大宝八幡宮 / 茨城県下妻市

神社情報

大宝八幡宮(だいほうはちまんぐう)

御祭神:誉田別命・足仲彦命・気長足姫命
社格等:県社
例大祭:9月15・16日(大宝まち)
所在地:茨城県下妻市大宝667
最寄駅:大宝駅
公式サイト:http://www.daiho.or.jp/

御由緒

 大宝八幡宮は、白鳳時代の末期、文武天皇の大宝元年(701)、藤原時忠公が、常陸国河内郡へ下向の際、筑紫(大分県)の宇佐神宮を勧請(神仏の分霊を請じ迎えること)したのにはじまる。八幡さまをお祀りする神社としては関東最古である。大宝という年号は、この年の三月、対馬で初めて国産の金が産出し朝廷に献上され、「大きな宝を手に入れた」と喜ばれた御慶事により改元されたといわれる。大宝八幡宮の財運招福、特に近年みられる宝くじの当選祈願によるご利益の発揚は、社名に恥じない。
 天台宗の古い経文の奥書に「治承三年(1179)己亥七月二十二日の未時書了於常陸州下津間八幡宮書了兼智」とあることから、平安末期には既にこの地で八幡信仰が盛行していたとわかる。
 平将門公も度々戦勝祈願に訪れ、当宮の巫女によって新皇の位を授かったと伝えられる。(将門紀)
 文治五年(1189)、奥州征伐平定の日、源頼朝公が鎌倉の鶴岡八幡宮若宮を勧請し、摂社若宮八幡宮を創建した。
 寛政七年(1795)には、光格天皇により額字と御紋付幕を賜り、明治十九年には北白川宮より幣帛料が寄進された。徳川家からは社領一一五石が寄進され、歴代将軍の朱印状が現存する。
 当宮から勧請された八幡神は数え切れないが、東京深川の富岡八幡宮が著名である。(頒布のリーフレットより)

参拝情報

参拝日:2017/06/03(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2015/04/23(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:300円
授与所にて。

※2015年に参拝時は御朱印をお受けした際に「交通安全ステッカー」も頂けた。(現在はやられていない)

[2017/06/03拝受]

[2015/04/23拝受]

御朱印帳

初穂料:1,500円
授与所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意している。
木製の御朱印帳で、季節によって花のデザインが変わる。
6月参拝時は紫陽花をあしらったもの。

1-3月は「桜」、4-6月は「紫陽花」、7-9月は「菊」、10-12月は「銀杏」。

※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。

授与品・頒布品

交通安全ステッカー
初穂料:─
授与所にて。

※2015年参拝時に御朱印をお受けした際に御朱印帳に挟んで下さった。(現在はやられていない)

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歴史考察

関東最古の八幡さま

茨城県下妻市大宝に鎮座する神社。
旧社格は県社で、下妻市周辺の総鎮守。
「関東最古の八幡さま」とされる事がある古社。
当地には南北朝時代に大宝城があったため、境内自体が大宝城跡として国の史跡に指定されており、本殿は戦国時代の下妻城主多賀谷氏による再建が現存していて、国の重要文化財に指定。
平将門の伝承など、地域を代表する大社である。

大宝元年に創建の八幡宮

社伝によると、大宝元年(701)創建とされる。
藤原時忠が常陸国河内郡へ下向の際に、「宇佐神宮」(大分県宇佐市)を勧請したとされる。

藤原時忠(ふじだわらのときただ)は、当社の御由緒に登場する人物であるが、他での史料が乏しい。鎌倉の長谷にある碑には、時忠は、藤原氏の始祖である藤原鎌足(中臣鎌足)の玄孫(孫の孫)と記してあるように、藤原氏の一族であったと思われる

東国平定のため鎮護として創建したと伝えられている。

当宮の「大宝八幡宮」の社号は、創建年の大宝の元号が由来。
この創建年から当宮は「関東最古の八幡さま」と称される。

平将門による崇敬と伝承

平安時代中期には、平将門が当宮へ度々戦勝祈願に訪れたと伝わる。

将門は、平氏一族の抗争から東国一円を巻き込む「平将門の乱」(940年)を起こす事となるが、その際に京の朝廷・朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、朝廷から虐げられていた東国の独立を標榜したとされる。
この「新皇」を自称するようになったのは、当宮の巫女によるものと記されている。

『将門記』には、「八幡大菩薩の使い」を名乗る一人の巫女が現れ、「朕の位を蔭子平将門にお授けいたす。その位記は、左大臣正二位菅原朝臣の霊魂が捧げるところである。右の八幡大菩薩は、八万の軍を催して朕の位をお授けするであろう。今ただちに、三十二相楽を奏でて、早くこれをお迎え申し上げよ。」と告げる一幕が描かれている。

平将門研究者として知られる織田完之(1842年-1923年)の『将門古跡考』(明治時代の書籍)によると、この時の八幡様が「大宝八幡宮」と比定しており、当宮の巫女が将門に告げたとされている。

こうした事から、将門から篤く崇敬され関わりの深い神社であったと云えるであろう。

源義家や源頼朝など源氏からの崇敬

康平五年(1062)、源義家が「前九年の役」で安部貞任を討って凱旋した際、自ら当宮に詣で戦勝祈願成就のお礼をしたと伝わる。

源義家(みなもとのよしいえ)は、源頼義の長男で、「石清水八幡宮」(京都府八幡市)で元服したことから「八幡太郎」と称した。
奥州の陸奥守に任命された父の源頼義(みなもとのよりよし)が、奥州(陸奥国)で半独立的な勢力を形成していた有力豪族・安倍氏を滅亡させた戦いを「前九年の役」と呼び、嫡男の義家も活躍したとされ、その後の「後三年の役」では義家が中心人物となる。
関東圏の八幡信仰の神社の伝承にその名を見る事が多く、新興武士勢力の象徴とみなされ、義家の家系からは、鎌倉幕府を開いた源頼朝、室町幕府を開いた足利尊氏が出ており、武門の棟梁としての血脈として神話化されていく。

天台宗の古い経文奥書に「治承三年(1179)己亥七月二十二日の未時書了於常陸州下津間八幡宮書了兼智」とあることから、平安末期には既に下津間(下妻)で当宮を中心に八幡信仰が盛行していた事が伺える。

鎌倉時代の正史とされる『吾妻鏡』では「下妻宮」と記されている。

文治五年(1189)、奥州征伐平定の日に、源頼朝が鎌倉の「鶴岡八幡宮若宮」を勧請。
これが当宮の摂社「若宮八幡宮」であるとされる。

鶴岡八幡宮」の若宮は、源頼義が創建し子の義家(八幡太郎)が修復したもの。これを頼朝が遷座させ「鶴岡八幡宮」を造り上げた。御祭神は八幡神である応神天皇の子・仁徳天皇。八幡神の子である事から若宮と称される。
相模国一之宮格。鎌倉武士の守護神。源頼朝により現在地に遷座・上下両宮に整備。静御前が舞った若宮廻廊(現・舞殿)。源実朝の落命の地。江戸幕府による庇護。源平池・再建された旗上弁財天社。倒伏した大銀杏。表参道の段葛・若宮大路。御朱印。御朱印帳。

源氏の氏神は八幡神であり、「関東最古の八幡さま」と称される当宮が、源氏から崇敬を集めたのは想像に難くない。
当時は神仏習合のもと、別当寺(神宮寺)と共に「大宝寺八幡宮」など呼ばれ崇敬を集めた。

国の史跡に指定された大宝城跡と城主下妻氏

平安時代から南北朝時代にかけて、当宮周辺に「大宝城」という平城が築かれたとされる。

南北朝時代には、大宝城は南朝方についた下妻氏の拠点として戦闘が発生。
同じく南朝方についた関氏の関城と共に「関城・大宝城の戦い」として知られる。

興国四年/康永二年(1343)、北朝方の総攻撃に遭い大宝城が陥落。
大宝城城主・下妻政泰も討死し、大宝城は廃城となっている。
当宮の社殿後方には「贈正四位下妻政泰忠死之地」の碑が建てられている。

当宮はそうした大宝城跡に境内が残る。
そのため国の史跡に指定され保護されている。

下妻城主多賀谷氏による再建

室町時代から戦国時代になると、下妻城主・多賀谷氏から崇敬を集める。

元亀年間から天正年間(1570年-1593年)、多賀谷氏は戦の毎に当宮で戦勝祈願をし、その度に刀剣を奉納したと云う。
こうした事から、当時は「剣八幡宮」とまで称された。

この頃、多賀谷氏と後北条氏(小田原北条氏)との間で戦が度々発生しており、当宮も兵火によって被害を被っている。

天正三年(1575)、多賀谷氏と後北条氏の戦によって社殿が全焼。
天正五年(1577)、七代当主・多賀谷重経によって社殿を再建。
この時の本殿が幾度かの修復をされつつ現存しており、国の重要文化財に指定されている。

多賀谷氏は他に「大生郷天満宮」(現・茨城県常総市)の再建を行ったりと、下妻周辺の寺社の御由緒によく名を見かける事ができる。
日本三大天神にも数えられる御廟天神。菅公の御廟所と美しい神苑。菅原道真公の三男が遺骨を祀り創建。下妻城主多賀谷氏によって再建。徳川将軍家と寛永寺による社殿修復。飯沼新田開発の祈願所となり周辺の総鎮守に。古写真で見る当宮。御朱印。御朱印帳。

徳川幕府や朝廷からの庇護

江戸時代に入ると、徳川将軍家や朝廷からの庇護を受ける。

慶安元年(1648)、三代将軍・徳川家光より115石の朱印地を賜る。

当地周辺の寺社は5石-10石の朱印地を賜る寺社が殆どのため、当宮が別格の扱いを受け庇護された事が伺える。

こうした徳川将軍家代々の朱印状は、境内の「宝物殿(歴史資料館)」に納められている。
宝物殿は、神職に声をかければ無料で拝観させて頂けるので有り難い。

茨城県下妻市:神社、茨城の初詣・観光名所の大宝八幡宮。厄除け,宝くじ祈願,合格祈願,安産,必勝祈願,人形供養,交通安全,あじさい祭り,初詣等大宝八幡宮(神社)の案内

寛政七年(1795)、光格天皇から「大宝八幡宮」の額字及び御紋付紫幕を下賜。
朝廷からも庇護された事が伺える。

富岡八幡宮など多くの神社へ勧請

当宮の御由緒によると、寛永四年(1624)に創建した「富岡八幡宮(深川八幡)」(現・東京都江東区)は、当宮から勧請されたとある。

江戸時代後期の「富岡八幡宮」の絵巻に「於深川八幡社内開帳大寶八幡」と記されている事がその根拠としている。

富岡八幡宮」の勧請元は2説存在。神奈川県横浜市金沢区に鎮座する「富岡八幡宮」から勧請され当宮は分社であるという説。茨城県下妻市に鎮座する関東最古の当宮から勧請されたという説。「富岡八幡宮」の御由緒には勧請元を記していないため、どこから勧請されたかは不明とするのが正しいように思う。
東京十社・深川の八幡様。江戸三大祭りに数えられる深川八幡祭り。江戸勧進相撲の発祥の地・横綱力士碑。徳川将軍家からの庇護と深川の発展。戦後に再建された立派な社殿と進む境内整備。浮世絵に描かれた深川八幡。江戸屈指の盛り場深川。御朱印。御朱印帳。

他にも関東圏の多くの八幡信仰の神社が、当宮から勧請されている。

明治以降の歩み・古写真で見る当宮

明治になり神仏分離。

「大宝寺八幡宮」とも称され、神仏習合の色合いが強かった当宮だが、別当寺(神宮寺)は分離廃絶され、廃仏毀釈によって殆どが廃絶し、現在は当時「護摩堂」として使用されていた「祖霊殿」が残るのみとなっている。

明治四年(1871)、県社に列した。

明治初期、拝殿が再建。
これが改修されつつ現存している。

明治二十二年(1889)、市制町村制が施行され、大宝村・北大宝村・下木戸村・横根村・平川戸村・比毛村・堀籠村・大串村・坂井村・福田新田・平沼新田が合併して真壁郡大宝村が成立。

大宝村の地名由来は、地域一帯の総鎮守であった当宮による。

明治三十九年(1906)、本殿が内務省より特別保護建造物に指定される。(現在の重要文化財)

明治四十年(1907)の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

当宮の鎮座地は今も昔も変わらない。
明治の古地図に「大寶神社」と記されているように、当宮が目印になる大社だった事が伺える。
周囲は田畑ばかりであるが、当宮の門前に町屋が築かれている様子も伺える。
また現在は埋め立てられている「大宝沼」もまだ残っており、これが南北朝時代まで存在した大宝城の天然の要害となっていたのであろう。

(常総鉄道名勝案内)

上の古写真は、大正二年(1913)に常総鉄道株式会社より出版された『常総鉄道名勝案内』から当宮の写真。
写真は黒潰れしており分かりにくいが、説明文に「境内広く二ノ鳥居前後参詣道を挟て茶店軒を列ぬ」と記されており、当宮門前には茶店が連なる程盛況であった事が伺える。

(茨城県神社写真帳)

上の古写真は、昭和十六年(1941)に「いはらき新聞」より出版された『茨城県神社写真帳』から当宮の写真。
拝殿の前に灯籠が置かれ、拝殿の造りもほぼ現在と変わらない事から、当時の拝殿が現存している事が伺える。

戦後になり境内整備が進む。

昭和六十年(1985)、随神門が建立。
昭和天皇御在位六十年を記念して建てられた。

現在は古くから続く秋の大祭(例祭)が、「大宝まち」として知られ、前日の火祭り「松明祭」と共に地域の大切な神事となって盛り上げている。

境内案内

一之鳥居から三之鳥居までの参道・名物の2軒の茶店

最寄駅の大宝駅からは徒歩すぐであり、元々大宝駅は当宮への参拝者のために設置された駅と云える。
駅からは神社の西側から三之鳥居へ繋がるのだが、一之鳥居と二之鳥居はもっと南側に位置する。

県道357号線から当宮の長い参道に入る事ができ、その途中に一之鳥居。
社号碑と鳥居が立つ。
途中が木々に囲まれた一角になり、その先に二之鳥居。
かつてこの二之鳥居から三之鳥居までは、多くの茶店が軒を連ねたと云う。

二之鳥居から少し歩くと三之鳥居。
三之鳥居の周囲に名物となっている2軒の茶店がある。

左手が明治十年(1877)創業の「なべや菊花園」で、「開運だんご」が人気。
三之鳥居の右手奥が明治元年(1868)創業の「ゑびすや」。
「厄除けだんご」が人気で、食事処も兼ねている。

いずれも当宮の無料駐車場も兼ねていて、どちらも呼び込みが激しい。
当宮を参拝時の名物とも云えるので参拝後に立ち寄ってみるのもよいだろう。

相撲場では高砂部屋合宿稽古も

三之鳥居を潜ると境内となり、参道すぐ左手に相撲場が置かれている。
御創建壱千参百年祭を記念して建てられた相撲場。
6月中旬には名門・高砂部屋の合宿稽古が行われるのが恒例となっている。

2017年は6月11-12日に開催され、朝7時頃-10時頃まで高砂部屋による稽古が行われる。
6月10日は小学生による「わんぱく相撲下妻場所」も開催。

金剛力士像が守る随身門・賑やかな手水舎

参道を進むと立派な随身門。
昭和六十年(1985)、昭和天皇御在位六十年を記念して建てられた。
神社の随神門は通常、右大臣左大臣が門を守るが、当宮は金剛力士像が置かれる。
「大宝寺」とも呼ばれ、神仏習合の色合いが濃かった江戸時代以前の名残となっている。

随身門を抜けると、奉納された狛犬や灯籠が多く並ぶ参道。
何対もの狛犬が置かれている。
当宮へ対する崇敬の篤さが伺える。

参道の右手に手水舎。
手水石の近くには様々な奉納物が置かれていて賑やか。
左手には七福神。
亀や河童の石像。
蛙の石像も置かれている。

重厚な拝殿と国指定重要文化財の本殿

社殿は実に重厚で風格のあるもの。
拝殿は明治初期に造営されたものが改修されつつ現存。
2015年に参詣した際は改修工事中(画像)であったが、現在は綺麗に整備されている。
実に立派な造りで状態もとても良い。

向拝には二対の狛犬。
手前の狛犬は「平成狛犬」との名付けられ、撫でる事で御利益があるとされる。

本殿は、天正五年(1577)に七代当主・多賀谷重経によって再建されたものが現存。
幾度か修理や屋根替えが行われ、明治四十二年(1909)には解体修理も行われた。
国の重要文化財に指定されている。

頼朝建立の若宮・福が舞い込む七福神など

社殿の左手奥に「若宮八幡宮」が鎮座。
文治五年(1189)、源頼朝が鎌倉の「鶴岡八幡宮若宮」を勧請したと伝わる。
御祭神は八幡神である応神天皇の子・仁徳天皇。

その左手に神馬舎。
さらに左に大宝天満宮があり、その左には七福神の石像。
当宮の七福神は福が舞い込むと云われ写真を撮る方も多い。

他に社殿左手には、忠魂碑・神楽殿。さざれ石などが置かれている。

多くの境内社や鐘楼

境内の右手にも境内社が並ぶ。
境内社が多く並ぶ一角には、釜が置かれている。
隣に御神木「おがたま」も。

社務所に右手には鐘楼。
神仏習合の時代を思わせるもので、こちらは再建されたものだが、かつてはこうして寺院と一体となった神社であった。

この一角には他に祓戸神社、青龍権現社、弁財天などが並ぶ。
御神木の大銀杏はお乳銀杏と呼ばれ、触れると母乳の出が良くなると伝えられている。

神仏習合の名残を見せる祖霊殿・夫婦石や夫婦檜など

社務所の奥にも境内社が並ぶ。
あじさい神苑にも繋がる通路。

途中に黒鳥神社。
大国主が祀られている。

更に進むと歴史を感じさせる古い祖霊殿。
江戸時代以前の神仏習合を伝えるもので、当宮が「大宝寺八幡宮」と呼ばれていた時代に、「大宝寺」の護摩堂として建立されたもの。
江戸時代の精微な建築美と、神仏習合の色合いを残している。

その奥には夫婦石と夫婦檜。
夫婦和合の御神徳で知られる。

その先には上述した大宝城主・下妻政泰の碑が2つ。
南北朝時代に大宝城があった事を伝える碑。

名所として知られるあじさい神苑

この更に奥に「あじさい神苑」が整備されている。
下り坂のあたりからは一面に紫陽花が植えられているのが特徴。
その先に開けたエリアまでが神苑。
6月のシーズンになると「あじさい祭」が開催される。

筆者が参拝した時は6月の上旬で、まだ紫陽花の時期には少し早かった。
残念ながらまだ綺麗には咲いておらず見頃ではなかったものの、時期になると実に美しいと云う。
あじさい祭期間中は様々な催しも行われる予定。

2017年の「あじさい祭」は、6月17日-7月2日まで開催。
6月24日には、流鏑馬神事、野点、草花の無料抽選会、天然理心流心武館奉納演武が行われる。

近年は金運アップ・宝くじ当選などで人気

近年は金運アップの御神徳、高額宝くじ当選などで人気を博している。

当宮の社号「大宝八幡宮」の「大宝」からきた縁起の良い御神徳。

当宮の由来となった大宝の元号は、対馬からの金の献上により大宝に改元したと云われ、金との縁の深い社号である。

こうした事から平成十七年(2005)より、宝くじの当選祈願が開始。

祈願を受けた売場での高額当選は、累計で一等3本、二等12本、小額当選を合わせ31億円を突破していると云い、こうした事が広まり、全国から金運上昇・宝くじの当選祈願をする方が相次いでいると云う。

境内に掛けられた絵馬の多くも、そうした願いが書かれている事が多い。
授与品も金運・財運の御守り「大宝御守」が人気。

公式サイトより)

御朱印は授与所にて。
オリジナルの御朱印帳も用意している。
木製の御朱印帳でシーズンによってデザインが変わる。

1-3月は「桜」、4-6月は「紫陽花」、7-9月は「菊」、10-12月は「銀杏」。

所感

「関東最古の八幡さま」として崇敬を集める当宮。
平将門の伝承が残り、その後も八幡太郎、源頼朝といった源氏による伝承も伝わる。
大宝城跡に境内を置き、その後は下妻城主多賀谷氏からの崇敬や本殿の再建、江戸時代には徳川幕府や朝廷からの庇護など、時代を通して地域の大社として崇敬を集めてきた。
古くは「大宝寺八幡宮」などと称されたように、神仏習合のもとで崇敬を集めており、神仏分離によって寺院系の多くが廃絶となったものの、現在も境内には神仏習合の名残を思わせる一角もあり、古き信仰を伝えている。
近年では金運や宝くじ当選といった部分がクローズアップして取り上げられる事も多いのだが、古くから歴史のある神社であり、そうした面以外にも目を向けるとより楽しめると思う。
地域を代表する大社であり良い神社である。

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神社画像

[ 一之鳥居・社号碑 ]

[ 参道 ]

[ 二之鳥居 ]

[ 三之鳥居 ]

[ 参道 ]

[ 相撲場 ]

[ 随身門 ]





[ 参道・狛犬 ]



[ 手水舎 ]




[ 拝殿 ]






[ 狛犬 ]


[ 本殿 ]




[ 若宮八幡宮 ]



[ 神馬舎 ]

[ 大宝天満宮 ]

[ 七福神 ]

[ 忠魂碑 ]

[ 絵馬掛 ]

[ 古神符納所 ]

[ さざれ石 ]

[ 御神木 ]

[ 神楽殿 ]

[ 石碑 ]

[ 宝物殿 ]



[ 押手神社 ]

[ 重軽石 ]

[ 境内社 ]

[ 釜・御神木おがたま ]


[ 鐘楼 ]


[ 祓戸神社 ]

[ 太湖 ]


[ 御神木大銀杏 ]

[ 青龍権現社 ]

[ 東門 ]

[ 授与所 ]

[ 絵馬掛 ]

[ 歴史とあじさい道 ]

[ 白鳥神社 ]

[ 大王松 ]


[ 石納所 ]

[ 黒鳥神社 ]



[ 祖霊殿 ]



[ 稲荷神社 ]

[ 松尾神社 ]

[ 御神木菩提樹 ]

[ 鷲神社 ]

[ 熊野神社 ]

[ 境内社 ]

[ 夫婦石・夫婦檜 ]


[ 蛙像 ]

[ 下妻政泰公忠死之地碑 ]


[ あじさい神苑 ]







[ ゑびすや ]

[ 案内板 ]


Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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