鳩森八幡神社 / 東京都渋谷区

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神社情報

鳩森八幡神社(はとのもりはちまんじんしゃ)

御祭神:応神天皇・神功皇后
社格等:村社
例大祭:9月15日
所在地:東京都渋谷区千駄ヶ谷1-1-24
最寄駅:千駄ヶ谷駅・国立競技場駅・北参道駅
公式サイト:http://www.hatonomori-shrine.or.jp/

御由緒

 『江戸名所図会』によると、「往昔、此地深林の中に、時として瑞雲現じける。又或時、碧空より白雲降りて雲上に散ず。村民怪しむで彼の林の下に至るに、忽然として、白鳩数多、西をさして飛び去れり。依って此の霊瑞を称し、小祠を営み名づけて鳩森(はとのもり)と云ふ。貞観二年(860)、慈覚大師東国遊化の頃、村民等大師に、鳩森の神体を乞い求む。依って宇佐八幡宮、城州鳩の嶺に移り給う古に思いて、神功皇后、応神天皇、春日明神等の尊体を作り添えて、正八幡宮と崇め給う」とあります。この霊瑞によって当社を鳩森「はとのもり」と称しました。従って「鳩森」と書いても「の」を入れて読むのが正式です。
 貞観二年に慈覚大師(円仁)が関東巡錫の途次、村民の懇請によって、山城国岩清水(男山ともいう)八幡宮に宇佐八幡宮を遷座し給うた故事にのっとり、神功皇后・応神天皇・春日明神等の御尊像を作り添えて、正八幡宮として崇敬奉ったと伝えています。
 この伝説によれば、当社の縁起は貞観二年(860年)ですので、現今より約千百年以上前の創建となります。境内は多くのの木々に抱かれ、四季折々に多くの人びとの憩いの社として、親しまれています。(頒布のリーフレットより)

参拝情報

参拝日:2016/05/06

御朱印

初穂料:各300円
社務所にて。

※鳩森八幡神社と千駄ヶ谷富士こと富士塚(浅間神社)登拝の御朱印を用意している。

(千駄ヶ谷富士・鳩森八幡神社)

御朱印帳

初穂料:各1,000円
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意している。
紺色、えんじ色、花柄の3種類。

201403261255303280公式サイトより)

※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。

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歴史考察

千駄ヶ谷総鎮守

渋谷区千駄ヶ谷にある神社。
旧社格は村社で、千駄ヶ谷一体の総鎮守。
江戸時代には江戸八所八幡宮の一社に数えられた。
境内には都内最古の富士塚「千駄ヶ谷の富士塚」が存在している。

はとのもりと名付けられた祠

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に、当社の縁起が記載されている。
御由緒にもその一文が書かれているのだが、要約するとこういった事になる。

大昔より、当地の林ではおめでたい事が起こる前兆の瑞雲がたびたび現れた。
ある日、青空より白い雲が降りてきたので不思議に思った村人が林の中に入って行くと、突然、数多もの白い鳩が西に向かって飛び去った。
そこでこの地に、神様が宿る小さな祠を造営し、鳩森(はとのもり)と名付けた。

当社が「鳩森」と呼ばれるきっかけとなった伝承が、江戸時代の資料に登場しているように、古くから伝わっていた伝承かつ呼び名だった事が分かる。
「鳩森」と書いて「はともり」ではなく、「はとのもり」と呼ぶのはこうした伝承による。

一説によると、この祠が造られたのは、神亀年間(724年-729年)と伝えられている。

慈覚大師によって八幡神が勧請

上述の縁起のように、創建時は地域の村人により土着の神をお祀りしていたのあろう。
小さな祠があるだけの簡素なものだったと推測できる。
同様に『江戸名所図会』には、八幡神をお祀りする由来も記している。

それによると、貞観二年(860年)に慈覚大師(円仁)が村民の御神体を求める懇請によって神功皇后・応神天皇・春日明神の像を作り添え「正八幡宮」として奉ったことが当社の縁起と伝えている。

円仁は東日本巡錫をしたとされており、関東や東北に開山したり再興したという寺が多数あり、都内での有名所だと目黒不動こと「瀧泉寺」が知られ、関東だけでも209寺あるとされている。
また神仏習合時代において縁起として円仁が登場する神社も多く、当社もそのうちの一社となる。

何故、当社に八幡神をお祀りしたのか。
それは同年、京都に「石清水八幡宮」が創建しており、その影響によるものと伝えられている。

内容としては伝説的な部分も強いのだが、元々は瑞祥によって土着の神を祀っていた小さな祠に、円仁が御神体を授けた事で、八幡信仰の神社となったという縁起となっている。
これにより、当社の八幡神社としての創建は貞観二年(860年)という事になるだろう。
まだこの当時は小さな祠だったと推測できる。

渋谷金王丸により社殿造営

久寿年間(1154年-1156年)渋谷金玉丸が生前随身の本尊・恵心僧都作の弥陀如来の像を本地仏として社を造営して、この地の産土神とした、と伝えられている。

これによると、渋谷金玉丸の念持仏を当社にお祀りし、社殿を造営したという事になる。
そして当地の産土神とされた。

ちなみに渋谷金玉丸とは渋谷に鎮座する「金王八幡宮」の社名由来にもなった人物。
渋谷の地名由来となった渋谷氏の流れを汲む人物でやや謎が多い人物でもある。

金王丸として「平治物語」という平治の乱の顛末を描いた書物に登場し、源義朝の愛妾である常盤御前にその死を伝えた義朝の郎党金王丸として描かれている。
また『吾妻鏡』「平家物語」といった書物に描かれる源頼朝の御家人・土佐坊昌俊という人物ではないかと伝わる事もあり、頼朝との伝説も残っている。
頼朝に従い武勲をあげ、義経を討つようにと命令され、義経の館に討ち入りその際に討たれたとされている。

金王八幡宮」の御由緒にも登場するように、渋谷一帯に縁のあった人物であり、源氏の家来であったため、渋谷からほど近く源氏の氏神である八幡神をお祀りしていた当地に、社殿を造営したと伝えられるのも自然な事だろう。

渋谷・青山の総鎮守。江戸時代に造営された社殿・神門。江戸三名桜の1つ金王桜。算額など無料展示している宝物館。時代小説『天地明察』の舞台。渋谷氏と渋谷城。渋谷の地名由来。社名由来の渋谷金王丸伝説。浮世絵に描かれた金王丸。御朱印。御朱印帳。

以後、当地(古くは千駄ヶ谷ではなく鳩森と呼ばれたのだろうか)の鎮守として地域の崇敬を集めた。

千駄ヶ谷の地名由来・千駄ヶ谷鎮守

千駄ヶ谷一帯の総鎮守となっている当社。
千駄ヶ谷という地名は、江戸時代に成立した地名と見られている。

当時の当地は見渡す限りの茅野原だったようだ。
『新編武蔵風土記稿』によると、寛永年間(1624年-1645年)には、日々千駄の茅を刈り取ったことからこの名が起こったとされ、正保年間(1645年-1648年)に「千駄萱村」と書いた、とされている。
現在の「千駄ヶ谷」と書くようになったのは元禄年間(1688年-1704年)と伝えられている。

ちなみに駄とは、馬1頭が背にする荷物を数える単位で、千駄とは「それほどたくさん」という意味になる。
とにかく広い茅野原で、多くの茅を刈り取られたのだろう。

こうして江戸時代初期に「千駄ヶ谷」の地名が成立。
当社は千駄ヶ谷鎮守として崇敬を集める事になる。
近くの「瑞円寺」が別当寺であった。

江戸中期に富士塚が築造

寛政元年(1789年)に当社境内に富士塚が築造とされる。
江戸市中の著名な富士塚である「江戸八富士」の一つにも挙げられた富士塚。
imageこれが現存しており、現在では都内最古の富士塚とされている。

当時の江戸では「富士講」と呼ばれる、富士信仰(浅間信仰)が流行。
富士山を登拝できない人のために、こうして富士塚と呼ばれ、富士山を模した塚が多く築造された。
江戸独特の富士信仰とも言えるだろう。
当社も地域での富士講の流行と共に、こうして築造された事が伺える。

「千駄ヶ谷の富士塚」「千駄ヶ谷富士」として崇敬を集めた。

江戸名所図会に描かれた当社と富士塚

御由緒にも登場するように、天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

鳩森八幡神社 国立国会図書館デジタルコレクションより)

「千駄ヶ谷八幡宮」として描かれた当社。
千駄ヶ谷の地名由来にもあるように、江戸初期にはとにかく広い茅野原だった当地であるが、これが描かれた江戸後期には、当社を中心に町が形成されているのが分かる。
交通の整備もされており建物が立ち並ぶ様子は、それだけ当社が崇敬を集めていた証拠とも言えるだろう。

また、既にこの頃には「富士塚」が存在しているのが分かる。
境内の右手に立派な富士塚があり「浅間社」も祀られている。
富士講が流行した様子がよく伝わってきて貴重。

さらに現在は境内社となっている「神明社」も「千駄ヶ谷大神宮」として描かれている。

千駄ヶ谷大神宮国立国会図書館デジタルコレクションより)

現在当社に「神明社」としてお祀りされているのが「千駄ヶ谷大神宮」。
当時はそこそこの規模を誇っていた伊勢信仰の神社だった事が伝わる。
明治四十一年(1908)に、政府の合祀政策の影響もあり、当社境内に遷座された。

神仏分離と戦後の復興

明治になり神仏分離。
当社は村社に列した。

明治四十一年(1908)、上述したように「千駄ヶ谷大神宮」が当社境内に遷座。
そこそこの規模が当社に遷座した事からも、当社が千駄ヶ谷の総鎮守として、この地域の中心だった事が分かる。
現在は「神明社」として鎮座している。

大正十二年(1923)、関東大震災が発生。
当社も被害を被っており、境内にある富士塚にも影響を与えたようだ。
その後築造当時の旧態を留めるように修復されている。

第二次世界大戦が始まると昭和二十年(1945)の空襲の戦災で社殿が焼失。
戦後の昭和二十三年(1948)に復興事業が立ち上がるのだが、社殿が完成し復興となったのは昭和五十六年(1981)と、随分と先の事であった。
それでも原宿近くのこの地に復興を果たす事ができたのは、氏子や神職の努力によるものだろう。

以後、境内整備も進む。
平成になり社殿を再建したり、近隣の日本将棋連盟より奉納された大駒を納めた「将棋堂」の建設、平成二十一年(2009)には立派な社務所も完成している。

戦後の復興で整備された境内

鳥居は東側と北側にあり、東側が表参道となる。
image東側より進むと社殿が見えてくる。

第二次世界大戦が始まると昭和二十年(1945)の空襲の戦災で社殿が焼失。
社殿が完成し復興となったのは昭和五十六年(1981)と、随分と先の事であった。
image現在の社殿はさらに新造営されたもので、平成二年(1990)の御大典を記念して、昔の姿に復元すべく建設工事を行い、平成五年(1993)に竣工。
戦前の幣殿、拝殿の天井に絵が描かれていたことにならい、現在の社殿にも天井画が描かれているという。

社殿の右手には境内社の「神明社」。
image上述もしたように元々は「千駄ヶ谷大神宮」(当社では「太神宮」と書いている)として崇敬されていた神社だが、明治四十一年(1908)に当社境内に遷座している。
他に富士塚近くに「甲賀稲荷社」が鎮座している。

社殿右手には立派な能楽殿。
imageこの能楽殿は平成十二年(2000)に建て替えられたもの。

目を引くのが六角堂になっている「将棋堂」という建物。
image近くに日本将棋連盟があり、昭和六十一年(1986)に当時の会長であった大山康晴十五世名人より奉納された大駒を納めており、同年建立された。

北参道側には立派な御神木の大銀杏。
image社殿は戦災によって焼失したものの、この御神木は戦火を免れており生命力を感じさせてくれる。

他に坂の下に古い「庚申塚」が残っている。

都内最古の富士塚・千駄ヶ谷富士

上述したように当社のシンボルとなっているのが富士塚。
「千駄ヶ谷の富士塚」「千駄ヶ谷富士」とも称される。

寛政元年(1789年)に当社境内に築造され、江戸市中の著名な富士塚である「江戸八富士」の一つにも挙げられた富士塚であり、関東大震災の際に修復などを経たものの、建造当時の旧態を留めており、都内に現存する富士塚の中では最古の富士塚となっている。

富士塚の正面には鳥居や狛犬の姿。
image登山道があり上っていくのだが、山裾に「浅間神社」の里宮が鎮座している。
imageこれは富士山でいうところの「富士山本宮浅間大社」を表現しているといえるだろう。
七合目の洞窟には富士講中興の祖である食行身禄像、山頂には奥宮が鎮座している。
image富士山山頂には奥宮が鎮座しているように、まさに富士山を模しているとされる富士塚であり、当時の富士講と富士信仰(浅間信仰)の様子を留めた貴重な富士塚となっている。
これらは東京都の有形民俗文化財に指定されている。

基本的に年中登拝が可能。
古い富士塚は現存していないものも多く、現存していても山開きの日しか登拝できないところも多いのだが、こうしていつでも登拝できるのは素晴らしい事だと思う。
imageこうして富士塚の山頂から当社を眺めるのもまた違った良さを感じる。

御朱印は社務所にて。
当社の八幡神社の御朱印の他、富士塚登拝記念(浅間神社)の御朱印も用意している。
いずれも参拝を終え、登拝をした後に拝受するべきだろう。

所感

千駄ヶ谷総鎮守である当社。
鳩森と呼ばれる由来、そして千駄ヶ谷の地名成立と発展。
当社が中心となり崇敬を集めていた事が伝わる様子が伺える。
戦災により復興までは時間がかかったようだが、現在は境内の整備も進み、往年の境内が戻ってきている。
原宿よりもほど近い千駄ヶ谷の地において、こうして復興を果たすという事は、並々ならぬ努力があったのだろうし、とても素晴らしい事に感じる。
そして当社のシンボルとなっている都内最古の富士塚では、江戸中期より流行した富士講と江戸独自の風習である富士塚の基本様式を見て取れ、富士信仰の在り方を感じさせてくれる。
復興の力強さと、江戸時代の信仰を感じる事ができる良社である。

神社画像

[ 社号碑・鳥居 ]
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[ 参道 ]
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[ 手水舎 ]
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[ 拝殿 ]
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[ 拝殿・本殿・記念碑 ]
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[ 本殿 ]
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[ 狛犬 ]
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[ 能楽殿 ]
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[ 千駄ヶ谷の富士塚 ]
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[ 登山道 ]
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[ 浅間神社里宮 ]
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[ 浅間神社奥宮 ]
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[ 釈迦の割れ石・金明水 ]
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[ 小御嶽石尊大権現 ]
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[ 富士塚山頂からの境内 ]
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[ 石碑 ]
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[ 富士塚案内板 ]
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[ 甲賀稲荷社 ]
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[ 神明社(千駄ヶ谷大神宮) ]
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[ 将棋堂 ]
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[ 神輿庫 ]
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[ 御神木 ]
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[ 北側鳥居 ]
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[ 北参道 ]
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[ 社務所 ]
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[ 石碑 ]
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