神社情報
座間神社(ざまじんしゃ)
御祭神:日本武尊
社格等:村社
例大祭:8月30日
所在地:神奈川県座間市座間1ー3437
最寄駅:相武台下駅・座間駅
公式サイト:http://www.zamajinja.or.jp/
御由緒
第三十代欽明天皇の御代(今から1300年前)座摩郷(座間の古名)に悪疫流行し人々の困惑はつのるばかりであった。折しも森の中に泉水が湧出しているのを発見し、御神水であることを崇め、お社を創建し、飯綱大権現として奉祀するや、悪疫忽ち平癒したと云う。以後人々一切生業の守護神として恩恵を蒙っているのである。
正和二年再建、慶長七年領主内藤修理亮清成は社参して、武運長久、氏子の繁栄を祈念す。武家の崇敬奉祀も鄭重を極めたことが知られる。元禄十一年八月八日社殿改築、明治九年十一月二十四日座間神社と改称し、村社に列す。
境内に明治四十二年五月無格社である天神社、浅間社、明王社、山王社、道祖神を奉遷、昭和3年2月蚕神社を奉祀す。
大正五年八月十八日神饌幣帛料供進神社に指定される。
昭和二十年十二月、社格制度は廃止され、現在神社本庁に登録された神社として、崇敬されている。(境内の掲示より)
参拝情報
参拝日:2016/11/04
御朱印
初穂料:300円
社務所にて。
御朱印帳
初穂料:1,000円
社務所にて。
汎用の御朱印帳を複数用意している。
※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。
歴史考察
相模の飯綱さまと親しまれる座間神社
神奈川県座間市座間に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧座間宿村の鎮守。
かつては「飯綱権現社」という社号で、今も地域からは「飯綱さま」の名で親しまれる。
現在では武相総鎮護を称しており、現在のキャンプ座間など当地周辺に祀られていた神社の多くは当社境内に遷座しているため、座間市座間周辺の総鎮守と云える。
飯綱権現社として創建
創建年代は諸説あるのだが、社伝によると、欽明天皇の御代(539年-571年)に創建と伝えられている。
欽明天皇の御代(539年-571年)、座間郷に悪疫が流行。
その時、白衣の老人(飯綱権現の化身)が現れ、山裾から湧き出る清水を使うと良いと告げたため、村人がそのお告げに従って、湧水を飲んだところ悪疫も治まり、感謝した村人達が飯綱大権現としてお祀りしたのが始まりとしている。
一方で、天保年間(1830年-1844年)に編纂された『新編相模国風土記稿』には、正和二年(1313)に「飯綱権現社」を勧請されたと記されている。
座間市入谷にある座間郷総鎮守「鈴鹿明神社」の縁起では、当社は「鈴鹿明神社」の末社であったと記されていて、明治までは末社という扱いで崇敬を集めていた。
その「鈴鹿明神社」が欽明天皇の御代(539年-571年)に創建と伝えられているので、当社の社伝もそうした年代を採用しているのだろう。
いずれにせよ正和二年(1313)に創建、もしくは再建という形で、神社としての形を造ったのであろう。
飯綱権現は長野県の飯縄山に対する信仰
この「飯綱権現」であるが、一般的には「飯縄権現(いづなごんげん・いいづなごんげん)」と表記する事が多い。
長野県(古くは信濃国上水内郡)の飯縄山(飯綱山)に対する山岳信仰による神。
権現の名の通り、神仏習合の神となっており、天狗の姿で表現される事も多い。
元禄三年(1690)の刊行の「仏像図彙」を見るとよく分かる。
一般に「戦勝の神」として信仰される事が多いが、当社では「防火の神」として信仰を集めた。
飯綱権現は、戦勝の神として信仰されたため、中世には多くの武将に崇敬されている。
代表的なのが上杉謙信の飯綱権現前立兜であり、兜の前立に飯綱権現像が置かれている。
当地にも古くからそうした飯綱権現の信仰があったのだろう。
そうした事から当社は今でも「相模の飯綱さま」と親しまれている。
江戸時代の当社
慶長七年(1602)、領主・内藤修理亮清成が一統を率いて参拝。
武運長久、氏子の繁栄を祈願したとされる。
元禄十一年(1698)、社殿を改築した記録が残っている。
天保年間(1830年-1844年)に編纂された『新編相模国風土記稿』には当社についてこう書かれている。
(座間宿村)
飯綱權現社
神躰立像、正和二年五月二日の勧請と傳ふ。例祭八月廿四日、相撲を興行す。村持。
末社。稲荷。
鐘楼。享保5年鋳造の鐘なり。
天神社
村持、下同じ。
浅間社
末社に秋葉三峰を祀る。
山王社
明王權現社
祭神詳ならす。村内星谷坂の側に小塚あり。御供坂と號す。相傳て昔當社祭禮の時塚、上に供物を奠せし。其遺名なりと云。
座間宿村の「飯綱權現社」として記されているのが当社。
上述したように、こちらに正和二年(1313)に勧請と記されている。
例祭になると興行相撲が行われいたようだ。
その続きにある、同村に鎮座していた「天神社」「浅間社」「山王社」「明王權現社」は後に当社に遷座される事となる。
神仏分離による御祭神と社号の変更・鈴鹿明神社からの独立
明治になり神仏分離。
明治二年(1869)、「飯綱権現社」は神仏習合の色合いが強いため、「飯綱神社」に改称。
明治四年(1871)、天神原(現・キャンプ座間付近)にあった当社を座間宿村の村有林(現在の鎮座地)に移設遷座。
明治九年(1876)、「座間神社」に改称し、座間宿村の鎭守として村社に列した。
長らく「鈴鹿明神社」の末社であった当社であったが、こうして座間宿村の氏子地域と共に独立したという形になる。
この時、御祭神も日本武尊に変更となっている。
神仏分離の影響を強く受けたのであろう。
明治四十二年(1909)、無格社の天神社・浅間社・明王社・山王社・道祖神を当社境内に遷座。
『新編相模国風土記稿』に記されていた座間宿村の神社であり、当時は合祀政策が押し進められた時代のため、村社であった当社に遷座させられたのであろう。
大正五年(1916)、神饌幣帛料供進神社に指定される。
昭和三年(1928)、蚕神社を当社境内に遷座。
現在は境内社の伊奴寝子神社として整備されている。
戦後になり境内整備も進み、現在も氏子崇敬者によって崇敬を集めている。
一之鳥居から三之鳥居までの参道・急な石段の上に鎮座
最寄駅は相武台下駅で、そこから東に歩くと相武台下駅入口交差点の近くに一之鳥居が立つ。
元治元年(1864)建立とあり、当社が遷座した際に当地に遷されたものであろう。
そこから住宅街を通る参道が続く。
その先にまだ新しい二之鳥居。
こちらは東日本大震災で倒壊したものの、氏子崇敬者によって再建されたもの。
さらに進むと三之鳥居となる。
やや急な石段になっており、この石段の上に社殿が鎮座している。
この石段を上った先は、座間公園や米軍キャンプ座間の隣という形となっている。
かつては天神原と呼ばれた現在のキャンプ座間付近に鎮座していたが、明治四年(1871)に当地へ遷座された。
立派な社殿・多くの境内社
社殿は存在感を感じる造り。
大きく迫り出す破風になっているのが特徴的。
社殿左手には境内社が並ぶ。
明治四十二年(1909)、天神社・浅間社・明王社・山王社・道祖神を当社境内に遷座。
座間宿村に鎮座していた神社がこうして当社に遷された事になる。
その右手奥には稲荷社も鎮座している。
江戸時代の頃から末社として鎮座していた稲荷社。
境内右手には鐘楼が置かれている。
同じ座間市の「鈴鹿明神社」にも再建された鐘楼が置かれており、座間市周辺には不思議と鐘楼のある神社が多く、神仏習合の時代を思わせてくれる。
緑に囲まれた境内には目立つ御神木の姿も。
こちらは樹齢300年のシイの木でパワースポットとしても人気。
夫婦椹(さわら)は、夫婦円満・恋愛成就・安産成就などを祈念される方が多い。
ペットのための伊奴寝子神社・創建由来の御神水
境内の裏手からキャンプ座間沿いに社殿の左手に出ると伊奴寝子(いぬねこ)神社が鎮座。
現在はペットの健康や幸せを願うペット向けの神社として整備されている。
左右に猫像と犬像が置かれ、手のひらでさすると願いが叶うという。
元々は畜産や養蚕が盛んだった事、蚕や家畜などを疫病から守護する蚕神社が鎮座。
現在も右手にひっそりと置かれているのがそれであり、そこからペット向けの伊奴寝子神社に整備された。
社務所ではペット向けの御守なども豊富に用意されていた。
三之鳥居の手前、石段を上らず通り沿い右手、神社会館すいめいの右脇空き地の奥に御神水がある。
御由緒には、座間郷に悪疫が流行した時、飯綱権現の化身が現れ、山裾から湧き出る清水を使うようにと告げたとあり、創建にまつわる御神水となっている。
自由にお水取りができるため、この日も訪れる方が多かった。
御朱印は社務所にて。
丁寧に対応して頂いた。
汎用の御朱印帳も用意されていた。
社務所の右手は喫茶室になっていて食事休憩などもできる。
所感
座間市座間周辺の鎮守として崇敬を集める当社。
元は飯綱権現を祀った神社であり、明治維新後に御祭神が日本武尊に変更になり社号も現在の「座間神社」になったのだが、今でも地域からは「飯綱さま」と親しまれているように、古くから信仰され続けているのが伝わる。
現在ではペット向けの祈願などにも力を入れて努力されているのが分かる。
この日も参拝する方や、御神水をお水取りする方など見る事ができた。
古くは「鈴鹿明神社」の末社であり、合わせて参詣したい座間市を代表する一社である。
神社画像
[ 一之鳥居・社号碑 ]
[ 狛犬 ]
[ 参道 ]
[ 二之鳥居 ]
[ 参道 ]
[ 三之鳥居・社号碑 ]
[ 三之鳥居・石段 ]
[ 女坂 ]
[ 手水舎 ]
[ 拝殿 ]
[ 本殿 ]
[ 兼務社鳥居 ]
[天神社・浅間社・明王社・山王社・道祖神]
[ 稲荷社 ]
[ 納札所 ]
[ 夫婦椹 ]
[ 石祠 ]
[ 鐘楼 ]
[ シイの木 ]
[ 授与所 ]
[ 社務所・喫茶室 ]
[ 石碑 ]
[ 伊奴寝子神社参道 ]
[ 伊奴寝子神社(蚕神社) ]
[ 道祖神 ]
[ 石碑 ]
[ 御神水 ]
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