当代島稲荷神社 / 千葉県浦安市

神社情報

当代島稲荷神社(とうだいじまいなりじんじゃ)

御祭神:豊受大神・應神天皇・春日大神
社格等:─
例大祭:6月22日(4年に1度/3日間の浦安三社祭)
所在地:千葉県浦安市当代島3-11-1
最寄駅:浦安駅・南行徳駅
公式サイト:http://urayasu-inarijinjya.com/

御由緒

元禄二年(1689年)の創建。それ以前には当代島で元村長の高梨氏所有の屋敷神の稲荷さまを氏神としていた。元禄二年(1689年)に(武蔵國小岩村、現在の東京都江戸川区小岩町)の善養寺から移し祀ったものといわれている。明治五年の神社法によって正式な当代島の鎮守とされ、無格社に規定された。また、社殿が損傷した為、明治四年四月に改築、明治四十一年に再建した。昭和二十年に米軍の爆撃に遭い、昭和三十四年に再建され、その後腐朽が甚だしく、再び昭和五十八年に改築工事を行う。(頒布の資料より)

参拝情報

参拝日:2017/07/22

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※4年に1度の浦安三社祭(2016年)に限定御朱印を用意していた。


歴史考察

浦安三社のお稲荷様

千葉県浦安市当代島に鎮座する神社。
旧社格は無格社で、当代島の鎮守。
正式名称は「稲荷神社」であるが、他との区別のため「当代島稲荷神社」とさせて頂く。
4年に1度開催される「浦安三社祭」に参加する一社であり、「豊受神社」「清瀧神社」と共に浦安三社と呼ばれる。

豊受大神を祀る稲荷信仰の神社

社伝によると、元禄二年(1689)に創建したと伝わる。
武蔵国小岩村の「善養寺」(現・江戸川区東小岩)から遷し祀り創建したと云う。

善養寺(ぜんようじ)は、大永七年(1527)の創建と伝わる真言宗豊山派の寺院。末寺130余りを擁する中本寺格の寺院で、「小岩不動尊」と云う名で称される。境内にある国の天然記念物「影向のマツ」は日本一ともされる松で知られる。

御祭神は豊受大神。
稲荷神社の名の通り稲荷信仰の神社。

御祭神の豊受大神(とようけおおかみ)は、一般的に「とようけひめ」と呼ばれる神で、「伊勢神宮外宮」こと「豊受大神宮」に祀られている神として知られる。
食物・穀物を司る女神とされたため、同じく穀物神である稲荷神(倉稲魂命)と習合し、同一視されるようになり、稲荷神と共に(もしくは稲荷神として)祀られる事もある。
また「伊勢神宮外宮」の御祭神であるため、天照大神と共に伊勢信仰の神社でも多く祀られている。

当社の記録によると、大正時代には相殿として応神天皇(八幡神)と春日大神を祀っていたとあり、当社の御祭神は豊受大神・應神天皇・春日大神の三柱となっている。

当代島の地名由来と鎮守

当地には古くから「当代島」と呼ばれた地であった。
鎌倉時代には当地が開墾され人の定住があった事が分かっている。

当代島の地名の由来は、鎌倉時代に田中十兵衛が当地を開墾して人々が住むようになり、村民はこの土地を当代(当時から見て現代という意味)に開墾された島であるという意味で、「当代島」と称したと云う。

当時は四方が海に囲まれた島であった事が伺え、その後の開墾や埋め立てで陸続きとなったのであろう。

大字とは、市町村の行政区画で、一般に小字が集まった比較的広い地域のことです。浦安市には19の大字があります。

江戸時代になると当代島村が成立。
村長であった高梨氏の屋敷神である稲荷様を当代島の氏神にしていたと云う。

その後、当社が「善養寺」から遷座したため、地域の鎮守として崇敬を集めた。

当社は古くから疱瘡(天然痘)に霊験があるといわれ、嘉永年間(1848年-1855年)には境内の小石を持ち帰る者も参拝者が跡を絶たなかったと云い、参拝者で賑わったため市も立った程だったと伝わる。

明治以降の歩み・戦後の境内整備

明治になり神仏分離。
明治四年(1871)、社殿を改築。
明治五年(1872)、正式に当代島の鎮守とされ、無格社となった。

明治二十二年(1889)、市制町村制施行に伴い、猿実村・堀江村・当代島村が合併し、浦安村が成立。
当地は浦安村大字当代島となる。

明治四十一年(1908)、拝殿と本殿が再建。

明治四十二年(1909)の古地図がある。
当時の当地周辺の地理関係を確認する事ができる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲ったのが当社で、現在の鎮座地と同じ場所に鎮座しているのが分かる。
當代嶋(当代島)や浦安町の文字も見る事ができる。
当代島一帯の鎮守として崇敬を集めた。

昭和四年(1929)、富士塚が築かれる。
これが現存しており、当時の富士講の様子を忍ばせる。

昭和二十年(1945)、東京大空襲によって社殿が破損。
昭和三十四年(1959)、社殿が再建された。

昭和五十八年(1983)、腐朽甚だしかった社殿を再造営。
その後も境内整備が進み現在に至っている。

境内案内

綺麗に整備された境内

最寄駅の浦安駅からは北へ徒歩15分程の距離で、船入緑道の途中から北に向けて参道が伸びる。
稲荷神社入口と書いた立て看板が出ているので分かりやすい。
まだ新しさを感じる一之鳥居と社号碑があり、そこから住宅街の参道となる。

参道途中に青葉幼稚園があり、そこを超えると境内が見えてくる。
玉垣で整備されており、その先に二之鳥居と社号碑。
二之鳥居を潜ってすぐ右手に手水舎。
参道途中には一対の狛犬。
いずれも昭和五十八年(1983)から始まった境内整備で整えられた境内となっている。

戦後に再建された社殿

社殿は昭和五十八年(1983)に再建されたもの。
戦後の昭和三十四年(1959)に旧社殿の再建がされたものの、周辺環境の著しい変化から、地盤沈下が起こり、拝殿の腐食や樹木の根腐りなどが発生したと云う。
そのため昭和五十八年(1983)より境内整備事業が行われ再建に至った。
扁額には彫刻が施され「稲荷神社」の文字。
本殿は屋根がある簡素な覆殿となっている。

昭和初期に築かれた富士塚

社殿の左手には富士塚が築かれている。
昭和四年(1929)に氏子の協力のもとで築かれた富士塚。
頂上いは浅間神社の石祠が祀られ、周辺にも富士講の奉納物が置かれている。
手前には一対の狛犬が置かれ、富士塚と共に奉納された。

浦安は明治から戦前にかけて富士講の流行があった地で、浦安三社に数えられる神社には、いずれも富士塚が築かれている。現在は富士講は廃れたが富士塚は大切に残されている。

鯨を拿捕した歴史を伝える大鯨の御社

社殿の右手には「大鯨の御社」と呼ばれる石祠が置かれている。
立て看板が置かれているので分かりやすい。
赤には4つの祠が祀られている。
八幡神社・八幡大神、大鯨、金刀比羅宮。
中でも「大鯨の御社」と呼ばれるように、大鯨の石祠が目を引く。

明治八年(1875)、当代島の住民であった高梨源八と西脇清吉の2人が、東京湾で大きな鯨を拿捕し、意気揚々と当代島へと戻った。
帰還すると村中が大騒ぎとなり、村人がこぞって見学に集まったと云う。
大鯨は当時の価格で金弐百円もの高値で売れ、大金を手にした2人は有名人となる。
しかし、有名になりすぎて仕事も手につかなくなったため、当社に大鯨の碑を奉納して祀り、記録として残した事で、大騒ぎに終止符を打ったとされる。

東京湾に大きな鯨がいたというのは、今からすると考えもつかない事であるが、当時は現在の当社参道の入り口である船入緑道には船入川が流れていて、漁師町として栄えた地域であった。
そうした地でも大騒ぎになる程の事件であり、当代島の歴史を伝える石祠となっている。

御朱印は社務所にて。
月に数回、社務所の閉所日があるとの掲示がされていたが、開いている時は対応して頂ける。

4年に1度の浦安三社祭

浦安にある「豊受神社」「清瀧神社」「当代島稲荷神社」の3社は「浦安三社」と称される。
浦安市の母体ともなった3村の鎮守である。

猫実鎮守「豊受神社
堀江鎮守「清瀧神社
当代島鎮守「当代島稲荷神社」
浦安三社の神明様。浦安最古の神社・御祭神は豊受姫大神。4年に1度の浦安三社祭。猫実(ねこざね)の地名由来。歌川広重が描いた猫実と当社。広重が描いた鳥居が現存・樹齢400年近い大銀杏。立派な富士塚・清心元講の天狗。戦後に再建の社殿。御朱印。
浦安三社の清瀧神社。海の神である大綿積神を祀る。4年に1度の浦安三社祭。彫刻が素晴らしい江戸時代後期の本殿。江戸後期の狛犬。富士塚や龍神社。日本最古の堀江水準標石。幾度もの津波被害と再建。歌川広重が描いた堀江と猫実。御朱印。御朱印帳。

この3社が合同で、4年に1度行うのが「浦安三社祭(うらやすさんじゃまつり)」。
夏季五輪と同じ年に行われる6月中旬の夏祭りとして知られる。

元々は10月中旬に各社がそれぞれ豊年祭を開催。
大正時代末なり、4年に1度、6月14日-16日に3社が合同で大祭を行うようになり、漁師町らしい気性の荒い暴れ神輿で知られた。
戦後にしばらくの中断を経て、昭和四十九年(1974)に復活。
平成十二年(2000)に名称を「浦安三社祭」と改名。

こうした影響を受け、当社の例祭はかつては10月16日であったが、6月16日へ変更。

「浦安三社祭」の名で知られるが、平成二十四年(2014)より正式名称は「浦安三社例大祭」に変更されている。

平成二十八年(2016)の「浦安三社祭」では、3社共に限定御朱印も用意。
次回開催は2020年、東京五輪イヤーに開催される。

所感

当代島の鎮守として崇敬を集めた当社。
当代島の歴史は鎌倉時代の開墾の頃からと思われ古いものの、当社の創建は江戸初期とされる。
豊受大神を稲荷神として祀ったのは、猫実鎮守の「豊受神社」の影響も強いように思う。
当地は海に囲まれた漁師町として、更には稲作中心の農村として発展したため、食物穀物の神である稲荷神を祀り、近隣の鎮守である豊受大神を稲荷神と同一視して信仰したのであろう。
浦安一帯は幾度も津波に遭った地域であり、古いものが残っていない事が多いのだが、そうした中でも明治の大鯨にまつわる伝承や、戦前の富士塚など、当社が当代島の鎮守となって以降の歴史を伝えるものが残っているのが喜ばしい。

神社画像

[ 一之鳥居・社号碑 ]


[ 一之鳥居 ]

[ 参道 ]

[ 二之鳥居・社号碑 ]


[ 手水舎 ]

[ 狛犬 ]


[ 拝殿 ]






[ 本殿 ]


[ 富士塚(浅間神社) ]







[ 大鯨の御社 ]








[ 神輿庫 ]


[ 御籤掛 ]

[ 絵馬掛 ]

[ 社務所 ]

[ 石碑 ]

Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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