清瀧神社 / 千葉県浦安市

浦安市

神社情報

清瀧神社(せいりゅうじんじゃ)

御祭神:大綿津見神
社格等:─
例大祭:6月15日(4年に1度/3日間の浦安三社祭)
所在地:千葉県浦安市堀江4-1-5
最寄駅:浦安駅
公式サイト:http://www.3ja.info/seiryujinja/

御由緒

建久七年の創立。その後永仁元年に大津波に遭い、本殿が破損し再築、さらに元禄・享保・寛政の各年間に同様の難に遭い、安政二年九月再築、狛犬が献納された。拝殿は明治二十九年に建立。
大正十二年に拝殿を修繕、神輿・灯籠が献納。昭和四十六年に社務所と境内周囲の玉垣が建築され、現在に至っている。
本殿が昭和五十七年、浦安市の有形文化財に指定された。(頒布の資料より)

参拝情報

参拝日:2017/07/22

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※4年に1度の浦安三社祭(2016年)に限定御朱印を用意していた。

御朱印帳

初穂料:1,500円
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意している。
青を基調とした龍柄と、桜と社殿をデザインした社殿柄の2種類。
どちらも秀逸なデザイン。

※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。

歴史考察

浦安三社の清瀧神社

千葉県浦安市堀江に鎮座する神社。
旧社格は無格社で、堀江の鎮守。
江戸時代に後期された本殿が現存しており、浦安市指定有形文化財となっている。
4年に1度開催される「浦安三社祭」に参加する一社であり、「豊受神社」「当代島稲荷神社」と共に浦安三社と呼ばれる。

海の神である大綿積神を祀る

社伝によると、建久四年(1196)の創建と伝わる。

御祭神は海の神とされる大綿積神。
三方を海に囲まれた浦安にとって、海を崇める信仰は自然なものと云えよう。

大綿積神(おおわたづみのみこと)は、一般的に「わたづみ/わたつみ」と称される海の神。
海を統べる神であり、海そのものを指す場合もある。

当地周辺は古くから堀江と呼ばれた一帯であり、地名からも海が近かった事が窺える。

堀江は、鎌倉時代には既に当地に小さな港が作られていたことから、堀江と名付けられたと伝わる。
地域名の由来
大字とは、市町村の行政区画で、一般に小字が集まった比較的広い地域のことです。浦安市には19の大字があります。

幾度もの津波被害と再建

永仁元年(1293)、大津波が発生。
当社の社殿が流され、集落も多大な被害を受けたとされる。

江戸時代の記録にあるだけでも、元禄年間(1688年-1704年)・享保年間(1716年-1736年)・寛政年間(1789年-1801年)に同様の津波被害に遭っており、その度に再建されている。

江戸時代に入ると堀江村が成立。
当社は堀江村の鎮守として崇敬を集めた。

安政二年(1855)、本殿が造営。
この本殿が現存している。

歌川広重が描いた堀江と猫実

堀江周辺は、江戸後期の浮世絵にも描かれている。
歌川広重の最晩年の作品として知られる『名所江戸百景』にその様子を見る事ができる。

(歌川広重・名所江戸百景)

歌川広重による『名所江戸百景』で「堀江根古ざね」。
安政三年(1856)より制作された作品で、江戸後期の当地の様子を知る事ができる。

川の右側が猫実村(現・浦安市猫実)で、左側が堀江村(現・浦安市堀江)。
当地は左の一帯で海が大変近く、三方を海に囲まれた地域だった事が窺える。

そのため、津波(大潮)の被害も多かったのであろう。
そうした当地において、村民たちが海の神を祀る当社へ信仰を集めたのは、想像に難くない。

明治以降の歩み・境内整備

明治になり神仏分離。
当社は「清瀧神社」と称し無格社であった。

明治二十二年(1889)、市制町村制施行に伴い、堀江村・当代島村・猫実村が合併し、浦安村が成立。
当地は浦安村大字堀江となる。

明治二十九年(1896)、拝殿が造営。

明治四十二年(1909)の古地図がある。
当時の当地周辺の地理関係を確認する事ができる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲ったのが当社で、現在の鎮座地とほぼ同じ場所に鎮座しているのが分かる。
浦安村・浦安町という地名と、堀江という地名を見る事ができる。

特徴的なのが海岸線であろう。
浦安村と記されたあたりより東側は海となっている。
現在よりも海岸線が近く、かつて津波被害に幾度も遭った浦安の様子を偲ばせる。
漁業と稲作で発展した当地であるが、当社の周辺は町家が立ち並び発展していた事も窺える。

大正十二年(1923)、拝殿を修繕。

戦後になり境内整備が進む。

昭和四十六年(1971)、社務所と玉垣を建築。
平成二十四年(2012)、鳥居が建て替えられた。

境内案内

新しく整備された社頭・江戸時代の狛犬

最寄駅の浦安駅からは南へ真っ直ぐ一本道なので分かりやすい。
玉垣は昭和四十六年(1971)に整備されたもので、鳥居は平成二十四年(2012)に建て替えられたもの。

鳥居を潜りすぐ右手に手水舎。
向かいには百度石が置かれている。

参道の両脇には狛犬。
安政二年(1855)の銘があるため、本殿を造営された際に奉納されたものであろう。
子連れの狛犬で動きもよく良いできであるが、後年になって色付けをされたようだ。

彫刻が素晴らしい江戸時代後期の本殿

参道の正面に拝殿。
明治二十九年(1896)に造営された拝殿で、関東大震災のあった大正十二年(1913)に修繕が行われている。
現在は多くの提灯が掛けられ地域からの崇敬の篤さが伝わる。
拝殿横にも彫刻など見る事ができ綺麗に維持されている。
本殿へ繋がる門にも古い彫刻。

本殿は安政二年(1855)に造営されたものが現存。
精巧な彫刻が施されており江戸後期の作風を見る事ができる。
社号に因んだ龍の他、浦島太郎や竜宮城といった物語の彫刻が彫られている。
海にまつわる物語が施されているのも、海に囲まれた当地ならではと云えるだろう。
昭和五十七年(1982)に浦安市有形文化財に指定された。

富士塚や境内社の龍神社など

本殿の左手裏手に富士塚。
鳥居が設けられその奥に小ぶりな富士塚が築かれている。
頂上には浅間神社の祠が鎮座。
富士講による奉納物などが多く置かれ、当地の信仰を知る事ができる。

浦安は明治から戦前にかけて富士講の流行があった地で、浦安三社に数えられる神社には、いずれも富士塚が築かれている。現在は富士講は廃れたが富士塚は大切に残されている。

富士塚の隣には龍神社。
御祭神は豊玉比古神で、当社の御祭神である海の神・大綿積神の娘とされる女神である。

豊玉比古神(とよたまひめ)は、出産の際に龍の姿になったとも伝わる事から龍神社として祀られているのであろう。

富士塚の裏手には祠が並ぶ。
いずれも稲荷社と思われ、地域の稲荷祠が当社に遷されたのであろう。

社殿の右手裏に境内社の八坂神社・道祖神社。
建速須佐之男命と猿田彦神を祀る。

日本最古の堀江水準標石

参道の左手には堀江水準標石が置かれる。
明治五年(1872)に置かれたもので、明治政府によって招かれたオランダ人技師が水位観測をするために水位標を設置。
「日本の河川測量の原点」とされる飯沼水準原標石と共に設置された日本最古の水準標石となっている。
土木学会選奨土木遺産に指定されている。

堀江水準標石 | 江戸川河川事務所 | 国土交通省 関東地方整備局
江戸川河川事務所・国土交通省 関東地方整備局・堀江水準標石

御朱印は社務所にて。
オリジナルの御朱印帳も用意している。

4年に1度の浦安三社祭

浦安にある「豊受神社」「清瀧神社」「当代島稲荷神社」の3社は「浦安三社」と称される。
浦安市の母体ともなった3村の鎮守である。

猫実鎮守「豊受神社
堀江鎮守「青龍神社」
当代島鎮守「当代島稲荷神社
豊受神社 / 千葉県浦安市
浦安三社の神明様。浦安最古の神社・御祭神は豊受姫大神。4年に1度の浦安三社祭。猫実(ねこざね)の地名由来。歌川広重が描いた猫実と当社。広重が描いた鳥居が現存・樹齢400年近い大銀杏。立派な富士塚・清心元講の天狗。戦後に再建の社殿。御朱印。
当代島稲荷神社 / 千葉県浦安市
浦安三社のお稲荷様。豊受大神を祀る稲荷信仰の神社。4年に1度の浦安三社祭。当代島の地名由来とその鎮守。昭和初期に築かれた富士塚。鯨を拿捕した歴史を伝える大鯨の御社。戦後に再建された社殿・境内整備。古くから疱瘡に霊験があると伝わる。御朱印。

この3社が合同で、4年に1度行うのが「浦安三社祭(うらやすさんじゃまつり)」。
夏季五輪と同じ年に行われる6月中旬の夏祭りとして知られる。

http://www.3ja.info/

元々は10月中旬に各社がそれぞれ豊年祭を開催。
大正時代末なり、4年に1度、6月14日-16日に3社が合同で大祭を行うようになり、漁師町らしい気性の荒い暴れ神輿で知られた。
戦後にしばらくの中断を経て、昭和四十九年(1974)に復活。
平成十二年(2000)に名称を「浦安三社祭」と改名。

こうした影響を受け、当社の例祭はかつては10月15日であったが、6月15日へ変更。

「浦安三社祭」の名で知られるが、平成二十四年(2014)より正式名称は「浦安三社例大祭」に変更されている。

平成二十八年(2016)の「浦安三社祭」では、3社共に限定御朱印も用意。
次回開催は2020年、東京五輪イヤーに開催される。

所感

堀江の鎮守として崇敬を集めた当社。
浦安の母体となった地域の鎮守であり浦安三社祭に参加する浦安三社のうちの一社。
かつての浦安はもっと海岸線が近く三方を海に囲まれた地域であった。
そのため幾度も津波や大潮の被害に遭っており、その度に再建された事が窺える。
当社の御祭神は海の神であり、境内社にはその娘の龍神を祀る当社。
海の神を畏怖し崇敬したのは自然な事であり、地域から信仰されたのであろう。
浦安は幾度もの津波で古いものがあまり残っていない地であるが、江戸後期の本殿や狛犬など、当地の歴史を伝えるものが現存しているのが喜ばしい。
地域の歴史と信仰を伝える良い神社である。

神社画像

[ 鳥居・玉垣 ]


[ 手水舎 ]

[ 参道 ]

[ 狛犬 ]


[ 拝殿 ]




[ 本殿 ]







[ 富士塚 ]




[ 龍神社 ]

[ 堀江水準標石 ]



[ 石碑 ]


[ 絵馬掛・御籤掛 ]

[ 御神木 ]

[ 稲荷祠 ]

[ 大黒様・恵比寿様 ]

[ 神輿庫 ]

[ 八坂神社・道祖神社 ]

[ 社務所 ]

Google Maps

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