神社情報
豊受神社(とようけじんじゃ)
御祭神:豊受姫大神
社格等:村社
例大祭:6月16日(4年に1度/3日間の浦安三社祭)
所在地:千葉県浦安市猫実3-13-1
最寄駅:浦安駅
公式サイト:https://urayasu-toyoukejinja.com/
御由緒
豊受神社は御祭神に豊受姫大神を祀る神社で、保元二年(1157年)の創建といわれ、浦安市で最古の神社です。
現在の社殿は昭和四十九年につくられたもので、永仁元年八月二十五日(1293年)の大津波の後と嘉永三年(1850年)に度重なる風水害のためにそれぞれ再建がなされている。
また、豊受神社はその昔、字大宮前(中道右端の小丘稲荷の付近)にあったといわれており、明治初年までは社号を神明宮社と称していた。
例祭日は六月十六日で里神楽などが奉納された。
境内には現在末社として三峰神社、浅間神社、風の神と津島神社を祀る祠、金毘羅大権現、秋葉大権現、稲荷大権現の石祠がある。(公式サイトより)
参拝情報
参拝日:2017/07/22
御朱印
初穂料:300円
社務所にて。
※4年に1度の浦安三社祭(2016年)に限定御朱印を用意していた。
歴史考察
浦安三社の神明様
千葉県浦安市猫実に鎮座する神社。
旧社格は村社で、猫実の鎮守。
浦安市で最古の神社とされ、元は「神明宮社」と称しており、今も「神明様」と親しまれる。
4年に1度開催される「浦安三社祭」に参加する一社であり、「清瀧神社」「当代島稲荷神社」と共に浦安三社と呼ばれる。
浦安最古の神社・御祭神は豊受姫大神
社伝によると、保元二年(1157)の創建と伝わる。
古くは字大宮前(中道右端の小丘稲荷の付近)に鎮座していたと云い、現在よりやや西側に鎮座し、明治初年までは「神明宮社」と称しており、伊勢信仰の系譜であった事が窺える。
食物・穀物を司る女神とされる。
猫実(ねこざね)の地名由来
当地には古くから人の定住があったとされ、現在よりも海岸線がもっと近く、漁民が住む集落であった。
永仁元年(1293)、大津波が発生。
当社の社殿が流され、集落も多大な被害を受けたとされる。
この鎌倉時代に発生した大津波が「猫実(ねこざね)」の地名由来に繋がる事となる。

室町時代には「下総国八幡荘猫真」と云う地名を見る事ができる。
江戸時代に入ると「猫実村」が成立。
当社は猫実村の鎮守として地域からの崇敬を集めた。
歌川広重が描いた猫実と当社
猫実周辺は、江戸後期の浮世絵にも描かれている。
歌川広重の最晩年の作品として知られる『名所江戸百景』にその様子を見る事ができる。
歌川広重による『名所江戸百景』で「堀江根古ざね」。
安政三年(1856)より制作された作品で、江戸後期の当地の様子を知る事ができる。
川の右側が猫実村で、左側が堀江村。
猫実村側の右手奥に鳥居と社殿を見る事ができる。
これが「神明宮社」と呼ばれていた当社である。
当社周辺を拡大したのが上絵。
当社は、嘉永三年(1850)に風水害のため社殿が再建されており、当時はまだ新しかった社殿が描かれているものだと思われる。
また当時の石鳥居が現存しているため、広重によって描かれた鳥居が今も残っている事になる。
明治以降の歩み・豊受神社へ改称
明治になり神仏分離。
明治元年(1870)、「神明宮社」を現在の「豊受神社」に改称。当社は村社に列した。
明治二十二年(1889)、市制町村制施行に伴い、猫実村・堀江村・当代島村が合併し、浦安村が成立。
当地は浦安村大字猫実となる。
明治四十二年(1909)の古地図がある。
当時の当地周辺の地理関係を確認する事ができる。
(今昔マップ on the webより)
赤円で囲ったのが当社で、現在の鎮座地とほぼ同じ場所に鎮座しているのが分かる。
明治の地図にも「豊受神社」と記してあるように、当地の目印にもなる神社であった。
浦安村・浦安町という地名と、猫実という地名を見る事ができる。
特徴的なのが海岸線であろう。
現在よりも海岸線が近く、当社よりも南東側は殆どが海であった。
漁業と稲作で発展した当地であるが、当社の周辺は町家が立ち並び発展していた事も窺える。
大正十二年(1923)、社殿を修繕。
同年、氏子たちの手によって富士塚が築かれる。この立派な富士塚が現存している。
昭和四十九年(1974)、現在の社殿が再建。
その後も境内整備が進み現在に至っている。
境内案内
広重が描いた鳥居が現存・樹齢400年近い大銀杏
最寄駅の浦安駅からは徒歩10分程の距離に鎮座。南西向きの参道になっており、玉垣は社殿と同様に昭和四十九年(1974)に整備された。
一之鳥居である石鳥居は古いもの。
文化十三年(1816)と記されており、歌川広重が『名所江戸百景』にて描いたものがこの鳥居と思われる。
一之鳥居を潜ると右手に手水舎。この日はたっぷりの水量で水が溢れる程であった。
その先は真っ直ぐの参道。右手に立派な大銀杏がある。
浦安市指定天然記念物の大銀杏で、樹齢は400年近く。
村人が境川河口を流れていた小さな木を拾いあげ、境内に植えたものと伝わっている。
その先に一対の狛犬。さらに先に二之鳥居。
そして南向きの社殿となる。
戦後に再建された社殿
社殿は昭和四十九年(1974)に再建されたもの。大正十二年(1923)に修繕された旧社殿は、歳月を経て腐朽の甚だしい状態であったと云う。
現在の社殿に造り替えられ、状態もよくまだ新しさが残る。
鉄筋コンクリート造による社殿。
拝殿と本殿が独立しておらず、一体型となった少し珍しい形となっている。
立派な富士塚や境内社・清心元講の天狗
社殿の左手には富士塚が築かれている。大正十二年(1923)に氏子たちによって築かれた富士塚。
元々、浅間神社を祀った小さな祠があり、その上に畑の土を盛り上げ、墨石を購入して富士山を模して築山。
頂上には木花咲耶姫命を祀った浅間神社の祠が鎮座している。
富士塚の周辺に境内社が並ぶ。建速須佐之男命を祀る津島神社と、右に風の神を祀る風神。
との隣に、稲荷大権現、秋葉大権現、金毘羅大権現の石祠。
その奥に三峰神社。三峰神社には一対の狛犬。
三峯信仰らしく、神使の狼に近い形をしている。
富士塚の一画、三峰神社の左手には天狗の姿も。清心元講による奉納となっている。
4年に1度の浦安三社祭
浦安にある「豊受神社」「清瀧神社」「当代島稲荷神社」の3社は「浦安三社」と称される。
浦安市の母体ともなった3村の鎮守である。


この3社が合同で、4年に1度行うのが「浦安三社祭(うらやすさんじゃまつり)」。
夏季五輪と同じ年に行われる6月中旬の夏祭りとして知られる。
元々は10月中旬に各社がそれぞれ豊年祭を開催。
大正時代末なり、4年に1度、6月14日-16日に3社が合同で大祭を行うようになり、漁師町らしい気性の荒い暴れ神輿で知られた。戦後にしばらくの中断を経て、昭和四十九年(1974)に復活。
平成十二年(2000)に名称を「浦安三社祭」と改名。
こうした影響を受け、当社の例祭はかつては10月16日であったが、6月16日へ変更。
平成二十八年(2016)の「浦安三社祭」では、3社共に限定御朱印も用意。
次回開催は2020年、東京五輪イヤーに開催される。
所感
猫実の鎮守として崇敬を集めた当社。
浦安市最古の神社とされ、浦安三社祭に参加する浦安三社のうちの一社である。
猫実という地名は中々に興味深い地名であり、地名由来を紐解くと当社に繋がる。
歌川広重が当地と当社を描いているように、景観豊かな地であった事が窺える。
現在は埋立工事によって海岸線は遠くなったものの、かつては漁業と稲作で栄えた村であった事が窺え、そうした地の鎮守として「伊勢神宮外宮」に祀られる食物穀物を司る女神・豊受姫大神を祀ったのであろう。
まだ新しさを感じる社殿と、歴史を伝える富士塚や祠、近くにある浦安で古くから信仰された清心様など、地域の信仰と歴史を伝える一社となっている。
神社画像
[ 一之鳥居・玉垣 ]
[ 一之鳥居 ]
[ 手水舎 ]
[ 参道 ]
[ 狛犬 ]
[ 大銀杏 ]
[ 二之鳥居 ]
[ 社殿 ]
[ 富士塚(浅間神社) ]
[ 天狗像 ]
[ 津島神社・風神 ]
[ 石祠 ]
[ 三峰神社 ]
[ 絵馬掛・御籤掛 ]
[ 神輿庫 ]
[ 石碑 ]
[ 社務所 ]
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