下総野田愛宕神社 / 千葉県野田市

神社情報

下総野田愛宕神社(しもうさのだあたごじんじゃ)

御祭神:迦具土命
社格等:村社
例大祭:10月24日
所在地:千葉県野田市野田725
最寄駅:愛宕駅
公式サイト:http://sakuragi.info/

御由緒

野田開墾の後、火の災難を防禦せんが為、山城國愛宕郡愛宕(現在の京都市右京区)の里からこの地に、迦具土命の御分霊を遷奉りて氏神とした。時に延長元年(西暦923年)であります。迦具土命は雷神を祀り、防火を司る神様であります。依って野田郷開梱後、郷内に勢力を伸ばしはじめた土豪(農兵)等の間に争いなどがあり、山火事ばかりでなく兵火の心配も多く故に火伏の神を祀ったと伝えられています。
迦具土の「カグ」とは、火の輝くこと「ツチ」とはその霊力のことであり、この神名は神の輝くお力について言ったものであります。また火霊神(ほむすびのかみ)とも言われ、火が万物を生み育てる力の根源である霊力を称えた名であります。古代の農耕守護、五穀豊穣の神様であります。他に、愛児(あたご)様と申しまして安産、子供の成長、成育の神様でもあらせられます。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2017/04/06

御朱印

初穂料:300円
櫻木神社」授与所にて。

※本務社「櫻木神社」にて御朱印を頂ける。
※書き置きのみで朱色の別紙で頂ける。

歴史考察

野田町鎮守の愛宕神社

千葉県野田市野田に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧野田町の鎮守。
江戸時代後期の社殿が現存し、本殿は千葉県の有形文化財に指定。
現在は「櫻木神社」(野田市桜台)の兼務社となっている。

火伏せ・防火に霊験ある愛宕信仰

社伝によると、延長元年(923)に創建と伝わる。
山城国「愛宕神社」(現・京都府京都市右京区)から迦具土命を勧請したとされる。

京都市左京区の「愛宕神社」は全国に約900社ある愛宕信仰の総本社。山城国と丹波国の国境にある愛宕山山頂に鎮座し、神仏習合時代は愛宕権現を祀った。火伏せ・防火に霊験のある神社として古くから信仰を集めた。
当社は全国に約900社を数える愛宕神社の総本宮として京都市の愛宕山上に鎮座します。 古くより火伏・防火に霊験のある神社として知られています。

かつての当地は野田郷と呼ばれる一帯であった。
野田郷が開墾された際に、郷内で土豪による対立や争いが発生。
兵火や山火事など火防のため創建されたと伝えられている。

明治の神仏分離によって、現在は迦具土命を祀っているが、神仏習合の時代は愛宕権現を祀っていたものと見られ、古い石灯籠には「愛宕大権現」の彫刻も残っている。
迦具土(かぐつち)とは、火の神として知られ、神産みにおいてイザナギとイザナミとの間に生まれた神。
「迦具」は「輝く」の意であり、「土」の「つ」は「の」に相当する古語で、「ち」は神の霊力を表す意とされ「輝く火の神」という意味になる。

江戸時代における当社の歩み

当社に関する中世の史料は殆ど残っていない。

江戸時代に入ると野田郷は多くの村に分村する。
江戸時代初期には、野田町・清水村・上花輪村・中野台村・堤台村・桜台村・大殿井村に分村しており、これらが現在の野田市を形成していく事となる。
当地は野田町と称され、野田町の鎮守として崇敬を集めた。

寛永二十年(1643)、当社の別当寺として「西光院」が創建。
現在も当社に隣接して現存している。

享和二年(1802)、夏に大旱魃(だいかんばつ)が発生。
野田町や山崎村で雨乞いが行われる。
文政元年(1818)、その雨乞いが当社の祭礼で行われるようになった。
この神事を「津久舞(つくまい)」と呼び、千葉県指定の無形民俗文化財となっている。

文政八年(1824)、本殿が再建。
11年の歳月をかけて造営されたもので、この本殿が現存している。

天保二年(1831)、別当寺「西光院」が火災によって焼失。
弘化二年(1845)、本堂が再建されている。

江戸時代の当社は、別当寺「西光院」と共に、野田町の鎮守として崇敬を集めた。

明治以降の当社の歩み

明治になり神仏分離。
当社は村社に列した。

当社の創建時は愛宕権現を祀っていたと推測できるが、神仏習合の色合いが濃いため、御祭神もこの時に迦具土命へ改めたものと思われる。

明治二十二年(1889)、町村制施行により、野田町・堤台村・中野台村・清水村・上花輪村・桜台村・今上村が合併し、東葛飾郡野田町が成立。
野田町の鎮守として崇敬を集めた。

昭和四年(1929)、愛宕駅が開業。
駅名は当社に由来している。

戦後まもない昭和二十八年(1953)の古地図がある。
当時の当地周辺の地理関係を確認する事ができる。

今昔マップ on the webより)

当時も現在も鎮座地は変わらない。
当時の地図に大きく「愛宕神社」と記してあるように、当地を代表する一社であった事が分かる。
国土地理院の地図でも「愛宕神社」と大きく記してあるように、地域の鎮守として大いに崇敬を集めた。

平成十六年(2004)、本殿が千葉県の有形文化財に指定。

現在は「櫻木神社」(野田市桜台)の兼務社となっており、御朱印や御祈祷などの対応は「櫻木神社」にて受け付けている。

桜台鎮守。野田市を代表する人気の一社。限定御朱印や可愛い桜の御朱印帳・授与品。桜が美しい大鳥居前と整備された参道。美しく存在感のある神明造の社殿。野田市最古の神社。桜台村の開発の守護神。平成になってからの見事な境内整備。御朱印。御朱印帳。

境内案内

彫刻が素晴らしい江戸時代の本殿が現存

最寄駅の愛宕駅からは徒歩数分、愛宕神社前の交差点に面して鳥居が立つ。
社号碑には「下総野田愛宕神社」の文字。

鳥居を潜って右手に手水舎。
手水舎のほぼ向かいに立派な社殿となる。

社殿は石段の上に鎮座。
社殿の前には唐門とも呼べるような門が立ち、そちらで参拝する形。

本殿は文政八年(1824)に再建されたものが現存。
入母屋造の三間社で、江戸時代末期の建築を残す素晴らしい造り。
特に透かし彫りの彫刻が素晴らしく圧巻の出来。
上野国(群馬県)の石原常八主信による彫刻と伝えられている。
千葉県指定有形文化財となっている。

石原常八主信は、二代目石原常八と呼ばれる人物で、江戸時代後期に活躍した。群馬県を中心に多くの彫刻を残している。

本殿からは太鼓橋が架かる。
この太鼓橋が脇殿に繋がっていて面白い造りとなっている。

多くの境内社・歴史を伝える奉納物

境内社は社殿の裏手に整備されている。
塚のように整備された一角には三社。
左から稲荷神社・秋葉神社・三峰神社。
その隣に松尾大神の碑。

社殿右手には大鳥神社。
他にも三社殿などが鎮座している。
これらの多くは明治になって近隣の神社が当社に遷座されたものであろう。

手水舎の近くには力石。
力比べで使われたものであるが、宝暦六年(1758)飯田氏奉納の石は千葉県で一番古いものだと云う。

東に面した鳥居は野田で2番めに古い石鳥居。
元禄七年(1694)建立で、扁額には「愛宕山」の文字。

その近くには古い庚申塔。
こちらからは旧別当寺「西光院」の参道へと続く。

東鳥居の近くに延命水。
当社の御神水で手押しポンプ式になっていて、お水取りをする事ができる。

他にも松尾芭蕉の句碑、「愛宕大権現」と記された石灯籠など、古い奉納物を見る事ができる。
当地の歴史を伝える素晴らしい境内となっている。

御朱印は本務社「櫻木神社」の授与所にて頂ける。

桜台鎮守。野田市を代表する人気の一社。限定御朱印や可愛い桜の御朱印帳・授与品。桜が美しい大鳥居前と整備された参道。美しく存在感のある神明造の社殿。野田市最古の神社。桜台村の開発の守護神。平成になってからの見事な境内整備。御朱印。御朱印帳。

所感

野田町の鎮守として崇敬された当社。
神仏習合の時代は、愛宕権現を祀り、火防の神として崇敬を集めた事が伺える。
江戸時代に造られた本殿が現存しており、その彫刻は実に素晴らしいもの。
境内には他にも江戸時代の奉納物が多く残されている。
現在は神職の常駐しない神社であるが、かつては地域を代表する神社であったと思われ、隣接する旧別当寺「西光院」と共に、野田の歴史を伝える貴重な境内となっている。
現在は本務社「櫻木神社」で御朱印を拝受できるため、御朱印をお受けしたものの、当社まで参拝に訪れない方も結構いらっしゃるようだが、足を伸ばす価値のある素晴らしい境内なので、必ず参拝した上で御朱印をお受けしたい。

神社画像

[ 鳥居・社号碑 ]



[ 参道 ]

[ 手水舎 ]

[ 唐門・社殿 ]



[ 本殿 ]




[ 狛犬 ]


[ 脇殿・太鼓橋 ]

[ 境内社 ]

[ 稲荷神社・秋葉神社・三峰神社 ]

[ 松尾大神 ]

[ 大鳥神社 ]


[ 雪見灯籠 ]

[ 延命水 ]

[ 力石 ]


[ 東鳥居 ]


[ 庚申塔 ]

[ 西光院参道 ]

[ 神楽殿 ]

[ 社務所 ]

[ 桜 ]

[ 案内板 ]


Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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