神社情報
秩父今宮神社(ちちぶいまみやじんじゃ)
八大龍王宮(はちだいりゅうおうぐう)
御祭神:伊邪那岐大神・伊邪那美大神・須佐之男大神・八大龍王神・宮中八神(御巫八神)・役尊神(役行者・役小角)・聖観世音菩薩・馬頭観世音菩薩・弁才天(弁財天)
社格等:村社
例大祭:9月28日
所在地:埼玉県秩父市中町16-10
最寄駅:御花畑駅・西武秩父駅・秩父駅
公式サイト:https://twitter.com/imamiyajinja
御由緒
今宮神社は、その前身を長岳山正覚院金剛寺(1038)大宮山満光寺(984)といいました。この両寺創立以前からこの地に、伊邪奈岐大神・伊邪奈美大神が祀られていました。大宝年間(701~704)には、役行者(えんのぎょうじゃ)がこの地に、飛来して八大龍王を合祀し、八大社と呼ばれていました。毎年四月四日の秩父神社のお田植祭は、今宮神社の水幣(みずぬさ=龍神池の水)を以って行われ、秋の収穫の喜びが十二月三日の秩父夜祭りを盛りあげるといわれています。
奈良時代には宮中八神(大宮売神・高産日神・神産日神・生産日神・足産日神・事代主神・玉積産日神・御食津神)が祀られ、降って大日如来が習合され、八大権現社と観音堂(十一面、後に聖観音)を創建・相前後して満光寺弁天堂が創られました。天文四年(1535)には当地に疫病が流行したため、京都今宮神社より須佐之男命(すさのおの命=健康神・樹木神)を勧請して今宮神社を創建しました。
永禄十二年(1569)には一山を総称して聖護院直末(じきまつ)「長岳山今宮坊」と称し諸国先達二十九寺の一として又本山派年行事職として栄えました。
降って天正十九年(1591)には徳川幕府より御朱印地十石、除地七石を賜わり、組下四十九寺を結集して秩父霊地の発展に務め、元禄十四年(1701)長生院神門寺(現十八番札所)と共にまっさきに「江戸開帳」を行って、江戸-秩父間の交通路を拡き、秩父二十四札所の紹介と発展に貢献したと伝えられています。
明治維新時には、神仏分離令により、今宮坊は今宮神社と今宮観音堂(現十四番)に分けられ、更に昭和二十七年には児童館建設のため、旧社殿は黒谷の聖神社に寄進され、境内地も境内建物も縮少のやむなきに至りました。しかし御祭神をはじめ、御神体、御朱印、社宝、古地図、古文書、歴代の別当、宮司の墓所、それに由緒とその精神は当神社に継承されて今日に至っています。
御神意と時代の要請に則り、昭和二十年代より凡そ五十年間、神域を児童公園として解放、秩父市と協力して地域住民の心身の健康を祈つて、福祉事業に専念いたしました。
ここに遊び育った、かつての子どもたちも心身健やかに成人して郷土社会の立派な担い手となりました。
ここに御神意の大成成就を御神前に報告し、神域を本来の姿に復したく、長い由緒を踏まえ、新らたな決意を以て当神社の歩みを始めました。平成五年四月
今宮神社宮司(今宮坊二十世)塩谷太刀雄 敬白
参拝情報
参拝日:2015/07/08
御朱印
備考
秩父霊場発祥の地
埼玉県秩父市に鎮座する今宮神社。
神社としては「秩父今宮神社」であるが「八大龍王宮」とも称される。
当社は「秩父霊場発祥の地」を名乗っており、神仏習合を色濃く残した独特な空気感のある神社。
八大龍王神を祀る
歴史を紐解くと何とも複雑な経緯を辿っている。
主祭神(神様だけでなく仏様も)の多さがそれを物語ってくれている。
古来より霊泉の地として伊邪那岐大神・伊邪那美大神が祀られていた事から当社の歴史は始まる。
そこへ大宝年間(701年-704年)に、修験道の開祖とされている役小角が神仏習合の考えに基づいて「八大龍王神」を祀り、「八大宮」を建立したとされている。
宮中八神や大日如来をお祀りし、まさしく神仏習合の神社仏閣だったのが分かる。
これが当社が「八大龍王宮」とも称される由来。
境内には樹齢推定千年以上とされる「龍神木」があり、この樹洞の中に八大龍王が祀られている。
須佐之男命を勧請
天文四年(1535)には当地に疫病が流行したため、「京都今宮神社」より須佐之男命を勧請。
これによって「今宮神社」を創建しており、これが今日の「秩父今宮神社」となる。
古くからこの地には霊場があり「八大龍王宮」ともされていた中に、「今宮神社」が勧請されて加わったという形になるため、「今宮神社」としての創建は天文四年(1535)という事になる。
この当時は「長岳山正覚院金剛寺」とも「長岳山今宮坊」とも呼ばれていたようだ。
神仏習合が色濃く寺院としての要素も強かった事が、今日の独自な空気感にも繋がっている。
明治になり神仏分離
明治になり神仏分離。
「今宮坊」は現在の「今宮神社」と、秩父札所三十四ヶ所観音霊場の札所十四番「長岳山今宮坊」に分けられる。
この事が「秩父霊場発祥の地」を名乗る由来となっているようだ。
現在は住宅に囲まれた所に観音堂のみがある札所十四番の「今宮坊」となっている。
よって「秩父霊場発祥の地」とは、神仏習合時代の「今宮神社=今宮坊」を指すものであり、秩父最古の霊泉があり、修験道の道場として栄えたこの地から秩父観音霊場が始まったことを意味するものと思われる。
秩父神社との繋がり
秩父霊場として以外にも、秩父で最も格式のある「秩父神社」との繋がりからも、当社が古くから重要なポイントだった事が窺える。
「秩父神社」では4月4日に「御田植祭」が行われるのだが、この時「秩父神社」の神職などが当社までやってきて、藁の竜神を迎える神事を行う。
当社ではこれを「水分祭」と言い、古くから「秩父神社」との繋がりが深かった事が窺える。
規模縮小と復興
ここまででも複雑な経緯があるのだが、戦後になると児童館建設のため規模を縮小。
旧社殿を黒谷の「聖神社」(和銅改元と和同開珎鋳造の契機となった神社で銭神様とも呼ばれる)に寄進している。
そのため現在の当社には立派な社殿が存在せず、簡易な本殿のみとなっている。
この辺の経緯が何とも不思議。
現在は往年の神域に戻すべく努力されているようだ。
境内にある「行者堂」の再建、「弁天社」や「稲荷社」の勧請は平成になってから行ったものなので、色々と復興すべく力を入れているのが窺える。
パワースポットと呼ばれる境内
社殿は上述の通り少し寂しい。
旧社殿を黒谷の「聖神社」に寄進したため、現在はこうした簡易の社殿となっている。
社殿の造りは簡素ではあるが、境内には多くの見処が存在。
秩父最古の泉と呼ばれ龍神が住むと信じられている龍神池。
上述したように、樹齢1,000年以上の大ケヤキである龍神木は実にお見事。
特に龍神木の周辺はパワースポットとも呼ばれるような神気に包まれているように感じる。
仏像も多く安置されており、神仏習合の独特な空気がそれを強めているのかもしれない。
清龍の滝はお金やアクセサリーなどを洗う事ができて、銭洗弁天としての役割もあるようだ。
御朱印は授与所にて。
御朱印を4種類用意しており、神社としては「今宮神社」のもの。
そして「八大龍王宮」として「八大龍王宮」「お姿」「役尊神祠」の御朱印が用意されている。
所感
古来、霊場や修験道の地として栄えた当地。
その歴史を知ると色々と興味深い事が分かってくる。
「秩父霊場発祥の地」を称しており、秩父霊場だけでなく「秩父神社」との関わりも深い。
パワースポットとしても注目されているようなので、秩父に行った際には足を伸ばしてみるのもよいだろう。
他ではあまり見ない独特な空気感のある神社だと思う。
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