北澤八幡神社(北澤八幡宮) / 東京都世田谷区

世田谷区

神社情報

北澤八幡神社(きたざわはちまんじんじゃ)
北澤八幡宮(きたざわはちまんぐう)

御祭神:応神天皇・比売神・神功皇后・仁徳天皇
社格等:村社
例大祭:9月第1土・日曜
所在地:東京都世田谷区代沢3-25-3
最寄駅:下北沢駅・池ノ上駅
公式サイト:─

御由緒

文明年間(1469〜87)当時の世田谷城から見て鬼門に当たるとして、城主吉良頼康氏の勧請により創建され、七澤八社随一正八幡宮と称されました。
江戸時代・慶安三年(1650)には、時の知行斎藤摂津守の「八幡宮領七石四升は前々のごとく寄進せしむ」との黒印状がありました。
冬の天気のよい日には境内から富士山が眺められます。
※七澤とは北澤、上馬引澤、下馬引澤、野澤、奥澤、深澤、池澤とされる。(頒布のリーフレットより)

参拝情報

参拝日:2018/08/22(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2016/12/28(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:500円(限定御朱印)
社務所にて。

※季節や祭事に合わせて限定御朱印あり。
※限定の書き置き御朱印の場合、裏面がシールになっているものもあり。
※シールタイプ限定御朱印が用意されている場合は、限定御朱印が頒布終了次第手書き対応。
※2016年12月に頂いた手書き御朱印は初穂料300円。

[2018/08/22拝受]
(2018年7-9月限定御朱印)

[2016/12/28拝受]
(2016年冬限定御朱印)

御朱印帳

初穂料:1,500円
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意している。
表面には薄い空色に境内をデザイン。
裏面に巫女舞がデザインされたもの。

※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。

授与品・頒布品

手ぬぐい(例大祭記念)
初穂料:1,000円
社務所にて。

当社の社殿や境内、朱印などがデザインされたオリジナルの手ぬぐい。

歴史考察

下北沢鎮守の八幡さま

東京都世田谷区代沢に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧下北沢村の鎮守。
かつては世田谷城の鬼門守護として創建した歴史を持ち、「七澤八社随一正八幡宮」とも称されれ、地域随一の八幡さまとして信仰を集めた。
正式名称は「北澤八幡神社」であるが、「北澤八幡宮」と称する事も多い。
よく晴れた日は境内の一画から富士山を眺望する事ができる。
またスピリチュアル・カウンセラーの江原啓之氏が奉職していた神社としても知られる。

世田谷城の鬼門守護として創建

創建は、文明年間(1469年-1487年)と伝わる。
世田谷城主・吉良頼康が、世田谷城の鬼門鎮護として創建したと云う。

世田谷城は、吉良氏によって築かれた平山城。
現在の「豪徳寺」付近が城の主要部とされ、現在の世田谷城阯公園まで広がる。
吉良氏の居城で八代に渡り、200年以上居城として栄え、吉良御所、世田谷御所とも呼ばれた。
世田谷城阯公園 | 世田谷区
昭和15年に開園した世田谷区内唯一の「歴史公園」で「東京都指定文化財」にもなっています。
鬼門とは艮(うしとら)の方角であり、すなわち北東の方角。世田谷城から見て当社は北東の方位にあったため、鬼門鎮護として創建された。
当社を創建したと伝わる世田谷城主の吉良氏であるが、御由緒にある吉良頼康は生年不詳ながら没年が永禄四年(1562)であり、文明年間(1469年-1487年)とは時代が少し合わないため、おそらく頼康の実父である吉良成高の時代に創建だと思われる。成高は、これまで代々の吉良氏の居館となっていた世田谷城を城郭として修築しているため、成高が城郭とした修築した際に、鬼門鎮護として当社を創建したと推測できる。

世田谷城主・吉良氏によって世田谷城の鬼門鎮護として創建されたのは間違いないだろう。

当社が創建されると、吉良氏の家臣が当地に土着。
当地は下北澤村(下北沢村)と呼ばれた農村であり、家臣たちが同村を開墾したと伝わる。

天正十八年(1590)、豊臣秀吉の小田原征伐によって、後北条氏に従っていた吉良氏も没落、世田谷城は廃城している。

七澤八社随一正八幡宮と称される

慶安三年(1650)、領主・斉藤摂津守が7石4升を寄進。

慶長十三年(1608)、現在も近くにある「森巖寺」が創建。
「森巖寺」が当社の別当寺を担い、当社は下北沢村の鎮守として、村の中心として崇敬を集めた。

当時の世田谷にはかつて吉良氏が所領とした「七澤」と呼ばれた7か村が存在していた。

御由緒には「北澤・上馬引澤・下馬引澤・野澤・奥澤・深澤・池澤」が七澤とされたとあるが、当時の村名から見るに「北澤・馬引澤(上馬引澤・中馬引澤・下馬引澤)・野澤・奥澤・深澤・池澤・廻澤」の7か村が正しいと思われる。

七澤には8社の八幡宮が鎮座しており、これらは「七澤八社」と称された。
中でも当社はその随一として崇敬されたため、「七澤八社随一正八幡宮」と称されたと云う。
現在も当社の拝殿扁額には「七澤八社随一正八幡宮」の文字が見える。

新編武蔵風土記稿に記された当社

文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』にはこう書かれている。

(下北澤村)
八幡社
村の中央より少し南小高き丘上にあり。本社宮作覆屋九尺に二間。石階九級を下て拝殿あり。二間に三間半。又石階を下れば石の鳥居木の鳥居二基を建つ。鎮座の年歴定かならず。昔吉良家所領の頃、七澤八八幡と唱て、澤と八幡社とその数ありしとぞ、當社も其一なりなど土人の口碑にあれと確かなることを知らず。今當所の鎮守なり。村内森巌寺持。
末社
稲荷社。本社に向て右にあり。
辨天社。本社に向て左にあり。

下北澤村の「八幡社」として記されている。
現在と同様に丘の上に鎮座していて、立派な境内であった事が窺える。

「昔吉良家所領の頃、七澤八八幡と唱て、澤と八幡社とその数ありしとぞ、當社も其一なり」の記述から、かつて吉良氏が所領していた頃に「七澤八八幡」と呼ばれていたとあり、澤は地名の事で、その地域に8つの八幡社があった事も記載されている。

下北澤村の鎮守であり、別当寺は「森巌寺」(代沢3丁目)であった。
「森巌寺」は「八幡山森巌寺」と号しており、当社の別当寺として共に崇敬を集めた。

浄土宗八幡山浄光院 森巖寺のホームページ
浄土宗八幡山浄光院 森巖寺

文化九年(1818)、別当寺「森巌寺」が火災によって焼失。
その際に当社に関する古文書も焼失しており、黒印状の写しなども焼失したと云う。
そのため『新編武蔵風土記稿』の記述は貴重な史料となっている。

江戸名所図会に描かれた当社

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

(江戸名所図会)

「北澤粟島社」「池尻祖師堂」と描かれた一枚で、上に描かれているのが下北沢一帯。
左上にあるのが当社の別当寺であった「森巌寺」と、その境内に鎮座している「粟島社」(現在の粟島堂)。
その右(画像上中央)に「八まん」として描かれたのが当社。

(江戸名所図会)

当社を中心に拡大したのが上絵となる。
別当寺「森巌寺」の隣にある「八まん」として描かれている。
緩やかな高台に鎮座していて、かなり樹木の生茂った鎮守の杜となっており、趣のある神社であったのだろう。
『新編武蔵風土記稿』にある通り鳥居も二基見る事ができる。

嘉永五年(1852)、本殿が再建。
これが現在は境内社「産土社」の社殿として現存。

明治以降と戦後の歩み

明治になり神仏分離。
当社は下北沢村の鎮守として村社に列した。

明治二十二年(1889)、世田ヶ谷村・経堂在家村・池尻村・若林村・三宿村・太子堂村・下北沢村・代田村や近くの飛地が合併し、世田ヶ谷村が成立。
当地は世田ヶ谷村下北沢となる。

明治二十六年(1893)、神楽殿が造営。

明治四十二年(1909)の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲っているのが現在の鎮座地で、現在も変わらない。
「八幡社」と記してあり、当地の目印にもなる規模の神社であった。

下北澤の地名も見る事ができる。
当時はまだ下北沢駅が開業しておらず、かつては当社を中心とした一帯が「下北沢」と呼ばれた地域であった事が分かる。

昭和二年(1927)、小田急の下北沢駅が開業。
昭和七年(1932)、世田谷区が成立し、下北沢の地域は北沢1-5丁目に振り分けられる事となり、地名からは下北沢という地名は消滅。

昭和三十九年(1964)、住居表示が実施され、旧下北沢村は北沢1-5丁目と代沢1-5丁目に分けられたため、下北沢鎮守の当社の住所は北沢ではなく代沢になっている。

現在は下北沢という公式地名はないものの、下北沢駅が有名なため、下北(シモキタ)として広く認知されており、そうした下北沢地区の鎮守となっているのが当社である。

昭和五十三年(1978)、現在の社殿が造営。
平成十六年(2004)、神楽殿が改築。

その後も境内整備が進み現在に至る。

境内案内

高台の上に鎮座・バリアフリー化が進む境内

最寄駅は下北沢駅もしくは池ノ上駅で、徒歩10分ほどの住宅街に鎮座。
鳥居を潜ると右手は児童公園。
時間帯によっては地域の子供達が遊んでおり、地域に親しまれる鎮守なのが窺える。

参道は緩やかな石段が続く。
石段を上った先にも石段。
『新編武蔵風土記稿』にも「小高き丘上にあり」と記されていたように、創建の頃からこうした高台に鎮座していたのだろう。

境内はバリアフリー化が進む。
御鎮座550年記念事業としてバリアフリー化工事を開始。
2018年8月参拝時は一部工事中であったが、参拝者を思った素晴らしい施策で、小口募金も募集している。

石段を上り切って左に手水舎。
石段を上って正面すぐが社殿。

鉄筋コンクリート造の社殿・江戸時代の狛犬

社殿は昭和五十三年(1978)に造営されたもの。
鉄筋コンクリート造で再建され、落ち着いた彩色。
八幡大神といった幟旗も見る事ができる。
本殿も同様の造りで、旧本殿は境内社「産土社」の社殿に遷されている。

拝殿の前には古い狛犬が一対。
嘉永五年(1852)の刻銘が残る。
旧本殿が再建された際に奉納されたものと思われる。

多くの境内社・産土社は旧本殿を利用・神楽殿

境内には多くの境内社が並ぶ。

社殿の左手には産土社。
嘉永五年(1852)に再建された当社の旧本殿が遷されて利用。
江戸後期らしさの残る細やかな彫刻が見事。

その隣に弁天社。
さらに野屋敷稲荷社、愛宕稲荷社、長栄稲荷社と続く。
いずれも当地周辺に祀られていた稲荷社が遷座したもの。

社殿の右手には円海稲荷社と高良玉垂社。
社殿の左右に分けられる形で境内社が鎮座している。

境内には立派な神楽殿も。
明治二十六年(1893)に造営された神楽殿を、平成十六年(2004)に改築したもの。

境内は石段によって三層に別れているのが特徴。
一層が鳥居や児童公園・二層が神楽殿や神輿庫・三層に社殿や境内社といった形。
いずれも綺麗に整備されていて心地よい境内となっている。

富士山が見える神社・富士山遙拝所

当社の境内からは富士山を眺望する事ができる。
平成三十年(2018)には富士山遥拝所が整備。
江戸時代に富士山から運ばれた溶岩を使用していると云い、小さな富士塚のような形。

遥拝所の先を見ると、条件がよい時に富士山を眺める事ができる。

以下の画像は2016年12月に撮影した画像で、まだ遥拝所ができる前。
案内板に「冬のよく晴れた日に富士山が眺められます。」とあるように、眺望できる条件はあるものの、境内からこうして望む事ができるのはとても素晴らしい。
地域に高い建物が建ってしまうと見えなくなってしまうので、今もこうして見る事ができるのは貴重。

当社の別当寺「森巌寺」は、江戸時代には灸と針供養、そして富士講で名高い寺として知られ、当社と共に崇敬を集めた。
江戸時代は今以上に当社の境内から富士山を眺望できたと思われ、そのため地域では富士講が賑わったとも推測でき、古くから当地の人々は富士山への信仰も篤かったのであろう。
浄土宗八幡山浄光院 森巖寺のホームページ
浄土宗八幡山浄光院 森巖寺
季節によって富士山の御朱印など用意される事もある。

シールタイプの限定御朱印・御朱印帳

御朱印は社務所にて。
いつも丁寧に対応して下さる。

御朱印は季節が祭事に応じて限定御朱印を用意。
2018年8月に頂いたものは、シールタイプという新しい形の御朱印となっていた。
書き置きで頂く形となるが、裏面がシールに。
剥がして貼る事ができ、糊なしで御朱印帳に貼れるので便利。

オリジナルの御朱印帳も用意。
当社の境内をデザインした淡い水色の御朱印帳。

他にも多くの授与品が用意されている。
個人的には手ぬぐいが用意されているのが嬉しい。(例大祭記念手ぬぐい)

当社限定ガチャ・江原啓之氏が奉職した神社

社務所の右手前に、ガチャガチャが2機置かれている。
北澤八幡神社限定の「開運おみくじ 勾玉コレクション」というもの。
1回400円で、シークレットまであると云い、回してみるのも面白い。

当社はスピリチュアル・カウンセラーとしてメディアなどへの露出も多い江原啓之氏が奉職していた神社としても知られる。
24歳まで当社で奉職しており、当社の広間で研修会なども開催していた。
江原啓之公式サイト
スピリチュアリスト 江原啓之(えはらひろゆき)の公式サイト 江原啓之の最新情報をご紹介致します。(講座・講演会・公演情報、著書紹介、メディア出演情報など)

平成三十年は御鎮座500年記念例大祭

当社の例大祭では3年に1度、宮神輿渡御が行われる。

平成三十年(2018)は、御鎮座500年と、3年に1度の宮神輿渡御が重なる記念の年。
宮神輿が初めて氏子町内を渡御する事となる。

境内には立派な神輿庫。
旧北沢四丁目の神輿として誕生した大神輿が、紆余曲折を経て宮神輿となり、御鎮座550年記念で宮神輿として初めて神輿渡御が行われる事となる。

平成三十年(2018)御鎮座550年記念 例大祭
■9月1日(土)
9:00- 修祓(各睦会地区)
13:00- 和太鼓・お囃子
6:00- 神代神楽、巫女舞、他
■9月2日(日)
6:30- 本社宮出し
13:00- 神輿宮入り
14:30- 祭典式齊行
17:00- 舞踊
20:00- 舞楽
北澤八幡秋まつり実行委員会
北澤八幡秋まつり実行委員会、東京都世田谷区 - 「いいね!」760件 · 41人が話題にしています · 226人がチェックインしました - 東京都世田谷区代沢の北澤八幡神社の秋まつりに関わる情報を中心に発信していきます。 This is the public-relations’ page of the Execut...

所感

下北沢の鎮守である当社。
世田谷城主・吉良氏によって創建され、下北沢村の鎮守として崇敬を集めた。
現在は「下北(シモキタ)」の略称で駅周辺は若者から人気の街となっているが、かつての下北沢は当社を中心に発展したとも云え、街の発展と共に歩んだ鎮守である。
現在も境内には児童公園があり、平日の日中は子供たちの遊ぶ声や親子の姿を多く見る事ができ、今もなお地域から篤い崇敬を集めている事が伝わってくる。
御鎮座550年記念に向け境内がバリアフリー化されるなど参拝者への配慮も有り難い。
冬のよく晴れた日には富士山を眺望する事もでき、都会の住宅街にありながら立派で綺麗に整備された境内など、素敵な鎮守となっている。

神社画像

[ 鳥居・社号碑 ]



[ 参道 ]

[ 児童公園 ]

[ 参道 ]







[ 手水舎 ]

[ 拝殿 ]





[ 本殿 ]


[ 狛犬 ]



[ 産土社 ]




[ 弁天社 ]

[ 野屋敷稲荷社・長栄稲荷社・愛宕稲荷社 ]



[ 境内社参道 ]

[ 力石 ]

[ 高良玉垂社・円海稲荷社 ]



[ 倉庫 ]

[ 裏参道 ]

[ 富士山遥拝所 ]





[ 社務所 ]

[ ガチャ ]

[ 絵馬掛 ]

[ 神楽殿 ]


[ 神輿庫 ]

[ 石碑 ]



[ 案内板 ]




Google Maps

コメント

タイトルとURLをコピーしました