飛木稲荷神社 / 東京都墨田区

墨田区

概要

旧請地村鎮守・御神木の伝承が由来のお稲荷さま

東京都墨田区押上に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧請地村の鎮守。
御神木の大銀杏の伝承が、創建や社号の由来となっている。
現在も樹齢千年を超えるとも伝わる御神木がそびえ立つ。
御神木にはお狐さまが隠れていて崇敬を集めている。

神社情報

飛木稲荷神社(とびきいなりじんじゃ)

御祭神:宇迦之御霊神
社格等:村社
例大祭:9月17日前後の土・日曜
所在地:東京都墨田区押上2-39-6
最寄駅:曳舟駅・押上駅
公式サイト(Instagram):https://www.instagram.com/tobikiinari/

御由緒

神木 いちょう
 樹令千年をこえると言われ、戦火(昭和二十年三月九日)により、損傷を受けましたが、ご覧のように元気に繁茂しております。
 古老の言い伝えによれば、大昔のある時、暴風雨の際、どこからかいちょうの枝が飛んで来て、この地に刺さったとのことです。そしていつの間にか亭亭とそびえたので、時の人が、これは異状のことであるとして、稲荷神社をお祀りしたのが始めであると言われております。飛木稲荷の名もこれから起こったものです。
 お祀りした時代については、当地は再三の水害・火災等により旧家や円通寺等では、古い書物が失われて詳しいことはわかりませんが、旧幕社寺奉行書によれば応仁二年(西暦1468年)とありますが、おそらくそれ以前であると思われます。
お稲荷さんときつね
 稲荷神社には石ぎつねがあり、またせともののきつねがたくさんあるので、きつねがお稲荷さんと思われがちです。そのことは、稲荷神社が最初に祀られた京都伏見稲荷神社境内のお山にきつねがたくさん住んでいたことから、きつねは、お稲荷さんのお使いであるという信仰が生まれました。この信仰から神社の前に置かれるようになったものです。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2024/02/07(御朱印拝受)
参拝日:2023/04/20(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2021/11/15(御朱印拝受/御朱印帳拝受)
参拝日:2020/07/31(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2018/10/12(御朱印拝受)
参拝日:2017/04/06(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:500円
社務所にて。

※小粒御朱印帳サイズの小粒御朱印も用意。
※御朱印を拝受した際にポストカードも一緒に下さる。
※以前は初穂料300円だったが現在は500円に変更。

最新の御朱印情報
4月1日-30日まで「月替り御朱印」
※祭事などによってデザインも変わる。限定御朱印は書き置きのみ。最新情報は公式Instagramにて。

御朱印帳

オリジナル御朱印帳
初穂料:2,000円(御朱印代込)・800円(小粒御朱印帳)
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意。
当社の御神木とお狐さまを描いた美しい御朱印帳。
ややクリーム色で金の箔押し仕様。
サイズは大サイズ。
ミニサイズの小粒御朱印帳も用意。
※筆者が頂いた2021年は初穂料1,500円だったが2023年参拝時は2,000円(御朱印代込)に変更。

授与品・頒布品

梵天(ぼんでん)
初穂料:志納
拝殿にて。

ぼんでん祭で頒布されていた梵天(御幣)。

ポストカード
初穂料:─
社務所にて。

御朱印を拝受した際に下さる御神木のポストカード。

歴史考察

銀杏の枝が飛来した伝承から飛木稲荷

社伝によると、創建年代は不詳。
明治二年(1869)刊行の『神社明細帳』には応仁二年(1468)の創建と記されているが、当社ではそれ以前の創建であるとしている。

隣接する旧別当寺「円通寺」が、応仁元年(1469)の創建。同じく隣接している「高木神社」とその旧別当寺「正圓寺」も応仁二年(1468)創建であるため、同時期の創建ではないかと推測され記されたと思われる。

当社の社伝には、銀杏の伝承が残る。

銀杏の枝が飛来した伝承
大昔に暴風雨が起こった際、銀杏の枝が当地に飛来。
地に刺さり、その枝がいつの間にかそびえた。
これは瑞祥であるとして、稲荷神をお祀りした。

これが現在も御神木としてそびえる大銀杏とされる。
この伝承から「飛木稲荷」の名で呼ばれるようになったと云う。

かつての当地は請地村と呼ばれる村で、村の鎮守として崇敬を集めた。

請地村(うけじむら)
請地(うけじ)は、この辺りが古くは江戸湾内奥の海上に浮かぶ洲であった事から「浮き地」と呼ばれ、これが転訛したものと思われる。
別説では、鎌倉幕府滅亡後に北条氏の一門が逃れて当地に移住し、稲荷大明神を祀ったともされる。

江戸切絵図から見る当社と請地村

当社の鎮座地は江戸の切絵図からも見て取れる。

(隅田川向島絵図)

こちらは江戸後期の隅田川・向島周辺の切絵図。
下が北の切絵図となっており、当社は図の中央やや右に描かれている。

(隅田川向島絵図)

北を上(180度回転)して、当社周辺を拡大したものが上図。

赤円で囲ったのが当社で、「飛切稲荷大明神」と記されている。
「飛木」ではなく「飛切」と記されているのが興味深い。

右隣には当社の別当寺「圓通寺」。
その右手に「請ジ本村」と記されているように、この一画が請地村であった。

請地村と寺島村の境界線
左隣りには現在の「高木神社」(旧第六天社)やその別当寺「正圓寺」も見る事ができ、こちらは寺島村の新田地区(寺島新田)で、寺島村の飛地であった。
この事から当社と「高木神社」の境が、両村の境だった事が分かる。
高木神社 / 東京都墨田区
むすびの神を祀る旧寺島村新田の鎮守。おむすびの神社として人気。月替りや限定御朱印。おむすびの御朱印帳。『からかい上手の高木さん』とのコラボ。室町時代に第六天社として創建。神仏分離で社号を変更。紫色に塗装された社殿・東京スカイツリーとの対比。

切絵図からも田地が広がる大変のどかな農村だった事が伝わる。

新編武蔵風土記稿に記された当社

文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。

(請地村)
稲荷社
村の鎮守なり。本地十一面観音。圓通寺の持。社前に銀杏の老樹あり。この木、元は隣村寺嶋の耕地にありしか、不測に爰に移れり。故に彼処を飛木耕地と称し、此社を飛木稲荷と号すといへり。
末社山王。

請地村の項目に「稲荷社」として記されている。
請地村の鎮守であった事が分かり、現在も隣接する「圓通寺」が別当寺であった。

圓通寺
飛木山普門院と号し、応仁元年(1467)に良秀法印を開山として創建。

当社の御神木である銀杏についても記載。

江戸時代の頃からみても老樹であり、元は隣村の寺島村の耕地にあった銀杏であったが、突然当地に移ってきたといった事から、当地を「飛木耕地」と称し、当社を「飛木稲荷」と称したとある。

当社の御由緒として伝わる事が江戸時代から伝わっていた事が分かる。

明治以降の当社の歩み

明治になり神仏分離。
別当寺「圓通寺」とは分離し「飛木稲荷神社」となる。

明治二十二年(1889)、市制町村制の施行によって、南葛飾郡小梅村・押上村・柳島村・須崎村・中之郷村・請地村・亀戸村・北本所出村・南本所出村の各一部が本所区に編入。
当地は本所区の向島請地町となり、当社はその鎮守であった。

明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
当時の地図には神社の地図記号は残らないが、「圓通寺」の寺院記号は見る事ができる。
請地町という地名も残っており、一帯を当社が鎮守していた。

昭和八年(1933)、村社に列した。

昭和二十年(1945)、東京大空襲によって社殿が焼失。
御神木であり当社の由来にもなった大銀杏も被災し、大きな損傷を受けた。

昭和二十七年(1952)、社殿が再建。
これが現在の社殿。

その後も境内整備が進み現在に至る。

境内案内

圓通寺に隣接・路地裏に鎮座するお稲荷様

最寄駅の曳舟駅からは南へ徒歩数分の狭い路地の住宅街に鎮座。
途中に「高木神社」があり、その少し先に鎮座している。

高木神社 / 東京都墨田区
むすびの神を祀る旧寺島村新田の鎮守。おむすびの神社として人気。月替りや限定御朱印。おむすびの御朱印帳。『からかい上手の高木さん』とのコラボ。室町時代に第六天社として創建。神仏分離で社号を変更。紫色に塗装された社殿・東京スカイツリーとの対比。

入口は旧別当寺「圓通寺」と共有。
右手が「圓通寺」。
左手が当社。

社号碑と一之鳥居。
社号碑には「飛木稲荷神社」の文字。
一之鳥居は大正五年(1916)のもので、関東大震災や戦災を免れた。

一之鳥居の手前に一対の神狐像。
凛々しい表情の狐様。
昭和二十九年(1954)に奉納され、戦後の復興を見守った。

二之鳥居・手水舎と力石

一之鳥居の先に二之鳥居。
昭和六十二年(1987)に建立された鳥居。

拝殿の左手に手水舎があるので、参拝より先にこちらへ。
手水舎の右隣には力石。
四拾五貫目とあり、力比べに使われたもの。

戦後に再建された社殿

二之鳥居を潜ってすぐに社殿。
社殿は昭和二十七年(1952)に再建されたもの。
旧社殿は戦時中に焼失してしまったが、仮殿で復興した後に再建された。
側面には彫刻が見事な奉納額。
そう大きな社殿ではないが、状態よく管理されていて崇敬の篤さを感じる。

拝殿前には一対の神狐像。
新しい造形でユニークな表情。
巻物と宝珠を口に咥えている。

境内社・狐塚として整備された奥社

社殿の左手に境内社。
手前にあるのが日枝神社。
日枝神社は、江戸時代の頃から「山王社」として鎮座していた末社。
社殿には細かい彫刻が施されている。

その右手に鳥居があり奥社が鎮座。
本殿の裏手が狐塚として整備。
多くの神狐像が置かれ、狐穴や山頂に小祠が鎮座。
朱色の鳥居の先が奥社。
特に地域からの崇敬が篤い一画。
本社に参拝した後は、こちらにも参拝したい。

御神木の大銀杏と大銀杏に隠れたお狐さま

当社を象徴するのが、当社の創建や社号由来にもなった大銀杏。
樹齢は千年を超えるとも伝わる御神木で、墨田区指定文化財(天然記念物)。

木肌の一部が黒くなっているのだが、これは東京大空襲で被災した事によるもの。
大きな損傷を受けたため、戦後しばらくは衰えたものの、その後再び芽吹くようになり、今も力強くそびえたち、生命力の凄さを伝える御神木。

身代わり飛木の焼けイチョウ
東京大空襲の際は、この御神木が我が身を焦がしながらも地域の延焼を食い止め救ったと伝わり「身代わり飛木の焼けイチョウ」と尊称され、今も篤く崇敬を集めている。

この大銀杏には、稲荷信仰の神使である「お狐さま」が隠れているとされる。
手水舎のやや前あたりから大銀杏を見上げると、その様子を見る事ができる。
ピンと尻尾がたち右手を見つめる「お狐さま」の姿。
冬枯れの季節だとよりはっきりと。

見る角度によって偶然見れるものではあるが、当社の由来となった御神木と、稲荷信仰の神使である狐が、こうして見れるのはとても素敵で瑞祥な事。季節によっては葉が生い茂るので分かりにくいとは思うが、ぜひ見上げて確認して欲しい。

境内からは東京スカイツリーの姿も

当社の境内からは東京スカイツリーを見る事もできる。
一之鳥居や御神木と東京スカイツリーの共演。
現在の東京下町ならではの光景。

御朱印・限定御朱印・ポストカードも頂ける

御朱印は社務所にて。
いつも丁寧に対応して下さる。

御朱印は「飛木稲荷神社」の朱印に「東京押上鎮座」の印。
2020年7月に参拝した時は書き置きで金の狐さまと銀杏の印が押印。
2021年に頂いた直書きの御朱印。

祭事に応じて限定御朱印を授与する時もあり。(ほぼ月替りで用意)
こちらは4月15日におこなされたぼんでん祭限定御朱印。
参拝者も梵天(御幣)を頂く事ができ梵天がなくなるまで限定御朱印も授与された。
2024年2月に頂いた節分の御朱印と通常御朱印。

以前頂いた御朱印
以下は平成に頂いた御朱印。
左が2017年に頂いたもので、右は2018年に頂いたものは「御鎮座五百五十年」の印付き。

2枚のポストカードも一緒に頂け有り難い。
ポストカードに「お狐さま」も描かれている。

御神木とお狐さまが描かれた美しい御朱印帳

オリジナルの御朱印帳も用意。
御神木とお狐さまを描いた美しい御朱印帳で、ややクリーム色に金の箔押し仕様。
御神木から飛び出すようなお狐さま、御朱印帳のサイズは大サイズ。

基本的に御朱印はコロナ禍では書き置きでの対応になるが、御朱印帳を頂いた際は帳面に書いて頂ける。

小粒御朱印と小粒御朱印帳

更に小粒御朱印と小粒御朱印帳を用意。
とっても小さな可愛らしい小粒御朱印帳。
専用サイズで小粒御朱印も頂けるので、気になる方は頂いてみるのもよいだろう。

所感

請地村の鎮守として崇敬された当社。
かつて当地は飛木耕地とも呼ばれ、飛木稲荷の由来となった大銀杏は、今も力強くそびえ立つ。
東京大空襲によって被災したにも関わらず、今も力強く生い茂る姿は、生命力をひしひしと感じる事ができる。
墨田区随一の大木であり、今も大切に信仰されているのが伝わる。
境内も綺麗に整備され、小さいながらも心地よい境内。
すぐ近くの「高木神社」と共に参詣したい、良い神社である。

Google Maps

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