河口浅間神社 / 山梨県南都留郡

南都留郡

神社情報

河口浅間神社(かわぐちあさまじんじゃ)

御祭神:木花咲耶姫命
社格等:延喜式内社(名神大社論社)・県社
例大祭:4月25日(孫見祭)
所在地:山梨県南都留郡富士河口湖町河口1
最寄駅:河口湖駅(距離有り)
公式サイト:─

御由緒

人皇第五十六代清和天皇の御宇、貞観六年五月富士山 西北峰大噴火の事あり、時の住民は甚大な災害を被く、この事甲斐ノ国司橘ノ末茂公より朝廷に奏上、翌貞観 七年十二月九日丙辰の勅命に依り鎮火の神 浅間明神を此地に奉齋、無位擬大領伴直真貞を祝に伴秋吉を 禰宜に任じ、富士鎮火祭を執行す。これ当神社の御創 祀なり。郡家以南に建立官社に列せらる。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2016/04/20

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※社名部分は印判。


歴史考察

世界遺産の河口浅間神社

山梨県南都留郡富士河口湖町ある神社。
古代の社格では延喜式内社の名神大社論社、旧社格は県社。
現在は「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されている。
読み方は「せんげんじんじゃ」ではなく「あさまじんじゃ」。

富士山噴火鎮祭のために創建

社伝によると、貞観六年(864)に発生した富士山の噴火鎮祭のために、貞観七年(865)に浅間神を奉斎したとされている。

富士山本宮浅間大社」や「甲斐国一宮浅間神社」の記事にも書いたのだが、貞観六年(864)から貞観八年(866)に富士山の貞観大噴火が発生。
朝廷から富士山の火の神をお祀りする「富士山本宮浅間大社」の祭祀怠慢が原因と見られたため、その影響で富士山の北側である甲斐国にも浅間神をお祀りする事となったといった事柄が、『日本三代実録』に記されている。
そのため駿河国(静岡県)だけでなく甲斐国(山梨県)にも多くの浅間信仰の神社が増える起因となった。

富士山本宮浅間大社 / 静岡県富士宮市
駿河国一之宮。浅間神社の総本社。浅間造本殿。浅間信仰の歴史・富士曼荼羅図。湧玉池。富士山山頂に奥宮。御朱印。御朱印帳。

その甲斐国に浅間神をお祀りする事になった神社が当社と比定されている。

式内社論社としての議論

延長五年(927)に編纂された『延喜式神名帳』では、名神大社に列格する「甲斐国八代郡 浅間神社」の論社の一社とされている。

そのため当社は古くより、『延喜式神名帳』に記載されている名神大社であった論じられており、江戸時代の「大日本史」や「甲斐国志」などにもそういった記載が見られる。
当地は古くは八代郡に属していたと見られており、それが「甲斐国八代郡 浅間神社」と一致するという理由が大きい。

そのため当社の社号碑や御朱印などにも「延喜式内名神大社」の文字を見る事ができる。
image但し、あくまで論社という事で古くから議論されており、他に「甲斐国一宮浅間神社」も論社として比定されている。
いずれにせよ、当社は古くから議論に値するそれなりの規模のある神社であったのだろう。

甲斐国一宮浅間神社 / 山梨県笛吹市
甲斐国一宮。創建の地・山宮神社。甲斐国の浅間信仰の歴史。武田信玄。夫婦梅。読み方は「あさまじんじゃ」。御朱印。御朱印帳。

富士登拝の大衆化・当社の衰退

当社を中心とする地域は、古くは修験道の地として栄えたとされている。
室町時代に入ると、富士登拝が庶民の間にも盛んになり、大衆化する。
それによって当社周辺は御師集落として発展したと見られている。

御師とは特定社寺へ参詣者を案内し、参拝・宿泊などの世話をする者の事で、当社と富士登拝のために発展した地域と見てよいだろう。

戦国時代末期から江戸時代の始めには、角行によって富士講が広められるようになる。
富士講は江戸時代中期には江戸を中心に関東圏で流行。
以後、各地では当社から勧請された「浅間神社」が多く創建し、江戸では富士塚といった独自の信仰も広まった。

しかしながら、この富士講の流行により、当社とその周辺は徐々に衰退していってしまう。
その理由として、富士講で富士山を登拝する庶民の使用ルートに当社周辺が含まれていなかった事にあるだろう。

山梨県側からの登拝ルートとして吉田口(北口)登山道から入山する人々が増える事になる。
そのため、吉田御師(現在の富士吉田市)が発展するように。
この頃には富士吉田市にある「北口本宮冨士浅間神社」の大造営などが行われ、吉田御師が山梨県側の富士講の主流となったため、当社やその周辺は衰退の一途を辿る事となる。

明治維新と戦後、世界遺産に登録

明治維新になり神仏分離。
当社は明治四年(1871)に郷社に列した。
その後、大正十三年(1924)に県社に昇格している。

式内社の名神大社の論社とされていながら、郷社の旧社格であった事からも、やはり江戸時代には衰退していた事が窺えるだろう。
その後の県社への昇格から、崇敬者によって復興がされていった事が推測できる。

戦後、昭和二十四年(1949)には、民俗学者の柳田国男が訪問している。
山宮と里宮を調べており、山宮や零細である孫見祭を見物したと記されている。

平成二十五年(2013)、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として、世界文化遺産に登録された。

圧倒される杉並木と社殿

河口湖にほど近い場所に鎮座しているのだが、河口湖からは北東約1kmの場所に鎮座しており、河口湖が見えない場所に鎮座している。

朱の大鳥居があり、その奥には大変立派な杉の木。
image鳥居を潜ると巨木の杉並木の参道。
imageこの時点で圧倒される巨木の力を感じる事ができる。
参道の中央に「波多志社」の小さな祠があり、その奥には随神門。
image随神門を潜ると、先ほどの杉並木参道以上の鬱蒼とした巨木の森が広がり、その中に雄大に佇む社殿が姿を現す。

image周囲が巨木の森に囲まわた社殿は一間社流造で、唐破風付の向拝を備えた造り。
image現在の本殿は、慶長十二年(1607)に領主・鳥居成次が再建したものという。
昭和四十年(1965)に解体修理が施されており、現在は富士河口湖町指定有形文化財に指定されている。

拝殿前には「美麗石(ヒイラ石)」と呼ばれる石祠がある。
imageこれは『日本三代実録』に記されている、甲斐国で浅間神を初めて祀った古代祭祀の石閣と伝わる。
これが事実であるのなら、上述のように富士山噴火(貞観大噴火)によって、甲斐国に祀られる事になった神社が、当社という事になるのだろう。

また境内社も多く鎮座している。

天然記念物の七本の巨木杉

とにかく鬱蒼と茂った森の中が境内となっている当社。
杉並木もそうだが多くの巨木が立っており、その中でもひときわ存在感があるのが七本の御神木。

通称「七本杉」と呼ばれる七本の杉の御神木。
image境内のあちらこちらに点在して立っており、これらはいずれも樹齢1,200年を数えるもの。
山梨県指定天然記念物に指定されている。
それぞれ「御爾」「産射」「齢鶴」「神綿」「父母(2本一対)」「天壌」の名が付けられている。
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御朱印は社務所にて。
社名部分は印判であるが、墨で富士山の形を描いて下さるのが面白い。

山宮と山中にある母の白滝

境内社という扱いで「山宮社」が鎮座する。
当社の左側が登山道になっており、そこを上っていくと「山宮社」が鎮座。
image一合目、二合目といった感じに案内が出ているので分かりやすい。
古くは「奥院」と称されたそうで、戦後に柳田国男も「山宮社」まで来たという。

さらに当社から三つ峠に至るまでの間に母の滝と呼ばれる滝がある。
かつては富士山登拝のために当地で宿泊した修験道者が禊を行った場所とされている。
こちらも当社の社有地であり、滝のそばには母の白滝神社が鎮座している。
今回は時間の都合でこちらまで参詣できなかったため、折を見て参詣したい。

他に河口湖に突き出した岬上にある「産屋ヶ崎神社」も当社の境外社だという。

所感

式内社の名神大社論社とされている当社。
甲斐国における浅間信仰の始まりとも議論される神社であり、重要な神社であろう。
江戸時代には衰退の一途を辿ったとされているが、それでも現在の境内を見ると、鬱蒼と茂った鎮守の森の中に鎮座しており、何とも素晴らしい雰囲気を出している。
参道に七本杉といった多くの巨木は圧巻の一言であり、これだけでも古社としての風格を感じる事ができる。
富士山と共に構成遺産の一部として世界遺産の登録されており、観光で訪れる方も増えているようだ。
河口湖からはやや距離があるのだが、とても素晴らしい境内なので、ぜひ参詣してみることをオススメしたい一社。

神社画像

[ 参道 ]
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[ 大鳥居 ]
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[ 参道(杉並木) ]
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[ 波多志社]
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[ 手水舎 ]
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[ 随神門 ]
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[ 拝殿 ]
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[ 拝殿・本殿 ]
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[ 本殿 ]
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[ 美麗石(ヒイラ石) ]
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[ 狛犬 ]
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[ 神輿庫 ]
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[ 合祀社 ]
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[ 連理の楓 ]
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[ 神池 ]
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[ 七本杉(天壌) ]
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[ 七本杉(神綿・齢鶴・産射) ]
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[ 七本杉(父母) ]
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[ 七本杉(御爾) ]
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[ 出雲社 ]
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[ 諏訪社 ]
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[ 山神社 ]
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[ 社務所 ]
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[ 山宮への登山道 ]
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