羽田神社 / 東京都大田区

神社情報

羽田神社(はねだじんじゃ)

御祭神:須佐之男命・稲田姫命
旧社格:村社
例大祭:4月18日(例大祭)・7月最終土日曜(羽田まつり)
所在地:東京都大田区本羽田3-9-12
最寄駅:大鳥居駅・穴守稲荷駅
公式サイト:http://www.hanedajinja.com/

御由緒

羽田総鎮守・羽田神社は、羽田の「氏神様」として羽田全域から現羽田空港まで広く氏子を有する。
殊に航空会社各社の崇敬の念も篤く、正月から年間を通じて運航安全・航空安全祈願の参詣がある。
また、文久元年(1861年)に疱瘡(天然痘)が蔓延。将軍・徳川家定が病気平癒祈願に参詣し治癒した故事により、病気平癒を祈願する参拝客も多い。
御祭神は「須佐之男命(すさのおのみこと)」と「稲田姫命(いなだひめのみこと)」の二柱・ご夫婦の神様をお祀りしている。
「えんむすび」「勝負事」のご神徳でも知られる。
その由来は、約800年前の鎌倉時代、羽田浦の水軍で領主だった行方与次郎(なめかたよじろう)が牛頭天王(ごずてんのう)を祀った事からとされる。
今日でも、羽田神社を「てんのうさん」と親しみを込めて呼ぶ人がいるのは、その名残りである。
徳川時代には、徳川家、島津家、藤堂家などに厚く信仰された。
明治元年(1869年)、自性院境内に祀られていた牛頭天王社は八雲神社(やぐもじんじゃ)として独立、明治40年に羽田神社と改称、現在に至る。
昭和63年5月新社殿が竣工、平成18年3月お塗り替え工事終了。尚一層の神慮が深まり霊験あらたかな御社として氏子を見守っている。
明治初年に造られた「羽田富士」も見どころの一つ。
富士山に憧れた当時の人々がその姿を模倣して造った築山で、大田区文化財に指定されている。公式サイトより)

参拝情報

参拝日:2017/03/09(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2015/09/06(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※「羽田神社」以外に「羽田富士(富士塚)」の御朱印も用意されている。

[2017/03/09拝受]
(羽田神社)

[2017/03/09拝受]
(羽田富士)

[2015/09/06拝受]
(羽田神社)

御朱印帳

初穂料:1,000円
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意。
神輿と、羽田らしい青空に飛行機がデザインされたもの。
期間限定で夜版も頒布していた。
西陣織の御朱印帳袋も用意。(初穂料:2,000円)

※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。

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考察

羽田空港など羽田総鎮守の天王さん

東京都大田区本羽田に鎮座する神社。
旧社格は村社で、羽田の総鎮守。
現在の羽田空港の氏神であるため、航空会社各社からも崇敬を集める。
元は現在も隣接する「自性院」の境内にあった「牛頭天王社」であり、祇園信仰の神社。
そのため現在でも一部崇敬者からは「天王さん」と呼ばれる。
境内に明治に築造された富士塚「羽田富士」がある事でも知られる。

当地の領主が牛頭天王を勧請

社伝によると、鎌倉時代の創建と伝わる。
今から約800年程前、当地の領主・行方与次郎が牛頭天王を祀ったことに始まると伝わる。
現在も隣接する真言宗智山派「自性院」の境内に鎮座していた。

但し、これは年代や人物に齟齬が見られる。
行方与次郎(弾正)は、後北条氏(小田原北条氏)の時代(戦国時代)に後北条氏に従い、六郷・蒲田・羽田・更に多摩川を渡った先の大師河原一帯を領していたとされる武将で、羽田浦水軍を率いたとされる。
そのため、行方与次郎が祀ったのであれば、戦国時代の創建になってしまう。
社伝通り鎌倉時代の創建であるのならば、鎌倉時代には「自性院」の境内に「牛頭天王社」が置かれており、戦国時代に領主となった行方与次郎が、当社を羽田の鎮守としたものだと思われる。

牛頭天王を祀る祇園信仰の神社として、地域から崇敬を集めた。

祇園信仰とは、祇園精舎の守護神とされる牛頭天王(ごずてんのう)を祀る信仰の事。牛頭天王は神仏習合の元、スサノオと習合したため、明治の神仏分離後は、御祭神として素盞鳴尊を祀る神社となっている事が多い。京都祇園の「八坂神社」を総本社としている。

徳川家定の疱瘡治癒祈願の伝承

天正十八年(1590)、豊臣秀吉の小田原征伐により後北条氏が滅亡。
後北条氏に従った当主の領主・行方与次郎も討死したと伝わる。
同年、関東移封によって徳川家康が江戸入り。

江戸時代になると、徳川将軍家・島津家・藤堂家などに篤く崇敬されたとされる。
中でも疱瘡平癒の御利益があると信仰を集めた。

疱瘡(ほうそう)とは、いわゆる天然痘の事で、古くは不治の病・悪魔の病気とされていて、これらの原因を「疱瘡神」によるものとして崇め祀っていた。

天保十二年(1841)、徳川十三代将軍・徳川家定が疱瘡治癒祈願に訪れ、治癒したという伝承が残っている。
左の保護された石碑は、文久元年(1861)に奉納されたもので、「疱瘡除祈願御札の碑」とされており、家定が疱瘡治癒祈願に訪れた実績によるものとされている。

こうした伝承から、現在も病気平癒を祈願する参拝者が多い。

新編武蔵風土記稿に記された当社

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(羽田村)
自性院
除地四段三畝十二歩。字西町の中央にあり。(中略)
牛頭天王社
境内にあり。除地九畝二歩。免田一段一畝二十二歩。当村及猟師町の鎮守なり。本社一間四方、拝殿三間に二間。鳥居二基たてり。神體は本地仏薬師如来の立像なり。長三尺許り。稲毛領平村の八幡神主小泉氏社役をつとむ。祭礼は六月六日より十一日まで神輿を渡せり。
稲荷社。社地の内にあり。尤小祠。

羽田村の「牛頭天王社」と記されているのが当社。
「自性院」の境内に鎮座していたため、「自性院」の項目に付随して記されている。
羽田村(現・本羽田)と羽田猟師町(現・羽田)の鎮守と記されており、羽田地区の総鎮守であった事が分かる。
神仏習合の時代であり、御神体は本地仏の薬師如来の立像で、稲毛領平村に鎮座する「八幡宮」(現・川崎市宮前区平「白幡八幡大神」)の神主・小泉氏が社役を務めたと記されている。

明治以降の歩み・羽田神社へ改称

明治になり神仏分離。
「自性院」境内に鎮座していた当社は分離し、「八雲神社」と改称。
当社は村社に列した。

牛頭天王はスサノオと習合したため、スサノオが詠んだ日本初の和歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」から社名を取った。

明治初期には、地域の富士講によって富士塚が築かれる。
「羽田富士」と呼ばれ現存している。

明治二十二年(1889)、市制町村制施行に伴い、羽田村・羽田猟師町・鈴木新田・麹谷村・萩中村が合併して、羽田村が成立。
当社は羽田村の総鎮守として崇敬を集めた。

明治四十年(1907)、現在の「羽田神社」に改称。
同年、羽田村は町制を施行し羽田町となっている。

昭和六年(1931)、羽田町鈴木新田字江戸見崎に日本初の国営民間航空専用空港「東京飛行場」が開港し、これが現在の「東京国際空港(通称:羽田空港)」である。
当社の氏子区域であるため、当社は「羽田空港」の氏神として、航空会社各社からの崇敬が篤く、航空安全祈祷を行う人々や、航空関係者の参拝が急増した。

昭和二十年(1945)、GHQによって強制退去を命じられた「穴守稲荷神社」が一時的に当社に合祀されている。(その後、崇敬者たちの社地寄進によって遷座)

穴守稲荷神社 / 東京都大田区
一大観光地として賑わったお稲荷さま。明治以降に隆盛を極めた戦前の境内。GHQにより強制退去。大鳥居(赤鳥居)の祟り伝説。奥之宮と御神砂(あなもりの砂)。社殿や奥之宮の裏手には築山も。新田開発の守護神として堤防の上に創建。御朱印。御朱印帳。

戦後になり境内整備が進む。

昭和六十三年(1988)、現在の社殿が造営。
平成十八年(2006)、社殿の塗り替え工事が行われた。

現在も羽田地域の総鎮守として崇敬を集めている。

綺麗に整備された境内と立派な社殿

最寄駅の大鳥居駅から南に産業道路を多摩川方面へ向かうと、多摩川近く大師橋の脇に鎮座。
一之鳥居・二之鳥居とあり、灯籠は明治十年(1887)に奉納されたものが改修されている。
二之鳥居の手前にある一対の狛犬は、文政二年(1819)寄進のもの。
大田区の狛犬は子や鞠などを持つ狛犬が多いが、当社のは何も持たないすっきりとした狛犬。

二之鳥居を潜ると左手に手水舎。
手水舎には牛像が吐水口となっているのが珍しい。
牛頭天王を祀った「牛頭天王社」であったため、そこから牛が手水石に置かれている。

社殿は昭和六十三年(1988)に造営されたもの。
高さがあり迫力を感じる立派な社殿。
鉄筋コンクリート造にて新築された。
平成十八年(2006)、社殿の塗り替え工事が行われ、朱色の状態もとてもよい。

明治に築かれた羽田富士(富士塚)など

社殿の左手には「羽田富士」と呼ばえる富士塚・浅間神社。
扁額に「富士山」とある鳥居が置かれ、その先に富士塚。
明治初期に築かれた富士塚で「羽田富士」と呼ばれ、現在は大田区文化財に指定されている。
かつては7月1日の山開きに合わせて登拝できたが、現在は崩れやすくなっているため登拝はできないものの、地域の富士講の歴史と富士信仰を伝える貴重な富士塚となっている。

富士塚の途中に、夫婦擬宝珠が置かれている。
東日本大震災の日に当社も被害を受け、倒壊したこの灯籠擬宝珠は寄り添うように落下したため、大切に保管されている。

当社の御祭神は、須佐之男命・稲田姫命の夫婦の二柱であるため、夫婦擬宝珠は「愛」の象徴として奉鎮されている。

社殿右手には境内社が並ぶ。
右から鈴納稲荷神社・増田稲荷神社・日枝神社・羽田稲荷神社と並ぶ形で、奥に鳳輦庫。
鳳輦庫の左壁にくっつけられるように、かつて三之鳥居として使用されていた鳥居が置かれている。

飛行機の御朱印や御朱印帳・御朱印帳袋も

御朱印は社務所にて。
丁寧に対応して頂いた。

御朱印は、「羽田神社」と「羽田富士」の2種類を用意。
特に「羽田神社」の御朱印は飛行機の印が押されるのが特徴的で、「羽田空港」の氏神であり、航空安全の崇敬が篤い当社ならではであろう。

御朱印帳にも当社らしく飛行機がデザインされる。
以前は、期間限定で夜版の御朱印帳も頒布したのだが、人気が高くすぐに終了となってしまった。
御朱印帳と同じデザインの御朱印帳袋も用意されており西陣織によるもの。

当社らしい飛行機や航空関連にまつわる授与品や絵馬などもあり、当社の個性が出ていて素敵だと思う。

所感

羽田総鎮守として崇敬を集める当社。
かつては隣接する「自性院」の境内にあった「牛頭天王社」であり、神仏習合の中、羽田地域の鎮守として領主や地域からの崇敬を集め、特に疱瘡治癒・病気平癒の御神徳を信仰された。
神仏分離によって神社として独立し、羽田の変遷と共に歩み、現在は「羽田空港」を氏子区域におさめる神社として、航空関係者などから篤く信仰を集めている。
規模はそう大きくはないが整備が行き届いており、富士塚(羽田富士)など地域の信仰の様子を残しているのが魅力的。
御朱印にも飛行機の印があるように、「羽田空港」の氏神としての特色が当社の魅力の一つになっており、よい神社である。

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神社画像

[ 一之鳥居・社号碑 ]

[ 一之鳥居 ]

[ 二之鳥居 ]

[ 狛犬 ]


[ 手水舎 ]



[ 拝殿 ]






[ 本殿 ]

[ 羽田富士(富士塚) ]






[ 夫婦擬宝珠 ]

[ 殉国之碑 ]

[ 八雲神社之碑 ]


[ 鈴納稲荷神社 ]

[ 増田稲荷神社 ]

[ 日枝神社 ]

[ 羽田稲荷神社 ]

[ 鳳輦庫 ]

[ 石碑 ]

[ 神輿庫 ]

[ 神楽殿 ]

[ 社務所 ]

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