北澤八幡神社(北澤八幡宮) / 東京都世田谷区

神社情報

北澤八幡神社(きたざわはちまんじんじゃ)
北澤八幡宮(きたざわはちまんぐう)

御祭神:応神天皇・比売神・神功皇后・仁徳天皇
社格等:村社
例大祭:9月第1土・日曜
所在地:東京都世田谷区代沢3-25-3
最寄駅:下北沢駅・池ノ上駅
公式サイト:─

御由緒

文明年間(1469〜87)当時の世田谷城から見て鬼門に当たるとして、城主吉良頼康氏の勧請により創建され、七澤八社随一正八幡宮と称されました。
江戸時代・慶安三年(1650)には、時の知行斎藤摂津守の「八幡宮領七石四升は前々のごとく寄進せしむ」との黒印状がありました。
冬の天気のよい日には境内から富士山が眺められます。
※七澤とは北澤、上馬引澤、下馬引澤、野澤、奥澤、深澤、池澤とされる。(頒布のリーフレットより)

参拝情報

参拝日:2016/12/28

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※富士山が見える神社のスタンプは冬の期間限定との事。
※例大祭限定の御朱印なども用意。

(冬限定御朱印)

御朱印帳

初穂料:1,500円(朱印代込)
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意している。
表面には薄い空色に境内をデザインしたものと、裏面に巫女舞がデザインされたもの。

※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。

歴史考察

下北沢鎮守の八幡さま

東京都世田谷区代沢に鎮座する神社。
旧社格は村社で、下北沢の鎮守。
かつては「七澤八社随一正八幡宮」とも称される地域随一の八幡さまであった。
正式名称は「北澤八幡神社」であるが、「北澤八幡宮」と称する事も多い。
よく晴れた日は境内の一角から富士山を眺望できる神社となっている。
またスピリチュアル・カウンセラーの江原啓之氏が奉職していた神社としても知られる。

世田谷城の鬼門守護として創建

社伝によると、文明年間(1469年-1487年)に世田谷城主であった吉良頼康が、世田谷城の鬼門鎮護として創建と伝わる。

世田谷城は、吉良氏によって築かれた平山城。
現在の「豪徳寺」付近が城の主要部とされ、現在の世田谷城阯公園まで広がる吉良氏の居城であった。
なお、天正十八年(1590)、豊臣秀吉の小田原征伐によって廃城になっている。

昭和15年に開園した世田谷区内唯一の「歴史公園」で「東京都指定文化財」にもなっています。
鬼門とは艮(うしとら)の方角であり、すなわち北東の方角。
世田谷城から見て当社は北東の方位にあったため、鬼門鎮護として創建された。
但し、世田谷城主の吉良氏であるが、御由緒にある吉良頼康は生年不詳ながら没年が永禄四年(1562)である。
そのため御由緒にある文明年間(1469年-1487年)とは時代が少し合わないため、おそらく頼康の実父である吉良成高の時代に創建ではないだろうか。
吉良成高は、これまで代々の吉良氏の居館となっていた世田谷城を城郭として修築している。
そのため、成高が城郭とした修築した際に、鬼門鎮護として当社を創建したと推測できる。

いずれにせよ、世田谷城主の吉良氏によって世田谷城の鬼門鎮護として創建されたのは間違いない。

七澤八社随一正八幡宮と称される

当社が創建されると、吉良氏の家臣が当地に土着。
当地は下北澤村(下北沢村)と呼ばれた農村であり、家臣たちが同村を開墾したと伝わる。
当社は下北沢村の鎮守として、村の中心として崇敬を集めた。

江戸時代になると慶安三年(1650)、領主・斉藤摂津守の7石4升の寄進を行ったとされる。
文化九年(1818)、別当寺「森巌寺」の火災で古文書が焼失するまでは黒印状の写しが残っていたという。

なお、世田谷には「七澤」と呼ばれた7か村が存在していた。
御由緒には「北澤・上馬引澤・下馬引澤・野澤・奥澤・深澤・池澤」が七澤とされたとある。

しかしながら、江戸時代以前は馬引澤村は分村しておらず、地域でも上馬引澤・中馬引澤・下馬引澤の3地域に分かれていたため、馬引澤は1つの区分と見るのが正しい。
一方で北澤村は既に上北澤村と下北澤村に分村していたので、こちらを2つに分けるのが正しいだろう。
よって「七澤」とは「上北澤・下北澤・馬引澤・野澤・奥澤・深澤・池澤」の7か村だと推定できるのだが、一部の村は江戸初期に成立したと見られる村もあるため、七澤と呼ばれた時代がもっと遡るのであれば詳細は定かではない。

いずれにせよ、こうした世田谷の七澤と呼ばれた地域の中でも随一の規模を誇っていたという事から吉良氏が所領していた地域の神社の中でも「七澤八社随一正八幡宮」と称されたと伝わっている。
現在も当社の拝殿扁額には「七澤八社随一正八幡宮」の文字が見える。

江戸時代の史料から見る当社

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(下北澤村)
八幡社
村の中央より少し南小高き丘上にあり。本社宮作覆屋九尺に二間。石階九級を下て拝殿あり。二間に三間半。又石階を下れば石の鳥居木の鳥居二基を建つ。鎮座の年歴定かならず。昔吉良家所領の頃、七澤八八幡と唱て、澤と八幡社とその数ありしとぞ、當社も其一なりなど土人の口碑にあれと確かなることを知らず。今當所の鎮守なり。村内森巌寺持。
末社
稲荷社。本社に向て右にあり。
辨天社。本社に向て左にあり。

下北澤村の「八幡社」として記されている。
丘の上に鎮座していて、そこそこの規模があった事が分かる。
吉良氏が所領していた頃に「七澤八八幡」と呼ばれていたとあり、澤は地名の事で、その地域に8つの八幡社があった事も記載されている。

下北澤村の鎮守であり、別当寺は「森巌寺」(代沢3丁目)であった。
「森巌寺」は「八幡山森巌寺」と号しており、当社と繋がりが深かった事が伺える。

文化九年(1818)、別当寺「森巌寺」が火災によって焼失。
その際に当社に関する古文書も焼失しており、『新編武蔵風土記稿』は史料としても貴重。

江戸時代に描かれた当社

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

(江戸名所図会)

「北澤粟島社」「池尻祖師堂」と描かれた一枚で、上に描かれているのが下北沢一帯。
左上にあるのが当社の別当寺であった「森巌寺」と、その境内にある「粟島社」(現在の粟島堂)である。
その右(画像上中央)に「八まん」として描かれたのが当社。

(江戸名所図会)

当社を中心に拡大したのが上絵となる。
別当寺「森巌寺」の隣にある「八まん」として描かれており、緩やかな高台に鎮座しているのが分かる。
かなり樹木の生茂った鎮守の杜となっており、かなり趣のある神社であったのだろう。
『新編武蔵風土記稿』にある通り鳥居も二基見る事ができる。

この後の嘉永五年(1852)、本殿が再建。
これが現在は境内社「産土社」の社殿として現存している。

明治以降と戦後の歩み

明治になり神仏分離。
当社は下北沢村の鎮守として村社に列した。

明治二十二年(1889)、世田ヶ谷村・経堂在家村・池尻村・若林村・三宿村・太子堂村・下北沢村・代田村や近くの飛地が合併し、世田ヶ谷村が成立。
当地は世田ヶ谷村下北沢となる。

明治二十六年(1893)、神楽殿が造営。

昭和二年(1927)、小田急の下北沢駅が開業。
昭和七年(1932)、世田谷区が成立し、下北沢の地域は北沢1-5丁目に振り分けられる事となり、地名からは下北沢という地名は消滅。

昭和三十九年(1964)、住居表示が実施され、旧下北沢村は北沢1-5丁目と代沢1-5丁目となる。

現在は下北沢という公式地名はないものの、下北沢駅が有名なため、下北として広く認知されており、そうした下北沢地区の鎮守となっているのが当社である。

昭和五十三年(1978)、現在の社殿が造営。
境内整備が進み、平成十六年(2004)には神楽殿が改築されている。

境内案内

高台の上に鎮座・戦後に再建された社殿

最寄駅は下北沢駅もしくは池ノ上駅で、徒歩10分ほどの住宅街に鎮座。
鳥居を潜ると右手は児童公園となっている。
よく地域の子供達が遊んでおり、地域に親しまれる鎮守なのが伺える。

参道は緩やかな石段が続く。
石段を上った先にも石段。
『新編武蔵風土記稿』にも「小高き丘上にあり」と記されていたように、創建の頃からこうした高台に鎮座していたのだろう。

石段を上り切って左に手水舎。
正面すぐが社殿となっている。

社殿は昭和五十三年(1978)に造営されたもの。
鉄筋コンクリート造で再建され、落ち着いた彩色。
本殿も同様となっており、旧本殿は境内社「産土社」の社殿に遷されている。

拝殿の前には古い狛犬が一対。
嘉永五年(1852)の文字があり、旧本殿が再建された際に奉納されたものと思われる。

多くの境内社・旧本殿や神楽殿など

境内には多くの境内社が並ぶ。

社殿の左手には産土社。
嘉永五年(1852)に再建された当社の旧本殿が遷されて利用されている。

その隣に弁天社があり、さらに野屋敷稲荷社、愛宕稲荷社、長栄稲荷社と続く。
いずれも当地周辺に祀られていた稲荷社が遷座したもの。

社殿の右手には円海稲荷社、高良玉垂社。
こうして社殿の左右に分けられる形で境内社が鎮座している。

境内には立派な神楽殿も。
明治二十六年(1893)に造営された神楽殿を、平成十六年(2004)に改築したもの。

このように境内は石段によって三層に別れているのが特徴。
一層が鳥居や児童公園、二層が神楽殿や神輿庫、三層に社殿や境内社といった形。
いずれも綺麗に整備されていて心地よい境内となっている。

富士山が見える神社(冬の快晴時)

当社の境内からは富士山を眺望する事ができる。

社殿のやや右手にそうした看板が出ているので、振り返ってみると見事な富士山の姿を眺望可能。
「冬のよく晴れた日に富士山が眺められます。」とあるように、眺望できる条件はあるものの、境内からこうして望む事ができるのはとても素晴らしい。
地域に高い建物が建ってしまうと見えなくなってしまうので、今こうして見る事ができるのは貴重であろう。

冬の御朱印には「富士山が見える神社」のスタンプも押されている。
ぜひカラッと晴れた日の参拝をオススメしたい。

当社限定ガチャ・江原啓之氏が奉職した神社

御朱印は社務所にて。
丁寧に対応して頂いた。

この社務所の右手にガチャガチャが2体置かれている。
北澤八幡神社限定の「開運おみくじ 勾玉コレクション」というもの。
1回300円なので興味があれば回してみるのもよいだろう。

当社はスピリチュアル・カウンセラーとしてメディアなどへの露出も多い江原啓之氏が奉職していた神社としても知られる。
24歳まで当社で奉職しており、当社の広間で研修会なども開催していた。
スピリチュアル・カウンセラー、江原啓之(えはらひろゆき)公式サイト。メッセージ、イベント、講演、テレビ・ラジオ・雑誌情報、会員特設コンテンツ・動画など

所感

下北沢の鎮守である当社。
世田谷城主・吉良氏によって創建され、下北沢村の鎮守として崇敬を集めた。
現在は「下北/シモキタ」の略称で駅周辺は若者から人気の街となっているが、かつての下北沢は当社を中心に発展したとも云え、街の発展と共に歩んだ鎮守である。
現在も境内には児童公園があり、平日の日中は子供たちの遊ぶ声や親子の姿を多く見る事ができ、今もなお地域から篤い崇敬を集めている事が伝わってくる。
冬のよく晴れた日には富士山を眺望する事もでき、都会の住宅街にありながら立派で綺麗に整備された境内など、素敵な鎮守となっている。

神社画像

[ 鳥居・社号碑 ]


[ 参道 ]




[ 手水舎 ]

[ 拝殿 ]




[ 本殿 ]

[ 狛犬 ]


[ 絵馬掛 ]

[ 弁天社・産土社 ]

[ 野屋敷稲荷社・長栄稲荷社・愛宕稲荷社]

[ 高良玉垂社・円海稲荷社]

[ 社務所 ]

[ 神輿庫 ]

[ 神楽殿 ]

[ 境内からの富士山 ]



[ 児童公園 ]

Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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