上野東照宮 / 東京都台東区

神社情報

上野東照宮(うえのとうしょうぐう)

御祭神:徳川家康公・徳川吉宗公・徳川慶喜公
旧社格:府社
例大祭:4月17日
所在地:東京都台東区上野公園9-88
最寄駅:上野駅・京成上野駅・根津駅
公式サイト:http://www.uenotoshogu.com/

御由緒

 1627年(寛永四年)、津藩主藤堂高虎と天台宗僧侶天海僧正により、東叡山寛永寺境内に家康公をお祀りする神社として建立され、1646年(正保三年)には正式に宮号を授けられ「東照宮」となりました。
 現存する社殿は1651年(慶安四年)に三代将軍・徳川家光公が造営替えをしたものでございます。
 その後戦争や震災にも倒れることなく、江戸の面影を現在に残す貴重な文化財です。
 東照宮は徳川家康公(東照大権現)をお祀りする神社で、全国各地にございます。(頒布のリーフレットより)

参拝情報

参拝日:2017/02/15(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2015/08/06(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:300円
授与所にて。

※中央の印は「藤堂高虎 東照神君 天海僧正」。
※ぼたん苑開催期間は牡丹の印が押される。

ぼたん苑開催期間は以下の通り。
冬ぼたん:2017年1月1日-2月26日
春ぼたん:2016年4月9日-5月10日(昨年)

[2017/02/15拝受]
(ぼたん苑開催期間限定)

[2016/01/25拝受]
(通常御朱印)

御朱印帳

初穂料:1,500円
授与所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意している。
紺を基調にして御社殿・唐門と昇り龍・降り龍の刺繍を施した御朱印帳と、白を基調としてカラフルな淡色の社紋を散らした刺繍の御朱印帳の2種類。

※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。

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考察

上野公園内に鎮座する絢爛豪華な東照宮

東京都台東区上野公園に鎮座する神社。
旧社格は府社で、東照大権現こと徳川家康のみならず、徳川吉宗・徳川慶喜も祀る。
正式名称は「東照宮」であるが、他との区別のために「上野東照宮」と呼ばれる。
徳川家光が造営した絢爛豪華な社殿や唐門が現存しており、国の重要文化財を多く有する神社となっている。

家康の遺言・天海と藤堂高虎により「寛永寺」境内に創建

社伝によると、寛永四年(1627)に創建と伝わる。

元和二年(1616)、危篤状態であった徳川家康が、天海僧正と藤堂高虎を駿府城に呼び、三人一つ処に末永く魂鎮まるところを作って欲しいと遺言を残した。

遺言を残した日が同年2月4日で、家康は4月17日に薨去(逝去)している。

寛永二年(1625)、天海が藤堂高虎などの下屋敷を使い「寛永寺」を開山。
京の都の鬼門を守護する「比叡山延暦寺」に対して、江戸の鬼門を守護する「東の比叡山」という意味で、山号を「東叡山寛永寺」とし、後に徳川将軍家の菩提寺とされた。

寛永四年(1627)、「寛永寺」の整備によって法華堂・常行堂・多宝塔・輪蔵などが建立。
同年、家康から遺言を残された天海と藤堂高虎によって「寛永寺」の境内に当宮が創建され、「東照社」と称された。

正保三年(1646)、朝廷より宮号を授けられて「東照宮」と改称されている。

当宮は「寛永寺」の境内に建立された家康公を祀る神社で、その社地はかつて藤堂高虎の下屋敷であった場所、「寛永寺」を開山したのは天海、このように遺言を残された2人の尽力によって創建された神社という事になる。
藤堂高虎は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将・大名。
築城の名人の1人で、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城などを築城。
幾度も主君を変えており、最終的には家康に仕え、家康が「国に大事があるときは、高虎を一番手とせよ」と云うほどの評価を受けた。
天海は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍して天台宗の僧で、南光坊天海や智楽院とも呼ばれ、諡号は慈眼大師。
家康の側近として、幕府の朝廷政策や宗教政策に深く関与し、江戸設計を主導し、多くの寺社を鬼門や裏鬼門に配置し、創建・遷座させた。
家康を神号を「東照大権現」として祀るようにしたのも天海によるもので、全国に数多くある家康公を祀る「東照宮」の基礎を作った人物とも云える。

徳川家光による絢爛豪華な社殿の造営

慶安四年(1651)、三代将軍・徳川家光が社殿などを改築。

金箔を多く使い使い絢爛豪華だった事から「金色殿」とも称された。
当時の社殿は現存しており、国の重要文化財に指定されている。

この造営替えに際し、約250基の灯籠が全国の大名から競うように奉納された。
こうした灯籠の多くも現存しており、中でも銅燈籠50基は国の重要文化財となっている。

家光は「日光東照宮」「芝東照宮」も絢爛豪華な社殿に造営・改築しており、当宮の社殿を絢爛豪華に変えたのも、自分の祖父である家康をより神格化させ徳川将軍家の威光を示すための一環だったように思う。
また、家光は当宮を改築し正遷宮が行われた数日後に薨去(逝去)しているため、死期が近かった家光に思うところがあったのかもしれない。
日光東照宮 / 栃木県日光市
世界遺産。東照宮総本社。四百年式年大祭。国宝多数の境内。奥宮・鳴龍。三猿・眠り猫。徳川家康。御朱印。御朱印帳。
芝東照宮 / 東京都港区
芝公園内鎮座の東照宮。増上寺に造営された安国殿が起源。徳川家光によって豪奢な社殿が造営。江戸切絵図や江戸名所図会から見る当宮。神仏分離で増上寺と分離・旧本殿は旧国宝に指定。戦後に再建された社殿。家光が植えたと伝わる御神木。御朱印。御朱印帳。

江戸切絵図から見る当宮

当宮の鎮座地は江戸の切絵図からも見て取れる。

(下谷絵図)

こちらは江戸後期の下谷・上野の切絵図。
右が北の切絵図となっており、「寛永寺」と当宮は図の右上に描かれている。

(下谷絵図)

反時計回りに90度回転(北を上に)して、当宮周辺を拡大したものが上図になる。
左下の大きな池は不忍池で、この一帯が全て「寛永寺」の境内であり、大変多くの子院を見る事ができる。
その中でも赤円で囲った「御宮」と記されているのが、「東照宮」の事ですなわち当宮。
文殊楼の左手、時の鐘の奥に当宮が鎮座していた。
当宮のほぼ隣にある「寛永寺」子院の「寒松院」が別当寺を担っていた。

この一帯が現在の「上野恩賜公園(上野公園)」であり、上野公園の殆どはかつて「寛永寺」の境内であった。

上野戦争の戦火を奇跡的に免れる

慶應四年(1868)、上野戦争が勃発。

上野戦争は、幕末の戊辰戦争の戦いの1つで、上野で彰義隊ら旧幕府軍と、薩摩藩・長州藩を中心とする新政府軍の間で行われた戦い。

この際生じた火災で、「寛永寺」は根本中堂など主要な伽藍を焼失。
この上野戦争では、多くが焼失した「寛永寺」境内において、当宮は戦火を免れている。

(月岡芳年・東叡山文殊樓焼討之図)

こちらは明治七年(1874)に制作された、月岡芳年の『東叡山文珠樓焼討之図』。
上野戦争を描いており、当宮のすぐ前にあった「寛永寺」文殊楼での戦いを描いている。
こうした中、当宮が戦火を免れ現存しているのは奇跡的とも云えるであろう。

明治維新後、「寛永寺」境内地のほとんどが没収されており、これが現在の「上野恩賜公園(上野公園)」となっていく。

明治時代の浮世絵と古写真

明治になり神仏分離し、「寛永寺」とは分離。
明治六年(1873)、府社に列した。
明治四十四年(1911)、社殿は旧国宝に指定されている。

上野戦争の戦火を免れた当宮は、東京の名所として崇敬を集める。
明治の浮世絵や写真などでその姿を見る事ができる。

(三代歌川広重・東京名所圖繪)

明治十一年(1878)、三大歌川広重(初代歌川広重の門人)が描いた『東京名所圖繪』の中での「上野東照宮」を描いた一枚。
現存する金色に輝く唐門や社殿の様子が描かれている。
金色に朱が所々に入っていたようで徳川の葵紋も見る事ができる。

(小林清親・上野東照宮積雪之図)

更に明治に活躍した浮世絵師・小林清親が当社を描いている。
明治十二年(1879)に描かれたもので、神仏分離後の当社の参道を描いている。
今もなお現存する多くの灯籠、奥には当時は朱色で描いた唐門の様子が分かる。
これらが現存しているのは実に貴重な事であろう。

小林清親は、月岡芳年、豊原国周と共に明治浮世絵界の三傑の一人に数えられ、しばしば「最後の浮世絵師」「明治の広重」ととも評される人物。

浮世絵としてだけでなく写真としても残っているのが特徴。
状態によって分かりにくい写真もあるのだが紹介したい。

(実写奠都五十年史)

大正六年(1917)に日本仏教協会が出版した『実写奠都五十年史』に掲載された写真。
明治初年(1868)の「上野東照宮」の写真であり、まだ上野戦争直後の様子であると記されている。
黒つぶれしているため全体的に分かりにくいが、上野戦争の後で荒れた様子と、その中でも多くの灯籠や奥に社殿が無事に残っている事が確認できる。

(東京風景)

明治四十四年(1911)に小川一真出版部が出版した『東京風景』に掲載された写真。
現在とそう変わらぬ唐門や社殿の様子や参道の様子が伝わる。
参道を歩く当時の人々の服装からは和装の中にも、洋傘を持ち歩いていたりと、明治らしい文明開化の様子を伺う事もでき、とても貴重な一枚。

(東京府史蹟)

大正八年(1919)に洪洋社が出版した『東京府史蹟』で、東京府自らが編纂しているもの。
現在は唐門は閉じているが、かつてはきらびやかな唐門が開き、ここを通り社殿まで参拝できた事が分かり、細かな彫刻や銅燈籠などの姿も把握する事ができる。

その下には当時の拝殿内部の貴重な写真が置かれており、絢爛豪華な様子が伝わる。
平成の社殿修復工事が行われるまでは、拝殿内部も一般公開されていたのだが、現在は文化財保護の観点から一般公開がされていないため、とても貴重な一枚となっている。

このように明治以降は、上野戦争の戦火を免れ、徳川の威光を伝え当時の国宝の神社として、浮世絵や写真などの題材になるように、東京の中でも人気の観光地となっていた。

関東大震災や空襲の被害も免れた修復前の姿

大正十二年(1923)、関東大震災が発生。
東京の街が壊滅的な打撃を受ける中、当宮はまたしても焼失を免れている。

昭和二十年(1945)、東京大空襲でも当宮は焼失を免れる。
当宮にも爆弾が打ち込まれたものの、それが不発弾となり、社殿の倒壊は免れた。

江戸で起きた多くの災害、明治維新の上野戦争、大正の関東大震災、昭和の東京大空襲といった多くの災害・戦災を免れ、現在の社殿や境内が維持されており、奇跡的とも云える境内となっている。

平成二十一年(2009)から平成二十五年(2013)まで社殿の修復工事が行われた。
携帯撮りなので画質が悪くて申し訳ないが、こちらは2006年に参拝時の修復前の社殿。
金箔などがかなり剥げていて痛みも激しかった事が分かり、浮世絵などに朱色で描かれていたのは、金箔が剥げた様子であったのだろう。

こうした老朽化されていた社殿も、平成の修復工事によって「金色殿」と呼ばれた絢爛豪華な姿が蘇った。
平成二十六年(2014)、一般拝観が再開され現在に至っている。

重要文化財の鳥居や銅鳥居・多くの石灯籠とお化け灯籠

かつての「寛永寺」境内であった上野公園内に鎮座する当宮は、上野動物園側に鎮座。
表参道にある大鳥居は寛永十年(1633)に酒井忠世(江戸幕府で老中・大老と務めた大名)が奉納したもので、関東大震災でも少しも傾かなかった程。
国の重要文化財に指定されている。

鳥居を潜るとここからは多くの石灯籠があり、その先に神門。
神門の先からは神域となり、長い参道と多くの奉納灯籠が並ぶ。
両脇に並ぶ多くの石灯籠は、200基以上。
その殆どが現社殿が造営された慶安四年(1651)に奉納されたものとなっており、諸大名が徳川将軍家への忠誠のために奉納したと云う事ができるだろう。

参道から外れてしまうが、大鳥居の左手には、通称「お化け灯籠」と呼ばれる灯籠がある。
寛永八年(1631)に大名・佐久間勝之が奉納したもので、通常の灯籠よりも数回りも大きく高さ6.8mもある石灯籠で、あまりに巨大な事から「お化け灯籠」と呼ばれるようになった。

「熱田神宮」(愛知県)、「南禅寺」(京都府)の大石灯籠と合わせて「日本三大石灯籠」の1つに数えられる。

参道に戻ると石鳥居の中に銅鳥居も見えてくる。
当宮にある銅鳥居は全48基で、諸大名からの奉納。
唐門両側の6基は紀伊・水戸・尾張の徳川御三家より2基ずつ寄進されたものとなっており、これら銅燈籠の全てが国の重要文化財。

参道の先に手水舎があり、その先が唐門・社殿となる。

当宮は拝観時間が決まっており、それ以外は閉門しているので要確認。
10月-2月は9:00-16:30まで。
3月-9月は9:00-17:30まで。

絢爛豪華な唐門・左甚五郎の龍の彫刻

社殿の前には絢爛豪華な唐門が立つ。
慶安四年(1651)に造営され、現在は国の重要文化財。
この唐門の柱内外の四額面には左甚五郎作の昇り龍・降り龍の彫刻がある。

左甚五郎は江戸初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人で、「日光東照宮」の眠り猫や、「秩父神社」の子宝・子育ての虎・つなぎの龍などが甚五郎作と伝えられている。

ここまでが拝観料無料で参拝できる範囲。
唐門の前に賽銭箱が置かれているので、ここまで参拝して終わる方が多い。

しかし、透塀内の社殿の前(唐門の内部)まで行く事が可能。
それには拝観料(500円)を支払って入場する事となる。
唐門の左手に授与所があり、御朱印などもこちらで対応して下さる。
その左手に拝観入口があり入場料を支払って入る形で、ぜひこちらにも参拝して頂きたい。

拝観料は大人500円、団体400円(20名以上)、小学生200円。
10月-2月は9:00-16:00まで。
3月-9月は9:00-17:00まで。

拝観料を支払った先の大楠・強運開祖の栄誉権現社

拝観料を支払い入ると、その先には美しい透塀(国指定重要文化財)と灯籠が続く。
この左手に御神木である大楠を見る事ができる。
樹齢600年以上の御神木で、幹の太さは上野公園一となっており、上野の祖木とも云われる楠。

この先を進むと右手に絢爛豪華な社殿があるのだが、それより先に境内社「栄誉権現社」が鎮座。
御狸様とも呼ばれる境内社で、『松山騒動八百八狸物語』に登場する怪談・講談の四国八百八狸の総帥の刑部狸(ぎょうぶたぬき)を祀るとされる。
江戸時代に奉納された大奥で災いをもたらし追放され、その後も大名・旗本諸家を取り潰すような災いをもたらしたと伝えられ、大正時代になって当宮に遷座してから災いがなくなったと云う。
現在では「他を抜く(たぬき)」という事から強運開祖の神、さらに受験・就職・必勝の神として信仰されており、パワースポットとして紹介される事も多い。

透塀と「金色殿」と称された社殿・唐門の裏側

拝観料を支払っていると透塀(すきべい)の中まで入る事ができる。
この透塀も慶安四年(1651)に造営されたもので、国の重要文化財。
上段には野山の動物と植物、下段には海川の動物の彫刻が施されており、その精微さはとても素晴らしく、この透塀の先に絢爛豪華な社殿となる。

社殿は慶安四年(1651)に徳川家光によって造営されたもの。
旧国宝で現在の重要文化財となっており、正に絢爛豪華な姿。
かつては金箔が剥げたり痛みも激しかったが、平成の改修工事によって往年の姿を取り戻した。
この姿から「金色殿」とも呼ばれた社殿は、徳川の威光を伝えるもの。
豪華で精微な彫刻を至るところに見ることができる。
この社殿は拝殿・幣殿・本殿からなる権現造り。
本殿や幣殿もご覧の通りの金ぴか仕様で、正に「金色殿」という異名が相応しい。

かつては拝殿が開いていて昇殿させて頂く事もできたのだが、現在は文化財保護の観点から内部は非公開となっている。

また透塀の中に入る事で、外側からしか見れなかった唐門を後ろから眺める事ができる。
外側よりも内側のほうがさらに絢爛豪華な彫刻が施されている事が分かる。
現在は閉門しているが、かつては開門されていてこの唐門を通り社殿にお参りしていたため、この唐門を潜る時の感動はいかほどの物であっただろうか。

社殿の右手にはきささげの木。
慶安四年(1651)の社殿造影時に雷除けの願いを込めて植えられたと伝えられており、樹齢は350年以上。

きささげは雷から社殿を守ると信じられていた。
拝観料500円が必要であるが、御神木である大楠、強運開祖の栄誉権現社、国指定重要文化財の透塀・社殿・唐門をたっぷりと堪能する事ができる。
更にあまり拝観料を支払ってまで入る方がいないため、日や時間帯によっては長時間独占する事ができる一角となっており、拝観料を支払うだけの価値がある素晴らしいものとなっている。

ぼたん苑・広島長崎の火・上野動物園内にある五重塔

参道の左手には「ぼたん苑」が整備されている。
昭和五十五年(1980)に、日中友好を記念して開苑したもので、500株以上の牡丹が咲き誇る。
「冬ぼたん」と「春ぼたん」の2シーズンに開苑となり、御朱印もぼたん苑開苑期間は、右下に牡丹の印が押される。

冬ぼたん
開苑期間:2017年1月1日-2月26日
開苑時間:9:00-16:30(入苑締切)
入苑料:大人700円・団体600円(20名以上)・小学生以下無料
春ぼたん
開苑期間:2016年4月9日-5月10日(昨年)
開苑時間:9:00-17:00(入苑締切)
入苑料:大人700円・団体600円(20名以上)・小学生以下無料
上野東照宮”。徳川家康を祀る神社で、ぼたんが有名で冬と春にぼたん祭が行われています。

参道右手には広島長崎の火。
広島市内に落とされた原爆によって家々が炎に包まれた時の種火を保存し、現在も灯し続けられている。

参道右手には神楽殿。
明治七年(1874)、深川木場組合が奉納したもの。

当宮境内ではないがその奥に五重塔を見る事ができる。
寛永八年(1631)、当宮の一部として「寛永寺」境内に建立された五重塔であるが、明治以降の神仏分離によって当宮からは分離され「寛永寺」の管轄となり、その後は東京都に寄付されたため、現在は東京都の管轄となっている。
そのため東京都が運営する「上野動物園」の園内に五重塔が現存しており、上野動物園から綺麗に拝観する事ができる。(上の画像は「上野動物園」園内からの撮影したもの。)
国の重要文化財に指定されている。

所感

上野公園内に鎮座する東照宮。
かつては上野公園の敷地内はほぼ全て「寛永寺」の敷地であり、その「寛永寺」の一部として建立された当宮は、家光が造営させた社殿などが残る貴重な神社となっている。
江戸に数多くあった火災にも見舞われず、戊辰戦争では彰義隊と新政府軍による上野戦争があり、さらに関東大震災、東京大空襲など、上野公園周辺には多くの災厄があったにも関わらず、こうして現存している事は奇跡的とも云え、感激してしまうほど素晴らしいもの。
唐門の前までは無料で参拝できるが、拝観料を支払って是非、社殿を間近でご覧頂きたい。
東京を代表する一社であり、徳川将軍家の歴史を伝える貴重な神社である。

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神社画像

[ 参道 ]

[ 大石鳥居 ]



[ 石灯籠 ]

[ 神門 ]

[ 参道・石灯籠 ]



[ 銅燈籠 ]


[ 手水舎 ]

[ 大鈴 ]


[ 銅燈籠 ]

[ 唐門・拝殿 ]






[ 銅燈籠・透塀 ]

[ 狛犬 ]


[ 絵馬掛 ]

[ 広島長崎の火 ]


[ 神楽殿 ]

[ 授与所 ]


[ 参道 ]

[ 透塀 ]

[ 大楠(御神木) ]



[ 栄誉権現社 ]



[ 透塀 ]




[ 拝殿 ]







[ 本殿 ]




[ 唐門(裏側) ]



[ きささげの木 ]


[ ぼたん苑 ]


[ お化け灯籠 ]


[ 境内案内図 ]

[ 案内板 ]


[ 五重塔(上野動物園内) ]



Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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