神社情報
足利織姫神社(あしかがおりひめじんじゃ)
御祭神:天御鉾命・天八千々姫命
社格等:─
例大祭:5月5日(春季例大祭)・7月7日-8月7日(七夕祈願祭)・11月3日(秋季例大祭)
所在地:栃木県足利市西宮町3889
最寄駅:足利駅・足利市駅
公式サイト:http://www.orihimejinjya.com/
御由緒
当織姫神社の祭神は、太古の昔より機織を司る天御鉾命、天八千々姫命の二柱の神様です。この二柱の神様は、もともとは皇太神宮御料の織物を織って奉納したという伊勢国渡会郡出井の郷、神服織機殿神社の祭神でした。
千二百年余の歴史と伝統を誇る機業地足利の守護神として、1705年にこの二柱の神を勧請し、その分霊をお祀りしたのがこの織姫神社でございます。
昭和九年春、崇敬者有志をもって、織姫神社奉賛会を組織し、新社殿建立に着手しました(旧社殿は明治十二年に建立、翌年焼失)。三年有余の歳月をかけて落慶し、昭和十二年五月現有社殿の威容が完成いたしました。そして平成十六年六月九日、国の登録有形文化財として認定されました。
徳富蘇峰撰文による「造営碑」に記されておりますように産業振興の神社として、さらに縁結びの神社としてその御神徳は高く、足利市民はもとより、全国から多くの参詣者が訪れております。
朱塗りの殿堂は織姫山(機神山)の緑に映えて美しく、足利を代表するシンボルであり、境内より正面に富士の霊峰を仰ぎ、関東一円を遠望できる景勝の杜でございます。(頒布のリーフレットより)
参拝情報
参拝日:2016/07/06
御朱印
初穂料:300円
社務所にて。
御朱印帳
初穂料:各1,500円(御朱印代込)
社務所にて。
オリジナルの御朱印帳を用意。
当社の7つの御神徳をモデルにした7束の織物をデザイン。
ピンクを基調としたものと、濃紺を基調としたものの2種類がある。(詳細:公式サイト)
さらに藤をモデルにした御朱印帳も用意されていた。(こちらは汎用と思われる)
授与品・頒布品
交通安全ステッカー
初穂料:700円
社務所にて。
歴史考察
足利のシンボル織姫神社
栃木県足利市西宮町に鎮座する神社。
旧社格は無格社で、足利織物の守り神として創建。
織姫山の中腹に鎮座しており景勝地としても名高い。
日本夜景遺産の認定を受けており、毎日24時までライトアップしているのも特徴。
現在では足利を代表するシンボルとして崇敬を集めている。
歴史と伝統がある足利織物
足利は、古くは足利庄が栄えて清和源氏義家流・足利氏発祥の地(後の足利将軍家)としても知られる。
平安時代初期(もしくは鎌倉時代)には、後にフランシスコ・ザビエルが「坂東の大学」と紹介した事でも有名となった「足利学校」が創設。
さらに遡ると、現在当社が鎮座する織姫山(機神山)には、5世紀-6世紀頃の古墳が存在し、26基の墳丘が造られている。
このように足利は歴史的に見て古代より人の生活、そして発展があった土地であり、そうした足利では古くから織物業の伝統が存在していた。
その歴史は奈良時代まで遡り、和銅六年(713)に文献として残っているのが最古とされる。
当時の足利は絹の産地としても名が知れており、それが織物業と結びつくのは自然な事であろう。
鎌倉時代末期に吉田兼好が書いた随筆『徒然草』第216段にも足利の織物(染物)の話が登場する。
最明寺入道、鶴岡の社参の次に、足利左馬入道の許へ、先づ使を遣して、立ち入られたりけるに、あるじまうけられたりける様、一献に打ち鮑(あわび)、二献に海老、三献にかひもちひにて止みぬ。その座には、亭主夫婦、隆辨僧正、主方の人にて座せられけり。さて、「年毎に給はる足利の染物、心もとなく候ふ」と申されければ、「用意し候ふ」とて、色々の染物三十、前にて、女房どもに小袖に調ぜさせて、後に遣されけり。
その時見たる人の、近くまで侍りしが、語り侍りしなり。
「毎年頂いている足利の染物が、待ち遠しい」といった会話が記されている。
このように古くから絹の産地、織物業が伝統として根付いていた足利であるが、特に近世になってから織物業が盛大になったと思われる。
18世紀になると高機が普及した事により、多数の織屋・買継商が出現。
近隣にある高級絹織物で名高い桐生と競うように発展していった背景がある。
これがいわゆる足利織物であり、当社に結びつくものとなっている。
足利織物の守り神として創建
社伝によると、宝永二年(1705)足利藩主であった戸田忠利が、天御鉾命と天八千々姫命の二柱を現在の足利市通四丁目にあった「八雲神社」へ合祀した事で創建とある。
他にも説があり、住人達によって宝永二年(1705)に創建。
その後いつしか「八雲神社」に合祀されたというもの。
いずれにせよ、足利市通4丁目にあった「八雲神社」に天御鉾命と天八千々姫命の二柱が合祀されていたというのは共通の御由緒となっている。
当社の御祭神である、天御鉾命と天八千々姫命の二柱。
この神々は三重県松坂市にある「機殿神社(はたどのじんじゃ)」…現在は二社に分かれているため二社合わせて「両機殿」と呼ばれる神社の御祭神である。
「伊勢神宮」に管理される神社で、両機殿の境内には本殿よりも大きい機殿(機織をする作業場)があり、そこを八尋殿と呼び、古くから御衣の奉織が行なわれていたとされている。
このような事からこの二柱の神は、機織り・織物の神と云う事ができるだろう。
そうした二柱を御祭神としている事からも、足利織物の守り神として勧請合祀された事は間違いがない。
上述したように、足利では18世紀になると高機が普及。
多数の織屋・買継商が出現し、足利織物の織物業が発展している。
正にそうした時期に入っていく宝永二年(1705)は過渡期とも云え、当社が創建している事からも、当時の足利において織物業が重要であり、その守り神を必要としていた背景を窺い知る事ができる。
明治になり合祀政策の影響を受け遷座
明治になり神仏分離。
当社の御祭神が合祀されていた通4丁目にあった「八雲神社」は、後に通2丁目の「八雲神社」に合祀される事になる。
現在の足利市には「八雲神社」が5社鎮座しており、歴史的には緑町の「八雲神社」(余談だが森高千里の「渡良瀬橋」の歌詞に登場するのがこの神社である)が足利郡の総鎮守とされた神社であったりと、当時は今以上に「八雲神社」が鎮座していた。
当社の御祭神が合祀されていた通4丁目の「八雲神社」も正にそういった一社である。
明治十二年(1879)、通4丁目の「八雲神社」を、通2丁目の「八雲神社」に合祀する事となる。
跡地に警察署庁舎を建てる事となったのだが、合祀政策の影響も受けたのだろう。
通4丁目の「八雲神社」が合祀でなくなってしまうため、これを受け通4丁目の「八雲神社」に合祀されていた御祭神二柱を分離する事となり、機神山(現在の織姫山)の南麗に「織姫神社」として遷座。
こうして「八雲神社」とは分離し、現在に近い形で当社が誕生する。
なお、通4丁目の「八雲神社」は翌年の明治十三年(1880)に、通2丁目の「八雲神社」に合祀。
通2丁目の「八雲神社」は現在遷座し、大門通の「八雲神社」となっている。
何かと「八雲神社」が多くて分かりにくいが、それだけ素盞鳴尊を信仰する出雲信仰が浸透していたのだろう。
機神山(現在の織姫山)の中腹に遷座した理由・その後の再建
何故、当社が機神山(現在の織姫山)の中腹に遷座したのであろうか。
それは機神山が古くから地域の信仰を集めていた事にある。
上述もしたのだが、機神山には山頂の前方後円墳を含む5世紀-6世紀頃の古墳が多数存在。
その数26基もの墳丘が造られている。
古代から神聖な場所とされていたのが分かるだろう。
大陸由来の機織技術の普及と殖産に務めた首長達の墳墓であったと見られ、古くから「機神様(はたがみさま)」と呼ばれ地域の信仰を集めた。
正に地域の神体山とも云えるのが機神山(現在の織姫山)である。
機織と関連ある機神様として信仰を集めた機神山に、足利織物の守り神として合祀された二柱の御祭神が遷座されるのは自然な事であっただろう。
こうして明治十二年(1879)に、機神山(現在の織姫山)の南麗に「織姫神社」が造られた。
しかしながら翌年の明治十三年(1880)、火災によって社殿が焼失。
それから長らくは仮殿のままでいたという。
昭和八年(1933)、当時の足利織物組合理事長の殿岡利助氏の先導により足利市の市民ぐるみで新社殿の再建にとりかかり、約三年余りの年月を経た、昭和十二年(1937)に新社殿が完成となる。
これが現在の大変立派な社殿となる。
ちなみに当時は「足利銘仙」と呼ばれる足利織物の生産が盛んとなりブームにもなった時代であり、大正から昭和にかけて全国的に人気を集め足利が潤った時代でもある。
美しく斬新なデザインのわりに安価な足利銘仙は、日本中の人々に愛用されており、足利を大きく発展させた大きな要因となっている。
こうした経済的発展により、渡良瀬川には中橋が架けられ、水道・消防設備が整えられ、足利駅も改築。
そして当社も上述のように足利織物組合理事長が中心となり銘仙業者の手や市民によって立派な社殿が再建されたという背景がある。
足利織物の守り神を再建しようという気運が高まった時代であった。
国の文化財への指定と、恋人の聖地や日本夜景遺産の認定、縁結びや萌えおこしの活動
戦後は一時衰退も見られたが、現在は崇敬者奉賛会の手によって色々な試みがされており、今では足利のシンボルのひとつとも云える事ができるだろう。
平成十六年(2004)、社殿、神楽殿、社務所、手水舎が国の登録有形文化財に指定。
平成二十二年(2010)には、当社と「下野國一社八幡宮」内にある境内社「門田稲荷神社」が中心になって「あしかがひめたま」という萌えおこし企画が開始。
「あしかがをげんきにしよっ」をキャッチコピーに、萌えキャラが活動をしている。
公式サイトも用意されており、定期的にイベントなども開催されているのでそちらをご覧になるのがよいだろう。
現在では縁結びの御利益としても大変有名。
これは御祭神の男女二柱の神様が共同して織物を織って、天照大御神に献上したと云われる事からきており、7つのご縁が結ばれる縁結び神社として崇敬を集めている。
1. よき人と縁結び
2. よき健康と縁結び
3. よき智恵と縁結び
4. よき人生と縁結び
5. よき学業と縁結び
6. よき仕事と縁結び
7. よき経営と縁結び
一之鳥居を潜り229段ある石段を昇り参拝すると願いが叶うとされている。
オリジナル御朱印帳もこの7つの御神徳からデザインされたものであろう。
こうした縁結びの御利益から、平成二十六年(2014)には「恋人の聖地」に認定。
さらに同年、隣接する織姫公園とともに「日本夜景遺産」の認定を受けており、現在ではほぼ毎日24時までライトアップした美しい社殿を見る事ができる。
229段の石段を上った先に鎮座する見事で美しい社殿
足利のシンボルのひとつともなっている当社。
神社周辺は足利県立自然公園となっており、境内はハイキングコースの発着点でもある。
織姫神社前の信号の先に一之鳥居があり、そこから長い石段が続く。
石段の数は229段で、ところどころに「あと何段」といった掲示がされる。
左手には縁結び坂と呼ばれる裏参道があり、こちらから上がっていく形も可能。
なお、車やバイクの場合は中腹まで車両で上がる事も可能となっている。
しばらく石段を上ると二之鳥居。
さらにここから上っていくと、石段の途中には「蕎遊庵」という評価の高い蕎麦屋が店を構えいる。
さらに石段を上ると左手に手水舎。
もう少し石段を上りようやく社殿が見えてくる。
229段の石段を上った先には大変見事な社殿。
昭和十二年(1937)に造営された鉄筋コクンリート造の社殿は、あの京都の「平等院鳳凰堂」をモデルに建造されたと云われている。
この日は七夕前日だったため「織姫神社」の社号らしく社殿の前には竹笹と短冊の姿が見られ、毎年7月7日から8月7日まで、短冊に願いを書いて竹笹に飾り付ける「七夕まつり」が開催されている。
社殿の右手には「愛の鐘」と呼ばれるモニュメント。
縁結びの御利益から平成二十六年(2014)に「恋人の聖地」に認定された事を受けて造られた。
なお、鐘を鳴らす場合は、社務所に連絡の上鳴らして欲しいとの事。
その奥には立派な藤棚。
こちらは足利市の有名な観光地「あしかがフラワーパーク」からの奉納。
その先は車の駐車場となっている。
なお、当社は織姫山(機神山)の中腹に鎮座しているが、織姫山には多くの古墳があり、古くから信仰の対象であった事が窺える。
現在は当社裏の一帯が織姫公園となっている。
御朱印は社務所にて。
オリジナルの御朱印帳も用意されている。
景勝地として名高い境内・ライトアップされる社殿と夜景
織姫山の中腹に遷座しているため見晴らしのよい当社。
そのため景勝地としても名高い。
当社の境内からは足利市を見下ろす事ができる。
さらに社殿側から境内を見下ろすとさらに一望できる。
この日はあいにくの曇り空であったが、晴れた日は富士山が見える事もあるという。
そして「日本夜景遺産」の認定を受けた夜の境内も印象的。
ほぼ毎日24時までライトアップしており社殿が幻想的に浮かび上がる。
日中とは違った雰囲気を楽しむ事ができ、カップルで訪れる方も多いようだ。
境内からは足利市内の夜景を鑑賞する事ができる。
こちらは21時頃になるが、夜間照明環境が十分に整備されているため、石段やハイキングコースを上ってやってくる方も多かった。
時間に余裕がある場合は、日中と夜の両方の姿を見て参拝をしたい。
所感
足利のシンボルのひとつにもなっている当社。
創建はそう古いものではなく、現在地に遷座したのも明治になってからであるし、現在の社殿も昭和に再建されたものではあるが、大変歴史ある足利という地の産業の歴史と信仰を感じる事ができる。
創建時の足利は織物業の過渡期にあたり、当社が足利織物の守り神とされた事で発展していったようにも思う。
明治になり当地に遷座した後にすぐに火事となったものの、現在の姿に再建されたのは、まさしく足利織物組合を中心とした市民の力であり、当社に対する崇敬の篤さを感じさせてくれる。
現在は社号にちなんだ七夕まつり、縁結びの神様、夜景など、若い層からの人気も高いのも特徴的。
特に足利を見下ろせる景勝地、夜景スポットとしてはとても素晴らしいものであった。
足利は街全体で萌えおこしにも力を入れているように感じ、そうした新しい活動も面白い。
地域の方々からの崇敬だけでなく、観光神社としての活動を見て取れ、産業振興と縁結びの神様として色々と努力されている良社である。
神社画像
[ 一之鳥居・社号碑 ]
[ 石段 ]
[ 二之鳥居 ]
[ 石段 ]
[ 手水舎 ]
[ 石段 ]
[ 社殿 ]
[ 狛犬 ]
[ 愛の鐘 ]
[ 藤棚 ]
[ 大山阿夫利神社参道 ]
[ 神楽殿 ]
[ 社務所 ]
[ 祭器 ]
[ 境内からの眺望 ]
[ 蕎遊庵(蕎麦屋) ]
[ 石碑・石像 ]
[ えんむすび坂鳥居(裏参道) ]
[ 石碑 ]
[ 案内図 ]
[ 社殿(夜のライトアップ) ]
[ 愛の鐘(夜のライトアップ) ]
[ 境内からの夜景 ]
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