明治神宮 / 東京都渋谷区

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明治神宮(めいじじんぐう)

御祭神:明治天皇・昭憲皇太后
社格等:官幣大社・別表神社・勅祭社
例大祭:11月3日(例祭)・7月30日(明治天皇祭)・4月11日(昭憲皇太后祭)
所在地:東京都渋谷区代々木神園町1-1
最寄駅:原宿駅・明治神宮前駅・代々木駅・北参道駅・参宮橋駅
公式サイト:http://www.meijijingu.or.jp/

御由緒

 明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后をお祀りする神社で、清らかで森厳な内苑を中心に、聖徳記念絵画館を始め数多くの優れたスポーツ施設を持つ外苑と、結婚式とセレモニー、パーティー会場の明治記念館とからなっています。
鬱蒼と茂った緑したたる常磐の森は、神宮御鎮座にあたり、全国から献木されたおよそ10万本を植栽した人工林です。面積は70万平方メートル、豊かな森に成長し、国民の心のふるさと、憩いの場所として親しまれています。
初詣は例年日本一の参拝者数を集める神社としても知られます。そのほか、大相撲横綱土俵入りや、こどもの祭まで幅広い祭典と行事、厄祓い、祈願をとりおこなっております。加藤清正が掘ったと言われる清正井(きよまさのいど)や明治天皇のおぼしめしにより昭憲皇太后のために植えられた、美しい花菖蒲など、多くの見どころがあります。
明治45年7月30日に明治天皇、大正3年4月11日には昭憲皇太后が崩御になりましたが、国民から御神霊をお祀りして、御聖徳を永遠に敬い、お慕いしたいとの熱い願いが沸き上がり、大正9年11月1日(1920年)に両御祭神と特にゆかりの深い、代々木の地に御鎮座となりました。

(※公式サイトより)

参拝情報

参拝日:2016/03/30

御朱印

初穂料:500円
神楽殿にて。

※本殿が印刷されたポストカードがついてくる。

明治神宮

御朱印帳

初穂料:1,000円(御朱印代込)
神楽殿にて。

取り外してしまったが透明の防水カバーも一緒についてくる。(裏面には名札シール有り)
光沢のある布地。
紫と白の和文様となっている。
1ページ目には「明治神宮」の御祭神・御祭典などが印刷されている。(詳細画像:Twitter

[ 表面 ]
明治神宮御朱印帳1

[ 裏面 ]
明治神宮御朱印帳2

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歴史考察

明治天皇と昭憲皇太后が御祭神

渋谷区代々木神園町にある神社。
旧社格は官幣大社で、現在は別表神社であり勅祭社。
明治天皇と昭憲皇太后を御祭神としている。
初詣では毎年日本一の参拝者数を誇る神社でもあり、日本を代表する一社。
なお、正式な表記は「明治神宫」であり、「宮」の「呂」の部分に中間の線が入らない旧字体となっている。

代々木の地へ創建

明治四十五年(1912)、明治天皇が崩御。
続いて大正三年(1914)、明治天皇の皇后であった昭憲皇太后が崩御。
明治天皇は京都の「伏見桃山陵」に埋葬され、昭憲皇太后はそのすぐ東の「伏見桃山東陵」に埋葬された。

その後、明治天皇をお祀りする神宮を建設したいとの運動が、天皇を崇敬する国民から起こるようになる。
その先頭に立ったのが、日本資本主義の父と呼ばれた渋沢栄一であった。
政府は神社奉祀調査会を設置して審議。
大正四年(1915)に、大正天皇の裁可を受けて「官幣大社 明治神宮」を創建する事が内務省告示で発表された。

創建場所はいくか候補があったようだが、明治天皇に縁の深かった代々木へ創建する事が決まる。
これは、明治天皇が詠んだ「うつせみの 代々木の里はしづかにて 都のほかのここちこそすれ」という歌から、この代々木の御料地(南豊島御料地)が選ばれた。
明治天皇も昭憲皇太后も時折この地を訪れて気に入っていたとされる。

この代々木の御料地はかつて近江彦根藩井伊家の下屋敷のあった場所。
明治維新後に井伊家から政府に対して献上されたものである。

人口で作られた鎮守の森

社殿など造営と同時に進められたのが鎮守の森の整備である。
神社には鎮守の森が必然であり、この整備を行う必要があった。

しかし、当時の代々木の地は畑がほとんどで荒れ地のような景観だったという。

明治神宮地図

こちらは明治後期の代々木周辺の古地図。
南豊島御料地、代々木練兵場とあり、とてもじゃないが森は見当たらない。
畑や荒れ地がほとんどだったという事実が分かる。

そこで大正四年(1915)から5年がかりで人口の森を作る事に。
この時活躍したのが、全国の青年団という組織。
日本中より延べ11万人にも及ぶ青年団員が動員された。
多くの国民が自発的に勤労奉仕に参加している。

さらに鎮守の森を整備するために、日本全国から木の奉納(献木)が行われた。
北は樺太、南は台湾まで、さらに満州や朝鮮からも届き、約10万本(365種)の木が奉献されている。

鎮守の森の設計は、林学の権威・本多静六の他、当時の最先端の技術者や科学者が加わった。
100年後に自然の森として育つように、永遠の森が形成されることを科学的に予測し植樹された。

実際に、現在はかなり自然の森に近い状態に育っているのだから素晴らしい。

東京の気候に合わない種類もあったため、種類こそ246種類に減ってしまったが、本数は約17万本と増えており、限りなく自然の森化している事が分かる。
とても荒れ地に人口で作ったとは思えない、元々森があったところに神社を造営したとしか思えない境内となっている。

50万人が参拝した鎮座祭

造営開始から5年後の大正九年(1920)に鎮座祭が行われる。
皇室からは大正天皇の名代として皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)が行啓した。
よって、当宮は大正九年(1920)創建という事になる。

11月1日の鎮座祭当日には花火が打ち上げられ大いに盛り上がる事となる。
各所に奉祝鳥居が建てられ、花電車が走り、東京の町は奉祝の賑わいに満ちたという。

鎮座祭

鎮座祭当日、三の鳥居前の様子。
鎮座祭にはこの日だけで全国から50万人の参拝があったというのだから凄い賑わいなのが伝わる。

現在もこの賑わいは続いている。
初詣の参拝者数は毎年日本一となっており、正月三が日だけで300万人以上が参拝に訪れる。
年間参詣人数も800万人を数える。
大正九年(1920)鎮座祭から、今も変わらず国民に崇敬され人気のある神社なのがよく伝わる。

第二次世界大戦と戦後の復興

第二次世界大戦(大東亜戦争)が始まると、当宮も戦禍を被る。
昭和二十年(1945)四月十三日の空襲により本殿などほとんどの建物が悉く焼失。
神門、宿衛舎、祓舎以外は全て焼失してしまっている。
境内には1330発の焼夷弾が投下されたという。

社殿周りは、拝殿の前にある3本の大楠だけが、真っ黒に
焼け焦げながらも生き残ったとされており、その姿を今も見る事ができる。

夫婦楠として親しまれており、大正九年(1920)に献木されたものが現存。
木の生命力を感じる事ができ、その右手の絵馬掛けにも大きな楠が現存している。
なお、境内にはかつて代々木の地名の起源ともなった樅の巨木「代々木」があったが、こちらも先の大戦で焼失してしまっている。(参道にその旨を記す掲示あり)

戦後になり、日本全国から復興資金が寄せられ仮殿が建設。
昭和二十一年(1946)に遷座祭が行われた。
昭和二十八年(1953)に「明治神宮復興奉賛会」が結成される。
日本全国、さらに海外からも復興資金が寄せられ、昭和三十三年(1958)に遷座祭が行われる。
これが現在の本殿となっている。

なお、戦後の当宮は、神社本庁の別表神社に指定されていたが、平成十六年(2004)に神社本庁との包括関係を解消し、単立神社に。
しかし、平成二十二年(2010)に再び神社本庁は明治神宮の被包括関係を設定し、別表神社となっている。

約70万平方米の境内・大鳥居

「明治神宮」は、面積約70万平方米の広大な境内を有している。
この広大な鎮守の森は、上述の通り、人口で作られた森であり、それが現在は自然化している。

参道の入口は南、北、西と三箇所あり、いずれも南参道、北参道、西参道となっている。
多くは原宿駅近くの南参道からお参りする事が多いだろう。

こちらは南参道の一の鳥居。
どこから参拝しても中央の社殿まで10分はかかる広大な境内となっている。

南参道の途中には、多くの日本酒の樽が並ぶ。

当宮には日本中から数々の銘酒も献上される。
名だたる銘酒の日本酒樽が並ぶので日本酒好きにはたまらないだろう。

さらにその向かいにはワインの樽が並ぶ。

こちらはフランスのブルゴーニュ地方の醸造元各社から奉納されたワイン樽。
60もの樽が並びこちらもお酒好きにはたまらないと思う。

南参道を真っ直ぐ行くと北参道とぶつかるところに、当宮のシンボルでもある大鳥居(二の鳥居)が建っている。
高さ12m、幅17m、柱の太さ直径1.2m、重さ13トン。
木造の明神鳥居としては日本一の大きさを誇っている。

実はこの大鳥居は二代目の大鳥居。
初代は昭和四十一年(1966)の落雷によって破損。
新たな鳥居を昭和五十年(1975)に建立しており、これが現在の大鳥居となっている。
台湾の阿里山連峰3,300mの山奥で樹齢1,500年の大檜を見つけ、日本まで持ってきて再建したため、再建までに9年以上も有している。
なお、落雷した鳥居は「武蔵一宮氷川神社(大宮氷川神社)」の二の鳥居として翌年移設された。

創建当時の神門・再建された本殿

大鳥居からさらに進むと手水舎があり三の鳥居。
その先に立派な神門。

先の大戦で社殿のほとんどが悉く焼失しているのだが、実はこの神門は戦火から逃れている。
そのため創建当時の神門で、上述の大正九年(1920)鎮座祭の白黒写真に映っていた神門が現在の神門という事になる。

その先にあるのが本殿。

本殿の前は広い境内となっているが、これでも初詣になると入りきらなくなってしまう。

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旧本殿は第二次世界大戦の空襲で焼失。
現在の本殿は、日本全国、さらに海外からも復興資金が寄せられ、昭和三十三年(1958)に再建された。

御朱印は本殿の右手にある神楽殿にて。

御朱印の案内が書いてあるので分かりやすいだろう。
御朱印の初穂料は500円で、オリジナルの御朱印帳は1,000円(御朱印代込)となっている。

神宮御苑・パワースポット清正井

当宮には他にも多くの施設が用意されている。
特に有名なのが「神宮御苑」と呼ばれる庭園。

拝観は有料であり、料金は大人500円となっている。

この神宮御苑は江戸時代から彦根藩藩主・井伊家下屋敷の庭園として使われていたもの。
明治時代に宮内省が所轄する南豊島御料地となり、代々木御苑と呼ばれた。
明治天皇が「うつせみの 代々木の里はしづかにて 都のほかのここちこそすれ」と詠んだのは正にここの事であり、明治天皇と昭憲皇太后に縁が深くしばしば行啓された。

現在、神宮御苑は内には隔雲亭やあずまやのほか、菖蒲田、清正井などがある。
菖蒲田の花菖蒲は明治天皇が昭憲皇太后のために植えさせられたといわれ、6月が最盛期。

最近では清正井と呼ばれる井戸がパワースポットとして注目を浴びている。

清正井

都会では珍しい湧水の井戸。
水温は四季を通じて15度前後と一定していて、毎分60リットルの水量があり、「明治神宮」が創建するより昔の江戸時代から「清正井」といわれており、加藤清正が自ら掘ったという逸話が残っている。
TVでパワースポットとして紹介されてから人気になり、混雑時は整理券も配布され数時間待ちになる事もあるようだ。
平日なら空いている中で散策できるのでお薦めしたい。

当宮の境内には、他にも宝物展示室、宝物館、レストランなど色々な施設が用意されている。

なお、「明治神宮外苑」も当宮の洋風庭園であり、当宮の敷地の一角と見なされている。
明治神宮境内を内苑と呼ぶのに対し、明治神宮外苑と呼ばれている。

所感

原宿駅のすぐ近くに鎮座する日本を代表する一社。
表参道、外苑前など若者たちに人気の最先端エリアではあるが、これらの地名は全て「明治神宮」を中心に成立している。
例年初詣では日本一の参拝者数を誇る事からも、当社が今もなお崇敬篤いのが伝わる。
人口で作られた鎮守の森は、現在はかなり自然化されており、当時の叡智と国民の崇敬の象徴とも言えるだろう。
境内に入ると清々しい深い森になっており、正に都会にあるオアシスといったところ。
社殿の多くは戦後復興されたもので、戦後復興の象徴の1つとも言えるのではないだろうか。
規模や境内の雰囲気のどれをとっても東京、日本を代表する1社であるのは間違いない。
平成三十二年(2020)には東京五輪が開催される。
その時「明治神宮」は御鎮座100年を迎える事となるのだが、大きく変わっていく東京において、当宮は変わらず崇敬され続け、現在の姿を維持していくのだろう。

神社画像

[ 南参道鳥居(一の鳥居) ]
[ 南参道 ]
[ 日本酒樽 ]
[ ワイン樽 ]
[ 大鳥居(二の鳥居) ]
[ 参道 ]
[ 手水舎 ]
[ 三の鳥居 ]
[ 神門 ]
[ 本殿 ]
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[ 夫婦楠 ]
[ 楠・絵馬掛 ]
[ 神門(本殿側より) ]
[ 客殿 ]
[ 神楽殿 ]
[ 授与所 ]
[ 東側鳥居 ]
[ 神宮御苑 ]

[ 清正井 ]
清正井

[ 社務所 ]
[ 崇敬会本部・参集殿 ]
[ 文化館・宝物展示室 ]

Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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