、西船橋駅と海神駅の中間あたりに鎮座。
比較的交通量の多い通り沿いにありながら、立派な境内を有している。
参道は約200mと船橋市内随一の長さを誇り、緑溢れる参道。

高台に鎮座するため、参道には石段が多く設けられている。
社頭の石段は脇が、富士山の溶岩のように整備。(参拝時は一部工事中)
富士塚にも似た作りの参道になっていて、篤い富士信仰(浅間信仰)を伝える。
石段の上に一之鳥居。

その先に狛犬。
平成二十一年(2009)に奉納された狛犬。
まだ新しさを感じるが、現代的でユニークな意匠。
その後も長い参道は続く。(参拝時は一部工事中)

戦前の狛犬(獅子山)・緑溢れる参道

参道は緑に囲まれており、とても清々しい。
発展した西船橋駅からも近く宅地化された周辺、更には大通りが社頭にありながらも、これだけ緑に溢れた境内を維持できているのも、地域からの崇敬の賜物であろう。
石段になっていて緩やかな上りが続く。

二之鳥居を潜った先に獅子山。
昭和四年(1929)に奉納された狛犬たち。
躍動感溢れる見事な造形。
少し悪戯っぽい表情が特徴的。
左右どちらも状態よく維持。
ぐっと参道を睨めつける。

獅子山のある石段を上ると社殿が見えてくる。
参道の右手に手水舎。
綺麗に整備され水も張られている。

増改築された社殿・縁結び・安産・子育ての御神徳

社殿は昭和四十七年(1972)に造営されたもの。
嘉永三年(1850)に造営された社殿を増改築。
美しい木造社殿。
彫刻も施されており氏子崇敬者の気持ちが伝わる。
綺麗に維持されていて管理も行き届いている。
彫刻が施された扁額には「浅間宮」の文字。
本殿も同様に綺麗に維持管理されている。

当社の御神徳
浅間信仰の御祭神は木花咲耶姫命であり、古くから安産の神・子育ての神としても信仰を集めたた。
現在も、縁結び・安産・子育ての御神徳として信仰を集めている。

社殿裏手には小御嶽神社や黒宮浅間神社

境内社は拝殿の右手に6社が整備。
諏訪神社・稲荷大明神・妙見神社・天満宮・藤森稲荷神社・古峯神社の6社。
平成十一年(1999)に整備された一画で、当地周辺の信仰を伝える。

更に社殿の裏手に続く。
社殿の右側から下る形。
下っていくとその途中に小御嶽神社。
社殿裏手右側を更に下っていく。
この一帯の裏参道石段は江戸時代後期に整備されたもの。
社殿のほぼ真裏にあるのが里宮浅間神社。
石碑と樹皮がむき出しになった存在感のある御神木。

里宮(さとみや)
1つの神社で、2ヵ所以上に社殿などがある場合、山上を奥宮・山宮と呼ぶのに対して、麓の里にあるのを里宮と呼ぶ。
当社の場合、現在の本殿がある高台の上が奥宮で、「里宮浅間神社」がある場所が麓の小祠であったと思われる。
その他、下った先を右手に向かうと、上述した子育て伝承のあった御手洗「次郎太郎の池」の跡碑がある。(池は既にないため碑が残るのみ)

富士の御朱印・山開きでは多くの出店も

御朱印は社務所にて。
いつも丁寧に対応して頂き有り難い。

御朱印は2016年と2018年と頂いたが変わりはない。
朱印には富士の姿と共に「浅間宮」の文字。

山開きと例大祭
当社の例大祭は富士山の山開き(7月1日)に合わせて行われる。
6月30日・7月1日が例大祭となり、古くから富士講は当社にも登拝したと伝わる。
夏越の大祓いも兼ねて、現在も山開きになると、参道に出店が出て賑わう祭り。
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所感

旧山野村の鎮守であった当社。
高台に鎮座しており、昭和三十年代までは境内から富士山を遥拝も可能だったと云う。
東京湾(江戸湾)を挟んで見えた富士山に対する信仰が古くからあり、富士講の隆盛などで信仰を集めた事が窺える。
境内は今も緑豊かで長い参道などとても見事。
古き良き鎮守が今もしっかりと残っていて地域から愛されている。
長い参道には地域の方が行き来しており、社殿まで参拝に向かう姿もよく見る事ができた。
今もなお氏子による富士講で富士山登拝も行われているといい、地域の方々に愛される良社である。

神社画像

[ 社頭・社号碑 ]



[ 石段・一之鳥居 ]





[ 一之鳥居 ]


[ 参道 ]

[ 狛犬 ]


[ 参道 ]






[ 獅子山(狛犬) ]





[ 手水舎 ]


[ 拝殿 ]









[ 本殿 ]


[ 境内社 ]


[ 石碑 ]





[ 裏参道 ]

[ 小御嶽神社 ]



[ 裏参道 ]

[ 里宮浅間神社 ]




[ 社務所 ]

Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
船橋市
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コメント

  1. こんにちは。
    今から30年以上前に船橋に住んでいた事がありましたが雑木林に囲まれた神社があるのですね。さらに昭和30年代まで富士山が見える神社の境内ががある事を初めて知りました。山野浅間神社も含めてかつて住んでいた船橋に一度行ってみたいですね。

    • 神社メモ 神社メモ より:

      ■しゃんしゃん様

      船橋にお住まいだった事があるのですね。
      場所的には西船橋駅から近く、千葉街道沿いなので通った事はあるのかもしれません。
      高台にありますので、前が開けていたら、東京湾、その先の富士山まで見えたのだと思います。
      今でも船橋市内では、武蔵野線や京葉線など高架線の電車や、高速道路からよく晴れた日に富士山を見る事ができます。
      きっとこちらの境内からもそうした光景だったのではないかなと思います。

      30年も前ですとかなり変わっているところも多いとは思いますが、
      久しぶりに訪れるとまた違った一面が見えてきて面白いものですので、
      ぜひ船橋やこちらに訪れてみて下さい。

  2. 元山野の住人 より:

    我が家は昭和5年に浅間神社の参道の横に家を建て昭和26年までここに住んで居りました。
    私はここで生まれました。伯父と父が連名で紀元2600年を記念して参道の敷石を奉納して
    居り2009年訪問した時には石碑がありましたが今はどうでしょうか。
    途中戦争があったりして大変な時代を過ごしましたが春には桜が満開になって家の中からも
    眺める事が出来ました。楽しい想い出です。この頃は海が近くに見えて現在近くにお住まいの方々には想像もつかないと思います。
    山野の家も遥か遠くになりましたが記憶はまだ鮮明です。        87歳

    • 神社メモ 神社メモ より:

      元山野の住人さま
      お返事遅くなりすみません。

      神社の参道横に住んでいたとの事で、
      貴重な情報ありがとうございます。

      2018年以来参拝できていないので、今度参拝した最に石碑も確認してみます。

      海が近くに見えていたとの事で、やはり富士山も遥拝できたのでしょうね。

      もしまた機会がありましたら参拝してみて下さい。

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