篠崎浅間神社 / 東京都江戸川区

神社情報

篠崎浅間神社(しのざきせんげんじんじゃ)

御祭神:木花開耶媛命
社格等:郷社
例大祭:7月1日(隔年で幟祭)
所在地:東京都江戸川区上篠崎1-22-31
最寄駅:篠崎駅
公式サイト:http://www.shinozaki-sengenjinja.or.jp/

御由緒

古き世浅間大神の神札大風によりてこの社にとどまると、また川の流れによって岸辺に止まり神霊を奉斎したと、伝えられている。
平安時代承平二年(932年)九月下総国弥山の人弥山佐奈比神人として奉仕した。(風土記)
正史に言う天慶承平の乱のとき将門平定と関東の平安を祈って、天慶元年(938年)平貞盛が霧島神社を祀り、金幣と弓矢を献し祈願した。
浅間神社の創建は天慶元年(938年)五月十五日で一千百年の歴史を有している。
明治の御改正により祇官拝命の社となり、終戦後は宗教法人浅間神社として現在に至っている。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2017/07/25

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

授与品・頒布品

ポストカード
初穂料:─
社務所にて。

※御朱印を頂いた際に幟祭のポストカードを挟んで下さった。


歴史考察

江戸川区最古のせんげん様

東京都江戸川区上篠崎に鎮座する神社。
旧社格は郷社で、篠崎の鎮守。
正式名称は「浅間神社」であるが、他との区別のため「篠崎浅間神社」とさせて頂く。
地域からは古くから「せんげん様」と呼ばれ親しまれている。
江戸川区最古の神社とされ、大変多くの境内社を有しているのが特徴。
7月1日の例大祭は「幟祭」と呼ばれ、隔年で日本最大級の大幟が立ち並ぶ事で知られる。

平将門の乱を鎮めるために創建

社伝によると、天慶元年(938)に創建したと伝わる。
この事から江戸川区最古の神社とされる。

承平二年(932)、下総国印旛郡弥山と云う所から弥山左那比という人物が移住。
「浅間神社」(当社)と「神明社」(現・当社の境内社)に神人として奉仕したとされる。

古くは当地が「伊勢神宮」の御厨領であった事が江戸時代の地誌に記されており、「伊勢神宮」遥拝のために建立されたのが「神明社」であった。当社と共に弥山左那比という人物が奉仕しており、後に当社に遷ったものと思われる。

天慶元年(938)、平将門による「天慶承平の乱」(平将門の乱)が発生。
将門と敵対した平貞盛は、当地に「霧島神社」(現・当社の境内社)を祀り、金幣と弓矢を奉納して、将門平定と関東の平安を祈願した。
当社ではこの天慶元年(938)を創建年としている。

このように社伝には「浅間神社」「神明社」「霧島神社」の3社が登場する。
現在は「浅間神社」が本社であり、「神明社(現・天祖神社)」「霧島神社」は当社の境内社となっているが、古くは別々の神社であり、当社に遷されたものと推測できる。
特に「霧島神社」の御祭神は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)で、当社の御祭神・木花開耶姫尊(このはさくやひめのみこと)の夫神であり関係が深い事にもよるのだろう。
「浅間神社」自体は、古き世に浅間大神の神札が大風によって当地に留まったため当社に創建されたとも伝わっている。

村上天皇(在位946年-967年)の御守剣と伝わる天国之剣や、後花園天皇(在位1428年-1464年)の連歌が宝物として納められていると云い、平安時代から朝廷からも篤く崇敬を集めた。

篠崎村の歴史と由来

当地は古くから「篠崎」と呼ばれた地であり、それは現在も引き継がれている。

「篠崎」の地名由来は、「篠」が群がって生える竹や笹の総称であるため、「砂州上で篠竹が生い茂っていた土地」に由来するとされる。

古くは「伊勢神宮」の御厨「葛西御厨」の篠崎郷があったと伝えられ、「伊勢神宮」遥拝のために建立されたのが「神明社」(現・当社の境内社)である。
そうした地において古くから人の定住があり、当社は篠崎村の鎮守として崇敬を集めた。

江戸時代に入ると篠崎村が、上篠崎村と下篠崎村に分村。
現在の当地の住所は上篠崎であるが、当時は下篠崎村と呼ばれた地域であった。

富士講が流行した江戸時代

江戸時代には、当社への講社も組織される。
江戸や近郷からの参拝者が増え、大いに崇敬を集めた。

これは江戸時代に江戸庶民に流行した富士信仰によるものであろう。

富士山を信仰する富士信仰は、江戸時代に入って江戸で流行を見せる。
富士講を結成した人々は、開祖として角行(かくぎょう)を崇拝し、江戸時代中期に活躍した富士講の指導者であった食行身禄(じきぎょうみろく)も崇敬、更に江戸独自の風習として富士塚が建立されるなど発展していく。

こうした富士信仰の流行の中で、当社が近郷から崇敬を集めたのは想像に難くない。
当社の境内には、今も天保十一年(1840)の「元祖食行身禄」と記された富士講碑などが残されている。

新編武蔵風土記稿から見る当社

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(下篠崎村)
富士浅間社二
一は村の鎮守とす。無量寺持。社地に御小嶽社あり。一は下の宮と号す。当社は神明神主奥山氏の分家深山佐渡と云者神主たりしに、享保年間罪ありて配流の後本家奥山氏の兼帯といふ。

下篠崎村の「富士浅間社」と記されているのが当社。
「富士浅間社二」と記されているように、村内には浅間社が2社鎮座。
1社は村の鎮守であり社地に御小嶽社が鎮座。
もう1社は下の宮と称したという旨が記されている。

この2社は現在は当社に遷っており、村の鎮守であった「富士浅間社」が当社。
現在の当社の境内社「下浅間御嶽宮」が「御小嶽社」の事で、当社の境内社「下浅間神社」が「下の宮」の事であろう。

別当寺は「無量寺」が担っていた。

このように下篠崎村周辺の神社は当社に遷り祀られている事が伺える。

(下篠崎村)
神明社
前村(上篠崎村の事)の記す如く、当所は往古伊勢太神宮の御厨領なれば、恐くは太神宮遥拝の為に造立せるべし。されば最古社なるべけれど、其詳なる事は傳へず。今僅に元和三年承応二年の棟札あるのみなり。其図左の如し。(図は省略)
神主奥山伊勢。吉田家の配下なり。先祖は下総国印旛郡弥山と云処の人にて、弥山左奈比と号し、承平二年当所に来て当社及浅間の神職を兼帯し、康保二年五月十一日卒す。それより十一代の孫某の時、いかなるゆへにや弥山を深山と書改しに、享保年中又故ありて今の苗字に改と云されど後年しばしば水災に罹り、又近き年己が家より火登りて旧記等失ひたれば、古の事総て詳ならず。
香取社
是も無量寺持。

同じく下篠崎村内の「神明社」「香取社」の項目。
いずれも当社に「天祖神社」「香取神社」として祀られている。

この「神明社」の神職が「浅間社」の神職も担っていた。
「伊勢神宮」の御厨だった当地で、「伊勢神宮」の遥拝所として建立された歴史を持ち、当社の社伝にある下総国印旛郡弥山の弥山左奈比が奉仕したというのも、ここに記されている。

明治以降の歩み・江戸川区唯一の郷社

明治になり神仏分離し、「浅間神社」と称した。
明治五年(1872)、村社に列する。
明治七年(1874)、郷社に昇格した。

旧社格では江戸川区で唯一の郷社となっている。

明治二十二年(1889)、市制町村制施行に伴い、上篠崎村・下篠崎村・伊勢屋村・上鎌田村・笹ケ崎村・鹿骨村の一部が合併し、篠崎村が成立。
当社はこうした篠崎村の総鎮守として崇敬を集めた。

明治三十六年(1903)の古地図がある。
当時の当地周辺の地理関係を確認する事ができる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲ったのが当社で、現在の鎮座地と同じ場所に鎮座しているのが分かる。
当時の地図にも「浅間神社」と記されているように、目印になるような神社であった。
篠崎村、上篠崎といった地名も見る事ができる。

周辺には当社の他にもいくつか神社の地図記号を見る事ができる。
現存していない神社のため、明治以降に当社に合祀遷座された神社と推測できる。

明治から昭和にかけて、有栖川宮熾仁親王の神額、三条内大臣藤原朝臣の神額、犬養毅元総理の額などが奉納されるなど、篤い崇敬を集めた事が伺える。

戦後に入り境内整備が進む。

昭和五十六年(1981)、例大祭である幟祭が区の無形民俗文化財に指定。
昭和五十七年(1982)、古くから「せんげん様の森」と親しまれていた鎮守の杜が「浅間神社の社叢」として区の天然記念物に指定。

その後も境内整備が進み現在に至っている。
現在は隣接して「浅間幼稚園」も置かれている。

浅間幼稚園  ~ ようこそ! 浅間幼稚園のホームページです。

境内案内

4,000坪の緑溢れる鎮守の杜

最寄駅の篠崎駅からは徒歩15分程の距離で、江戸川沿いに鎮座。
千葉県との県境であり、篠崎公園などが近くにある自然の多い一帯で、長い参道が用意。
参道の途中には、木材が保管された一角があるが、これが例大祭「幟祭」で使用された幟の基礎部分で、日本最大級という大きさを目の当たりにする事ができる。

参道を進むと途中に道路が通り、その先に大鳥居。
大変立派な大鳥居で迫力がある。
注連縄はコンクリート製だと云い、黄金の垂れは金属製でできている。

この先が神域で、緑溢れる広々とした境内となっている。
約4,000坪あるという社地は、古くから「せんげん様の森」と親しまれており、昭和五十七年(1982)には「浅間神社の社叢」として区の天然記念物に指定された。

参道を進むと手水舎が2つ。
手前の手水舎も水道が設置されていて使用する事ができるようだが、奥の手水舎が正式なものであろう。
水が張られていて綺麗に整備されている。

石段の上に鎮座する本社

社殿は参道正面の石段の先に鎮座。
二之鳥居があり、そこから石段が続く。
石段途中には一対の狛犬の他、石碑や力石なども見る事ができる。
周辺が富士山の溶岩のような岩になっており、富士塚のような造り。
氏子崇敬者による当社に対する浅間信仰を表現しているとも思える参道で、各所に当地の歴史を伝える。

石段を上った先に社殿。
堂々とした拝殿で、細かな彫刻も施されている。
拝殿・幣殿・本殿の権現造り。
御祭神は木花開耶姫尊(このはなさくやひめのみこと)を祀る。

石段下の両脇に鎮座する下浅間

石段の下、左右に当社御祭神と関係の深い境内社が祀られている。
左にあるのが「下浅間神社」で、御祭神は木花開耶姫尊の父神とされる大山祇命(おおやまずみのみこと)を祀る。
右にあるのが「下浅間御嶽宮」で、木花開耶姫尊の姉神とされる磐永媛命(いわながひめのみこと)を祀る。

「下浅間神社」は『新編武蔵風土記稿』で「下の宮」と記されていた神社で、「下浅間御嶽宮」が「御小嶽社」と記されていた神社になる。

将門平定のために創建された霧島神社

参道右手に鎮座しているのが霧島神社。
社伝にあるように、天慶元年(938年)平貞盛が平将門平定のために祀ったとされ、当社の起源とも云える。
御祭神は天孫降臨の日本神話で登場する瓊瓊杵尊。

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は、当社の御祭神である木花開耶姫尊(このはなさくやひめのみこと)を妻とした神で、夫神とも云え関係が深い。天照大御神の命により、葦原中国を統治するため高天原から地上に降りた「天孫降臨」の神として知られる。

このように当社には、浅間信仰の御祭神である木花開耶姫尊に関連する境内社が多く置かれいるのが分かる。

父神とされる大山祇命「下浅間神社」
姉神とされる磐永媛命「下浅間御嶽宮」
夫神とされる瓊瓊杵尊「霧島神社」
氏子崇敬者による崇敬が伝わる構成である。

13社もの境内社が鎮座

当社境内には合計で13社もの境内社が鎮座。
下浅間神社の左手には天満宮。
下浅間御嶽宮の右手には香取神社が置かれ、『新編武蔵風土記稿』にも記されていた神社。
香取神社の裏手には水神宮や道祖神が鎮座。

参道の左手には天祖神社・須賀神社の合社。
この天祖神社が『新編武蔵風土記稿』に記されていた「神明社」で、古くから神職が当社と共に奉仕していたと云い、地区最古の神社とも云える。
その隣に猿田彦命を祀る白髭神社。
さらに八幡神社と並ぶ。

参道の右手には稲荷神社が2社。
共に豊受媛命が御祭神。

一之鳥居のすぐ右手には弁天社。
僅かではあるが弁天池も用意。
鯉が泳ぎ綺麗に整備されている。

御朱印は社務所にて。
丁寧に対応して下さった。

日本最大級の大幟・隔年で行われる幟祭

当社の例大祭は7月1日に行われる。

7月1日は富士山の山開きであるため、富士信仰が伝わる地では例祭などが行われる事が多い。

2年に1度の隔年で、6月30日から7月1日にかけて「幟祭(のぼりまつり)」が開催。
日本最大級と云われる、重さ1トン高さ25mもの幟を10本、境内に立て五穀豊穣を祈願する。

「幟祭」は、江戸時代中期には行なわれていたと伝わり、富士山の山開きの前日に毎年幟を立て、五穀豊穣を祈願する祭礼で、幟を立てる際に雨が多かったことから別名「どろんこ祭り」とも称される。
昭和五十六年(1981)には、江戸川区指定無形民俗文化財に指定。

実に立派で壮観な祭りで知られ今も脈々と続けられている。
御朱印を頂いた際には「幟祭」当日のポストカードを頂き有り難い。

次回開催は2018年6月30日予定。

所感

篠崎の総鎮守として崇敬を集めた当社。
歴史を紐解くと浅間信仰の「浅間神社」の他、将門平定のために創建した「霧島神社」や、「伊勢神宮」の遥拝所として創建された「神明社」など、当地の歴史が伝わり、それらが現在は全て当社に遷座合祀されている事が分かる。
平安時代から鎌倉時代にかけての朝廷からの宝物が残っているように、古くから崇敬を集めたようで、江戸時代に入ってからは富士信仰の流行で講社も結成され、大いに崇敬を集めた。
現在も広々とした緑に囲まれた境内で、大変多くの境内社が祀られているように、当地の歴史や信仰を伝える神社であり、今も続けられる幟祭は大変壮麗な事で知られる。
当地周辺を代表する神社で、様々な神を知る事ができる良い神社である。

神社画像

[ 参道 ]

[ 大幟 ]

[ 一之鳥居 ]


[ 社号碑 ]

[ 参道 ]


[ 手水舎 ]


[ 二之鳥居・石段 ]






[ 石段 ]






[ 拝殿 ]




[ 本殿 ]


[ 下浅間神社 ]

[ 下浅間御嶽宮 ]

[ 天満宮 ]



[ 絵馬掛 ]

[ 富士講碑 ]


[ 香取神社 ]


[ 神楽殿 ]

[ 霧島神社 ]



[ 神輿庫 ]

[ 柳島稲荷神社 ]

[ 稲荷神社 ]

[ 須賀神社・天祖神社 ]

[ 白髭神社 ]

[ 八幡神社 ]

[ 石祠・力石 ]

[ 靖国宮 ]

[ 弁天社 ]


[ 社務所 ]

[ 浅間幼稚園 ]

[ 案内板 ]

Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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