日枝大神社 / 神奈川県川崎市

川崎市

神社情報

日枝大神社(ひえだいじんじゃ)

御祭神:大山咋命・大山津見命・天照皇大神 ・木花開耶姫命 ・大国主之命・豊受姫命
社格等:村社
例大祭:5月15日
所在地:神奈川県川崎市川崎区小田2ー14ー7
最寄駅:小田栄駅・川崎新町駅
公式サイト:http://www.hiedaijinja.or.jp/

御由緒

 日枝大神社は皇紀1608年天暦二年戌申(西暦948年三月中日)人皇六十二代村上天皇の御代京都比叡山坂本山山王権現(日吉神社)の御分霊を勧請したもので、山王権現と号し比叡宮と称しました。
 始めは小田村の西隅に社殿がありましたが、いつの頃からか(不明)現在の処に遷座されたといわれます。旧跡地には有名な銀杏の神木があって大正時代まで残っていたとのことです。
 旧幕(江戸時代)の頃御朱印地拾石で、隣村下新田村(現浅田町)菅沢村(現鶴見区菅沢町)等の総鎮守(氏神様)でした。
 大祭は四月中の申の日、御輿渡御の際は村内旧家十二人がいづれも馬に乗り、警個供奉して三ヶ村を巡幸しました。その行列は頗る古風を極めた物と言われます。
 明治維新までは、真言宗円能院が別当職でした。
 明治六年十二月、村社に列せられて社号も日枝大神社と改められ、大祭日は五月十五日と定められました。
 大正十三年三月十四日、神饌幣帛供進する神社に指定されました。
 昭和二十年四月十五日、太平洋戦争の戦禍に罹り氏子の九割と共に焼失いたしました。
 昭和二十四年五月十四日、本殿再建し、翌年五月仮拝殿建設。
 昭和三十一年四月十五日、現在の御社殿を復興完成いたしました。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2019/10/26(御朱印拝受/御朱印帳拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2016/08/16(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:お気持ち(志納)
社務所にて。

御朱印の受付時間は9:30-16:00まで。(祭事は除く)

[2019/10/26拝受]

[2016/08/16拝受]

御朱印帳

初穂料:2,000円(御朱印代込)
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意。
サンリオキャラクターズと当社の社号が入ったもの。
表面にハローキティ・マイメロディ・リトルツインスターズ・タキシードサム。
裏面にポムポムプリン・バッドばつ丸・けろけろけろっぴ。
当社はサンリオキャラクター御守発祥の神社で、サンリオキャラの授与品が豊富。

[表面]

[裏面]

歴史考察

川崎市川崎区の山王さま

神奈川県川崎市川崎区小田に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧小田村・旧下新田村・旧菅沢村の総鎮守。
現在は川崎区の多くの地域(小田1-7丁目・浅田1-4丁目・京町1-3丁目・小田栄1-2丁目・渡田山王町・大川町・田辺新田・白石町・扇町・浅野町)の鎮守とされている。
山王信仰の神社であり、古くは「山王社」「山王権現」「比叡宮」と称された。
サンリオキャラクターを使用した御守の発祥の神社で、サンリオキャラの授与品が多いのが特徴。
御朱印帳も当社限定のサンリオキャラクターズ御朱印帳となっている。

平安時代に日吉大社より勧請

社伝によると、天暦二年(948)に創建と云う。
山王信仰の総本社「日吉大社」(滋賀県大津市)より勧請と伝わる。

日吉大社(ひよしたいしゃ)
滋賀県大津市坂本に鎮座する神社。
通称「山王権現」として知られ、日吉・日枝・山王神社など山王信仰の総本社。
最澄が比叡山上に「延暦寺」を建立した際、比叡山の地主神である「日吉大社」を、天台宗・延暦寺の守護神として崇敬した他、平安京の鬼門に当たることから鬼門除け・災難除けの社として崇敬を集めた。
日吉大社 | 平安京の表鬼門鎮座 方除・厄除の大社 神仏霊場 滋賀県17番

山王信仰の神社として、当社は「山王社」「山王権現」「比叡宮」と称された。
小田村に鎮座し、その周辺の村一帯の総鎮守として崇敬を集めた。

創建時は、小田村の西隅に社殿があったとされている。
いつの頃から村の中央である現在の所に遷座されたようだが、いつ遷座されたかは不明。

旧社地には有名な銀杏の御神木があり大正時代までは残っていたと云うが現存していない。

徳川将軍家より朱印地を賜る・小田村周辺の総鎮守

江戸時代に入ると、徳川将軍家より十石の朱印地を賜る。

朱印地(しゅいんち)
幕府などから寺社の領地として安堵(領有権の承認・確認)された土地のこと。
朱色の印(朱印)が押された朱印状により、所領の安堵がなされた事に由来する。

武蔵国橘樹郡の小田村、下新田村、菅沢村など地域一帯の総鎮守とされた。

小田村は現在の小田周辺、下新田村は現在の浅田町周辺、菅沢村は現在の鶴見区菅沢町周辺となる。
現在も多くの氏子区域を有する
地域一帯の総鎮守とされた当社は、川崎区の多くの地域(小田1-7丁目・浅田1-4丁目・京町1-3丁目・小田栄1-2丁目・渡田山王町・大川町・田辺新田・白石町・扇町・浅野町)を氏子区域として崇敬を集めている。

新編武蔵風土記稿から見る当社

文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。

(小田村)
山王社
御朱印拾石。村の中央にあり。本社宮造り九尺二間拝殿三間二間。神體丸き石なり。圓周八九寸、別にかわりたる石とも見えず。土人云古の神體は黄金をもて作れる扇子の開きたるに日月星辰を鋳たるものなりと。いつの頃か賊の手に奪はれたりと。後その形を真鍮にて模し、年々祭禮のころは今の里正榮助が家にて承り、馬上にて捧持し神輿の先にたつ古例なりとぞ。かの真鍮にて作れる扇子と云へるものも近来のものにてはなく古色なり。例祭年々四月中の申の日なり。隣村下新田菅澤當村すべて三村の鎮守たるにより祭の頃は此三村のものとも出でとり行へり。中にも神輿の馬後を馬上にて守護するもの十二人なり。村内を過て下新田菅澤村をわたして夫より社地に還れり。此山王はもと比叡山坂本山王権現の遥拝のために爰に社を設くることとぞ、故に比叡の宮などいへるもあり。是もその始をしらず。ただ口碑に傳るのみ。稲毛領平村より禰宜来りてとりをこなへり。末社なり下同。
子神三峯合社。社に向て左の方にあり。

小田村の「山王社」として記載されているのが当社。
10石の朱印地があった事と、小田村、下新田村、菅沢村の三村の総鎮守であった事が記されている。

古風を極めた例大祭
当時の例大祭の月の申の日には、神輿渡御の際に村内旧家十二人がいずれも馬に乗り、警固供奉して三村内を巡幸したと記されており、その行列は古風を極めたものだったという。

またかつての御神体は黄金のものだったが、賊によって奪われてしまい、それを模したものを祀ったとある。
このように中々詳しいご由緒が記されており、三村の総鎮守として崇敬を集めたようだ。

別当寺は「円能院」で現在も当社の向かいに現存。
圓能院
神奈川県川崎市にある真言宗智山派、金澤山圓能院(円能院)福泉寺のホームページです。

明治以降の歩み・戦後の復興

明治になり神仏分離。
明治六年(1873)、村社に列した。
その際に社号を現在の「日枝大神社」と改称。

「山王権現」は神仏習合の色合いが強いため、改められたのだと思われる。

明治二十二年(1889)、市制町村制の施行により、小田村・渡田村・大島村・下新田村・中島村・田辺新田および新宿町・堀之内村・大師河原村・菅沢村の飛地が合併して田島村が成立。

田島村は後に田島町となり、田島町域が現在の川崎区になったと云える。

明治三十九年(1906)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
田嶋村(田島村)、小田といった地名も見る事ができる。
こうした一帯の総鎮守として崇敬を集めた。

田島村周辺は大正時代から京浜工業地帯の中核として成長。農村区域も急速に工業都市化していく事となるが、当時の田島村は殆どが農村だった事が窺える。

明治四十二年(1909)、近隣にあった「浅間神社」「杉山神社」「新明社」「下新田稲荷社」を合祀。

当時は明治政府による合祀政策が推し進められた時代であり、その影響を受けたのだろう。

大正十年(1921)、神饌幣帛料供進社に指定。

(神奈川県神社写真帖)

上画像は昭和十三年(1938)に万朝報横浜支局が発行した『神奈川県神社写真帖』より。

「村社 日枝神社」と記された当社。
戦前の社殿の様子が窺える。
現在より簡素な社殿ではあったが、鳥居や社殿の向きなどは現在と変わらない。

昭和二十年(1945)、川崎大空襲により社殿などが焼失。
この大空襲では、氏子区域の9割が一夜にして焼失したと云う。

昭和二十四年(1949)、本殿を再建。
昭和二十五年(1950)、仮拝殿と仮社務所を建造。
昭和二十七年(1952)、神楽殿を再建。
昭和三十一年(1956)、社殿が完成し復興を果たしている。
その後、幾度も境内整備が行わた。

昭和五十九年(1984)、サンリオキャラクターを使用した御守の授与を開始。
サンリオキャラクター御守発祥の神社として、その後も様々なコラボ授与品を展開。

平成三年(1991)、現在の社務所が完成している。
その後も境内整備が進み現在に至る。

境内案内

芝生が綺麗な境内・江戸時代の水盤

最寄駅の小田栄駅と川崎新町駅の中間付近に鎮座。
住宅街の一画に鎮座しており東向きに表参道。
昭和四十四年(1969)に明治百年記念で建立された社号碑には「日枝大神社」の文字。
境内には緑で綺麗に手入れされた芝生。

鳥居の手前左手に手水舎。
現在も使用されている水盤が古いもの。
享保十九年(1734)に氏子より奉納されたもので、当社に現存するもので1番古い。

通りに面して北向きに北参道。
こちらは大正四年(1915)に建立された鳥居。

通りを挟んで向かい側に旧別当寺「円能院」がある。
圓能院
神奈川県川崎市にある真言宗智山派、金澤山圓能院(円能院)福泉寺のホームページです。

戦後に再建された社殿・鳩山家ゆかりの神社

参道の正面に社殿。
社殿は昭和三十一年(1956)に再建されたもの。
旧社殿は川崎大空襲によって焼失したものの、氏子崇敬者によって再建を果たした。
立派な社殿で拝殿の彫刻も中々によい出来。
木鼻には獅子。
状態もよく綺麗に整備されている。

拝殿の扁額には「日枝大神社」の文字。
第52・53・54代内閣総理大臣であり、初代自民党総裁を務めた鳩山一郎によるもの。

鳩山家ゆかりの神社
宮司の家系が鳩山家の遠戚関係に当たるため、当社には鳩山一郎の直筆の書もあると云う。
こうした関係もあり、鳩山一郎の孫である、鳩山由紀夫・鳩山邦夫といった政治家も選挙の際に当社に参拝しており、鳩山家ゆかりの神社と云う事ができるだろう。

拝殿前には一対の狛犬。
毛並みのウェーブが特徴的な狛犬。
比較的新しいものではあるが阿吽共に良い表情。

境内社の八王子社・力石や旧鳥居柱

境内社は社殿の右手に八王子社。
稲荷神社・浅間神社・神明社・杉山社・子神三峯合社・大鷲神社の合殿となる。
子神三峯合社は江戸時代の頃から末社として祀られていたもの。

八王子社の左手に力石や旧鳥居の。
村民たちが力比べに使った力石。
宝暦六年(1756)に建立された旧鳥居の柱部分。
当社は川崎大空襲の際に境内の殆どが焼失しており、こうした歴史を伝えるものが残っているのは貴重であろう。

境内左手には綺麗な神楽殿。
戦後に一度再建されたものの不審火によって全焼しており、昭和四十五年(1970)に再建された。

神猿と金色社紋が押印された御朱印

御朱印は社務所にて。
平成三年(1991)に完成した社務所は立派な造り。

御朱印の受付時間は9:30-16:00まで。(祭事は除く)

御朱印は中央に神猿の印、右下に「日枝大神社印」。
上に金色の三つ巴社紋が押印されている。

神猿(まさる/さるがみ)
山王信仰の総本社である「日吉大社」は、比叡山(ひえいざん/ひえのやま)の地主神であり、比叡山に多く生息する猿を魔除けの象徴として扱うようになった。
山王信仰では猿が神の使いされ、「日吉大社」では「猿神(まさる)」とも称される。
魔除けの象徴ともされ「まさる」と読む事で「魔が去る」「勝る」といった縁起のよい名にも通じる。

当社限定のサンリオキャラクターズ御朱印帳

オリジナル御朱印帳も用意。
サンリオキャラクターズがデザインされた可愛らしいオリジナル御朱印帳。
表面にハローキティ・マイメロディ・リトルツインスターズ・タキシードサム、裏面にポムポムプリン・バッドばつ丸・けろけろけろっぴがデザイン。

ハローキティの御朱印帳は幾つかの寺社で見る事ができるが、このサンリオキャラクターズの御朱印帳は当社オリジナルの御朱印帳で、他では手に入れることはできない。
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サンリオキャラクター御守発祥の神社・数多くの御守

当社限定のサンリオキャラクターズ御朱印帳を用意しているだけでなく、当社の授与品には大変数多くのサンリオキャラクター御守など授与品が用意されている。

サンリオキャラクター御守発祥の神社
現在は多くの寺社でサンリオキャラを使った御守や頒布品を見かける事ができる。
初めてサンリオキャラクターと御守を結びつけた発祥の神社が当社。
可愛らしい御守であれば、小さな子供や若者・女性にも親しんでもらえるのではないか、「御守をもっと身近な存在へ」という思いから生まれた御守。
昭和五十九年(1984)より開始していて、当社発祥で様々な寺社にも広がりを見せている。

現在も大変豊富な種類のサンリオキャラクター御守を用意。
試作を含め色々作っていくとドンドンと種類が増えていったとの事で、色々と目移りしてしまう量。

これらは授与品は遠方の方向けに通信授与も行っているので、通信授与の詳細は下記公式サイトをご覧頂きたい。
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御朱印帳や御守などライセンス使用許諾契約に基づくサンリオキャラクターを使用した授与品の企画製造は、当社からすぐ近くにある株式会社サイコーが行っている。各寺社に置かれているサンリオ系の御守や御朱印帳も全てそちらによるもの。当社の氏子である。
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サンリオキャラクターお守りのサイコー お守りを身近な存在に感じてほしいという願いからキャラクターがデザインされたお守り袋が誕生。また、一般市場向け商品の企画製造販売も行っております。

所感

旧小田村など周辺一帯の鎮守として崇敬を集めた当社。
山王信仰の神社として古くから地域から崇敬を集めてきたと云う。
残念ながら川崎大空襲により多くの建物や史料などを焼失しているため、江戸時代の文献などから歴史を知る事しかできないが、戦後になっても再建や境内整備が行われたように、今もなお氏子からの崇敬が篤いのは間違いない。
またサンリオキャラクターを使った授与品の豊富さも特徴であり、あまり神社に縁がない層にも、神社に親しみをもってもらいたいという努力を感じる事ができる。
サンリオ好きな方はぜひ一度参拝してみてほしい。
境内も綺麗に整備されており、素敵な鎮守である。

神社画像

[ 社号碑・鳥居 ]




[ 手水舎 ]


[ 参道 ]

[ 拝殿 ]






[ 本殿 ]


[ 狛犬 ]


[ 八王子社 ]



[ 力石 ]


[ 旧鳥居柱 ]


[ 北側鳥居 ]

[ 神楽殿 ]

[ 神輿庫 ]

[ 社務所・参集殿 ]



[ 案内板 ]

Google Maps

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