目次
神社情報
葛飾八幡宮(かつしかはちまんぐう)
御祭神:誉田別命(応神天皇)・息長帯姫命(神功皇后)・玉依比売命
社格等:県社
例大祭:9月15日(ボロ市)・10月(3年に1度の八幡祀)・4月(33年に1度の式年大祭)
所在地:千葉県市川市八幡1-2-1
最寄駅:京成八幡駅・本八幡駅
公式サイト:http://www.katsushikahachimangu.com/
御由緒
御創建は平安朝の昔、寛平年間(889-898)宇多天皇の勅願により下総の国総鎮守八幡宮として御鎮座、以来歴朝の御崇敬篤く、代々の国司・郡司をはじめ、国民の信仰深く、下総の国における葛飾文化、八幡信仰の中心となり、なかでも平将門の奉幣、源頼朝の社殿改築、太田道灌の社壇修復後、徳川家康の御朱印地社領52石の寄進等その尊信は篤いものでありました。また、御主神応神天皇の御事蹟により、文教の祖神、殖産興業、殊に農業守護の神として近郊の信仰をあつめております。毎年9月15日の御例祭日より20日まで、広大な境内で催される農具市の盛況さは、古来より関東一と称されています。(頒布のリーフレットより)
参拝情報
参拝日:2017/04/01(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2016/11/25(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2016/08/09(ブログ内画像撮影)
参拝日:2015/05/28(御朱印拝受)
ほぼ隔月
御朱印
初穂料:300円
社務所にて。
※兼務社の下総国総社「六所神社」の御朱印も拝受できる。
[2017/04/01拝受]
(三十三周年式年大祭特別御朱印)
御朱印帳
初穂料:1,000円
社務所にて。
オリジナルの御朱印帳を用意している。
紺色を基調に国の天然記念物でもある「千本公孫樹」がデザインされたもの。
裏面にも銀杏がデザインされている。
汎用の銀杏デザインの御朱印帳も用意。
※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。
歴史考察
下総国総鎮守の八幡様
千葉県市川市八幡に鎮座する神社。
旧社格は県社。
当宮は国府の近くに創建された「国府八幡宮」であり、その事から下総国総鎮守とされる。
葛飾地区の中心として崇敬を集め、国指定天然記念物の御神木「千本公孫樹」も有名。
境外には禁足地「八幡の藪知らず」が存在している。
平成二十九年(2017)四月に、33年に1度の三十三周年式年大祭が開催された。
下総国の国府八幡宮
社伝によると、寛平年間(889年-898年)に宇多天皇の勅願により、京都の「石清水八幡宮」を勧請し、下総国総鎮守八幡宮として創建された歴史を持つ。
下総国の国府は、当時の葛飾郡(現在の千葉県市川市の国府台)にあったとされている。
当宮はそうした国府を守護する下総国の国府八幡宮となる。
葛飾郡の中心となった当宮は大いに崇敬を集めた。
広範囲に及ぶ葛飾郡
現在では「葛飾」というと、「東京都葛飾区」を思い浮かべてしまうが、元は下総国に存在した「葛飾郡」から来ている。
下総国の国府が葛飾郡に置かれ(現在の市川市)、下総国の政治的な中心であったと云われ、『万葉集』にも葛飾の名が見れるように、大変古い地名である。
足の音せず行かむ駒もが葛飾の真間の継橋やまず通はむ
葛飾の真間の手児名がありしかば真間のおすひに波もとどろに
葛飾の真間の浦廻を漕ぐ船の船人騒く波立つらしも
他にも『万葉集』からは多くの葛飾を詠んだ歌を見る事ができる。
この下総国葛飾郡が武蔵国と下総国に分割され、さらに何度かの分割を経た歴史を持つ。
古くはかなり広範囲の一帯を「葛飾」と呼んでいた。
当宮は下総国における葛飾文化・八幡信仰の中心として崇敬を集めた。
現在も「葛飾八幡宮」として葛飾の名を冠している事からも察する事ができる。
時代の権力者からの庇護
宇多天皇の勅願によって創建した当宮は、朝廷からの崇敬も篤く、また時代の権力者からの崇敬も篤いものがあった。
特に武神として東国武士たちからの崇敬を集めている。
平安期には、平将門による奉幣が行われている。
当地には将門の伝承(八幡の藪知らずなど)が幾つか残っている。
治承四年(1180)、源頼朝が下総国府へ入ると、自ら参詣して源氏の武運を祈願。
建久年間(1190年-1199年)、千葉常胤に命じて社殿を修復させた。
源氏の氏神である八幡神への崇敬を感じさせてくれる。
文明十一年(1479)、太田道灌が関東の安泰を祈って参拝し、社殿の修理を行った。
他にも千葉氏、上総氏、安房国の里見氏など房総の武士団から大いに崇敬を集めた。
天正十九年(1591)、江戸入りした徳川家康によって、朱印地52石を賜っている。
以後、徳川将軍家からも多大な崇敬を集めた。
江戸時代に描かれた当宮
江戸時代には佐倉街道(成田街道)が整備され、八幡宿が成立。
当宮を中心に栄え、現在の八幡地区(本八幡駅周辺)の基礎を築いた。
天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。
「八幡八幡宮」として描かれているのが当宮。
その奥には当宮の別当寺であった「寛永寺」の末寺「法漸寺」(現在は廃寺)の姿を見る事ができ、境外の右下には「八幡不知森」として「八幡の藪知らず」が描かれている。
当時は江戸と佐倉や成田を結ぶ重要な幹線道路沿いにあった当地。
佐倉街道(成田街道)の整備によって、街道筋は八幡宿として栄えた様子を見る事ができる。
注目すべきは現在と当時との配置。
江戸時代の頃も現在も配置はほぼ変わっておらず、鳥居があり長い参道があり随神門(当時は仁王門)がありといった配置になっており、今も当時の面影を見る事ができる。
社殿の右手には御神木の「千本公孫樹」の姿も見る事ができる。
神仏分離・当宮を中心に栄えた八幡
明治になり神仏分離。
別当寺であった「法漸寺」は廃寺となっている。
明治十三年(1880)には郷社に、後に県社に列した。
明治三十九年(1906)には、幣饌料供進社に指定された。
明治三十六年(1903)の古地図がある。
当時の当地周辺の地理関係を確認する事ができる。
(今昔マップ on the webより)
「八幡神社」と記されているのが当社で、「不知八幡森」も記されている。
既に総武本線の線路は近くを通っているが、当時はまだ本八幡駅は存在していない。
八幡、門前の大字があるように、当宮を中心に地域が栄えていった事が分かる。
また当宮の北側は古八幡と呼ばれていた。
昭和十年(1935)、総武本線の本八幡駅が開業。
戦後には、当宮の門前、そして駅前が発展し、現在に至る。
現在も下総国総鎮守として地域からの崇敬を集めている。
当宮の祭礼は9月15日から6日間にわたって行われる。
俗に「八幡のぼろ市」とよばれる近郷に名高い農具市。
一時は「関東一」とも云われ、かつて関東三大農具市のひとつに数えられるほどであった。
また当宮には、33年に1度行われる「三十三周年式年大祭」が存在。
平成二十九年(2017)四月に開催された。
境内案内
随神門・鐘楼堂といった神仏習合の名残を残す境内
本八幡駅や市川市役所といった中心地からも近い当宮。
街全体が当宮を中心に発展したのを思わせてくれるが、それでも比較的広い境内を維持している。
市川市役所のほぼ隣に大きな一之鳥居が建つ。
こちらが表参道で、進んで行くと線路があり踏切を渡ると二之鳥居が見えてくる。
ここからは比較的長い参道が続く。
参道の途中に朱色が鮮やかな随神門。
明治維新以前は、天台宗上野寛永寺の末寺、「法漸寺」の仁王門だったもの。
かつては当宮の別当寺であった「法漸寺」だが、神仏分離の影響で廃寺となっており、その際にこうして「随神門」として整備された。
現在は市川市指定有形文化財となっており、平成十四年(2002)に塗り替え修復が行われ、さらに平成二十八年(2016)8月まで塗り替え修復が行われていた。
さらに長い参道は続きその先に神門。
神門を潜ると右手に手水舎、正面に社殿となる。
社殿は立派で格式を感じさせる造り。
社殿の左隣には神楽殿。
この神楽殿の内奥には大絵馬が掛けられている。
江戸時代末期に奉納されたもので、御祭神である神功皇后と、応神天皇に仕えた功臣・武内宿禰が描かれた、大絵馬となっている。
さらに社殿の向かい側右手には鐘楼堂が置かれている。
神社に鐘楼という今では不思議な光景ではあるが、神仏習合時代の名残である。
現在は廃寺となっている別当寺「法漸寺」が管理していたもので、明治維新後の神仏分離による廃仏毀釈運動という時代の荒波を乗り越える貴重な光景と云えるだろう。
この鐘楼堂の前には力石や、源頼朝伝承が残る駒どめの石が置かれている。
国指定天然記念物の御神木・千本公孫樹
当宮のシンボルとも云えるのが御神木である「千本公孫樹(せんぼんいちょう)」である。
社殿の右手にそびえ立ち、国の天然記念物に指定されている。
推定樹齢は1,200年。
上述の『江戸名所図会』にも描かれた古木である。
多くの幹が寄り添って支え合う姿をしている事から、縁結びの御神徳があると伝えられている。
また一部が乳銀杏(垂れ下がった樹木)になっており、乳の出ない女性が乳の形をした瘤を削り、煎じて飲むと、乳の出が良くなるという言い伝えが残っている。
現在は天然記念物として保護されているので、そうした事はできないのだが、育児守護の信仰のある大木と云えるだろう。
更に古来、千本公孫樹には白蛇が棲むと伝えられており、その姿を見たものは、幸福を授かるとの言い伝えが残されている。
式年大祭に向け整備が行われた境内
平成二十九年(2017)に行われた33年に1度の式年大祭。
こちらに向け境内整備がずっと行われていて、参拝する度に新しい姿を見る事ができた。
上述した随神門の塗替えなどもその一環となっている。
境内では境内社の多くの整備が行われた。
社殿の右手にある厳島社は、平成二十七年(2015)の春先は工事していたのだが、同年夏頃には完成し、弁天池が綺麗に整備された。
社殿の裏手右側には多くの境内社が並ぶ。
浅間社は小さな富士塚のようになっている。
さらにその横に道祖神・庚申塔などが並び、八坂社、尾上稲荷社、葛飾天満宮と並ぶ。
葛飾天満宮の右手には裏参道となっており、そちら側からは弓道場である清明館も新築された。
このように着々と境内整備が進む当宮。
新旧入り混じった実に見どころの多い境内となっている。
御朱印は社務所にて。
色々お話を伺いつつ、丁寧に対応して頂いた。
兼務社の下総国総社「六所神社」の御朱印も拝受できる。
慣用句として広辞苑にも載る禁足地「八幡の藪知らず」
さらに注目すべきは境外にある「八幡の藪知らず」と呼ばれる一角。
当宮から少し行った先の千葉街道(国道14号)沿い、当宮の一之鳥居の近くで、市川市役所のほぼ向かいにある。
上述した『江戸名所図会』にも「八幡不知森」として描かれているように、古くから禁足地として有名な場所で、現在も禁足地として立ち入る事はタブーとされている。
「足を踏み入れると二度と出てこられなくなる」という神隠しの伝承があり、少なくとも江戸時代の史料にはそういった言い伝えがあった事が分かる。
この由来にはいくつか説があり、有名な説を挙げていく。
- 平将門の墓所説
- 平将門の家臣の墓所説
- 平良将の墓所説
- 日本武尊の陣屋説
- 水戸光圀が迷い出て来れなくなった説
などなど、他にも多くの言い伝えが残っている。
平将門伝説のように祟りがあるとして禁足地となった説もあれば、水戸光圀(水戸黄門)が迷子になったため禁足地にしたといったユニークな説まで実に様々である。
特にこの水戸光圀の逸話は、幕末から明治初期にかけて活躍した浮世絵師・月岡芳年が『不知藪八幡之実怪』として錦絵に描いた事で広まった。
右側に水戸光圀が描かれており、妖怪が現れた様子を描いている。
こうして「八幡の藪知らず」は、当地の住民だけでなく、全国的にも有名になっていく事になる。
いずれにせよ、この地の人々は古来畏怖した土地であったのが分かる。
現在もやや規模は小さくなってはいるものの、こうしてその存在が残され、大切に保管されているのは素晴らしい事だと思う。
国道沿いにあり車通りも多いのだが、中々に雰囲気のある場所となっている。
秋の境内と千本公孫樹・ライトアップイベントも
上述の画像は夏の境内であったが、秋の紅葉時期の境内も実に風流なものとなる。
参道は黄色い絨毯となりとても美しい。
正に銀杏がシンボルになる当宮ならではの光景。
そして何より見事なのが黄色に輝く千本公孫樹。
社殿との対比が美しく神秘的な光景を見る事ができる。
美しく黄色になった千本公孫樹は、市川市唯一の国指定天然記念物であり当宮のシンボル。
当宮の御朱印帳には黄色く色付いた千本公孫樹がデザインされており、正にこの光景。
2016年は11月25-27日の金土日の3日にかけて開催であった。
参道は小さな灯籠が置かれ幻想的な空間に。
この灯籠は地域の子供達の手作りによるもので、近くで見ると切り絵だったり絵が描かれていたりと微笑ましい。
随神門も朱色に輝き美しい。
開催日の18時にカウントダウンが行われ千本公孫樹のライトアップが開始。
暗闇に黄色く輝く千本公孫樹がとても幻想的。
暗い社殿との対比も素晴らしい。
このライトアップに合わせて、地域の小学校弦楽部による演奏や、雅鳳会による雅楽、八幡囃子保存会によるお囃子など、各日イベントが催される。
地域と共に楽しめるイベントとなっており素敵な光景。
氏子の方々による手作りの甘酒の無料配布なども行われており、正に地域と一帯となったイベント。
33年に1度の三十三周年式年大祭
当宮には、33年に1度行われる「三十三周年式年大祭」があり、平成二十九年(2017)四月に開催。
日程は以下の通り。
宵宮(随神門前午後4時半より)
三十三周年式年大祭(関係者)・神事芸能(会場神楽殿)・奉納芸能(会場 千本公孫樹前特設ステージ・八幡市民会館・神楽殿)・お稚児行列(稚児社参・午後一時半拝殿前)・野点(神門内千本公孫樹脇)・子供神輿(各地域宮出、宮入3時半)・山車渡御(随神門前出発)
大神輿渡御(八幡・南八幡)・弓道大会(会場清明館)・野点(神門内千本公孫樹脇)・神事芸能(会場神楽殿)・奉納芸能(会場千本公孫樹前特設ステージ・八幡市民会館・神楽殿)
終了奉告祭(関係者)・神事芸能(会場神楽殿)・奉納芸能(会場千本公孫樹前特設ステージ・八幡市民会館・神楽殿)・子ども剣道大会(会場清明館)
式年大祭に合わせて境内整備が進められ、境内社や施設の新築や整備、随神門の塗替えなど、数年かけて行われた。
以下は、4月1日の「三十三周年式年大祭」の様子。
多くの人々が参詣に訪れ、この日は子供神輿の宮入が行われた。
地域からの篤い崇敬を感じる一幕。
境内の各所では催し物や奉納芸能が行われる。
神楽殿では千葉県神社庁雅楽会による舞楽。
千本公孫樹特設ステージでは、様々な演芸が行われ、市川市地元アイドルの市川乙女のステージなども。
参道横にある2017年3月にオープンしたばかりの八幡市民会館ステージ(全日警ホール)でも、様々な催し物が行われており、正に地域をあげての祭り。
33年に1度のみ行われる「三十三周年式年大祭」。
こうして参詣する事ができた事に感謝したい。
所感
下総国総鎮守として古来崇敬され続けてきた当宮。
現在この地域が栄えているのも当宮があったからであり、当地の発展を見守ってきた鎮守。
境内には存在感抜群の御神木があり、神仏習合時代の名残も見る事ができ、それでいて境内整備が行われ、新旧の調和が取れた大変素晴らしい境内となっている。
四季を感じる事ができる素敵な境内。
そして境外にも禁足地として江戸時代から有名な「八幡の藪知らず」が存在。
栄えた駅周辺から一気に澄んだ空気に変わるのが魅力に感じる千葉県を代表する良社である。
神社画像
[ 一之鳥居・社号碑 ]
[ 二之鳥居 ]
[ 参道 ]
[ 狛犬 ]
[ 随神門 ]
[ 参道 ]
[ 神門 ]
[ 手水舎 ]
[ 拝殿 ]
[ 本殿 ]
[ 千本公孫樹 ]
[ 神楽殿 ]
[ 大絵馬(神楽殿内) ]
[ 石碑 ]
[ 鐘楼堂 ]
[ 絵馬掛 ]
[ 力石 ]
[ 駒どめの石 ]
[ 境内風景 ]
[ 厳島社 ]
[ 神輿庫 ]
[ 浅間社 ]
[ 道祖神・庚申塔 ]
[ 八坂社 ]
[ 道祖神 ]
[ 尾上稲荷社 ]
[ 葛飾天満宮 ]
[ 裏参道鳥居・社号碑 ]
[ 清明館(弓道場) ]
[ 石碑 ]
[ 社務所 ]
[ 氏子会館 ]
[ 案内板 ]
– 以下2016/11/25撮影 –
[ 二之鳥居 ]
[ 参道・随神門 ]
[ 社殿・千本公孫樹 ]
[ 千本公孫樹 ]
[ 八幡の藪知らず ]
[ ライトアップイベント ]
– 以下2017/04/01撮影 –