石川神社 / 東京都大田区

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神社情報

石川神社(いしかわじんじゃ)

御祭神:天照大神・白山姫命
旧社格:─
例大祭:10月上旬の土・日曜
所在地:東京都大田区石川町1-19-1
最寄駅:緑が丘駅・大岡山駅・石川台駅
公式サイト:http://yukigaya.info/ishikawa/

御由緒

正保年間(1644年~1648年)開村以来の鎮守である。 古くは石川村のみならず遠く品川界隅に至るまで崇敬者が多く、ことに「歯痛を患うとき祈りて験を得る」と文政11年(1828年)に記された新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしのくにふどきこう)に記されている。
現在でも、除夜祭の際にお配りする御神箸を用いて食すれば忽に歯痛治まると云われる。公式サイトより)

参拝情報

参拝日:2016/09/14

御朱印

初穂料:300円
雪ヶ谷八幡神社」社務所にて。

※普段は神職が常駐していないため、本務社「雪ヶ谷八幡神社」にて拝受できる。

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考察

大田区石川町の鎮守

東京都大田区石川町に鎮座する神社。
旧社格は無格社、旧石川村の鎮守。
元は「神明社」であり、その後村内にあった「白山社」を合祀している。
東京工業大学大岡山キャンパスに隣接しており、当社までの坂は「神明坂」と呼ばれている。

石川村の成立と由来

社伝によると、正保年間(1644年-1648年)に開村して以来の鎮守と伝えられている。

当地は江戸時代の頃には石川村という村であった。
社伝の通りであるのならば、石川村は正保年間に成立した事になる。
石川村の成立と共に、鎮守として村人が当社を創建したのであろう。

なお、石川村の由来だが、後述する江戸時代の史料『新編武蔵風土記稿』によると、近くを流れる呑川(のみかわ)の別称が石川であったとされている。
石川村はかなり小さな農村集落であったようだ。

江戸時代の史料から見る当社

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(石川村)
神明社
村の南にあり。此地の鎮守なれとも至て小祠なり。
白山社
除地三畝三歩。村の南、村民孝右衛門がかまへのうちにあり。土人、歯痛を患るとき祈て験を得るという。鎮座の年代傳はらす。
稲荷社
年貢地四歩。村の中央にあり、これも村民孝右衛門のもちなり。

「神明社」と記されているのが当社である。
石川村の鎮守であったが、小祠とあるように、この頃から規模の小さな鎮守であったようだ。
石川村には他にも「白山社」「稲荷社」があり、いずれも村民の孝右衛門が管理していたと記されていて、これらは現在は当社に合祀または遷座している。

歯痛止めの神様

特に「白山社」には、歯痛止めの御利益があったとされている。

上述の『新編武蔵風土記稿』にも「歯痛を患るとき祈て験を得る」と記されており、歯痛に対する祈願が多くあり、多くの崇敬者を集めたようだ。
ご由緒には品川界隈まで崇敬者がいたと記されている。

全国に多くある白山信仰の神社は、「白山(はくさん)」の語呂合わせから「歯苦散」とも云われ、歯の苦しみが散じるとして、歯の痛みを止めるのに霊験あらたかな神様とされる事が多い。
当社に合祀された白山社の御利益も正にこうした信仰によるものであろう。

現在でも、除夜祭の際にお配りする御神箸を用いて食事をすれば、歯痛が治まると云われる。

明治維新後と石川町の歴史

明治に入り神仏分離。
無格社であった。

明治二十二年(1889)、石川村・下池上村・桐ヶ谷村・久ヶ原村・徳持村・堤方村・市野原村・雪ヶ谷村・池上村・道々橋村の10村が合併し、池上村が成立。
当地は荏原郡池上村大字石川と呼ばれるようになる。
当社は石川(現在の石川町)の鎮守となった。

明治三十九年(1909)の古地図がある。
当時の石川町周辺の地理関係を確認する事ができる。

%e5%8f%a4%e5%9c%b0%e5%9b%b3今昔マップ on the webより)

当時の古地図には池上村の石川地域を見る事ができる。
この当時の古地図に、旧石川村内の神社がいくつ記されているかで、当社の合祀の歴史などがある程度推測できると思ったのだが、残念ながら現在の本務社である「雪ヶ谷八幡神社」の姿や、西側に「大音寺」の姿を見る事ができるのものの、石川には神社の地図記号を見る事ができない。

但し、これは時代を新しくしていっても地図に見る事ができない事から、かなり規模が小さな神社であったため、地図に表記されていなかったように思う。
『新編武蔵風土記稿』では「小祠」の表記が見られた事からも伺える。

明治の後期には、合祀政策が押し進められたため、旧石川村にあった「白山社」は当社に合祀されたものと見られ、現在の御祭神や御由緒にも「歯痛止め」が記されている事からも間違いがないだろう。
「稲荷社」も境内末社として当社に鎮座している。
この頃には石川の鎮守として「神明社」から「石川神社」の名に改称があったと思われる。
imageまた当社に繋がる閑静な坂道を古くから「神明坂」と呼んだ事から、「神明社」であった当社がある程度古くからこの地にあったのだろう。

大正十二年(1923)には、池上線が開通し「石川駅」が開業、すぐに現在の「石川台駅」に改称となっている。
大正十三年(1924)には、東京高等工業学校(現・東京工業大学)が浅草区蔵前から移転し、これが現在の大岡山キャンパスとなっており、当社に隣接している。
大正十五年(1926)、池上村は町制となり、荏原郡池上町となった。

戦後の昭和二十二年(1947)、大田区の成立と共に、大田区石川町となる。
その後町域調整があり、中原街道まで石川町2丁目が広がり現在に至っている。

当社は石川町1丁目の大部分と、2丁目(町域調整で広がった地域は「雪ヶ谷八幡神社」の氏子区域)の氏神様として、現在に至っている。

東工大に隣接するように鎮座

東京工業大学の大岡山キャンパスの南西に隣接するように鎮座する当社。
参道の入口は、当社が「神明社」だった頃に由来した「神明坂」という坂に面していて、「石川神社」と書かれた幟旗が出ているので、それを目印にするとよい。
東工大の敷地内かと思うような一角に当社は鎮座している。
image参道を進むと大変小さな神社が見えてくる。

境内には手水舎はなく正面に小さな鳥居がある。
imageその奥に鎮座するのが石川神社の小さな社殿。
image『新編武蔵風土記稿』で「小祠」と記されていた事から、こちらは覆殿になっており、中に祠が祀られているものだと思われる。
『新編武蔵風土記稿』に記載されていた、かつては石川村鎮守の「神明社」だった当社に、歯痛止めで崇敬を集めた「白山社」が合祀されたのであろう。

社殿の左手に小祠がありそちらが「稲荷社」となっている。
imageこちらも『新編武蔵風土記稿』に記載された「稲荷社」と思われ、当社境内に遷座したものと推測できる。
このように江戸時代に石川村にあった3社の神社は、全て当社に集められたという事になる。

境内右手には社務所があるのだが、こちらは普段は無人。
現在は「雪ヶ谷八幡神社」の兼務社となっている。
御朱印も「雪ヶ谷八幡神社」の社務所にて拝受できる。

雪ヶ谷八幡神社 / 東京都大田区
旧雪ヶ谷村(南雪谷・東雪谷)の鎮守社。太田康資による創建。「昭和の大横綱」大鵬による出世石と逸話。民間信仰を伝える江戸時代の庚申供養塔群。戦後再建の存在感ある社殿。御朱印。

所感

大田区石川町の鎮守として祀られている当社。
旧石川村が成立した時から、「神明社」は村の鎮守として祀られていたとあり、古くから小さな神社ながら地域からの崇敬を集めていたのだろう。
明治以後になり村内にあった「白山社」を合祀し、「稲荷社」を境内末社として遷座させたと思われ、石川村の神社が当社に集まった事が分かる。
現在も大変規模の小さな神社であり、一見すると東工大の一角に見間違えそうな位置に鎮座しているものの、境内は比較的綺麗で地域によって維持されているのが伝わる。
かつての村の鎮守が、小さいながらも今もこうして維持されているのは、氏子の崇敬によるものであり、現代において大切にしたい部分である。

神社画像

[ 境内 ]
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[ 鳥居・社殿 ]
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[ 社殿 ]
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[ 稲荷社 ]
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[ 社務所 ]
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[ 倉庫 ]
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[ 例大祭案内 ]
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