七社神社 / 東京都北区

神社情報

七社神社(ななしゃじんじゃ)

御祭神:伊邪那岐命・伊邪那美命・天児屋根命・伊斯許理度売命・市杵島比売命・仲哀天皇・応神天皇
社格等:村社
例大祭:9月秋分の日
所在地:東京都北区西ヶ原2-11-1
最寄駅:西ヶ原駅・上中里駅・飛鳥山停留所
公式サイト:http://www.nanasha.jp/

御由緒

当神社は往昔の創建ながら、寛政五年(1793)の火災により古文書・古記録等を焼失したため詳らかではありませんが、翌年九月秋分の日に御社殿は再建され、故にこの日を当社の大祭日と定め、現在も賑やかなお祭りが執り行われています。
当時は仏宝山無量寺の境内に祀られ、「江戸名所図絵」には無量寺の高台(現・古河庭園内)に「七社(ななのやしろ)」として描かれています。
明治時代になり、元年(1868)に神仏分離が行われ翌二年に一本杉神明宮の社地に遷座され、西ヶ原村の総鎮守として奉祀されるに至りました。
「新編武蔵風土記稿」には「西ヶ原村七所明神社、村の鎮守とす。紀伊国高野山四社明神をおうつし祀り、伊勢・春日・八幡の三座を合祀す。故に七所明神と号す。末社に天神・稲荷あり云々」と記されています。
古くから七社神社は子宝・子孫繁栄の御神徳があります。(頒布のリーフレットより)

参拝情報

参拝日:2017/03/16(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2015/04/01(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

初詣期間(1月1日-7日まで)に初詣限定御朱印
夏詣期間(7月1日-7日まで)に夏詣限定御朱印

[2017/03/16拝受]
(新御朱印)

[2015/09/06拝受]
(旧御朱印)

御朱印帳

初穂料:1,000円
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意。
イラストレーター・まんが家の高橋カオリ氏がデザインした可愛らしい子守犬の御朱印帳。
桃色・青色・黄色の3色を用意。

※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。

授与品・頒布品

手作りしおり
初穂料:─
社務所にて。

御朱印を拝受する際にしおりを選ばせて下さる。
待ち時間にお茶を出して頂いと心遣いが有り難い。

幸せを呼ぶ鈴
初穂料:700円
社務所にて。

当社の拝殿前に咲く八重桜の御衣黄・福禄寿をデザインした当社オリジナルの鈴守。


歴史考察

七柱の神を祀る西ヶ原総鎮守

東京都北区西ヶ原に鎮座する神社。
旧社格は村社で、西ヶ原・栄町の総鎮守。
江戸時代までは、七柱の神を祀っていた事から「七所明神」と称され、別当寺を担った「無量寺」(現・旧古河庭園内)の境内に鎮座していた。
明治の神仏分離にて独立し「一本杉神明宮」が鎮座していた現在地に遷座。
近年では拝殿前に咲く八重桜の御衣黄と福禄寿が有名。

無量寺の境内に創建

社伝によると、創建年代は不詳。

寛政五年(1793)に発生した火災によって、社殿や古文書・古記録等を悉く焼失しているため記録が残っていない。

寛政六年(1794)、社殿が再建。
秋分の日に再建されたため、以降は現在に至るまで同日を例祭日としている。

当時は当社の別当寺を担った仏法山「無量寺」の境内に鎮座していた。
神仏習合の中で、「七所明神」と呼ばれ、西ヶ原村の鎮守として崇敬を集めた。

七所明神と呼ばれた理由

江戸時代以前は「七所明神」とも「七社(ななのやしろ)」とも呼ばれた当社。
これは七柱の御祭神を祀っていた事による。

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(西ヶ原村)
無量寺
新義真言宗佛寶山西光院と號す。慶安元年寺領八石五斗餘の御朱印を附らる。(中略)
七所明神社
村の鎮守とす。紀伊国高野山四社明神を祀り天照太神・春日・八幡三座を合祀す。故に七所明神と号す。末社に天神・稲荷あり。

西ヶ原村の「七所明神社」と記されているのが当社。
「無量寺」の境内に鎮座していたため、「無量寺」の項目に付随して記されている。
西ヶ原村の鎮守と記されている。

「七所明神」と称された由来について記してあり「紀伊国高野山四社明神を祀り、天照太神・春日・八幡三座」とあるように計七柱の神を祀ったため、「七所明神」と称された。

高野山四社明神とは、今日では「高野四所明神(こうやししょみょうじん)」とも呼ばれ、高野山の鎮守として紀伊国一之宮「丹生都比売神社」に祀られる四柱の神の事。当社には更に伊勢・春日・八幡の三柱が合祀され、合計七柱の神が祀られていた。

江戸時代に描かれた当社

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

(江戸名所図会)

「無量寺」「七社(ななのやしろ)」として見開きで描かれている。
徳川将軍家より八石五斗の朱印地を賜っていた「無量寺」を描いたもので、「無量寺」の境内に鎮座していた当社も、境内の右上に合わせて描かれている。

(江戸名所図会)

当社を中心に拡大したものが上絵。
「七の社」と描かれておりやや高台に鎮座していた事が分かる。
本堂の右手裏にあり、神仏習合の中で西ヶ原の鎮守として崇敬を集めた。

現在の「無量寺」は(西ヶ原1-34-8)に鎮座しているが、かつては広大な境内であるのが分かるように、現在「無量寺」と隣接する「旧古河庭園」は江戸時代は「無量寺」の敷地内であり、当社は現在の「旧古河庭園」に鎮座していたと云えるだろう。

江戸切絵図から見る当社

当社の鎮座地は江戸の切絵図からも見て取れる。

(巣鴨絵図)

こちらは江戸後期の王子・巣鴨周辺の切絵図。
左上が北の切絵図となっており、当社は図の中央上に描かれている。

(巣鴨絵図)

当社周辺を拡大したものが上図。

橙円で囲ったのが「無量寺」で、江戸時代に当社が鎮座していた場所。
現在の「旧古河庭園」のあたりとなる。

赤円で囲ったのが「一本杉神明宮」と記された、現在の当社の鎮座地。
後述するように明治の神仏分離を経て、当社は「一本杉神明宮」に遷座する事となる。

神仏分離によって独立・現在地へ遷座

明治になり神仏分離。
「無量寺」とは分離し、「七社神社」として独立した神社になる。
明治二年(1869)、「一本杉神明宮」が鎮座していた現在地に遷座。
「一本杉神明宮」は「天祖神社」と改称し、当社の境内末社となった。

この時に御祭神も現在の邪那岐命・伊邪那美命・天児屋根命・伊斯許理度売命・市杵島比売命・仲哀天皇・応神天皇の七柱になったと見られる。

明治二十二年(1889)、市制町村制施行によって、西ヶ原村・上中里村・中里村・田端村・西ヶ原村・滝野川村の一部・下十条村の一部が合併し、滝野川村が成立。
当地は滝野川村西ヶ原となり、当社は西ヶ原の鎮守として崇敬を集めた。

明治二十六年(1893)、本殿を改築。

昭和三年(1928)、村社に昇格。
同年、拝殿を改築している。

戦後になると境内整備も進み現在に至っている。
現在では当社のシンボルになりつつある、拝殿前に咲く八重桜の御衣黄と福禄寿も、近年になって拝殿前に移されたものだと云う。

現在は西ヶ原・栄町の総鎮守として崇敬を集めている。

境内案内

大鳥居や社殿・子宝や子孫繁栄の御神徳

最寄駅の西ヶ原駅から本郷通りを飛鳥山公園側へ向かうと、本郷通り沿いに大鳥居が立つ。
昭和九年(1934)に建立された大鳥居で、この先が参道となっている。
大鳥居前にかつての一里塚があるため、当地周辺には一里塚の名がついた建物なども多い。

一里塚(いちりづか)は、旅人の目印として街道の側に1里(約3.927km)毎に設置した塚の事で、当初にあるのは日本橋より2里目の一里塚となる。

社頭には鳥居があり、その先が境内となる。
鳥居を潜ってすぐ右手に手水舎。
正面に社殿となる。

社殿は大きくはないものの綺麗に管理されており状態が良い。
拝殿の彫刻も精微に彫られており目に墨が入っているのが特徴。
正面には龍の彫刻。
左右には狛犬の彫刻が施されていて、表情も豊か。
境外に出て横から回り込む形で本殿を拝する事もできる。

拝殿前の狛犬は明治二十六年(1893)に奉納。
当社は古くから子宝・子孫繁栄の御神徳があるとされている。
そのためか、阿吽の狛犬はどちらも子を抱いており、子守犬(こまいぬ)として親しまれている。

元々当地に鎮座していた一本杉神明宮など境内社

境内社は社殿の左手に並ぶ。

一番右手に「菅原神社」「三峯神社」の相殿。
その横に「稲荷神社」。
「菅原神社」と「稲荷神社」の二社は『新編武蔵風土記稿』にも「末社に天神・稲荷あり。」と記されていたように、江戸時代から当社の末社として祀られていたものであろう。

その隣に「天祖神社」。
元々、当地に鎮座していた「一本杉神明宮」がこちら。
現在は当社の境内末社として整備されており、一本杉の由来となった旧御神木も切り株の状態で、社殿の裏手に保存されている。

他に「熊野神社」「疱瘡社」が置かれる。

境内左手には立派な神楽殿も。
多くの絵馬や額が掛けられており、当社の歴史を伝える。

その前には御神木。
周囲は絵馬掛として整備されている。

八重桜の御衣黄と福禄寿・御朱印や授与品にも

拝殿前には当社のシンボルとなりつつある、八重桜(里桜)が2本植えられている。
3月中旬に参拝した時の画像のため、まだ開花前で申し訳ない。

左手が御衣黄(ぎょいこう)と呼ばれる八重桜。
白色から淡緑色に咲く桜となる。
こちらは2015年4月上旬に撮影した時のもので、まだ咲き始めの様子。

右手が福禄寿(ふくろくじゅ)と呼ばれる八重桜。
淡紅紫色に咲く桜として知られる。

そのため桜の時期になると、左が白系、右が紅系の桜が咲き、社殿前が紅白に彩られる。
開花期間中はライトアップも行われ夜桜も楽しめる。

当社の御衣黄と福禄寿の八重桜は、例年だと4月中旬頃に見頃となる。

かつては拝殿前ではなく境内に植えられていた2本の八重桜だったとの事だが、こうして拝殿前を彩る美しさが特徴的で、今では当社のシンボルとも云える。

授与品としても御衣黄と福禄寿を使用したものが授与されるように。
「幸せを呼ぶ鈴」は御衣黄と福禄寿をデザインした当社オリジナルの御守。

御朱印にもカラフルな御衣黄と福禄寿のスタンプが押されるようになった。
以前と御衣黄と福禄寿のスタンプにも変化がある。

御朱印は社務所にて。
御朱印を拝受すると、手作りのしおりも頂ける。
待ち時間にはお茶を用意して頂いたりと、その心遣いが有り難い。
以前参拝した際はお話好きな宮司様が色々と教えて下さり感謝の限りである。

限定御朱印情報
初詣期間(1月1日-7日まで)に初詣限定御朱印
夏詣期間(7月1日-7日まで)に夏詣限定御朱印

オリジナルの御朱印帳も頒布開始。
上述したように当社の狛犬は阿吽どちらも子を抱く姿となっている事から「子守犬(こまいぬ)」と親しまれており、そうした狛犬をイラストレーター・まんが家の高橋カオリ氏が可愛らしくデザインした御朱印帳で3色展開。

七社神社の御朱印とオリジナルの御朱印帳をご紹介。御朱印の解説や受付場所、受付時間、オリジナルの御朱印帳などについて詳しくお伝えしています。ぜひ七社神社にご参拝の折には御朱印と御朱印帳を

所感

江戸時代までは別当寺「無量寺」の境内に鎮座していて、神仏習合の中で地域より信仰され、西ヶ原の鎮守として崇敬を集めた当社。
神仏分離で独立し現在地に遷座してからも、境内が綺麗に整備されており、地域からの崇敬が伝わる。
普段から静かで良い空気の神社であるが、御衣黄と福禄寿という紅白の花を咲かせる八重桜はとても美しく、桜の季節に参詣すると、より素晴らしさを感じる事ができるだろう。
御朱印や御朱印帳、授与品の展開、「夏詣」や「都電神社めぐり」など、色々と努力されているのが伝わる神社であり、参拝者へのお心遣いも有り難く頭が下がる。
参拝するとより一層良さが伝わる良社である。

神社画像

[ 大鳥居 ]


[ 参道 ]

[ 鳥居 ]

[ 手水舎 ]

[ 拝殿 ]






[ 本殿 ]

[ 狛犬(子守犬) ]


[ 御衣黄(八重桜) ]

[ 福禄寿(八重桜) ]

[ 御神木・絵馬掛 ]

[ 歯固め石納所 ]

[ 菅原神社・三峯神社 ]

[ 稲荷神社 ]

[ 天祖神社 ]


[ 熊野神社 ]

[ 神楽殿 ]


[ 孟子像・孔子像 ]

[ 社務所 ]

[ 神輿庫 ]

[ 案内板 ]

Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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