越ヶ谷久伊豆神社 / 埼玉県越谷市

神社情報

越ヶ谷久伊豆神社(こしがやひさいずじんじゃ)

御祭神:大国主命・言代主命
相殿神:高照姫命・溝咋姫命・天穂日命
社格等:郷社
例大祭:9月28日(隔年で神輿の渡御)
所在地:埼玉県越谷市越ヶ谷1700
最寄駅:北越谷駅
公式サイト:http://www.hisaizujinja.jp/

御由緒

 久伊豆神社は、祭神として大国主命、事代主命など五柱が祀られ、例祭は毎年九月二十八日である。
 当社の創立年代は不詳であるが、社伝によると平安末期の創建としい、鎌倉時代には武蔵七党の一つである私市党の崇敬を受けたという。古来、武門の尊崇を集めて栄え、室町時代の応仁元年(1467)に伊豆国(静岡県)宇佐見の領主宇佐見三郎重之がこの地を領したとき、鎮守神として太刀を奉納するとともに社殿を再建したと伝えられる。江戸時代には、徳川将軍家代々の信仰が厚かった。
 当社は、災除招福、開運出世の神として関東一円はいうまでもなく、全国に崇敬者がある。また、家出をしたり、悪所通いをする者に対して、家族の者が”足止め”といって狛犬の足を結ぶと必ず帰ってくるといわれている。
 境内には、県指定史跡となっている幕末の国学者平田篤胤の仮寓跡や、篤胤の門人が奉納したといわれる県指定天然記念物の藤の老樹が枝をひろげている。
 なお、当社は昭和五十九年度に県から「ふるさとの森」の指定を受けている。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2017/03/23(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2015/08/19(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:300円
祈祷受付所にて。

[2017/03/23拝受]

[2015/08/19拝受]

御朱印帳

初穂料:1,200円
祈祷受付所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意。
表面に鳥居、裏面に社号と神紋で、オレンジ・白・緑のグラデーションがかかったもの。
表には出ていないので申し付けると奥から出して頂ける。

※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。

授与品・頒布品

交通安全ステッカー
初穂料:300円
祈祷受付所にて。


歴史考察

越谷総鎮守の久伊豆神社

埼玉県越谷市越谷に鎮座する神社。
旧社格は郷社で、越谷の総鎮守。
正式名称は「久伊豆神社」であるが、他との区別のため「越ヶ谷久伊豆神社」とさせて頂く。
境内には美しい神池や藤棚があり、境内社は戦時中にパラオ共和国に建立された「南洋神社」を偲ぶ、「旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿」が建立されている。
また「久伊豆」が「クイズ」と読める事から「クイズ神社」としても知られる一社。

元荒川流域に分布する久伊豆神社と御祭神

当社を含めた「久伊豆神社(ひさいずじんじゃ)」は、埼玉県の元荒川流域を中心に数多く分布。
元荒川流域以外にはほぼ見られないのが特徴で、当社前にも元荒川が広がる。

埼玉県加須市騎西に鎮座する式内社「玉敷神社」が、「久伊豆神社」の総本社とされており、かつて「久伊豆明神」と称していた。
埼玉郡の総鎮守を担った古社。延喜式内社。久伊豆神社の総本社。明治の拝殿と江戸時代の本殿。茅葺屋根の神楽殿。神苑である玉敷公園は藤の名所。江戸時代から続く御神水。上杉謙信の焼き討ちによって焼失。江戸時代に遷座し再建・騎西の明神様。御朱印。

「久伊豆神社」の数は埼玉県の元荒川流域中心に60社以上(神社庁の登録でも44社)で、越谷市だけでも7社鎮座しており、その中でも規模・旧社格などが高い代表的な一社が当社。
他に埼玉県さいたま市岩槻区には旧県社「岩槻久伊豆神社」も有名で、こちらもやはり元荒川流域に鎮座している。

武州岩槻総鎮守。久伊豆神社の信仰圏。久伊豆の社名由来を推測。孔雀の飼育・境内に鶏が闊歩。クイズ神社。新旧対比が見事な社殿。御朱印。御朱印帳。

「久伊豆神社」の御祭神はいずれも、大己貴命(大国主)。
出雲神として名高い神である。

大己貴命(おほなむち)は、大国主(おおくにぬし)の名でも知られ、天孫降臨で天津神に国土を献上した事から「国譲りの神」とも呼ばれる神。特に「出雲大社」の御祭神として知られるため出雲の神として崇敬を集めている。江戸時代には民間信仰によって、「大国」が「だいこく」と読める事から「大黒天(大黒様)」と習合していった。

この事から総本社「玉敷神社」の創建に関わる出雲族が崇敬した事が伺える。
東山道鎮撫使・多次比真人三宅磨が創建したとも、武蔵国造・兄多毛比命が創建創建したとも伝わるが、出雲族が「出雲大社」の神を祀ったものと推測できる。

武蔵七党の支配地域と久伊豆神社の分布範囲

平安時代後期になると武蔵七党と呼ばれる武家集団が誕生する。

武蔵七党(むさししちとう)とは、平安時代後期から室町時代にかけて、武蔵国を中心として勢力を伸ばしていた武士団の総称。七党を構成する氏族は文献によって違いがあるものの、横山党・猪俣党・児玉党・村山党・野与党・丹党(丹治党)・西党(西野党)・綴党・私市党の九党のうちいずれかの七党が記されている。

そうした武蔵七党のうち野与党と私市党は元荒川流域に勢力を誇っていた。
野与党と私市党の支配地域と、当社の分布範囲がかなり被っている事になる。

この事から、野与党と私市党やその末裔・関係者から崇敬を集めたのが久伊豆信仰とも云えるであろう。

上記の地図は久伊豆神社の分布をGoogle Maps上にまとめたもの。
元荒川に沿うように点在している事が伺え、他の河川沿いにはほぼ鎮座していないのが分かる。
そして各河川によってそれぞれの信仰圏を持っているのが興味深い。

荒川流域には氷川信仰の「氷川神社」。
元荒川流域には久伊豆信仰の「久伊豆神社」。
利根川流域には香取信仰の「香取神社」。
ほぼ境界を侵すことなく祀られている。

埼玉県には氷川信仰の総本社の「武蔵一宮氷川神社」があり、「氷川神社」系の数が非常に多いのだが、元荒川流域に限ってみると「氷川神社」の姿を殆ど見る事ができなくなる。
代わりに「久伊豆神社」や、私市党の氏神であったとされる「鷲宮神社」が分布するようになり、氏族による勢力図を窺い知る事ができる。

この事からも、創建に関わった出雲族との深い繋がり、平安時代後期から室町時代に台頭した武家集団による崇敬が、久伊豆信仰の独特な信仰圏を確立したと云えるであろう。

久伊豆の社号由来の考察

元荒川流域にのみ点在する「久伊豆神社」は、その社号も個性的。
文字列から伊豆諸島との関連性も疑う事ができるが、史料からはあまり関連性を見いだせない。

「久伊豆神社」は、出雲族が「出雲大社」の神である大己貴命(大国主)を祀った神社であるため、「出雲」と「久伊豆」という文字の関連を推測していくと、万葉仮名の存在に辿り着く。

万葉仮名とは、日本語を表記するために、漢字の表す意味とは関係なく漢字の音や訓を借用して用いられた文字のこと。

「出雲」を「いづくも」と読むことにし、これを万葉仮名に変換すると「伊豆久母」となる。
ここで「久・伊豆」という字が登場する事になり、社号も「出雲」が由来という事が推測できる。

出雲族であった一族によって創建された久伊豆信仰。
「久しい出雲の大神」といった意味合いも入っていたのかもしれない。

いずれも筆者の推測によるものであるが、大変興味深い信仰である。

当社の創建から中世までの歴史

当社の創建年代は不詳であるが、平安時代末期とされている。

『吾妻鏡』の建久五年(1194)六月三十日の項目に、「於武蔵国可。大河戸御厨久伊豆宮神人等喧嘩出来之由有其聞」とある。
「久伊豆宮」がどの「久伊豆神社」であるかは不詳であるが、「大河戸御厨」とは、現在の北葛飾郡松伏町大川戸にあたり、当社からも比較的近いため、当社は有力な比定社とされており、「久伊豆宮」が当社であったと仮定するのならば、鎌倉時代以前の創建となる。

武蔵七党のうち私市党が当社を篤く崇敬したと伝わる。

私市党(きさいとう)は、平安時代後期から鎌倉時代に元荒川流域に勢力を維持していた氏族であり、特に埼玉郡騎西の私市部(元・加須市)という御料地を管理・支配していた事で知られる。私市党は久伊豆信仰を篤く崇敬しており、その中で当地にも勧請されたと推測できる。

また、武蔵七党のうち野与党の一族は、越谷周辺を勢力としていたため、野与党からの崇敬も篤かったと思われる。

応仁元年(1467)、宇佐見三郎重之が埼玉郡騎西を拝領。
重之は、当社に太刀を奉納すると共に社殿を再建。

宇佐見氏(宇佐美氏)は、伊豆国宇佐美荘(元・静岡県伊東市)を領主としていた氏族。

このように武家からの崇敬や、庶民からの崇敬も篤かった。

天文四年(1535)、当社の別当寺(神宮寺)として「迎摂院」が開基。
当社は災除招福、開運出世の神として崇敬を集めた。

徳川将軍家からの庇護と越ヶ谷宿の発展

江戸時代に入ると徳川将軍家からの崇敬が篤かった。
当社の神紋は立葵であり、徳川将軍家との関係を伺わせてくれる。

慶長元年(1596)、徳川家康は奥州街道(日光街道)を定める。
慶長七年(1602)、宿駅制度を設け越谷は越ヶ谷宿と整備される事となる。

当時の元荒川は現在と流路が違っており、越ヶ谷宿側に当社があり、対岸に「越谷香取神社」が鎮座していた。元荒川を挟んだ対岸も越ヶ谷の伝馬上の助郷村として大沢宿が成立。後に両町合わせて越ヶ谷宿とされる事となる。
大沢鎮守。境内で飼育されるケヅメリクガメの亀吉。彫刻が見事な本殿が現存。応永年間に香取神宮から勧請。大沢宿が成立し現在地へ遷座・大沢宿の鎮守を担う。江戸時代の史料に見る当社と浮世絵に描かれた越谷。参道には古い狛犬や石灯籠。御朱印。御朱印帳。

慶長九年(1604)、家康によって越ヶ谷御殿(現・越谷市御殿町)が設けられる。
鷹狩をするために利用され、家康や二代将軍・徳川秀忠も御殿にしばし訪れて泊まった記録が残されている。

こうした経緯があり、徳川将軍家も当社を崇敬したと見られる。

別当寺「迎摂院」には朱印地五石を賜っており、「御朱印高五石迎攝院、正一位久伊豆大明神、右御朱印之内、同院」と記載されている事から当社に対して贈ったものと推測される。

享保十八年(1733)、神祇管領吉田兼雄より正一位久伊豆大明神の神位を賜る。
当社は「久伊豆大明神」として崇敬された。

寛政元年(1789)、現存する本殿が造営されている。

越ヶ谷郷の総鎮守を担う

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(四町野村)
久伊豆社
天文四年の勧請と云。當村及び越ヶ谷宿・大澤町・瓦曽根村・神明下村・谷中村・花田村七ヶ所の惣鎮守とす。迎攝院の持。下同じ。

四町野村の項目に「久伊豆社」として記されている。
村の鎮守である事と、さらに越ヶ谷宿・大澤町・瓦曽根村・神明下村・谷中村・花田村の鎮守であり、越ヶ谷一帯の総鎮守として崇敬を集めた事が記されている。

(歌川広重・富士三十六景)

こちらは歌川広重による『富士三十六景』の「武蔵越かや在」。
現在とは流路が違っているので、大沢側から元荒川や富士を描いたもの。
こうしたのどかな風景だけでなく、宿場町として発展した越ヶ谷宿や、周辺の村の鎮守として大いに崇敬を集めた。

文政元年(1818)、国学者・平田篤胤が、当社境内に仮寓を結んだ。
文政三年(1820)、篤胤は当社に「天岩戸の図」を奉納している。

平田篤胤(ひらたあつたね)は、江戸時代後期の国学者・神道家・思想家・医者。復古神道の大成者であり、本居宣長と並び称せられる人物。

明治以降の歩み・戦後の境内整備

明治になり神仏分離。
明治六年(1973)、郷社に列した。

明治二十二年(1889)、町村制施行によって、南埼玉郡越ヶ谷町が成立。
当社はそうした越谷周辺の総鎮守として崇敬を集めた。

昭和二十九年(1954)、南埼玉郡越ヶ谷町・大沢町・新方村・桜井村・大袋村・荻島村・出羽村・蒲生村・大相模村・増林村が合併し越谷町が成立。
昭和三十三年(1958)、越谷町が市制施行し越谷市となる。
当社は越谷の総鎮守として、現在の大変立派な規模へ境内整備が行われていく。

昭和三十九年(1964)、拝殿・幣殿が造営。
昭和五十五年(1980)、外拝殿を造営。
平成七年(1995)、「伊勢神宮」第六十一回式年遷宮の折に拝領した内宮の旧板垣南御門を、三之鳥居として建立。

その後も境内整備が進み現在に至っている。
現在は「久伊豆」が「クイズ」と読める事から「クイズ神社」としても知られる。

境内案内

元荒川沿いに鎮座・長い長い参道

最寄駅の北越谷駅からは元荒川沿いに東へ向かうと分かりやすい。
元荒川に面して長い長い参道を有している。
社号碑と注連柱があり、その先に一之鳥居。
こちらには彫刻も見事な「正一位久伊豆大明神」の扁額が掲げられている。

一之鳥居の先は長い参道が続く。
参道の途中には2つの石橋。
現在は水は流れていないが、かつて参道に小川が流れていた事が伺える。
二之鳥居を潜ると更に長い参道が続く。
参道は300m弱あり、その途中には緑の森公園や越谷アリタキ植物園などがある。

さらに進むと神域となる。
この先に三之鳥居。
「伊勢神宮」第六十一回式年遷宮の折に拝領した内宮の旧板垣南御門を、平成七年(1995)に第三鳥居として建立したもの。

江戸時代に造営され彫刻が見事な手水舎や本殿

三之鳥居を潜った先、右手に手水舎。
延宝三年(1675)に造営されたと伝わる手水舎で、その佇まいがとても見事。
大変見事な彫刻がされており、登竜門の彫り物とされている。

「竜門」とは夏朝の皇帝・禹がその治水事業において山西省の黄河上流にある竜門山を切り開いてできた急流のことで、登竜門とは成功へといたる難しい関門を突破した事を表し、立身出世の関門とされる。

その先に立派な拝殿。
昭和三十九年(1964)に拝殿・幣殿が造営され、昭和五十五年(1980)に外拝殿が造営された。
奥行きのある実に風格漂う造り。

本殿は、寛政元年(1789)に造営されたものが修復されながら現存。
三間社流造りの壮麗なもの。
とても細かい彫刻がされており、当時の技術の高さを伺える。

両前脚を縛られた狛犬・三ノ宮卯之助の力石

拝殿には一対の狛犬が置かれている。
阿吽どちらの狛犬も両前脚が縄で縛られているのが特徴的。
古くから「足止めの麻」と信仰され、当地に伝わる風習となっている。

家出をしたり、悪所通いをする者に対して、家族の者が「足止め」といって狛犬の足を結ぶと必ず帰ってくると云われている。
現代では家族との絆をしっかり結びなおしたいという願いも込められている。

拝殿の右手には、三ノ宮卯之助の力石。
天保二年(1831)、三ノ宮卯之助が24歳の時に、五十貫目(約190kg)の力石を持ち上げたとされる文字が刻まれている。

三ノ宮卯之助(さんのみやうのすけ)は、武蔵国岩槻領三野宮村(現・越谷市)出身の江戸力持ちで、力石や米俵などの重量物を持ち上げる興行を行いながら全国各地を回り、江戸で大坂方の力持ちを破り、日本一の力持ちとされた人物。最大で推定610kgもの石を持ち上げた伝説が残る。

(江戸力持三ノ宮卯之助)

こちらは当時の力持ちのチラシとも云えるもので、三ノ宮卯之助は真ん中下で、武士が乗る舟を足で支えている人物である。

パラオ共和国の旧官幣大社「南洋神社」を偲ぶ境内社

境内社は社殿の裏手に多数並ぶ。
いずれも綺麗に整備されている。

中でも「旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿」は、その存在が特異。
パラオ共和国コロール島に建立された旧官幣大社「南洋神社」を偲ぶもの。

南洋神社(なんようじんじゃ)は、パラオ共和国コロール島に鎮座していた神社で、戦時中でパラオが日本の統治下にあった時代、官幣大社として創建された。敷地は9万6248坪もある壮大なものであったが、終戦時に廃社となる。平成九年(1997)に小さな祠が再建されている。

そうした「南洋神社」の跡地を遥拝する社殿である。
当時の埼玉県知事が遺骨収集団団長としてパラオを訪問して交流が深かった事から、当社に建立する事が決まり、「伊勢神宮」の指導の元、平成十六年(2004)に建立された。
当時の竣工奉祝祭には当時のパラオ大統領も出席。
慰霊・鎮魂の意味だけでなく、「南洋神社」の存在が、今もなおこういう形でも残っている事が素晴らしい。

美しく見事な神池や藤棚

参道途中・三之鳥居の左手には美しい神池と藤棚が広がる。
撮影は3月なので時期ではないが、季節になると実に美しい藤棚。
埼玉県指定の天然記念物で一部は平田篤胤の門人が奉納したと伝わり、関東第一とも称される。

神池は美しく整備されたもの。
神池の中央には水神社が鎮座。
また神池の周囲にも境内社などが鎮座している。
美しく整備された一角で、名勝とも云えるであろう。
国学者・平田篤胤の仮寓跡とされる松声庵もこの一角に置かれている。

他にもお水取りができる場所や史跡・建物など多くの見所がある。
とても立派な境内に整備されているので時間をかけてじっくり周るのが良いだろう。

御朱印は祈祷受付所にて。
オリジナルの御朱印帳も用意しているが、表には出ていないので申し付けると見せて頂ける。

所感

越谷の総鎮守とされる当社。
埼玉県の元荒川流域にのみ分布する「久伊豆神社」の中でも、「岩槻久伊豆神社」と共に規模の大きく、久伊豆信仰を代表する一社である。
江戸時代には越谷郷の総鎮守として地域からの崇敬を集め、それは現在も変わらない。
特に戦後になり境内の設備が充実し隆盛しているのが分かり、今もなお篤い崇敬を受け続けている。
平日でも多くの方が参拝やご祈祷に訪れておりいつも賑やか。
広い境内に充実の設備、見所も多くあり、居心地のよい空間。
埼玉県の中でもオススメしたい良社の一社である。

神社画像

[ 社号碑・注連柱 ]

[ 一之鳥居 ]


[ 参道 ]

[ 二之鳥居 ]

[ 石橋 ]

[ 参道 ]


[ 三之鳥居・社号碑 ]

[ 三之鳥居 ]

[ 手水舎 ]


[ 拝殿 ]





[ 本殿 ]



[ 狛犬 ]




[ 力石 ]

[ 古木 ]

[ 絵馬掛・磐座 ]

[ 境内社参道 ]

[ 天満宮・三峯社・御嶽神社 ]

[ 諏訪神社・稲荷神社・五前神社 ]

[ 平田篤胤奉納絵 ]

[ 八坂神社 ]

[ 旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿 ]





[ 授与所 ]

[ 祈願受付所 ]

[ 社務所 ]

[ 神楽殿 ]

[ 奉納灯籠 ]

[ 御霊水 ]

[ 藤棚 ]




[ 神池・水神社 ]




[ 神橋 ]

[ 二荒山神社 ]

[ 御合神社 ]

[ 三峯神社 ]

[ 越谷吾山句碑 ]


[ 案内板 ]

[ 祖霊社 ]

[ 幄舎 ]

[ 神徳灯籠 ]

[ 木造り歌碑 ]

[ 庚申塔 ]

[ 埼玉稲荷神社 ]

[ 石碑 ]

[ 庚申塔 ]

[ 案内板 ]


[ 案内図 ]

Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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