神社情報
稲毛浅間神社(いなげせんげんじんじゃ)
御祭神:木花咲耶姫命・瓊々杵尊・猿田彦命
社格等:村社
例大祭:7月14日・15日
所在地:千葉県千葉市稲毛区稲毛1-15-10
最寄駅:京成稲毛駅・稲毛駅・稲毛海岸駅
公式サイト:http://www.inage-sengenjinja.or.jp/
御由緒
浅間神社は霊峰富士の御神威を仰ぎ戴きまつる神社として全国に約千五百社余りが祀られ、その中心は静岡県の富士山本宮浅間大社です。
稲毛浅間神社は大同三年(808)富士山本宮浅間大社より御分霊を頂き、お祀りしたと伝えられています。
こののち稲毛の里人はもとより街道筋なこともあって代々の領主、武将の信心も篤く、古文書によれば治承四年(1180)秋、源頼朝が戦勝祈願をしたことや千葉常胤氏以降歴代の千葉氏が度々祈願に見えたことがわかります。
神社の紋、九曜紋は千葉氏の家紋の一つでもあり、この点からも地元の豪族、千葉氏とのかかわりが窺われます。(頒布のリーフレットより)
参拝情報
参拝日:2018/08/14(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2015/06/18(御朱印拝受)
御朱印
初穂料:300円
社務所にて
御朱印帳
初穂料:1,200円(ちりめん朱印帳/白茶朱印帳)・1,700円(キティ朱印帳)
社務所にて。
オリジナルの御朱印帳を用意している。
ちりめんタイプと、白茶タイプの御朱印帳。
キティがデザインされた御朱印帳の3種類を用意。
裏には九曜紋と社号。
※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。
授与品・頒布品
交通安全ステッカー
初穂料:300円
社務所にて。
歴史考察
稲毛鎮守の浅間様
千葉県千葉市稲毛区稲毛に鎮座する神社。
旧社格は村社で、稲毛一帯の総鎮守。
平安時代に創建した浅間信仰(富士信仰)の古社。
代々千葉氏からの崇敬が篤かったと云い、現在も社紋は千葉氏の紋・九曜紋になっている。
古くは海上に一之鳥居があったものの、稲毛海岸の埋め立てによってその光景は失われた。
平成二十七年(2015)に御社殿再建五十周年記念行事として神門が建立された他、境内整備が行われ、広大な社地と綺麗な境内を有し、地域から崇敬を集めている。
平安時代に富士山本宮浅間大社より勧請
社伝によると、大同三年(808)に創建と伝わる。
「富士山本宮浅間大社」より御分霊を勧請されたと云う。
駿河国一之宮とされ、富士信仰(浅間信仰)の中心であり、全国に約1,300社あるとされる「浅間神社」の総本社。
「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されている。
富士山を信仰する富士信仰(浅間信仰)の神社として創建。
古くは当地から海を挟み富士山が眺望できたと云い、富士山に対する信仰が古くから村民の間に広まっていたものと思われる。
源頼朝も祈願・千葉氏からの篤い崇敬と九曜紋
治承四年(1180)、源頼朝が東胤頼を使者として御幣物を寄進。
武運長久を祈願した伝承が残っている。
その事から東六郎胤頼とも呼ばれ、千葉東部に勢力を伸ばした東氏や遠藤氏の祖とされる。
文治三年(1187)、千葉常胤によって社殿が再建。
富士山の形に盛土をし、参道も富士登山道にならい三方に設けたと云う。
社殿は江戸湾を隔てて富士山と向かい合うように建立されたと伝わる。
当地は千葉氏の領地となり、千葉常胤以降、歴代の千葉宗家が祈願に訪れたと云う。
常胤は平家との戦いや奥州藤原氏との戦いで活躍し、筆頭御家人として活躍。
常胤以降、一族は諱に「胤」の一字を受け継ぐことが多くなる。
千葉氏からの崇敬の篤さは現在も残る社紋からも窺える。
当社の社紋は九曜紋であり、千葉氏が使用した家紋の1つとして知られている。
稲毛村の鎮守として広大な社地を有した江戸時代
江戸時代に入ると、稲毛村の鎮守として崇敬を集める。
社地は東西四百間(約720m)、7町5反歩(2万2500坪)にも及んだと云う。
神社のすぐ前が海で江戸湾を一望でき、富士山も眺望できたと云う。
海岸沿いに街道があり、村民や旅人からも崇敬が篤く、富士講なども結成されていた。
かつて千葉街道の先は海・稲毛海岸と海上の一之鳥居
明治になり神仏分離。
当社は村社に列した。
明治二十二年(1889)、市制町村制の施行により、検見川村・稲毛村・畑村が合併し千葉郡検見川村が成立。
明治二十四年(1891)、町制を施行して検見川町となる。
当社は検見川町稲毛一帯の鎮守として崇敬を集めた。
明治三十二年(1899)、稲毛駅が開業。
明治三十六年(1906)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。
(今昔マップ on the webより)
赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
稲毛という地名、開業したばかりの稲毛駅なども記されている。
まだ駅前は閑散としており、稲毛は当社を中心に栄えていた事が分かり、まさに稲毛の中心であった。
社頭を走る千葉街道のすぐ先が海岸であり、これを稲毛海岸と呼んだ。
潮干狩りが有名な海岸で、当社から東京湾を見渡せ、富士山が見えたというのも頷ける。
明治三十九年(1906)、神饌幣帛料共進社に指定。
大正八年(1919)に多田屋書店から出版された『千葉県誌』には当社について以下のように記されている。
浅間神社
同町大字稲毛字大山に在り、境内四千八百十八坪、木花開耶姫命・瓊瓊杵尊・猿田彦命を合祀す。社傳に云、大同三年五月三十日の創建にして、天正以来領主大野石河氏等土地若干を寄附すと。末社七座あり、社地千葉街道に沿ひ、前面石垣を廻らし、社宇頗る美なり。明治三十九年十二月幣饌料供進指定。
「浅間神社」として記しており、御祭神は現在と同様の三柱となっている。
千葉街道に沿って社地があり、「社宇頗る美」と記してある。
文治三年(1187)に再建された社殿が現存していたと云い、素晴らしかったのであろう。
更に、当時は稲毛海岸に面した海上に当社の一之鳥居が立っていた。
昭和三十年(1955)の当社の一之鳥居を撮影したもの。
海上に鳥居がある事が分かり、これが当社から千葉街道を挟んですぐの光景。
戦後からしばらくは当社は海のすぐそこに鎮座する神社であった。
同じく昭和三十年(1955)の当社の一之鳥居で、これは7月の例大祭時の様子。
例大祭の日のみ、鳥居まで舟で橋が架かり、一之鳥居でお祓いを受ける風習が残っていた。
「千葉海浜ニュータウン構想」によって、昭和四十四年(1969)から宅地造成のための埋め立てが進み、住宅都市へと生まれ変わる事となる。
一方で稲毛海浜公園を造る計画が生まれ、昭和五十一年(1976)に日本初の人工海浜「いなげの浜」が一般公開された。
こうして昭和四十年代には当社の前にあった稲毛海岸は埋め立てられ、海上の一之鳥居も失う事になる。
現社殿の建立・御社殿再建五十周年記念行事
昭和三十九年(1964)、原因不明の火災によって社殿が焼失。
文治三年(1187)に千葉常胤によって再建された社殿が改修されつつ現存していたと云い、当時の素晴らしい社殿は焼失してしまう。
昭和四十一年(1966)、社殿が再建。
これが現在の社殿となっている。
平成二十七年(2015)、御社殿再建五十周年記念行事として神門が建立。
他にも様々な境内整備が行われ、現在に至る。
境内案内
千葉街道沿いに鎮座・千葉街道を挟んで2つの鳥居
最寄駅の京成稲毛駅からだと裏参道から入る形が近いが、千葉街道沿いに面しているのが表参道。
朱色の大鳥居は昭和五十年(1975)に竣工したもので、社頭には一対の大狛犬。
千葉街道に面して社号碑を兼ねた大きな案内板が立つ。
この大鳥居と千葉街道を挟むようにして鳥居が立つ。
千葉街道の先にあるのが実質、一之鳥居となる。
上述したように昭和三十年代までは、この千葉街道のすぐ先が海岸であった。
鳥居が立っているあたりは潮干狩りで人気だった稲毛海岸で、その先の海上にかつて一之鳥居があり、例祭日になると舟で橋が架かり一之鳥居でお祓いを受けたと云う。
この鳥居の先は海であったと思えば感慨深い。
市の天然記念物である老松が茂る境内
大鳥居を潜ると綺麗に整備された境内。
広い境内で綺麗に参道が整備されていて、緑が生い茂る。
参道には多くの老松があり、これらは千葉市指定天然記念物。
かつて稲毛海岸と呼ばれた海岸近くだった面影を残している。
御社殿再建五十周年記念行事で建立された神門
表参道を進むと石段の上に神門。
平成二十七年(2015)に御社殿再建五十周年記念行事として建立。
2015年6月に参拝した時はまだ工事中であったが、その4ヶ月後に竣工した神門で、2018年8月参拝時でもまだ木の香りを感じる事ができる新しい神門。
手水舎は社殿へ向かう石段の下にある形。
手水舎の左右に石段があり、どちらからでも社殿へ向かう事ができる。
再建された朱色の社殿・社紋は九曜紋
石段を上ると正面に朱色の社殿。
社殿までの参道を広く取っていて清々しい。
社殿は昭和四十一年(1966)に再建されたもの。
昭和三十九年(1964)の火災によって焼失した旧社殿は、文治三年(1187)に千葉常胤によって再建された社殿だったと云い、江戸湾を隔てて富士山と向かい合うように建立されていたと云う。
現在は朱色が映える社殿となった。
拝殿に掛かる神前幕や提灯には九曜紋。
社紋の九曜紋であり、千葉氏が使用した家紋の1つとして知られている。
神楽殿・県指定無形民俗文化財の神楽
社殿の手前、左手には神楽殿。
神楽殿には「稲毛浅間神社神楽」の文字。
神楽殿は高台にあるため、社殿のある高さからだと神楽殿のみが見えるが、下から見ると倉庫の上に立つ。
神楽殿の横に「稲毛浅間神社神楽伝承の記」の石碑が残されている。
当社の神楽は、永正元年(1504)九州方面から来た旅人が、当時の神主・大越蔵之助に伝授したのが始まりと伝えられている。
12座の演目で毎年、元旦・節分・5月5日の春祭・7月15日の例大祭・11月3日の七五三祝い・11月23日の秋祭の年6回演じられる。
昭和三十七年(1962)に千葉県指定無形民俗文化財に指定された。
多くの境内社・当地の歴史を伝える境内
境内社は神門の手前に整備。
神門の右手前に鎮座するのが八坂神社。
左手に鎮座するのが大宮神社。
大宮神社の奥にも境内社が並ぶ。
古い狛犬が待ちかまえ、その奥に二社。
左手にあるのが神明社。
右手にあるのが三峰神社。
その中央に置かれているのが庚申塔。
民間信仰として各地に広まった庚申信仰によるもの。
三猿の他、邪気を踏みつける青面金剛の姿を見る事ができる。
御朱印と御朱印帳・安産子育ての神として崇敬を集める
御朱印は社務所にて。
御朱印受付所が設けられていて、神職や巫女などの数も多く丁寧に対応して下さる。
オリジナル御朱印帳も用意。
ちりめんタイプの御朱印帳(初穂料:1,200円)
白茶タイプの御朱印帳(初穂料:1,200円)
キティがデザインされた御朱印帳(初穂料:1,700円)
計3種類を用意。
当社は浅間信仰の他、古くから「安産・子育ての神」として崇敬を集めている。
そのため安産祈願に訪れる方も数多い。
『俺ガイル』アニメの聖地にも
少し余談になるが、原作はライトノベルでTVアニメ化もした『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』という作品は、千葉市が舞台になる事が多い。
主人公たちが初詣に訪れた神社が当社とされている。
公式にコラボしている訳ではないため、聖地巡礼というほど盛り上がってはいないようだが、2015年に参拝した際は、一部の絵馬に痛絵馬を見る事ができた。
所感
稲毛の総鎮守として崇敬を集める当社。
古くは当社から富士山を眺望できたと思われ、江戸湾を挟んだはるか先の霊峰・富士山に対する信仰が当地にあり、富士信仰の中で当社が創建されたのであろう。
当地を含め現在の千葉市の広い地域を支配した千葉氏からの崇敬も篤かったと云い、現在も社紋は千葉氏が信仰した妙見信仰に由来する九曜紋となっている。
かつては千葉街道の先が稲毛海岸と云う海岸であり、当社と海の距離はもっと近かった。
海上にあった一之鳥居はシンボルでもあったようで、その先に富士山を見たのだと思う。
一帯は埋め立てられ都市住宅化して、当時の面影はなくなってしまったが、境内の老松などに海岸近くであった景色を僅かに残す。
今も広い社地を有し、綺麗に整備された境内と、地域一帯からの篤い崇敬が伝わる神社。
この日も初宮参りなどされている方も多く、地域と結びついた良い神社である。
神社画像
[ 大鳥居 ]
[ 狛犬 ]
[ 社号標 ]
[ 大鳥居・一之鳥居 ]
[ 一之鳥居 ]
[ 参道 ]
[ 神門 ]
[ 手水舎 ]
[ 社殿 ]
[ 御籤掛 ]
[ 絵馬掛 ]
[ 神楽殿 ]
[ 石碑 ]
[ 案内板 ]
[ 社務所 ]
[ 八坂神社 ]
[ 大宮神社 ]
[ 境内社参道 ]
[ 神明社 ]
[ 庚申塔 ]
[ 三峰神社 ]
[ 天王宮 ]
[ 山王宮 ]
[ 水神宮 ]
[ 稲荷神社 ]
[ 石碑 ]
[ 北参道・鳥居 ]
[ 東参道 ]
[ 老松 ]
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