神社情報
大原神社(おおはらじんじゃ)
大原大宮神社(おおはらおおみやじんじゃ)
御祭神:伊邪那岐命・伊邪那美命・猿田彦命
社格等:村社
例大祭:10月19日
所在地:千葉県習志野市実籾1-30-1
最寄駅:実籾駅
公式サイト:https://ohara-jinja.com/
御由緒
この神社は、伊勢神宮御祭神の天照大御神の親(イザナギ大宮父・イザナミ大原母)の二神が祀られている。
天治元年(1124)実籾本郷に創立され、門前を通じる徳川家康公のお成街道完成と共に現在の場所に遷座されたのが、文禄元年(1592)である。
御祭神が男女二柱の為、遠い昔から縁結びの神として広く知られている。
この大原神社が全国八万神社の中から選ばれ、昭和五一年秋に神社庁は第一次模範神社(各県1-2社)に指定した。(境内の掲示より)
参拝情報
参拝日:2020/01/20(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2018/12/01(御朱印拝受)
御朱印
初穂料:300円(通常/月替り)・500円(見開き特別御朱印)
授与所にて。
[2020/01/20拝受]
(月と陽の神恩を合わせたもの)
[2018/12/01拝受]
(季節の特別『実り』/2018年)
御朱印帳
初穂料:1,200円
授与所にて。
オリジナルの御朱印帳を用意。
紫を基調として境内をデザインしたもの。
裏面には境内のアカガシとクロマツ、さらに「ご縁結びの大原神社」の文字。
縁結びの神として知られる当社らしいデザイン。
※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。
授与品・頒布品
交通安全「み」ステッカー
初穂料:800円
授与所にて。
歴史考察
実籾の鎮守・縁結びの神として知られる神社
千葉県習志野市実籾に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧実籾村の鎮守。
明治時代に「大原神社」へ「大宮神社」が合祀。
そのため登記上の名称は「大原神社」であるが「大原大宮神社」とも称される事が多い。
合祀された事でイザナギとイザナミの夫婦神を祀る事から「縁結びの神」として崇敬を集める。
「下総三山の七年祭り」に参加する一社で、役割は叔母を担う。
平安時代に伊邪那岐命を祀り創建
社伝によると、元治元年(1124)に創建と伝わる。
伊邪那岐命を祀る神社として創建。
日本神話に登場する男神で、伊邪那美命(いざなみのみこと)の夫。
天照皇大神(あまてらすおおみかみ)や素戔嗚尊(すさのおのみこと)など、多くの神の生みの親(父神)で、国産み・神産みにおいて伊邪那美命との間に日本国土を形づくる多数の子(神)をもうけた。
古くは当地よりも南(現・実籾本郷)付近に鎮座していたと云う。
現在の社号でもある「大原神社」を称した。
東金御成街道の整備に伴い現在地へ遷座
文禄元年(1592)、実籾本郷から現在地へ遷座。
東金御成街道の整備に伴い、街道沿いに遷座したと云う。
徳川家康が土井利勝に命じて、整備させた街道。
九十九里方面での鷹狩のために、船橋から東金までの間をほぼ一直線に整備された。
実籾本郷に土着していた千葉氏の家臣が、街道の整備と共に街道沿いに移り、実籾村(みもみむら)を開拓したと云われているため、氏神だった当社も同時に遷座されたのであろう。
御籾とも書き、五穀の実や籾の事を表す。
諸説あるが、当地の田畑には籾がよく実って欲しいと願いを込めて付けられたと伝わる。
江戸時代に猿田彦命を合祀・神輿の新調
江戸時代に入ると、東金御成街道沿いの神社として発展。
実籾村の産土神・氏神として崇敬を集めた。
宝暦二年(1752)、猿田彦命を祀る。
『古事記』『日本書紀』の天孫降臨の段に登場する神。
天孫降臨の際、天照大神(あまてらすおおみかみ)に遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した神であるため、「導きの神」とされる。
国土の神・道案内の守神であり、中世には庚申信仰や道祖神と結びつき、民間信仰として広く信仰を集めた。
慶応元年(1865)、「二宮神社」の例祭「下総三山の七年祭り」に出すための神輿を新調。
代金は金物分が46両、彫塗分が30両の計76両の記録が残り、これが現存。
明治以降の歩み・大宮神社(伊邪那美命)を合祀
明治になり神仏分離。
当社は村社に列した。
明治二十二年(1889)、市制町村制によって馬加村・武石村・天戸村・長作村・実籾村が合併して幕張村が成立し、当地は幕張村実籾となる。
明治二十八年(1896)、町制を施行し、幕張町が成立。
明治三十六年(1903)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。
(今昔マップ on the webより)
当社の鎮座地は赤円で囲った場所で、今も昔も変わらない。
幕張町の地名、実籾、本郷といった今も残る地名も見る事ができる。
こうした周辺一帯の鎮守とされた。
明治四十一年(1908)、実籾上宿(現・実籾本郷)鎮座の「大宮神社」を合祀。
現在も扁額には「大原大宮神社」として2社の名が残る。
「大宮神社」は伊邪那美命(いざなみのみこと)を祀る神社で、当社のもともとの御祭神である伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の妻にあたる。
当社に合祀された事で、当社は伊邪那岐命・伊邪那美命の夫婦神を祀る事となったため、「縁結びの神」として信仰を集めるようになる。
明治四十四年(1911)、旧村内の三山神社・八幡神社・第六天神社・八坂神社・弁財天社を合祀。
昭和十二年(1937)、社殿を増改築補修。
この社殿が改修されつつ現存。
戦後に入り境内整備が進む
昭和五十一年(1976)、神社庁により第一次・神社振興対策モデル神社に指定。
氏子と神社の関わりを密にすべく、様々な創意工夫で神社の振興対策をはかる事を目的とされ指定された神社。
各次各県1‐2社の指定となる。
その後も境内整備が進み現在に至る。
境内案内
東金御成街道と呼ばれた県道69号沿いに鎮座
最寄り駅の実籾駅から西へ徒歩数分の距離に鎮座。
現在の県道69号沿い、かつて東金御成街道と呼ばれた街道。
当社はこの街道の整備に合わせて、文禄元年(1592)に現在地に遷座したと伝わる。
徳川家康が土井利勝に命じて、整備させた街道。
九十九里方面での鷹狩のために、船橋から東金までの間をほぼ一直線に整備。
現在では、慶長十九年(1614)から元和元年(1615)にかけて完成したとされる。
通りに面して鳥居。
鳥居には「大原神社」「大宮神社」の2社の扁額。
鳥居の手前に一対の狛犬。
岡崎現代型で新しい。
口開きと口閉じの阿吽の狛犬。
綺麗に整備された参道・参道脇の狛犬
鳥居を潜ると綺麗に整備された参道。
綺麗に掃き清められ、整備された境内で、多くの石灯籠が置かれる。
参道途中に一対の狛犬。
阿形は子取りで、吽型は子が背中に乗り玉取り。
奉納年代は銘が読めず不明ながらいずれも江戸流れの狛犬のため、江戸後期から明治にかけてのものであろうか。
更に参道を進むと拝殿前にも一対の狛犬。
面白いのが手前の狛犬と同様に、子取りの阿形、子が背中に乗り玉取りの吽型の組み合わせなこと。
細部や表情などに違いはあるものの、構図は同じ組み合わせ。
やはり手前の狛犬とほぼ同じ構図で、明治二十七年(1894)奉納。
拝殿前の狛犬のほうが状態は良い。
参道途中左手に手水舎。
綺麗に整備され身を清める事ができる。
2020年1月に参拝した際は、お礼参りで花の奉納があったそうで、水盤が綺麗に彩られていた。
戦前の社殿が現存・拝殿屋根には飛狛犬
社殿は戦前のものが修復されつつ現存。
昭和十二年(1937)に改築された拝殿。
当時の氏子たちの多大な寄附によって竣工した拝殿が、今も綺麗に維持。
拝殿屋根には一対の飛狛犬の姿。
当社の拝殿屋根に置かれていた逆立ちをした狛犬。
可愛らしい姿なのでぜひ屋根にも注目したい。
2018年に参拝した際は、春の強風で尾が折れてしまい修復中であったが、2020年に参拝時はすっかりと綺麗な姿で修復されていた。
本殿も拝殿同様に昭和十二年(1937)に補修されたもの。
朱色に塗られた本殿。
境内社・小祠・悲願達成感謝の碑
境内の右手には境内社や小祠が幾つか置かれている。
一番奥に整備されていて、僅かな石段と高い位置に鎮座するのが浅間大神。
富士山を崇拝する浅間信仰による碑で、当地周辺にあった富士講によるものであろうか。
手前の小祠は、どちらも子安大明神とあり、同じく「下総三山の七年祭り」に参加する一社である「子安神社」(千葉市花見川区畑町)との関連を窺える。
御嶽山大神とあり、御嶽信仰によるものであろう。
その横には御由緒不詳の社と祠。
社殿の左手に祖霊殿。
全氏子の祖先および戦没英霊130余柱を祀る。
参道の左手には悲願達成感謝の碑。
治水工事に使用された掘削機の全面盤刃型を碑として置いたもの。
当社の裾を流れる浜田川の治水工事が行われたが、かなりの難工事であるため、当社境内の地下を通過し実籾小学校までのトンネルを通すという工事が行われた。
平成四年(1992)に竣工し、治水に対する悲願達成を記念して建立。
互いを支え合うアカガシとクロマツ・縁結びの神社
参道途中、左手にアカガシとクロマツの木。
どちらも枯れることなく根本からがっぷりと組んでいる珍しい木として習志野名木百選に選定。
根元には習志野名木百選の看板。
ずっとお互いを支え合い寄り添う姿から、当社が「縁結びの神社」と云われている事にも通ずる。
御朱印帳にはこのアカガシとクロマツがデザインされている。
こうしたご神木の他、当社は御祭神からも「縁結びの神社」と呼ばれる。
御祭神にはイザナギ・イザナミの夫婦神を祀る。
「大原神社」の御祭神:伊邪那岐命(いざなぎのみこと)(男神)
「大宮神社」の御祭神:伊邪那美命(いざなみのみこと)(女神)
夫婦神であり、国産み・神産みにおいて日本国土を形づくる多数の神をもうけた。
2柱が合祀され祀られた事で「縁結びの神社」「夫婦和合の神社」として知られるようになった他、さらに導きの神である猿田彦命(さるたひこのみこと)も祀られている。
月替りの限定御朱印・見開き御朱印・御朱印帳
通常御朱印と月替り御朱印は、御朱印帳に直接頂く事ができる。
こちらが通年の通常御朱印の扱いになり角印の朱印。
月替り御朱印は「大原神社之印」の朱印に、賑やかな添え印付き。
2020年1月の月替り御朱印は、だるまと干支のねずみ、ご縁結びの判付き。
2020年1月より数量限定で頒布の「月の神恩」「陽の神恩」の御朱印。
別々の御朱印(別紙)であるが、並べることで絵柄が繋がる仕様。
季節や通年で見開き御朱印も用意。こちらが通年の見開き御朱印『見守りの大樹』で別紙での授与。(現在はややデザインが違う)
2018年の10月から12月の季節の特別御朱印『実り』で、こちらも別紙での授与。
オリジナルの御朱印帳も用意。
当社の境内とアカガシとクロマツをデザインしたもので「縁結びの大原神社」の文字。
下総三山の七年祭り参加の1社
当社の例祭は10月19日に行われる。
他に1月20日に行われる「御奉射祭(おびしゃさい)」も古くからの行事として継続。
また当社は「下総三山の七年祭り」に参加する一社としても知られる。
下総国二之宮とされる「二宮神社」を中心に、丑年と未年にあたる年(数え7年目ごと)に開催される大祭。
船橋市・千葉市・八千代市・習志野市の9社の神輿が「二宮神社」境内に集結。
室町時代から続くお祭りで、千葉県の無形民俗文化財にも指定。
参加する9社にはそれぞれ役割が設けられており、当社は「叔母」の役割を担う。
所感
実籾の鎮守として崇敬を集めた当社。
東金御成街道の整備に伴い現在地へ遷座したと伝わり、今も真っ直ぐ伸びる東金御成街道(現・県道69号)沿いに鎮座。
境内はとても綺麗に整備されていて、街道沿いながら静かな鎮守の杜となっている。
「大原神社」に「大宮神社」が合祀された事で、イザナギとイザナミの夫婦神が揃い、今では縁結びの神社としても知られ、多くの崇敬を集めている。
最近は御朱印にも力を入れていて、その事から御朱印を集印している人からも人気の高い一社。
様々な努力を見る事ができる地域の鎮守で、地域の方にとって実に良い氏神さまだと思う。
実籾周辺の歴史を伝える良い神社である。
神社画像
[ 鳥居 ]
[ 狛犬 ]
[ 参道 ]
[ 狛犬 ]
[ 参道 ]
[ 手水舎 ]
[ 拝殿 ]
[ 本殿 ]
[ 狛犬 ]
[ 子安大明神 ]
[ 御嶽山大神 ]
[ 境内社・小祠 ]
[ 浅間大神 ]
[ 記念碑 ]
[ 授与所 ]
[ 絵馬掛・御籤掛 ]
[ 倉庫 ]
[ 神輿庫 ]
[ 祖霊殿 ]
[ 記念碑 ]
[ 社務所・参集殿 ]
[ 御神木 ]
[ 案内板 ]
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