上神明天祖神社(蛇窪大明神) / 東京都品川区

神社情報

上神明天祖神社(かみしんめいてんそじんじゃ)
蛇窪大明神(へびくぼだいみょうじん)

御祭神:天照大神・天児屋根命・応神天皇
社格等:村社
例大祭:9月15・16日に近い土・日曜(蛇窪祭)
所在地:東京都品川区二葉4-4-42
最寄駅:西大井駅・中延駅
公式サイト:http://hebikubo.jp/

御由緒

 文永八年(鎌倉時代・1272)十一月十日、北条四朗左近大夫陸奥守重時は、五男の時千代に多数の家臣を与え蛇窪(現在の品川区二葉四丁目付近)に残って当地域を開くよう諭して、自らはこの地を去りました。
 その後、時千代は法圓上人と称して大森(大田区)に厳正寺を開山し、家臣の多くは蛇窪付近に移住させました。現在、厳正寺の壇徒がこの地域に大井のは、こうした理由によるものです。
 文永八年の秋から五十年ほど経た元亨二年(1322)、武蔵の国(現在の東京・埼玉)一帯が大旱魃となり、飢饉の到来は必至と見られました。このとき、厳正寺の当主、法圓の甥の第二世法密上人は、この危機を救うため、厳正寺の戌亥(北西)の方向にあたる森林の古池のほとりにある龍神社に雨ごいの断食祈願をしました。上人の赤誠(偽りや飾りのない心。まごころ。)と神霊の冥助により、大雨が沛然と降り注ぎ、ついに大危機を免れることができました。
 これに感激した時千代の旧家臣たちは、蛇窪に神社を勧請し、神恩にこたえて祀りました。これが現在の天祖神社の縁起とされています。
 なお一説には、鎌倉時代に、この地の豪農、森屋氏(現姓森谷氏等の先祖)が建立したものとも伝えられています。
 当社の旧社名は神明社です。現在の下神名天祖神社は、正保年間(1644)、今から約三百七十年前、蛇窪村が上蛇窪村と下蛇窪村に分立の際に、当神社から現在の所在地に分社されたと言われています。その後、昭和七年十月に東京市内編入の際、氏神である神明社に因んで町名が上神明町、下神明町に改名されました。したがって、これ以後に現在の社名、天祖神社に改名されました。(頒布のリーフレットより)

参拝情報

参拝日:2018/09/05(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2018/07/05(御朱印拝受)
参拝日:2018/01/05(御朱印拝受)
参拝日:2017/06/26(御朱印拝受)
参拝日:2017/04/04(御朱印拝受/御朱印帳拝受)
参拝日:2017/02/12(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2016/12/20(御朱印拝受)
参拝日:2016/11/17(御朱印拝受)
参拝日:2016/09/16(御朱印拝受)
参拝日:2016/06/16(御朱印拝受)
参拝日:2016/01/12(御朱印拝受)
参拝日:2016/01/01(御朱印帳拝受)
参拝日:2015/09/16(御朱印拝受)
参拝日:2015/04/30(御朱印拝受)
参拝日:2015/03/30(御朱印拝受)
ほぼ毎月

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※社名部分は墨書きではなく印版によるもの。
※通常は蛇窪大明神、弁財天、上神明天祖神社の3種あり。
※蛇窪大明神は1月中、4月中、9月中でそれぞれ期間限定特別御朱印あり。
※60日に1度の己巳の日に限定御朱印あり。
※他にも色々と限定御朱印を用意する事があるので、詳細は随時公式Twitter(巫女へび/上神明天祖神社(東京の白蛇さま))を参照。

2018年の「己巳の日」
2月6日・4月7日・6月6日・8月5日・10月4日・12月3日
10月の限定御朱印情報
10月4日は「己巳の日御朱印」
※混雑回避のため当日は1枚半紙での授与。(詳細:Twitter
10月16日・28日は「巳の日御朱印」

[2015/03/30拝受]
(蛇窪大明神/通常)

[2018/01/05拝受]
(蛇窪大明神/1月限定)

[2016/01/12拝受]
(蛇窪大明神/1月限定/初巳祭)

[2015/04/30拝受]
(蛇窪大明神/4月限定)

[2015/09/16拝受]
(蛇窪大明神/9月限定)

[2017/04/04拝受]
(上神明天祖神社)

[2016/01/12拝受]
(厳島弁財天)

[2017/02/14拝受]
(伏見稲荷社/初午祭)

[2017/04/04拝受]
(弁天社例祭限定)

[2017/06/26拝受]
(夏越大祓御朱印)

[2018/07/05拝受]
(夏詣御朱印)

[2016/09/16拝受]
(2016年蛇窪祭限定)

[2018/09/05拝受]
(2018年蛇窪祭限定)

[2016/11/17拝受]
(新嘗祭限定)

[2016/12/20拝受]
(年越大祓限定)

[2016/06/16拝受]
(白蛇弁天社/己巳の日限定)

御朱印帳

通常御朱印帳
初穂料:1,200円
社務所にて。

当社の白蛇縁起にちなみ白蛇がデザインされた秀逸なもの。
取り外してしまったが透明の防水カバーも一緒についてくる。
2016年元日より授与を開始した。

[ 表面 ]

[ 裏面 ]

弁天社例祭限定御朱印帳
初穂料:1,500円
社務所にて。

2017年4月1日より頒布の弁天社例祭限定御朱印帳。
白地に白蛇さまと龍神さまが刺繍されたもの。
2016年9月に頒布となった例大祭限定御朱印帳の色違い版。
取り外してしまったが透明の防水カバーも一緒についてくる。
4月中の品切れまで頒布であった。

[表面]

[裏面]

過去の限定御朱印情報
2016年9月10日-16日(初日品切れ)に限定300冊の例大祭限定御朱印帳を頒布。(詳細:Twitter
2017年4月1日より弁天社例祭限定御朱印帳を頒布。(詳細:Twitter
2017年9月1日より限定2000冊の例大祭限定御朱印帳を頒布。(詳細:Twitter
2018年4月1日より限定1000冊の弁天社例祭限定御朱印帳を頒布。(詳細:Twitter
2018年9月1日より限定1000冊の例大祭限定御朱印帳を頒布。(詳細:Twitter

授与品・頒布品

白蛇置物
初穂料:1,000円
社務所にて。

image

ステッカー御守
初穂料:500円
社務所にて。

蛇窪疫神斎(魔除札)
初穂料:お気持ち(志納)
社務所にて。

年越大祓で形代を納めた際に授与して下さった。


歴史考察

旧上蛇窪村の鎮守・蛇窪大明神

東京都品川区二葉に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧地名である上蛇窪村の鎮守。
現在は荏原七福神の弁財天を担っている。
最近では「蛇窪大明神」の名でも知られる。
「蛇窪大明神」とは、当社で祀られている全ての神様の総称。
カラフルな御朱印や限定御朱印など、御朱印を集印する人々から知名度の高い神社。

龍神へ雨乞い祈願し創建した伝説

創建に関しては不詳な部分も多い。

社伝によると、文永八年(1271)に、北条重時の五男・北条時千代が、仏門に入り法圓上人となり、大森に「厳正寺」を開山。
その家臣が蛇窪(現在の当地周辺)に住み着いた。

「厳正寺」の寺伝には、大井神明の字蛇窪(当社周辺)に草庵を結んだ、とされている。

元亨二年(1333)、大旱魃(かんばつ)が発生。
そこで「厳正寺」の僧が「厳正寺」の北西にある古池のほとりにある「龍神社」の龍神へ雨乞いの断食祈願したところ、大雨が降ったため飢饉を逃れる事ができた。
これに感激した時千代の旧臣らが当地に伊勢信仰の「神明社(現・天祖神社)」として祀ったというのが始まりであると云う。

現在も「厳正寺」では、そうした伝承に基づいた「水止舞」が行われており、東京都無形民俗文化財となっている。
Mizudome-no-mai(Gonsho-ji Temple)
他の説として、鎌倉時代にこの地の豪農である森屋氏が当社を建立したものとも伝えられている。

以後、蛇窪一帯の鎮守として地域より崇敬を集めた。

蛇窪村が上下に分村・神明社も分立

正保年間(1644年-1647年)、蛇窪村が上蛇窪村と下蛇窪村に分村。

蛇窪村鎮守であった「神明社」も、上蛇窪村鎮守として現「上神明天祖神社」、下蛇窪村鎮守として現「下神明天祖神社」(現在・品川区二葉1丁目)に分かれたとされる。

そのため、当社ではこの時期を神社の創建年(1644年)としている。

当社と「下神明天祖神社」は元は同一村の同一神社で分立したと云える。
御祭神も伊勢・八幡・春日の三神で共通である。
旧下蛇窪村の鎮守。下神明駅の駅名由来。毎月開催される神明雅楽は拝観無料・記念御朱印も用意。珍しい手押しポンプ式の手水舎・品川区内最大の狛犬・樹齢600年以上の御神木。蛇窪村が上下に分村し鎮守も分立。熊本地震復興祈願御朱印。御朱印帳。
下神明天祖神社」では、御神木であるカヤの木が樹齢600年を超えている事から、室町時代以前の創建と推測している。

どちらが分村する前の蛇窪村の鎮守「神明社」であったかは不明であるが、どちらも同じ御祭神であり、元々同一の神社であった事は間違いなく、分村以前からどちらにも分社として鎮座していた可能性もある。

江戸時代の史料から見る当社

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(上蛇窪村)
神明社
除地二段二畝。村西の方にあり。社二間に二間半。村の鎮守なり。勧請の年暦を詳かにせず。馬込村長遠寺の持。
末社。稲荷社。本社の側にあり。

上蛇窪村の「神明社」として記されていて、上蛇窪村鎮守である事が記されている。
末社に稲荷社とあり、これが現在も境内社として鎮座している稲荷神社であろう。
当社同様に古くから当地に祀られていた神社であった。
真言宗智山派「長遠寺」(現在の南馬込五丁目)が別当寺だった事が分かる。

明治以降の歩み・蛇窪の地名が消滅

明治になり神仏分離。
上蛇窪村の鎮守として村社に列した。

明治二十二年(1889)、市制町村制施行に伴い、中延村・戸越村・小山村・上蛇窪村・下蛇窪村と谷山村飛地が合併し、平塚村(後の荏原町)が誕生。
当地は平塚村上蛇窪となる。

明治四十二年(1909)の古地図がある。
当時の当地周辺の地理関係を確認する事ができる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲ったのが当社で、現在の鎮座地と同じ場所に鎮座しているのが分かる。
明治の地図には「上蛇窪」「下蛇窪」というように、蛇窪の名が残っている。
当地一帯が古くから「蛇窪」と呼ばれ、それが昭和初期までは続いていた。

当社からも近い現在の「戸越公園駅」は、昭和二年(1927)の開業時には「蛇窪駅」という名で開業していた事は、あまり知られていない。
昭和十一年(1936)には現在の「戸越公園駅」に改称されたものの、当地が蛇窪村として浸透していた事がよく分かるエピソード。

昭和七年(1932)、荏原区が成立する際に、上蛇窪と下蛇窪はそれぞれ上神明町と下神明町へ改称されたため、当地は上神明町となる。

「蛇窪」という地名は、東京に編入するタイミングで、都市の名として不適当とする動きがあったようで改名に至り消滅していて、昭和七年(1932)に当地域が当時の東京市に編入されるという議論がされている中、町会議員がとある建議書を提出している。

荏原町大字『上蛇窪』『下蛇窪』と公称せる字名称を改称せんとす。

建議書の概要:蛇窪のような都市には相応しくない地名は、蛇を嫌う国民性から不適当のため、東京市に編入される機会に改名を希望する。

結果、町議会によって蛇窪の地名は消され、「上蛇窪を上神明町」「下蛇窪を下神明町」とした。
神明の町名はそれぞれに「天祖神社(神明社)」があったため、縁起のよい名前をつけたという事になるのだろう。

この上神明町・下神明町も町名整理によって10年足らずで消滅して、現在の二葉になってしまい、かろうじて駅名に「下神明駅」が残されるのみとなっている。
現在では当社の「蛇窪大明神」の総称や蛇窪信号場など極一部に「蛇窪」の名を留めているのみになっている。地名保存の観点からすると、現在は公式地名からは蛇窪が消えてしまっているが、今こうして当社が「蛇窪大明神」を総称する事で、旧地名が保存されるのが嬉しく思う。

戦後の再建・氏子地域一帯の「蛇の街」活動

昭和二十年(1945)、東京大空襲によって社殿等が焼失。

昭和三十六年(1961)、社殿などが再建。
その後も境内が整備され現在に至る。

近年は限定御朱印や荏原七福神など、様々な事を積極的に活動をされている。
またSNSなどネットを活用した展開もしており大変努力を見られる神社。
その影響もあって小さい境内ながら人気の高い神社となっている。

東京の品川を中心に歩いてめぐれる、荏原七福神めぐりについての公式ホームページです。

また現在は当社や氏子区域の住民によって、「蛇窪」を押し出した展開をしている。
「スネークタウンマップ」としてスネークタウン事務局による展開も開始。
品川区シティプロモーション認定事業となっており、氏子区域での取り組み。
さらに「くぼっち」というゆるキャラを作ったりと色々な展開を見る事ができる。

スネークタウン・マップ スネークタウン地図 品川区シティプロモーション認定事業

昭和の初期に「蛇窪」という地名を嫌い、地名変更のあった当地であるが、こうして当社を中心に旧地名に対する拘りや、旧地名を保存しようという試みが行われている。
imageこうして商店街のいたるところに「蛇の街」といった幟旗が置かれており、氏子地域で一帯となり盛り上げているのが伝わってくる。

忌み嫌われ消滅したはずの「蛇窪」と云う地名が、いつしか氏子地域全体を盛り上げる地名となっていく。こうした変遷がとても面白く素敵に感じる。

境内案内

上神明小学校の隣に鎮座・大鳥居は老朽化につき撤去

最寄駅は西大井駅か中延駅でやや距離があり、品川区二葉の住宅街に鎮座。
ほぼ隣が上神明小学校になっており、平日の何もない日は地域の子どもたちが境内で遊ぶ姿も見る事ができ、地域に密着した鎮守。
社号碑には「村社 天祖神社」と記されている。

平成三十年(2018)8月下旬、大鳥居が老朽化で撤去されたため、上画像のように現在は鳥居がない状態で、後に鳥居は再建予定。

下記の画像は、撤去される前の2017年2月に撮影した大鳥居の画像。鳥居は大正初期に建てられたもので、境内は昭和二十年(1945)の空襲でほとんど焼失したが、この鳥居だけは無事であったと云う。
こちらは2018年7月の夏詣や七夕の飾りがされた社頭。
昭和四十九年(1974)に銅にて修復され、当社のシンボルの1つとして大切にされていた。

平成三十年(2018)8月下旬に老朽化につき大鳥居が撤去。
戦後復興のシンボルであった鳥居だが、新しく作り変える鳥居を楽しみにしたい。

大正時代の狛犬・手水舎裏の土搗石

鳥居を潜ると真っ直ぐ伸びた参道。
参道の左手は駐車場としても利用されている。

参道途中に一対の狛犬。
大正五年(1916)に奉納された狛犬で、吽形が鞠持ち。
阿形が子持ち、いずれも表情と動きのある狛犬。

右手に手水舎。
綺麗に整備され清める事ができる。

手水舎の裏手に土搗石(づつきいし)と云う、聞き慣れない石。
江戸時代より上蛇窪村に伝わる石だと云う。
村内で普請がある度に村人が交代で手伝い歌を歌いながら敷地を固めるための石で、大正七年(1918)頃まで使用されていた。

土搗石(づつきいし)は地搗石(じつきいし)とも呼ばれる。家の建築の際などに土台を固めるための地搗き作業に使われるもので、全国各地では「土搗歌/地搗歌」と呼ばれる民謡が残っている場合があり、地搗き作業の最中に歌いながらリズムよく行う。上蛇窪村にもそうした民謡が残っていたのだろう。

戦後再建の神明造り社殿

社殿は昭和三十六年(1961)に再建されたもの。
社殿等の境内の殆どは、昭和二十年(1945)の空襲で焼失したため再建。
最近は拝殿の扉が開いている事が殆どだが、かつては拝殿の扉が閉まっている事も多かった。
閉まっている場合は、自ら引き戸を開けると中に賽銭箱があるため、引き戸を開けてから参拝する形。
旧地名である蛇窪の名と、当社の社紋の提灯が掛かる。
再建後も綺麗に維持されており、地域からの崇敬の篤さを感じる。

個性的な神狐像が魅力の伏見稲荷社

参道途中の左手に境内社である「伏見稲荷社」が鎮座。
『新編武蔵風土記稿』に末社稲荷社と記されていたように古くから祀られていたお稲荷様。
稲倉魂神(いなくらたまのみこと)を祀り、稲荷神・宇迦之御魂神と同神とされている。
こちらに置かれている神狐像が何とも個性的な造形。
氏子の眞鍋勝氏による手造りの個性的な神狐像。
かなりユニークな意匠で造形物の面白さを楽しめる。

弁天池も整備された個性的な厳島弁天社・撫で白蛇

社殿の右手奥には「厳島弁天社」。
弁天社らしく小さな弁天池が整備され鯉の姿も。
細い橋が架かっていて、1人ずつ渡る形。
こちらにも眞鍋勝氏による造形物が置かれている。
龍神伝説からきた龍神の姿。
白蛇縁起からくる白蛇が多く置かれているのが特徴的。
こうした造形物の多い境内社も当社の特徴であり個性。

2016年9月には、「厳島弁天社」の前に氏子崇敬者より「撫で白蛇」が奉納。
後述する白蛇縁起に因み奉納。
当社や地域を盛り上げようと云う氏子崇敬者の気持ちが伝わる奉納物。

奉納当時は新品であった撫で白蛇も、2018年現在はかなり艶が出てきて多くの人々に撫でられているのが伝わる。

当社に伝わる白蛇縁起・己巳(つちのとみ)の日は弁財天の縁日

当社には古くから白蛇縁起があるとされ、上述の「厳島弁天社」を建立している。

 鎌倉時代、天祖神社の社殿の左横(現在の消防団詰所付近)に清水が湧き出る洗い場があり、そこに白蛇が住んでいました。
 時移り、いつのまにか洗い場がなくなり、やむなく白蛇は現在の戸越公園の池に移り住むようになりました。
 あるとき、土地の旧家森谷友吉氏の夢枕に白蛇が現れ「一日も早くもとの住みかに帰してほしい」と懇願しました。
 森谷氏はこの話を宮司に伝えて、白蛇をもとにもどすよう願い出ました。宮司は弁天社【琵琶を奏でる姿から音楽や芸術の才能を伸ばし、弁知(知恵)の神、安芸の宮島厳島弁天社の御分霊である弁財天を祀る】を建立することに決め、現在の駐車場地に池を掘り、池の中央に小島を設け、その中の石窟に石祠を造って白蛇を祠ることにしました。
 古老の話によれば白蛇を迎える日の夜、いよいよお迎えの祝詞を奉上しようとしたとき、それまでの輝くばかりの星空が一天にわかにかき曇り、雷鳴とともに大風が立ち起こり、そのさまは身のすくむ思いだったということです。
 戦後昭和二十九年に櫻井昌利氏(鳶頭)をはじめ有志の方々の御浄財により、お社は現在地に移され、上屋や弁天池なども造営されました。(以下、略)(頒布のリーフレットより)

以上が当社にまつわる白蛇縁起。
奇しくも旧地名が「蛇窪村」という名からも、蛇との縁起を感じる。

現在は「東京の白蛇さま」として白蛇縁起を前に出して、積極的に活動している。

特に60日に1度訪れる「己巳(つちのとみ)の日」は、一般的に弁才天の縁日とされる。
そのため当社でも2016年より、限定の御朱印を行うようになった。
己巳の日限定2大変人気で数時間待ちの大混雑になるため注意したい。

2018年の「己巳の日」
2月6日・4月7日・6月6日・8月5日・10月4日・12月3日

12日に1回訪れる「巳の日」では、限定で「巳くじ」(初穂料:500円)が授与。
可愛らしい白蛇のおみくじで、凶を引いた場合は社務所に申し出ると身代わりに「お守り白蛇」を頂ける。

カラフルな御朱印・数多くの限定御朱印

御朱印は社務所にて。
御朱印を集印されている方には知名度が高い神社。

複数の御朱印を用意しており、通常時は「蛇窪大明神」「上神明天祖神社」「厳島弁財天」の3種類。
色合いもカラフルで、限定御朱印も色々と用意。
「蛇窪大明神」の御朱印は1月・4月・9月で印の色が変わる。

他にも色々と祭事などに合わせて限定御朱印を用意。
詳細は随時公式Twitterを参照するのがよい。

10月の限定御朱印情報
10月4日は「己巳の日御朱印」
※混雑回避のため当日は1枚半紙での授与。(詳細:Twitter
10月16日・28日は「巳の日御朱印」

2016年7月からは都営浅草線沿線の八社によって「東京福めぐり 開運八社さんぽ」も開催され、人気の神社の中に当社も参加している。

こうした御朱印ブームに乗じたやり方というのは、賛否両論あるかもしれないが、個人的には昨今の厳しい神社運営において、こうして時流を掴み展開するというのは、神社側の努力であり、とてもよい事だと思う。

白蛇御朱印帳・限定御朱印帳も

2016年元日からはオリジナルの御朱印帳も頒布。
白蛇が施されたとても素敵なデザイン。
正月期間の早い時期に品切れになってしまい、数ヶ月待ちだった事も。

定期的に再頒布されている。

2017年4月1日より弁天社例祭限定御朱印帳を頒布。
白地に白蛇さまと龍神さまが刺繍された御朱印帳で、4月中の品切れまでの頒布であった。

過去の限定御朱印情報
2016年9月10日-16日(初日品切れ)に限定300冊の例大祭限定御朱印帳を頒布。(詳細:Twitter
2017年4月1日より弁天社例祭限定御朱印帳を頒布。(詳細:Twitter
2017年9月1日より限定2000冊の例大祭限定御朱印帳を頒布。(詳細:Twitter
2018年4月1日より限定1000冊の弁天社例祭限定御朱印帳を頒布。(詳細:Twitter
2018年9月1日より限定1000冊の例大祭限定御朱印帳を頒布。(詳細:Twitter

蛇窪祭・しろへびサミットなど多くの祭事イベント

当社の例大祭は9月15・16日に近い土・日曜に開催され、通称「蛇窪祭」として賑わう。
「蛇窪祭」と同時開催されるのが「しろへびサミットinしながわ」というイベント。
品川区・しながわ観光協会が後援で地域を盛り上げる。

2016年に当社の例大祭「蛇窪祭」と合わせて、街全体で色々な企画がなされた。
同日「しろへびサミットinしながわ」が開催され、スネークパレードや群馬県老神温泉の大蛇みこし、さらに山口県岩国市の天然記念物しろへびの展示など、全国の白蛇にまつわるコラボも開催。
こうした「蛇窪祭」と「しろへびサミットinしながわ」の同時開催は2018年現在も継続していて、地域と共に当社も盛り上がる。

例大祭時以外にも様々な祭事やイベントが催され、大祓期間中は茅の輪も設置。
御朱印だけでなく、こうした季節や神事に応じた境内の手入れも努力の1つであろう。
七夕前には笹飾りも用意され、七夕当日には線香花火ナイトも開催。

また当社は荏原七福神めぐりの弁財天を担っている。
公募によって決まった萌えキャラ系の七福神など色々展開しているのも特徴的。

東京の品川を中心に歩いてめぐれる、荏原七福神めぐりについての公式ホームページです。

所感

旧上蛇窪村の鎮守として崇敬を集めた当社。
最近の当社は色々と新しい事を積極的にやられているイメージが強く、若い宮司様がご夫婦でやられており、柔軟な発想によるものなのだろう。
複数の御朱印や限定御朱印などを用意したり、商店街とゆるキャラを作ったり、2015年の春先には荏原七福神のキャラクターデザインコンテストも開催していたりと、地域との交流や当社の宣伝にも積極的で、公式サイトだけでなく、TwitterやFacebookなどSNSもよく活用されている。
そうした新しい層を開拓すべく色々な活動もしながらも、しっかりと地域との交流も大事にしており、混雑していない日などは近所の子供達が境内で元気に遊んでいる様子をよく見かける事ができるし、ご年輩の氏子が周囲を掃除している姿も見られ、地域の方から崇敬篤い。
更に氏子地域の街を盛り上げるためのスネークタウン活動や、蛇窪というかつて忌み嫌われた旧地名の保全に一役買っている要素など、神社側と氏子崇敬者が一体になって地域を盛り上げようという気持ちが伝わる。
地域の鎮守として氏子や崇敬者と共に歩んできた当社は、その上で新しい活動をし、限定御朱印などではちょっとしたブームも起こしており、これらは全て神社側や氏子の努力であり、地域一体となった活動はとても素晴らしいものに感じる。
こうした現代のニーズに合った活動は個人的には面白い試みだと思うし、応援したくなるよい神社だと思う。

限定御朱印もよいのだが、ぜひ限定御朱印日以外にも参拝してもらいたい。
地域に親しまれ続けた本来の鎮守としての当社の姿を感じる事ができる。

神社画像

[ 社頭・社号碑 ]




[ 看板 ]

[ 参道 ]


[ 狛犬 ]


[ 手水舎 ]

[ 土搗石 ]



[ 拝殿 ]







[ 本殿 ]

[ 撫で白蛇 ]




[ 厳島弁天社 ]












[ 伏見稲荷社 ]







[ 社務所 ]

[ 神輿庫 ]

[ 石碑 ]


[ 案内板 ]



[ 鳥居(2017年/現在は撤去済) ]


Google Maps