立川熊野神社 / 東京都立川市

立川市

神社情報

立川熊野神社(たちかわくまのじんじゃ)

御祭神:須佐之男命・伊耶那岐命・伊耶那美命・外十一柱
社格等:村社
例大祭:8月第3日曜
所在地:東京都立川市高松町1-17-21
最寄駅:高松駅・立川駅
公式サイト:https://www.facebook.com/tachikawa.kumanojinjya/(Facebook)

御由緒

昔この地は、柴崎新田と称し、享保年間に開拓されたもので、当初の頃は、七軒の家であったところから、七軒家と云う部落名になった。
この新田の部落民が、鎮守として、立川市高松町1の3664番地(旧立川基地内)に、享保11年8月1日(西暦1726年)創建された神社である。
寛政12年秋には、氏子数も23戸に増加し、この人達により再建。
明治6年12月村社に列せられ、明治40年5月、神饌幣帛料供進の神社に指定せられた。
明治41年5月3日改築。
昭和20年4月24日、大東亜戦争の際、米軍の空襲に依り、建造物の一切を灰燼に帰し、あまつさへ、昭和21年5月には、境内地も、駐留軍の接収する処となった。
そこで、万やむをえず、新境内地を買収、直に着工、昭和23年4月15日には完成したので、遷宮式を執行昭和31年9月14日には、より大きい新社殿も完成したので、新たに熊野本宮大社より、御分霊を勧請奉安した。
昭和43年11月1日、市道新設に伴い、建造物の一切を移転。
昭和51年8月、鎮座250年奉祝事業として、境内整備を致し、狛犬、玉垣等を新設し現在に至る。(頒布の資料より)

参拝情報

参拝日:2016/11/29

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

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歴史考察

立川の熊野神社

東京都立川市高松町に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧柴崎新田の鎮守。
正式名称は「熊野神社」であるが、他との区別から「立川熊野神社」とさせて頂く。
かつては後の旧立川基地があった地に鎮座していたが、終戦後に米軍に接収されたため、遷座し現在に至っている。

柴崎新田の鎮守として創建

社伝によると、享保十一年(1726)に創建とある。

享保年間(1716年-1735年)、柴崎村(後の立川村)の村民が当地周辺を開拓。
その事から「柴崎新田」と称された。
当時は七軒の家があった事から、七軒家という部落名となったと云う。

この柴崎新田の部落民が、柴崎新田の鎮守として享保十一年(1726)に創建。

創建時は現在よりやや北西に鎮座していたと思われる。(後の旧立川基地内)
現在の高松駅の西側にある大きな駐車場付近が創建の地であろう。

寛政十二年(1800)、創建時は7戸のみだった氏子数も23戸に増加。
その氏子たちによって再建が行われた。

明治時代の歩み・古地図で見るかつての鎮座地

明治になり神仏分離。
明治六年(1873)、当社は村社に列した。

明治十四年(1881)、柴崎村を立川村と改称。
当地は立川村内の北立川と呼ばれた区域であった。

明治三十九年(1906)の古地図がある。
当時の当地周辺と、遷座する前の地理関係を確認する事ができる。

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左の古地図を見ると現在地よりも左上に鳥居の記号を見る事ができ、赤丸で囲った位置が、遷座する前の鎮座地(創建の地)だった事が分かる。
現在の高松駅の西側の大きな駐車場あたりになる。
緑丸で囲った現在の鎮座地は、まだ耕地であった。

明治四十年(1907)、神饌幣帛料供進社に指定される。
明治四十一年(1908)、社殿が改築された。

立川飛行場の設置・立川空襲の被害

大正十一年(1922)、立川村に陸軍飛行第5連隊の立川飛行場が設置される。
これを契機として立川を含む北多摩地域は、軍都と化していった。

立川飛行場を中心として、西地区に陸軍航空工廠、陸軍航空技術研究所、多摩研究所、陸軍航空本部勤務斑、陸軍航空審査本部立川部隊、陸軍航空廠、陸軍気象部立川出張所などの施設。
東地区には陸軍航空技術学校(飛行第5連隊の転出後)が設置。
立川市内にはその他にも、陸軍獣医資材本廠、高射砲陣地、憲兵隊、陸軍病院などが置かれ、多くの軍事施設が整備されていった。

昭和五年(1930)の古地図を確認すると、立川飛行場設置後の当地を把握できる。

%e6%88%a6%e5%89%8d%e5%9c%b0%e5%9b%b3今昔マップ on the webより)

当地の西側に広大な立川飛行場ができ、当地周辺にも飛行機製作場が出来上がっている。
この飛行機製作場は、石川島飛行機製作所(後の立川飛行機株式会社)であり、軍需工場も数多く建てられていた。

そうした中でも、赤丸箇所に鳥居の記号が見え、当社の鎮座地は創建時と変わらず据え置かれた事が分かる。
当地周辺が軍都となる中で、鎮守である神社は大切に残された事が窺える。

そうした軍事施設や軍需工場が集中していた立川は、戦争が始まると幾度と空襲に遭う事となる。
昭和二十年(1945)、合計13回に及ぶ立川空襲を受け、当地周辺は壊滅的な被害を受ける。
当社も建造物の一切を灰燼に帰してしまう。

立川市の戦災状況は、下記の総務省の公式サイトが詳しい。

総務省|一般戦災死没者の追悼|立川市における戦災の状況(東京都)

終戦後、米軍の立川基地によって境内地を接収・遷座を余儀なくされる

昭和二十年(1945)、敗戦にともない米軍によって立川飛行場が接収され、立川基地となる。
昭和二十一年(1946)、当社の境内地も接収されてしまう。
こうして創建の地を奪われる事となってしまった。

昭和二十三年(1948)、新しい境内地に遷座を行った。
昭和三十一年(1956)、現在の社殿を再建。
img_3043これに合わせ新たに「熊野本宮大社」(和歌山県)より御分霊を勧請。

昭和四十一年(1966)の古地図を確認すると、当時の当地を把握できる。

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現在とほぼ同じ位置に鎮座している事が分かり、戦後に遷座した地が現在地であったのだろう。
現在の当社前の市道はまだ出来ておらず、この市道新設に伴い建造物が移転する事となる。

昭和四十三年(1968)、市道新設に伴い当社の社地が削られる事となったため、社殿などの建造物が移転。
境内や鎮座地は変わらず、市道に合わせて境内の中で建物だけが移動したものである。

昭和五十一年(1976)、鎮座250年奉祝事業として境内整備を行い、狛犬・玉垣などを新設して現在に至る。
現在は高松町周辺の約3,000戸が氏子地域となっている。

小川もある整備された境内

最寄駅の多摩モノレール高松駅から南東に数分の距離で、住宅街に鎮座。
当社の建造物移転の要因となった市道に面している。
img_3055玉垣や狛犬などは昭和五十一年(1976)に新設されたもので状態もとてもよい。

一之鳥居を潜ると参道左手に手水舎。
img_3035続いて二之鳥居となる。
img_3038二之鳥居の前は駐車場への通り道になっている。

この参道であるがそう長いものではないものの、小川が整備されている。
img_3058「せせらぎ熊野川」と名付けられた小川で、風情のある境内となっている。
img_3036遷座を余儀なくされた境内ではあるが、こうした整備がされているのが素晴らしい。

戦後に再建された立派な社殿

二之鳥居を潜った先に、中々立派な木造社殿。
img_3040昭和三十一年(1956)に再建された社殿であり、昭和四十三年(1968)に市道新設に伴い当社の社地が削られる事となったため、境内で社殿が移転する事となった訳だが、今も状態もよく整備されている。
img_3041戦後の造営ながら彫刻も精微であり立派な拝殿。
戦災、そして米軍による境内地の接収の憂き目に遭いながらも、こうして立派な社殿で再建された事からも、氏子崇敬者による崇敬を感じさせてくれる。

境内はそう広いものではないが、駐車場側には鳥小屋があり黒鶏の姿も。
img_3059境内に放されていて連なって歩く姿を見る事ができた。
熊野信仰の神使は八咫烏ではあるが、こうした黒い鶏が境内にいるのはのどかな光景。

御朱印は社務所にて。
img_3049とても丁寧に対応して頂いた。

所感

江戸時代に開拓された柴崎新田の鎮守である当社。
大正期に立川飛行場が設立されてからも、地域の鎮守として崇敬されたのが分かる。
しかしながら軍事施設や軍需工場が数多く出来、軍都となった立川は、戦時中に多くの被害を出した地域であり、特に高松町周辺は大変多くの死傷者を出した地域である。
当社も空襲によって灰燼に帰し、終戦後は米軍の立川基地に接収される形で、遷座を余儀なくされてしまう。
その後も、市道の新設によって建造物の移転などがあったりと、時代の奔流を受ける事となった。
そうした中でも、立派に再建された社殿、小川など綺麗に整備されのどかな空気を感じる境内からは、氏子崇敬者による当社に対する気持ちがとても伝わってくる。
地域に愛される素敵な鎮守だと思う。

神社画像

[ 一之鳥居・社号碑 ]
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[ 一之鳥居 ]
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[ 狛犬 ]
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[ 参道 ]
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[ 手水舎 ]
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[ 二之鳥居 ]
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[ せせらぎ熊野川 ]
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[ 拝殿 ]
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[ 本殿 ]
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[ 狛犬 ]
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[ 絵馬掛 ]
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[ 社務所 ]
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[ 鳥小屋 ]
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img_3059
[ 旧社号碑 ]
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Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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